20. 紅薔薇の姫君
少し陽が傾き始めた頃、サンルームの入り口にルチアの夫バルリエ卿とジューリオの姿が見えた。どうやら西方諸侯達の会談は無事終了したようだ。二人は真っ直ぐこちらにやってきた。
「テリィ、ラミー。迎えに来たぞー。セラフィナ様、お久しゅう!」
「お久しぶりですね、ジューリオ様。お元気そうで何よりです」
「ハハッ! それが取り柄なんで! 二人ともセラフィナ様に失礼はなかったか?」
熊さん騎士は豪快に笑うと、妹と自らの婚約者の目線に合わせて少しだけ屈む。子リスのようなテレシアと並べてみるとまさに童謡「森のくまさん」状態という、大変微笑ましい様子にセラは口元が緩んだ。
「は、はい、ジューリオ様……っ」
「兄上は過保護すぎです。私達、これでも十七歳ですよ」
「そーかい。マーシア殿はどうする? 宿まで通り道だから送らせてもらうが。セルジュからも頼まれてるから遠慮はいらんぞ」
「ええ。それではお願いするわ。ではまたね、セラ。明日の式典でお会いしましょ。夫とその時にまた改めてご挨拶に伺うわね」
「ええ、マーシア。また明日」
「ごきげんよう、セラ様」
三人がジューリオとともに帰って行くと、レギーナも「それではね、セラ。また舞踏会でね」と迎えを待たずに行ってしまった。身のこなしは武人のように隙なくすっきりしていたから、オルガのように騎士服を着せたら男装の麗人のようになりそうだ。
ユリシーズが迎えに来る、と言っていたので大人しく椅子に座ったまま周りを見回した。ルチアは何やら王宮の給仕達と話しているので、何だか手持無沙汰だ。クラリッサから貰った本の表紙をぼんやり撫でていると、セラの頭にポンと大きな手が乗せられた。
「お待たせ」
「ユーリ!」
「楽しかったか? 初めて会う人ばかりだったけど、大丈夫だったか?」
「うん! 皆様にとっても良くしてもらったの」
「よかったな。眼鏡の変なのがいたろ」
「変とは私のことかな? レーヴェ卿」
「よう、クラリッサ。ルッツが遅れるってさ」
「先輩を使い走りに。いい度胸ですねぇ」
「だよな。パシられる俺も大概だけど」
二人はニヤっと不敵な笑みを浮かべた。そこに綺麗なリボンが掛けられた白い箱を持ってルチアがやって来た。
「あら、ちょうど良かったわ。レーヴェ卿、こちらをどうぞ」
「何?」
「出しそびれたお菓子で大変申し訳ないのですが、よろしければお土産にお持ちくださいませ。セラ、こちらご所望のお店のカードね。」
「わぁ、どうもありがとう! かわいいカードばっかりね」
セラはホクホク顔で受け取ったカードを見比べた。どれもこれも淡い色味でかわいらしい絵までついているので、見ていて楽しくなる。隣のユリシーズはキリッとした顔を一切崩さずにお菓子の箱を受け取った。
「ありがとう、ルチア殿。ありがたく頂くよ」
「よかったねユーリ。言わずに帰ろうと思ったけど、約束だから一応伝えるね。東屋にいる黒騎士達、団長の側近で将来有望なの。とりあえずよろしくね」
「えー、恋人いらっしゃらないの? 意外だわ、うちの侍女達は素敵って言ってるわよ?」
「えっそうなの? それじゃ私が余計なことしないほうがよさそうね」
「おいおい、俺の側近の恋愛事情なんかどーでもいいだろ。ほら、帰るぞ。夜の支度があるんだろ」
「はーい」
「セラ、ホントにこの人でいいの? 一途っていえば聞こえがいいけど、私の見立てではかなり愛が重たそうな御仁のようだよ」
「い、いいの! 一途なの素敵じゃない」
「俺達の絆にわざわざヒビを入れようとするな」
「アハハッ! それは失礼をば。それじゃ、またあとで。私も慣れないドレスを着てくるとしますか」
クラリッサが笑ってサンルームを出ていくのを見送る。剽軽で軽妙なクラリッサとはとても良い友人になれそうな気がして、セラはその背中に「楽しみにしてるわね!」と声をかけた。
「ふふふふっ! 本当に楽しかったわ、今日は。あなた、私達も迎賓館に戻りましょう」
「そうだな。ルチア、ショールはどうしたんだ? 身体を冷やしたら大変だろう。これを」
バルリエ卿が肩留め式のマントを外してルチアの薄い肩にかけた。あれこれと甲斐甲斐しく世話を焼く様子はまさに「愛妻家」の鏡だ。
「お腹の赤ちゃんに障ったら大変だものね。これから寒くなるし、手の先と足の先はしっかり温かくしてね。あと首ってつくところも」
「ありがとう、セラ! 帰りに新しい襟巻と手袋を買っていこうっと。トラウゼン領からなら一日半の距離だから、良かったらうちに遊びに来て」
「ええ、もちろん!」
「それでは我らは失礼するよ。お二人ともお元気で!」
「貴君もな。道中気を付けて」
バルリエ卿夫妻を見送り、セラとユリシーズは東屋から黒騎士達がやってくるのを待った。セラは先ほどの皆の爆笑っぷりを思い出して眉が寄る。その顔を見てユリシーズが「ふへっ」と声をもらして肩を震わせた。
「なんちゅー顔をしてるんだ。何かやなこと思い出したのか?」
「ううん。ユーリのことが話題に上がった時、皆がこっちまで聞こえる声で笑ってたの思い出したの。よりによって」
「ん?」
「う、な、なんでもない。そうじゃないって私が一番知ってるし」
「……何となく見当はつくから、あえて聞かないでおく」
東屋からやってくる皆の前に、正殿側からやって来た老武人がサッと割り込んだ。
「姫様! お呼びと伺いましたぞ」
「あっ、バハルト将軍。お忙しいのにごめんなさい」
「ハッハッハ! なんのなんの。姫様のお召とあらば。して何用ですかな?」
「えっと。私の手の平に乗るくらいの大きさの、祖母の遺品に何か心当たりはありませんか?」
これくらいの、とセラは手で大きさを示した。バハルト将軍は顎髭をしごきながら「はぁて……」と首を捻る。
「儂の屋敷にジュディスの遺品を納めた箱がありましてな。儂は良く中を見検めておりませんがあったやもしれませぬ。あれは儂よりも孫娘の姫様がお持ちになったほうが良いから、後ほど迎賓館にお持ちしましょう」
「ありがとうございます、バハルト将軍」
「明日の式典の後に墓地で弔いをすると聞きましたが、儂も立ち会わせて頂いてもよろしいですかな?」
「はい、もちろんです」
「墓守り人には昼十二時に行くって伝えてあるんだ」
「承知。儂も奥を連れて参りましょう」
「はい。お待ちしております」
バハルト将軍は太い笑みを浮かべると、さっと一礼して足早に立ち去って行った。
後ろに控えていた黒騎士達に「俺があらぬ噂をされていて面白かったか?」と、ユリシーズが悪い顔をして言い放つと、四人は口々に「いいえ団長」としれっとした顔をしてとぼけた。
リオンが「あとでセラちゃんに確認すっからね」とへらへら笑いで彼らに釘を刺す。いつもの愉快な黒騎士達っぷりにセラも苦笑するしかなかった。
王宮の正面玄関にやってくると、既にセラが乗って来たトラウゼンの公用車が停車していた。ユリシーズに手を借りて乗り込むと、彼が大事に持っていた箱を手渡された。
「俺が持ってると手づかみで貪り食ってしまいそうだからな」
「やめてよー。馬に乗りながらそんなことしないで。素敵な騎士様が台無しだわ」
「ところで、その大事そうに持ってる本は?」
「ああ、これ? クラリッサにもらったの」
「例のあれか。すげー豪華な装丁……。本当に才能の無駄遣いだな。そういや初版は回収しきったのかな」
「えっ」
セラは信じられないことを聞いて、翡翠の瞳をくるんと大きく見張った。北方大陸では一度発表された作品は、法などの禁に触れるようなことがない限り回収されたりはしない。作者の吟遊詩人、北方大陸では作家と呼ばれる人達は自分の作品に自信があるので、作品の回収は非常に屈辱的なのだ。
「か、回収ってできるの?」
「吟遊詩人にまた金貨を積んで、初版だけ回収してもらったところだが」
「そんなホイホイお金に釣られるなんて、吟遊詩人としての自尊心はどこいっちゃったの」
「自尊心じゃ飯は食えねぇだろ。あれはあくまでも北方から俺に惚れてやって来た娘さんってのを強調するためだし」
「やだぁ、俺に惚れてとか自分で言ってる」
「事実だろ」
セラはユリシーズと顔を見合わせて同時にふきだした。そう、事実なのだ。とある侍女さんが、ひょんなことから好きになった人を追いかけて遥々北方大陸から西方大陸へやってきた。大義名分や柵や色んなものに縛られていても、それだけは変わらない本当のことだった。
迎賓館の部屋に戻ると大輪の赤い薔薇が一番に目に入った。その見事さに思わず喚声を上げる。真紅のドレスはトルソーが纏い、セラに着てもらうのを待っていた。
「す、すごい薔薇の匂い。俺、寝室で菓子食ってるから。ゆっくり着替えてくれ」
「そうさせてもらうね。ハンナ、ユーリにお茶を淹れてあげて」
「わかりました」
自分の寝室に向かいながら箱を開けて、実に嬉しそうな広い背中を見送る。まずは正装を着る仕度の前に軽く湯あみだ。セラは貴族の令嬢ではないので湯あみは一人と決めている。エマには王宮からの女官が到着してからの采配を任せた。
セラが浴室から出てくると、すでに王宮の女官達が勢ぞろいしていた。お化粧担当、髪担当、着付け担当とそれぞれ得意分野を活かしてセラを飾ってくれる、とても頼もしい助っ人たちだ。お化粧担当はエマからセラの髪質や普段使う化粧類の色味を聞き、立派な化粧入れの大箱から次々と化粧道具を取り出した。髪担当の女官は鏝やら髪を乾かす道具やらを取り出し、着付け担当は見たことのないコルセットを取り出した。
「あの、それは?」
「これは鯨の髭を使った新型のコルセットです。しっかり括れた腰元を作りますが締め付けすぎない優れものですわ。ようやく特許がおりたので、今年の冬から市場に出回ると思います」
北方大陸の貴婦人から市井のおかみさんまでが身につける、ステイズとよく似ていた。生地も本来の固いものよりも布らしさが残っていて着けやすそうだ。
「すごーい。あ、ホント。柔らかい……! これでごはんが」
「残念ですがお腹いっぱい食べられないのは従来品と一緒です。食べ過ぎるとお腹が苦しくなりますよ? では締めますね。はい、深呼吸。思い切り吸ってー」
セラは言われた通りに大きく息を吸い込む。ぎゅううううっと腰から胸元が締まっていくので「う」と軽くうめいてしまった。今も昔も美しく見られたい女心とは苦行を課せられるのだ、と己に言い聞かせる。
「それではこちらへどうぞ」
セラは女官に言われるがまま、真紅のドレスで作られた輪の中に入る。女官全員で素早く着付けていく様は見事としか言いようがない。裾を持つ人、胸元を抑える人、脇にある隠し留め具を手早く留める人。実に手慣れている彼女達にかかれば正装のドレスもものの数分で着脱できる。
着つけが終わると次は髪だ。肩にケープを掛けて、まだ半がわきの髪を髪担当の女官が「ちょうど良かった」と笑って、すごく良い香りのする香油を髪に刷り込んで手早く鏝で巻き始めた。半がわきの髪の方がよく巻けるらしい。
「全体的に大きく巻いて、つむじに沿って髪を横でまとめましょう。そこに薔薇をあしらいます」
「大人っぽい髪型になりますけど、お可愛らしい顔立ちだからお化粧は少し控えめにしますね。お化粧で赤い口紅を使われたことはありますか?」
「いいえ」
「ふふふ、それなら仕上がったらびっくりしますよ」
「うわあ、レギーナ様みたいな巻き毛になってる。でもセラ様の方が明るい色味ですよね。お日様に透けるみたい」
「ハンナ、あなた戻ってくるの早すぎ。ちゃんとお茶を供して来たの?」
「はい。無心にお召しあがり中だったので、お断りして置いて来ました」
「そう。余程お菓子が食べたかったのね。きっと長い会談で頭を使われて甘味補給が必要なのでしょう……」
「……」
セラは紅を引かれている最中だったので必死に笑いを堪えた。肌の色を補正する塗り粉を「あら、お肌が白くてそばかすひとつないからほとんどいりませんね」と言われながらちょいちょいっと塗られて、仕上げにキラキラ輝く真珠入りの白粉を軽くはたかれた。肩をまるごと出す意匠なので余った真珠入りの白粉をデコルテの辺りにも軽くはたく。
「目張りは細く茶色で引きました。大きな翡翠の瞳をより際立たせるなら余計な色は入れないに限ります」
仕上げに、と唇の真ん中に蜜蝋由来の保湿クリームをぽんと乗せて完成だ。髪は化粧に合わせて最終調整をするので最後に仕上げる。大きく巻かれた髪を軽く解して自然な感じに緩め、左側にふわりと結われるように纏められる。そこに芳しい香りを放つ大きな薔薇が一つだけあしらわれていた。
促されて鏡の前に立つと、翡翠の瞳に赤毛の若い淑女がセラを見ていた。ふわふわと巻かれた髪を大人っぽく片側だけで軽く結い上げ、ドレスと同じ深い緋色の大輪の薔薇が咲いている。蠱惑的なまでの紅い唇はぷっくりと潤んだ艶のおかげでどこかあどけない。翡翠の瞳は特に手を入れていないのにいつもより二割増し大きい気がする。
「すごい。私が私じゃないみたいです。こんなに素敵に仕上げてもらって、本当にありがとうございます」
「いえいえ。私達も久しぶりに仕事とはいえ楽しませて頂きました。陛下いわく、今日のテーマは”紅薔薇の姫君”ですわ」
「やはり若く可愛らしいご令嬢を飾るのは本当に楽しいものですね。こちらこそありがとうございました」
「今日使った化粧品はすべて献上させて頂きます。こちらの白粉は美容効果もあって我が国で一番売れているのですよ」
さり気なく売り込みをして女官達は来た時と同じように風のように去っていった。エマとハンナが「すごい」と感嘆の声を上げて、鏡の前に立つセラの両側に立つ。
「お化粧ってすごく重要なんですね。色でこんなに感じが変わるんだ……私、お化粧をお勉強しようかな」
「何かこう、少女らしさと大人の女性らしさの混在が。ああもう上手く言えませんけど、とにかく素敵ですわ。独身だったら求婚者が列をなしますよ」
「それは聞き捨てならんな。片っ端から決闘しないと」
「ユーリ」
「……」
くるりと振り返ったセラを見て、棒を飲んだようにユリシーズは立ち尽くした。その場にいたユリシーズ以外の三人は彼の口が開かれるのを、固唾をのんで、待った。




