24. 変わらない絆
「ん……よく寝たぁ……」
セラは清々しい気分で目が覚めた。うん、と伸びをして身を起こす。昨夜はあれだけ怠かったのに、今は気分すっきり快調そのもの。くうぅ、とお腹が子犬のような音を立てる。食欲も戻ってきたようだ。
「お風呂に入りたいなぁ。着替えとかどこだったっけ」
ペタペタと歩いて、ここに来た時に荷物をしまったクローゼットを開いた。
「あれ? このゴツイ荷物は何だろ。何で、私のクローゼットに槍があるの?」
ゴトン! ガラララン!
「あ、あわわわ」
ちょっと触ったら、布に包まれた槍がセラのほうに倒れて来たので慌てて避けたらこの始末。すぐに廊下を誰かが走ってくる気配がした。扉が軽くココン! と叩かれる。
「どうした、セラ」
「ユーリ、ご、ごめんね朝早くに。何でもないの」
「何か倒したろ。怪我は?」
「ないわ」
「とりあえず、そのままにしとけ」
「ユーリが私のクローゼットに槍をしまったの?」
「……しまった、かもしれない。覚えてねーや」
「何よそれっ」
「うるせ。一昼夜馬で駆け通しでクッタクタだったんだよ。危ないから触んなよ。後で片づけるから」
「セラ様、大丈夫ですか? いますごい音がしましたけど」
続き部屋の扉が開いて、エプロンをかけながらエマがパタパタと駆けて来た。置時計はまだ朝の六時前。寝ていた侍女をたたき起こしてしまって、セラは申し訳なくて身体を小さく縮めた。
「エマ、ごめんね驚かせて。ユーリの槍がね、倒れちゃって」
「お怪我がなくってよかったですわ。そんなことよりも、すっかり顔色が良くなりましたね。お声も元気そうだし」
「うん、心配かけてごめんね。無事戻ってこられてほっとしたみたい。すっかり元気よ!」
「よかった……。ハンナもアキムさん達もすごく心配していたんですよ。後で顔を見せてあげてくださいませ」
「もちろんよ。とりあえず、これどうしよう。触るなって言ってたけど」
「馬上槍なんて厩舎に置いておけばいいのに。誰かしら持ってきたの」
「ユーリ、自分で持ってきたか覚えてないって」
「お部屋にいらしたときは手ぶらでしたけどね……ま、ご自分で戻して頂きましょ。着替えは私の部屋へ移しました。殿方がズカズカ入ってくるものですから落ち着かなくて」
「ありがと。着替える前にお風呂に入りたいのですが。すごく汗かいたから気持ち悪くて」
「ゆうべお着替えするときに拭いただけですものね。浴室はこちらですわ。少しお待ちくださいね」
「はぁい」
セラは絡まった髪を指でほぐしながら、お湯が溜まるのを待つことにした。川に浸かって、竜の熱風で乾かされて、森の中を歩いたせいでくしゃくしゃだ。せっかく皆が香油を毎日揉みこんで、綺麗に整えてくれたのにまた一からやり直しだ。ふう、とため息をついて、手足を見た。右足に綺麗に包帯が巻かれている。膝と、脛。それと二の腕と右手の甲に擦り傷があった。お湯につけたり石鹸で洗ったりしたら沁みそうだ。
「エマが包帯を巻いてくれたの?」
「いいえ。ユーリ様ですよ」
「ユーリが? あとでお礼言わなきゃ」
「頬にキスの一つでもして差し上げたらいかがです?」
「やだー、エマったら!」
明るく声を立てて笑うセラに、エマも楽しそうに笑った。二人とも口には出さなかったが、ようやくいつもの日常が戻ってきたように思えた。
簡単に湯あみをして身支度を整えた。エマが着付けてくれたドレスは普段でも着られる気取らない意匠で、病み上がりの身体を締め付けないようにゆったりとした作りになっている。西方大陸はハイウェストの型が流行っているのか、今日は萌黄色のハイウェストドレスだった。腕にそってふんわり落ちる七分袖に、胸元には繊細なレースがあしらわれていて、実にセラの好みだった。
「御髪はどうしましょうか? 今日のドレスなら、下ろすと可愛らしい感じになりますけど。セラ様の印象はやっぱり可愛い感じだと思うんですよね、私としては」
エマは艶々とした髪をひと房、胸元に垂らした。緩く波打つ髪はセラの白く柔らかなまろい頬にそって流れていく。
「エマにおまかせする」
「はい! さっきまでパサついていましたけど、香油入りの洗髪石鹸で洗ったら戻りましたわね」
「よかったぁ。私、杏の洗髪石鹸が一番好きだわ」
「杏油は髪に良いんですよ。それにしても丁寧に梳ると紅茶色が透けるみたいになって、まるで薔薇みたいですわね。素敵な髪だわ」
「そ、そう? そんな風に言われたら照れちゃうわ」
「一昨日のセラ様、本当にご立派でした。私達の姫様は西方一だわ」
「やめてよぅ、どうしちゃったのエマったら」
「元気を出してくださいませ。今回はお辛い目に合わせてしまいましたけど、私達がついていますから」
「……うん。ありがとうエマ。エマとハンナは私の大事な友達よ。頼りにしてる」
「もったいないお言葉です。仕事中はあくまでも私どもは侍女ですから、それをお忘れなく」
「もちろんわかってるわ。お仕事も横取りしたりしない」
「ふふっ、そうしていただけると嬉しいです。さ、出来上がりました」
「うわぁ、これ、どうなってるの? すごく細かい」
セラは横を向いて、こめかみに細かく編みこまれた髪をちょいちょい、と触って唸った。エマも髪結いで食っていける腕前だ。丁寧に梳られて背中をさらりと流れていく髪の感触が気持ち良い。テキパキと髪結いの道具を片付けたエマに「ちょうどお食事になりましたから」と先導されて一階へ降りていくと、ドヤドヤと大勢の男達が談笑する声が聞こえてきた。
「ごきげんよう、みなさん」
「おはようございます、姫!」
「ごきげんよう!」
広間に居並ぶ西方諸侯達が総立ちでセラを出迎えてくれた。びっくりした顔で広間の入り口で立ち尽くしていると、奥にある上座にいるクレヴァが「こちらへ」と手招きでセラを呼んだ。厳つい諸侯達の間をおっかなびっくり通り抜ける。クレヴァの向かいに座っていたユリシーズがさり気なく立ち上がって自分の横の椅子を引いた。
「朝っぱらからむさ苦しくてすまないな」
「そんなことないわ。ありがと、ユーリ」
「姫、こいつ自分の士官学校時代のこと、自分の都合の良い様にしか話してないでしょう。俺達が話して差し上げますよ、色々ね」
西方諸侯の一人がユリシーズの肩を叩いて、ニンマリと悪そうに笑った。婚約者殿は不機嫌そうに「さわんな」とその手を叩き落とす。気心のしれた様子の二人を見て、セラもニコニコ笑いながら答えた。彼の言うように良い所しか聞いたことがないのだ。
「興味深いわ」
「セラ様ったら……そんなむさくるしい話なんて聞いても楽しくありませんよ?」
エマに甘い柑橘系の香りがする紅茶を注いでもらい、置かれていたナプキンを膝に広げた。柔らかい麦穂のような髪色の西方諸侯が傷ついた顔でユリシーズに訴えた。
「エマ嬢にむさ苦しいって言われると、結構こたえるな」
「むさ苦しいかどうか、一度お茶がてら確かめて頂けると嬉しいです」
「エマ嬢、ぜひ私と午後のお茶を」
「朝っぱらからやめろ。うっとおしいからさっさと座れ。椅子の上に尻を置け」
やいのやいの騒ぐユリシーズ達に閉口したクレヴァが咳払いをすると、広間はすぐ静かになった。敬愛する師の笑っているのに笑っていない目を見て、セラも思わず口をつぐむ。
「可憐な姫君を妻にするユリシーズを、君達が羨ましく思う気持ちはわかりますが、私は朝食を静かに頂きたいのですよ」
「失礼しました!」
「俺達も静かに朝食を頂こう」
抑えめの声量でなおも楽しく談笑する諸侯達を見て、セラも口元が緩む。会合の時に見た姿は騎士服やかっちりした正装に身を包んでいたせいで近寄りがたい感じがしたが、いまここにいる皆は年相応の若者ばかりだ。やれやれとため息をつくクレヴァに、セラは居住まいを正した。
「クレヴァ様、ご心配をおかけして申し訳ありませんでした」
「……本当に心配しましたよ。もう済んでしまったことをとやかく言いませんが、自重なさい。あなたのことを大切に思う人のことを考えて」
「はい……」
「それと。竜のことですが」
「クレヴァ様も後で私と一緒に来てくださいませ。きっと父も会いたいはずです」
「……本当にその、彼なのですか?」
「はい。私は父だと思うのです……。どうしてって言われても説明が難しいですけれど」
「親子の不思議な絆、でしょうかね。とりあえず、朝食をいただきましょう」
「はい!」
クレヴァの隣には四十代くらいの柔和な感じの男性が座っていた。彼の側近はもっと大勢いたように思うが、他の方々は朝早くから忙しく働いているのだろうか。こういう時必ず「キョロキョロしない!」と叱りつけてくれるマダム・アドリーヌがいないのが気になった。
「クレヴァ様、マダム・アドリーヌはどうされたのですか? まさかお怪我を? オルガ達の姿もないし……」
「彼らのことは心配はいりませんよ。食事よりも睡眠を取っただけで。アドリーヌはセラが無事に戻ってきて気が抜けたようでね」
「倒れられたのですね……。あとで心配をかけたお詫びをお伝えしてきます」
「ついでに叱られてきなさい。貴女は無茶をするきらいがありますからね」
「うぅっ、わかりました」
しょぼくれるセラに、ユリシーズもクレヴァも、側近までもが声を立てて笑った。
「じいちゃん達にもすごく心配かけたから、帰ったらごめんなさいしないとな」
ニヤリと意地悪そうな顔で笑って、ユリシーズは朝食に手をつけ始めた。セラは紅茶のカップを静かにソーサーに置いてから「海の底よりも深く反省するわ」と殊勝に頷いた。トラウゼンにいる人達も、きっとセラが連れ去られたと聞いて心配をかけたことだろう。後で一筆したためて手紙を送ることにした。
「お加減は良さそうですね。顔色も良いし」
「はい。ゆうべいただいたお薬がとても良く効きました」
「それは何よりです。ですが、まだご無理はなさらずに安静にしてくださいね」
柔和な感じの男性は、優しげな顔に笑みを浮かべて珈琲のカップを傾けた。セラの薬を調合してくれたのはこの人なのだろう。金縁のモノクルがいかにも有能な医師という感じがする。セラの前に運ばれてきたのは、よく濾された玉蜀黍のスープと半熟に炒められた卵、塩ゆでにした腸詰だった。食欲は戻ってきていたが、どうにも血を連想させる食べ物を口にする気分になれない。スープと焼きあがったばかりのふんわりした丸パンを一つ、それと卵だけを頂いた。
「どうした? あんまり食が進んでないみたいだけど」
「う、うん……。ユーリ、これ手を付けてないけど、いかが?」
「もらう。まだ本調子じゃないんだろ? 無理しないで休んでろよ」
「ありがと。でもお父さんのことが気になるの」
「そっか。後で一緒に会いに行こうな。クレヴァ様も行かれるんでしょう?」
「ええ。言ってやりたいことが十九年分はあります」
「クレヴァ様のお小言十九年分か。セラの父上は耐え切れるのかな?」
「……ジュスト様は受け流すのがお上手でしたよ」
モノクルの側近が苦笑する。どうやらセラの父と面識があるらしい。隣にいるユリシーズは「耐え切れるとはどういう意味ですか?」と笑顔のクレヴァに問い詰められてタジタジになっていた。大切なユリシーズを守るため、セラは父を犠牲にした。娘のためなら本望だろう。
「クレヴァ様。父がクレヴァ様に”この世のすべての皇子への冒涜だ”と言われたと言っていましたが、本当なんですか?」
「数百回は言いました、そのセリフ。その竜は限りなくジュストですね。一服してから早速参りましょう」
「数百回も!?」
セラとユリシーズの複雑そうな顔を見てクレヴァも苦笑した。生前の、というかまだ人の姿をしていた時のことを懐かしく思い出す。賭けの胴元になって、セドリック達西方諸侯達をカモにして荒稼ぎをしたり、取り潰しにあった商店の商品を転売して儲けまくったり、皇子らしからぬ振る舞いばかりだったが、人好きのする気持ちのいい男だった。
「小言もいいましたが、セラの父君は立派な人です。私達の親友であり同志なのですから」
クレヴァの穏やかな笑顔には、ほんの少し寂しそうな色があった。十九年前にセラの父がいなくなって、四年前にユリシーズの父が亡くなって、これまでたくさんの辛い思いをしてきたはずだ。カップをソーサーに戻すと、セラはつとめて明るい声を出した。
「あの写真を見れば、とっても仲が良かったんだってわかります。父との再会場所、窓から見えるあそこの湖畔はいかがでしょう?」
「そうですね。いいでしょう。ここから目と鼻の先ですし」
「はい。では父を呼んでまいりますね」
「俺も行く」
「ユリシーズ、俺達も何人かついていこうか?」
「びびらないって約束できるならな。西方の英雄に、色んな意味で度肝を抜かれるのは間違いなしだ」
不敵に笑うユリシーズに、若き西方諸侯達は挑戦的に笑って「誰がびびるか」とのたまった。三々五々広間を出て行く彼らを見送り、セラとユリシーズも席を立った。エマが「ご無理なさらないでくださいませ」と心配そうな顔で送り出してくれた。彼女には側役とハンナ、オルガ達のことを頼み、エントランスから外に出た。からりと晴れたいい朝だ。
「どうする? 斥候の話じゃ山の方にいるみたいだけど」
「どこにいても私の声が聞こえるんだって」
「すげーな。それじゃそこの湖まで歩いて行こうぜ。ついでにアルノー達の出迎えもしてやるか。そろそろ着くはずだから」
「遠征中だったんじゃないの?」
「切り上げてもらった」
「わ、私のせいね。お疲れさまでございます……」
指どうしを絡ませるように繋いだ手を揺すりながら、森の中をのんびり歩く。気を使ってくれたのか、ずいぶん離れた後ろをジューリオ達数人の諸侯達が歩いていた。隣を行く背の高い横顔は目が合うと笑ってくれる。穏やかな時間が、少しずつセラのちくりちくりと痛む胸を癒してくれている。何よりもこの手のぬくもりが一番の薬かも知れない。
「セラのお父さんに何て挨拶したらいいんだろ。娘さんをください、って言ったら頭から食われそうだよな」
「会ってすぐ嫁に行くのが変な感じだって言ってたし、それはないんじゃない?」
「だといいけど」
「お父さん、ユーリが立派になってて驚いたって言ってたわよ」
「ホント?」
「うん」
嬉しそうに笑う顔に、セラも思わず顔が綻ぶ。やがて深い藍色を湛えた湖畔に着いた。セラは庭先にいる人に呼び掛ける様に、大きな声で父を呼んだ。
「おとーさーん!」
湖の上に見たことのない文字で描かれた光る方陣が浮かび、中空に大きな黒い影が一瞬のうちに現れた。初めて見る光景に、セラもユリシーズも、少し離れた場所にいる西方諸侯達もその場に凍り付いたように立ち尽くした。
「お父さん、転移術が使えるの? 女神官長様でも大神官様でも、そんなことできないのに」
静かな湖畔に竜の低い唸り声が響いた。西方諸侯達は呆然した顔で立ち尽くし、隣にいるユリシーズは消えていく方陣を見たまま微動だにしない。
『セラの声で発動するように術を組んだんだ。すっかり元気そうで何より。よかったよかった』
音もなく翼を緩く打って、竜の巨体が湖のほとりに舞い降りた。ずん、と地面が振動して頭上に影が差した。見上げるような漆黒の巨体は圧倒的な存在感があった。
『俺の娘と恋人つなぎか。父親の目の前でするとはいい度胸だな、ユリシーズ』
「セラ、ジュスト様なんて? 俺には唸り声しか聞こえないんだけど」
「げ、元気になってよかったって言ってる」
「ホントかよ。何か俺のこと食い入るように見てない?」
「そんなことないよ。ユーリ、お父さんにご挨拶するんでしょ」
『なんだ。娘さんをくださいとか言うつもりか。やめてくれ。俺が泣いてしまう』
「不穏な気配を感じる。セラ、ホントは何て言ってるんだ。ジュスト様、地面におっしゃりたいことを書いてもらえませんか?」
『よかろう』
ごりごりごりごり(とりあえず一発殴らせろ)
「……一発殴りたいんですか。俺、何かしましたか」
ごりごりごり(それで娘との結婚を許す)
「わかりました。セラとの結婚を許してもらえるなら構いません」
「ちょっと! お父さん! ユーリをぶったりしたら二度と口聞かないからね!」
セラは平手で思いっきり竜の右手を叩いた。ぺーん! と小気味よい音が森に響いて、ユリシーズは息をのみ、西方諸侯達は「ヒッ!」と悲鳴を上げた。
『全然痛くないけど何か凹む……。冗談だよ冗談。セラと手をつなげるユリシーズが羨ましかっただけだ』
「私だってお父さんと手をつないでお散歩したり、街でお買い物したりしてみたいわよ。あのね、クレヴァ様がお会いしたいって」
『そうか。恨み言を聞く覚悟はできてる。どこにいる?』
「すぐに来ると思う。お父さん、朝ごはんは食べたの? 竜って何食べるの?」
『人と同じものだよ。だけど不思議とあんまりお腹すかないんだ。時々すごく眠くなって、数年単位で冬眠みたいに寝たりとかしてるせいかもな。あんまり燃料がいらない身体なんだ』
「そうなんだ……トラウゼンに帰ったら、お菓子を作るから食べてくれる?」
『何、セラの手作り?! お前すごいな! 食べる食べる、何個だっていけるぞ』
「あのー、セラ。親子の会話に割り込んでごめん。クレヴァ様が来たぞ」
振り返るとクレヴァが供も連れずに歩いてくるところだった。湖畔にどっしりと座り込む竜を、ブルーグレーの瞳を眇めて見上げると、厳しい表情を浮かべた。
「これは……この竜、見たことがある」
「えっ」
「私がまだ正軍師だった頃『失われた大陸』近海で見ました。皇帝陛下から捕獲命令が出ていましたが、帝国軍の右将軍だったジュストは鼻で笑って命令を破棄したんですよ」
「ジュスト様すげーな……皇帝の命令を無視か」
「お父さん将軍だったの?」
『なる人がいなかっただけだ。ちょうどいいやって乗っかって、好きにやらせてもらったけどな。っていうか老けたな、クレヴァ。完全におっさんだ』
「セラ、彼は何と? どうせ老けたとか言っているんでしょう」
「すごーい。どうしてわかるんですか? お父さん、おじさんになった、って言ってます」
「…………二十年ですよ。私だって年をとります。あなたは人外になりましたね。産まれる前に別れた娘が美しく成長して嬉しいですか? 嬉しいでしょう。あと半年もすればここにいるセディの息子と結婚します。セディが泣いて喜ぶでしょうね、あなたに娘ができたら嫁にもらうって言ってましたから。ああ、それと花嫁の父は私が代行しますから、ご心配なく」
『一息にいうんじゃねぇよ! 人外になりましたねって何だよ!』
「クレヴァ様が……ありがとうございます。嬉しいです」
「私が正式な後見人ですから当然です。ユリシーズも構いませんよね?」
「は、はい。それは。祖父が正式にお願いすると言っておりましたし。ジュスト様がさっきから恐ろしい唸り声を上げてるけど、怒ってませんか」
「お父さん、どうしたの? 怒ってるの? ユーリとの結婚、認めてもらえないの……?」
『おっ、怒ってない怒ってない! そんな泣きそうな顔をしないでおくれ。ユリシーズのことはセラを任せるに値する男だと思う』
「ホント?」
「セラ、ジュスト様は何て言ってるんだ? さっきから唸ってるのは何なんだ。何か気に障ったなら謝りたい」
「ユーリのこと私を任せるに値する男だって。唸ってるの? 私にはお父さんの声しか聞こえないよ」
「ハハハ。屁理屈と口答えがないと話がサクサク進んで大変結構。ジュスト、君の罵詈雑言が聞けないのは寂しいかぎりです」
『嘘ばっかつくんじゃねぇ。清々するって思ってるくせに』
「嘘ばっかりつくな、とでも言っているのでしょう。君の考えていることなんて手に取る様にわかりますよ」
「すごいクレヴァ様」
「え、本当にそう言ってるのか?」
『……セディの息子は素直ないい子だな。セラ、大事にして貰えよ。レーヴェ家の男はうっとおしいぐらいに尽くすから心配いらないだろうけど。お前の幸せがお父さんの幸せだからな』
「うん。お父さん、ありがとう」
『恨み言どころか小言ばっかでやってられん。何かあったら呼んでくれ』
「わ!」
ぶわっと巻き起こった風に煽られて、セラはよろけてユリシーズにしがみついた。力強い腕が風から守るようにしっかりと背中に回される。
「竜になっても、することは同じですか。昔もああして私の小言から逃げていましたっけ」
一気に上空に舞い上がった黒い影を見上げながら、クレヴァがあきれ返った声を上げた。セラは何だか恥ずかしくなって、頬を両手で押さえた。
「やだーお父さんったら」
「……竜って、カッコイイな」
「ユリシーズ。君、アレを珍しいトカゲか何かだと思ってますね。今度会ったらそう言ってやりなさい」
聞こえてるぞ、と言うような竜の猛った声が上空に響き渡った。遠くから砂煙をあげて近づいてくる真っ黒い集団が、さらに速度を上げてこちらに向かってくるのが見えた。
「あ、アルノー達だ」
「ユーリの言った通りの時間についたわね」
「私は先に戻ります。皆、帰りますよ」
クレヴァはセラとユリシーズに微笑むと、呆然としたままだった西方諸侯達を連れて戻って行った。旋回して山の方へと飛び去っていく竜の姿をずっと眺めているユリシーズの手を、セラはぎゅうっと握りしめた。
「あのね、ユーリ。お父さんが大事にして貰えって。お前の幸せがお父さんの幸せだって」
「これ以上ないってくらいに大事にする。セラの幸せが俺の幸せだから」
「うん!」
いつの間にか解いていた手をしっかりと繋ぎなおして、セラ達はゆっくりと歩き出した。また『恋人つなぎ!』と父が嘆く声が聞こえてきそうな気がした。




