23. 竜と騎士
ユリシーズは愛馬から飛び降りて、竜の足元に横たわるセラに駆け寄った。抱き起こすと完全に意識を失っていて、ひどい熱があった。顔を上げると、もの言いたげな竜の瞳とがっちり視線が絡み合った。ついさっきまで人外への畏怖で背中に汗をかいたほどなのに、不思議と恐怖は感じなかった。
「もしかしてセラを助けて、ここまで連れて来てくれたんですか?」
竜は頭を頷くように上げ下げして、ピッと立てた前足の指で地面に何やら掘りはじめた。マルセル達は恐ろしさのあまり近づけないでいるが、ユリシーズは妙に人間臭い仕草と凶悪な鉤爪で地面を一生懸命ほじくる姿に笑いを禁じ得なかった。セラにしかこの竜の言葉はわからないが、こうして筆談めいたやりとりなら竜と意思疎通ができる。今まで地面をゴリゴリ削って筆談する機会があったから、こうして何かを伝えようとしているのだろう。だがしかし、この巨大な竜の傍に行って地面に書かれた文字を読むことができた勇者はいたのだろうか。
『自力で逃げていた時に川に落ちた。ゆうべ低体温になりかけて今はひどい熱がある』
「自力で?! セラ、もう大丈夫だからな。すぐ連れて帰るから」
ユリシーズは騎士服のコートでセラをしっかり包んで、壊れ物を扱うように抱き上げると、ざっざっと地面を大きな前足で擦っている竜に話しかけた。
「俺と一緒に来てもらえませんか? セラが目を覚ました時にあなたがいなかったら寂しがる」
徐々に地面をほじくる力が弱くなり、どことなくしょげているように見えた。人だったら肩を落としているところだろうが、あいにく竜の肩がどこなのかよくわからなかった。
『一緒にいてやりたいがこの姿を皆が怖がる。君のように肝っ玉の据わった奴は少ない』
「俺が皆を説得します。あなたを恐れる必要はないって。姿を現すのに気が引けるなら、せめてリンディア周辺にいてもらえませんか?」
『では森に隠れることにする』
「よかった」
親しげに笑いかけると竜の紫色の瞳が細められて、ググゥ、と唸る声があたりに響いた。まるで笑い返してくれているようで、それが何となく嬉しかった。ユリシーズはセラを抱いたままマルセル達の所まで戻ると、一番隊の面々は「よくぞ無事で」と胸をなで下ろし、マルセルは呆れたような顔で肩を竦めた。
「ユーリ。竜と地面で何を話してたんだよ」
「一緒に来てもらうことにした。それよりセラの足を手当てしてやんねーと。俺の鞍から、荷物袋取ってくれ」
ふわふわとした草が生えた地面にセラを横たえると、ユリシーズはセラの右足に巻いてある布をそっと剥がした。ドレスの裾がずたずたに裂けているので何事かと思ったが、靴が脱げてしまったからドレスの裾を自分で裂いて足に巻いたのだろう。水筒の水で右の足の裏を綺麗に洗ってやると、思っていたよりも傷が浅くてホッとした。これなら後も残さず綺麗に治る。
「裸足で森の中を歩いたのか……かわいそうに」
マルセルが痛ましい顔で呟きながら荷物袋から傷薬と清潔な布、包帯を手渡してくれた。起毛布で綺麗に右足を拭って、薬を塗った布を当てて丁寧に包帯を巻いてやった。
「これでよし。行こう」
「それにしても馬が全然びびってないよな。あんなに大きなお方が目の前にいるのに」
「目を見てみろよ、結構かわいいぞ。バカでかいトカゲだと思え」
「角があって羽が生えてて、尻尾の先っちょに棘があるのに?! 無理だよ!」
セラを抱えたまま器用に愛馬の背に跨ると、腕の間に柔らかな身体をしっかりと抱えた。力なく胸に頭をもたせ掛けた様子と浅く苦しそうな呼吸が心配で堪らなかった。片手で手綱を掴み軽く拍車を当ててやると、緩やかな並足で駆けはじめた。
背後からぶわっと吹き付けてきた風にマルセル達が驚いた声を上げ、それはすぐに歓声に変わった。頭上を舞い上がっていく竜の姿は、子どもの頃に見た本の挿絵のように雄壮で、漆黒の鱗は陽の光を鈍くはじいて虹色に輝いていた。
夕刻になり、セラを伴って戻ってきたユリシーズの到着が捜索隊に伝えられた。無事の知らせを聞いて全員が安堵し、そのまま帰郷の途につく者、警護を申し出て残る者。それぞれが来たるべき決戦での再会を固く誓いあい、リンディアから少しずつ諸侯達が引き揚げて行った。ユリシーズ達はセラと側役が動かせるようになるまで滞在させてもらうことにして、ひとまずセラを逗留していた館へと運び込んだ。
「ユーリ様、私がついていますわ。お食事の時間ですから、どうぞ下へ」
「ここで食うから持って来て」
「横でものを食べられては、セラ様が休めません」
「いや、食い物の匂いにつられて、意外と目を覚ますかも」
「ふざけてるんですか」
「大真面目だけど? エマは休んどけよ。セラには俺がついてるし」
「もう十分休みました」
「そうか。だけど目が覚めた時に俺がいたほうが喜ぶだろ」
「あくまでも譲らないおつもりですね……。それではセラ様のお食事も一応お持ちしますから、目を覚まされたら」
「俺が手ずから食べさせてやる。セラのためなら何だってするぞ、今の俺は」
「……お好きになさってください。お起きになられても食欲がないようでしたら、せめて果物のジュースだけでも飲んでいただいて」
「わかった。セラの目が覚めたら呼びに行くから」
「絶対ですよ」
ユリシーズは寝台で昏々と眠るセラに目線を戻した。リンディアに戻って数時間が過ぎてもまだ意識が戻らない。熱が高いせいで細く喘ぐような息遣いだけが聞こえる。連れ去られてから今まで、どこでどうしていたのか。身体のあちこちに痣と擦り傷を作りながら、一人であの森を彷徨っていたのかと思うと、獅子面の男を斬り捨ててやりたかった。
額に手をやると、すっかり布が温くなっていた。盥につけてぎゅっと絞ってから額に乗せ直してやると、ふっと息遣いが和らいだ。運び込んできた時よりも幾分か熱は引いたようだが、まだ頬は病的な赤さのままだ。優しく頬を撫でてやると、長い睫が震えて深い翡翠色の瞳がうっすらと開いた。
「……ん……」
「悪い。起こしちゃったな」
「ゆーり……?」
「うん。ここはリンディアだ。もう大丈夫だからな」
「……おとうさんは?」
「近くにいるよ。皆が怖がるから隠れてもらってる」
セラはあの竜を「お父さん」と呼んだ。すんなりとそれが納得できたのは、最初に竜の話を聞いた時にジュスト皇子の顔が浮かんだせいだろうか。
「……よかった……どこか、いっちゃったかとおもった……」
「呼べばすぐ来てくれるんだろ? 起きられそうなら薬を飲んでくれ。すきっ腹でも大丈夫だって言ってたから」
「ん……」
寝台に横座りしてセラの嫋やかな背中に手を回して起こしてやると、水を入れたグラスを持たせて、枕元に置かれた熱さましの丸薬を手の平に乗せてやった。丸薬は蜜でできた糖衣がついている。クレヴァの指示で側近の一人である医師がわざわざ拵えたのだろう。クレヴァの親心だ。
「よかったな、甘いやつがついてて」
薬を飲み終えたセラがグラスを持ったままじっと見つめてくるのに苦笑して、ユリシーズは零れないうちにグラスをその手から抜き取った。
「何だよ。そんなに見つめられると照れるだろ」
「……指輪……」
「指輪? ちゃんとセラの薬指にはまってるよ。俺もしてる」
緩く握ったセラの左手の上に自分の左手を乗せると互いの指輪が小さく音を立てた。
「ちゃんと帰れたの、指輪のおかげね……」
「対だからな」
「うん……」
「……この三日は生きた心地がしなかった」
ぽつりとそう呟くと、セラの大きな瞳から涙が溢れて、いくつも掛け布に染みを作っていく。内心焦ったがユリシーズは優しく頬を包むように手を伸ばした。
「うぅ……」
「泣くなよ。もう終わったんだ」
「私を、助けてくれた子がいたの。いっぱい血が出てたのに…、それなのに、何もしてあげられなかっ……」
「そんなに自分を責めるなよ。そいつだってセラが泣いて後悔することは望んじゃいないよ」
泣きじゃくるセラをそっと抱き寄せて、宥める様に背中をトントンと軽く叩いた。徐々に胸元が温かく濡れていく。
「ぅ……、ふ……っ」
「熱があるんだから、今は何も考えずに休めよ。頼むから」
どんなに慰めても、お前のせいじゃないといくら伝えても、傷ついたセラの心は涙を流し続けている。ユリシーズにできることは、こうして傍にいてあげることだけで。萎れて俯いた日輪花のようなセラを見るのは辛かった。しゃくりあげるような息遣いが落ち着くまで、頼りない背中をずっと撫で続けた。
「俺……セラが泣かなくても済むように頑張るから。じいさんになっても、骨になっても、ずっとそばにいるから」
「約束ね……?」
「指切り」
ユリシーズは淡く笑うとセラの左手の小指に自分の小指を絡めて、そっと上下に振った。寝台に手をついて掠めるだけのキスをすると、熱で赤い頬がさらに赤くなった。ぎゅうっと抱きしめたい衝動にかられたが、セラが病人だということを思い出して思いとどまった。すり、と甘える様に身を寄せるセラの身体をいたわる様にふうわり腕をまわした。
ぐぅ。
「いい雰囲気の時にすまん。そういや俺、腹ぺこだった」
「ごはん、食べてきて」
「エマに持って来てくれるように頼んだんだ。一緒に食おうぜ」
遠慮がちにノックがして「失礼します」とエマの声が小さく響いた。ユリシーズが扉を開けてやると、盆を持ったエマとマルセルが立っていた。不自然な体勢になっているマルセルを見咎め、スッと目を細めた。
「お前、何してんの」
「ユーリの飯を持って来てやったんだろ。べべべ別に扉に耳をつけたりは」
「したんだな」
「しっ、してない、してない!」
マルセルの頭を両手で掴んでゴツンと頭突きをしてから、ユリシーズはエマだけ中へ通した。マルセルはユリシーズに持って来ていた盆を渡すと「なんでばれたんだ」と泣き言を呟きながら戻って行った。その背に「お前、嘘つく時に一瞬目が左に泳ぐんだよ」と追い打ちをかけて扉を閉めた。
「ごめんね、エマ……」
「どうしてセラ様が謝るんですか。無事で本当によかったですわ。まだお熱が高いですし、おなかに優しいミルク粥ならと思ってお持ちしたのですが、召し上がれそうですか?」
「いただくわ……食べて早く元気にならなくちゃ」
エマは優しく微笑んでから、胡乱な目つきになって主君を振り返った。
「ユーリ様、後はよろしくお願いしますね」
「任せとけ」
「え、なに? 何するの……?」
「もちろん給仕だよ」
「あーんって、するの……?」
「するとも」
「エマ……クッションをいくつか、背中に入れてもらえる?」
「えっ本気ですか? 断ってもいいんですよ?」
「うん……今日ぐらい、甘えてもいいかなぁって……」
「今日と言わずいつでも甘えればいいのに」
「……甘えるの、ちょっと苦手なの」
もじもじと掛け布をいじるセラに、二人は身悶えしたいのを互いの手前、どうにか堪えた。エマは盆を寝台の傍にある小さな傍机に置いて、仕方なく主君に場所を譲った。
「無理に全部召し上がらなくて構いませんから。ご自愛なさってくださいませ」
「ありがと……」
「皆と一緒にゆっくり息抜きしとけ」
「言外に邪魔するな、と仰ってるのですね。わかりますわ。ユーリ様も冷めないうちに召し上がってくださいね」
「ありがとう」
パタン、と扉が閉まる。ユリシーズは手近にあった椅子を寝台の傍まで持って行って、そこに自分の盆を置くとセラの寝台に腰かけた。木の椀を軽く混ぜて、甘いミルクの香りがする粥をひと匙すくった。
「はい。あーん」
「……」
かなり恥ずかしそうな顔をしながら、セラは差し出された木匙をぱくっと口に入れた。程よく温かく、ほんのり甘いミルクの優しい味がふわりと広がった。もぐもぐと咀嚼して飲みこむと、まったくなかった食欲が少しだけわいてきた。そういえば、砦でルーが作ってくれた食事を摂って以来何も食べていなかった。熱で全身が怠かったが、食べ物を口にすると元気が出てくるような気がした。
「ん」
「ユーリ、私もう十分食べたから。あなたのごはんが冷めちゃう」
数度繰り返してミルク粥が半分ぐらいになった頃。セラはゆるゆると匙を持ったユリシーズの手を抑えた。一緒に運ばれてきた彼の食事にはコゼーが掛けられていてすぐに冷めることはないだろうが、食事は暖かいうちに頂くものだ。
「さっき甘えてもいいかなって言ってたろ」
「おなかいっぱいなの……」
「じゃ、添い寝してやろうか?」
「……それは、ユーリがしたいことでしょ……」
「看病の一環なのに」
「絶対違う……」
「してほしくなったらいつでも言ってくれ」
ユリシーズが爽やかな笑みを浮かべながらそう言い放つと、木の椀と匙を盆に置いて自分の食事に手を付けた。夕食は鳥の香草焼きと、まだ温かい丸パン。それといくつかの果物だ。簡素な食事をとりながらいつかの旅を思い出した。そんなに経っていないはずなのに、もう何年も前のような気がする。あの頃はセラに何も告げずに西方へ帰るつもりだった。皆に大切に守られているのに、わざわざ戦乱で荒れた西方へ連れていくわけにはいかない。いくら好きでも身を引くべきだと思っていた。だけど来てくれた。自分のそばにいることを選んでくれた。それが今更ながらに嬉しくて、何だか泣きたくなった。
「エマに聞いたぞ。最後の皇女の言葉に応えて、諸侯全員が正式礼を取ったって話。歴史書に残りそうだよな」
「えぇ〜」
「照れるなよ。セラの一生懸命な姿を見て、思うところがあったんだろ」
「そうかな……そうだといいな」
「そうに決まってる。俺、食器下げてくるよ」
うとうとと瞳を閉じようとしているセラに声をかけて、ユリシーズは器用に盆を二つ腕に乗せて部屋を出た。一緒にいるとつい構いたくなってしまうので、エマと交替した方がよさそうだ。皿を下げて戻る途中、リオン達に食事を運ぼうとしていたエマと行きあった。
「エマ、俺がそれ持ってくよ。セラについててやって」
「よろしいのですか?」
「もちろん。さっき譲ってくれたからな」
ニヤリと笑って盆を受け取ると、エマは「それではお願いいたしますね」と言いながら階段を音もなく駆け上がって行った。ユリシーズは側役のいる部屋までやってくると、扉を軽くノックした。返事がないのにも構わず開けた。
「夕飯持ってきたぞ」
「ユーリ様、何してんの」
寝台に寝たまま書類の束を捲っていたリオンが苦笑して起き上がった。アキムの姿がなかったが、隣の部屋で寝かされているトゥーリの様子を見に行ったのかもしれない。顔に出さなくても二人がひどく落ち込んでいることには気づいていた。人生のほとんどを彼らと一緒に過ごしているのだから嫌でもわかる。
「アキムはトゥーリのお見舞いか?」
「うん。まだ起きられないみたいだからね。オルガちゃんもさっき目が覚めたらしいよ」
「そっか。セラにはまだ言わないでおいたほうがいいな。這ってでも様子を見に行きそうだ」
「優しい子だからね」
「まだ凹んでんのかよ。向こうの大将首とサシでやりあって命があるだけ良かったじゃないか」
「命があるんじゃなくて見逃されただけだよ。俺は弱くなった……」
「奴らが人じゃないからそう思うだけだ。リオンは弱くなんかないよ。何度も俺を助けてくれただろ」
「買いかぶりすぎだよ」
「……俺達の身代わりになって死ぬのも、戦場で死ぬのも許さない。リオンは今の半分くらいの背になって、孫とかひ孫とか、俺達の家族に囲まれて寝台の上で大往生するんだからな」
「……背丈が今の半分って……何気にひどいよユーリ様」
「うるせーな。俺がそう決めたんだ。命令なんだから聞けよな」
「善処します。ところでユーリ様。斥候全員から「竜が出た」って報告が続出してるんだけど、何か知らない?」
「味方だから気にするな、って言っといて。あと地面に何か書いてくれたら必ず読むように」
「へ? 字が書けるの?」
「色々わけありなんだ。粗相のないようにな」
「了解。ところで竜って何食べるんだろうね。牛とか馬かな?」
「売り物に手を出さないように頼まないとな……」
気軽についてきてほしいと言ってしまった手前、ちゃんと面倒を見なければ。そのへんの犬猫とはわけが違うのだ。
「ユーリ様ってさ、本当に生き物好きだよね。昔っから色んなの拾っては面倒見てたけど、竜は変わり種すぎて、さすがの俺も度肝を抜かれたよ。どえらいもの拾ったねぇ」
「拾ってきたわけじゃないから。それより仕事してないでちゃんと休めよ。明後日にはここを出てトラウゼンに帰らないと」
「そうだね。俺達がいると補修工事の邪魔だし。警備のほうはジェラルドさん達がついたら交替する」
「約束だからな。メシもちゃんと食っておけよ。メシっていうか重湯だけど」
「腹を怪我したせいで重湯生活二日目……。俺の目の前でアキムにものを食うなって命令してよ」
リオンは情けない顔をしながら書類の束を持ったまま起き上がった。
「そんな理不尽なこと命令するわけないだろ。これは没収」
書類の束を取り上げると、ユリシーズはスタスタ歩いて部屋の入り口まで行くと振り向いた。トホホな顔で重湯を飲んでいるリオンを見ると、つい笑ってしまう。
「また後で来るよ」
「来なくていいから、ユーリ様も早く寝なさい。三日ほとんど寝ずに動き回ってたんだからね」
「わかったよ。おやすみ、リオン」
側役の部屋を出ると、そのまま友人が療養している部屋の扉を叩いた。「どうぞ」とかったるそうな声が応えたので、遠慮なく入った。
「よぉ。調子はどうだ?」
寝台に身を起こしたトゥーリと、傍のスツールにかけていたアキムが振り返った。二人ともあまり元気がない。自分の失態でリオン同様凹んでいる。
「霊力がなかなか戻らなくて最悪な気分だよ」
「精霊がくっついてるお前らだけが倒れたんだよな。何でアキムは気絶しなかったのかな」
「俺の守護精霊が言うには、俺との特殊な契約方法のせいらしいです。古代の呪法がどうとか言ってましたが、俺にはまったくわからないので……」
「具現化するのも一苦労みたいだしね。女神官長に見てもらった方がいいよ。あの人、そういうことの専門家だから。呪術オタクなんだ」
「……女神官長って神聖な存在なんだよな? 呪術?」
「僕に聞かないでくれ。あの残念聖女のせいで、どれだけ僕が苦労したことか」
「女神官長が西方大陸に来てくれたら助かるのにな。場のことにしろ、あの竜のことにしろ。俺達だけじゃわからないことが多すぎる」
「竜? ああ、あの黒い竜に会ったんだね。誰の魂がついてるのか聞ければいいんだけど」
「セラがお父さんだって言ってた。地面で筆談できるから詳しいことは明日聞きに行こうぜ。近くの森に隠れてもらってるんだ」
「道理で騒がしいと思いました。森にいる精霊が浮足立ってるのは竜のせいでしたか」
「嬉しいのか?」
「らしいよ。精霊にしてみれば古い友達のようなものなんだろう」
「へぇ……」
「前に火の巫女が言ってた『四英雄の武器』の一つは、竜だと言われている」
「竜が?!」
「まあ、竜使いだからね。本当のところは違うけど。精霊騎士が使っていた『七星剣』は陛下がいつも帯剣してるし、魔剣士の使っていた曲刀『朔月』は南方大陸のとある神殿に安置されてる。問題は剣聖の使っていたっていう『銘なし』だね。ユーリは何か知らないの?」
「知らない。いま伝手を使って調べてもらってるところだ」
「解放軍が体制を整えるまでひと月はかかるだろ。その間にやるべきことを済ませてしまおう。結界を作ってる装置を探して壊すのを西方諸侯達にも手伝ってもらえないかな? 亜生物との戦い方を実地で学んで欲しかったからちょうどいいと思うし」
「残ってる連中と話をつめとくよ。次の『大戦役』までどうせすることがないんだ。喜んで飛びつく」
「ユーリ様……」
「何?」
「いえ。無理なさらないでくださいね」
「その言葉、そっくりアキムに返すよ。それじゃ、また明日な」
懐っこい笑顔で去っていくユリシーズの背中を見送って、アキムは深くため息をついた。
「何だい、ため息なんかついて。気になることがあるなら言ったら?」
「ユーリ様の母君のご出身は辺境なんですよ。剣聖もたしか同じ地方だったなと思って」
「まさか、ユーリが四英雄の末裔って言うんじゃないだろうね」
「末裔じゃなくても、同じ血を継いでいるかもしれません。レーヴェ家の方々は元から突出した剣の才能をお持ちだから、気が付いていないだけかも」
「……四英雄の武器が彼らにしか使えない理由が「血」らしいから『銘なし』が見つかったら抜かせてみたら」
「血ですか……セラちゃんは違いますよね。皇帝一族も四英雄には何の所縁もないはずだし、母方のエイル家は官吏だったと聞きましたよ」
「そうだね。それにさっきのユーリの話だと、憑いてるのが父親の魂みたいだし、竜使いではないね。保護者が竜になっただけ」
「それも十分、普通じゃないと思いますけど……。セラちゃん自身は普通の女の子なのに」
「あの子が普通でもまわりが普通じゃない。それは仕方ないよ。あの子自身はユーリのことしか考えてないから気づいてないよ」
「そうですね。セラちゃん本人がそういうことに頓着しない人柄で助かりました」
紫色の瞳の青年二人は「ハハッ」と力なく笑いあった。何か問題が起きても二人なら乗り越えていけるだろう。自分達はそれを支えて守ればいい。アキムはしくしく痛む傷を抑えつつ、小さくため息をついた。二人が穏やかに過ごせる日々が早く来ればいいのだが、それはまだ時間がかかりそうだった。
ユリシーズは部屋に戻る前にセラの寝かされている主寝室へやってきた。もう一度、寝る前にセラの顔が見たかった。新たな課題ができて、また明日から忙しくなりそうだったから、英気を養うためだ。静かに扉を叩くと、スッと音もなく開かれた。エマが「来る頃合いだと思ってました」と小声で笑った。
「すっかりお休みですよ。熱もだいぶ引いて安らいだお顔で」
「よかった」
寝台でくうくうと寝息を立てている姿に心底安堵した。まだ少し上気した様に赤い頬だったが、この分なら明日にも熱は引くだろう。
「おやすみ、セラ」
透き通る様に白い額にそっと触れるだけのキスを落としてから、静かに部屋を出た。廊下には庭に焚かれたかがり火の色が煌々と漏れている。今も不寝番の騎士達が大勢警備についてくれている。彼らに深く感謝をしながら、ん、とひとつ大きく伸びをして歩き出した。




