第4話
「やっぱりな」
扉の先、首を回しながらぐるりと視線を巡らして。予想していた通り、屋内に目立った破損はなく。薄暗いそこで俺は問いかけた。
「いるんだろ?」
すると、俺の言葉に答えるように光が。
「やあ」
部屋の奥、佇む人影。頬は不健康そうに扱けて、髪は漂うもずくのようにぼさぼさ。数日間は寝ていないだろう、丸いレンズに酷い隈を透写して。
「エロ同人作家! やっぱりお前か!」
「久しぶり。そこのお嬢さんは初めまして、かな?」
他人に白い目を向けられようと一切自分をつくろわず、ありのままにエロスという真理を追い続ける孤高の探究者、エロ同人作家が立っていた。
「お前、どうしてこんな所に? というか、皆は! いや、秋葉原は! いったいここで何が起きたんだ!?」
「ああ、それは……いや、話をする前に――」
作家はおもむろに俺が背負っているビッチに近付いて。
「お嬢さん、エロ本落としましたよ?」
「え? ありがとう! あれ? でも、うちこんな本持ってたかなー?」
ビッチは戸惑いつつも、挨拶代わりの作家の新刊「踊れ! 今夜は乳首祭り!」を両手で受け取る。
「毎度のことながら、よくもまあ初対面の人間にこんな鬼畜な挨拶ができるな」
「エロスとは美そのものだ。何を臆することがある?」
作家は余裕綽々にそう告げた。俺が最初に出会ったときもそう。こいつは今と同じように「そこの人、エロ本落としましたよ?」と言って声をかけてきて。だから、俺はこの男と友達になったのだ。
「はわわ……! これ、え、えっちいよぉ……」
ビッチは顔を真っ赤にしながら、それでも開いたページから目が離せず。そんな彼女を俺はそっと部屋の隅へ下ろして会話を続けた。
「……話してくれるな?」
「ああ、もちろん。あれはとても凄惨な出来事だった」
作家は語り始める。
「私はいつも通り、この秋葉原の街を歩きながら自分の同人誌を販売していた。売れ行きはまずまず。途中、警察に職務質問されるまでに半分はさばけたかな?」
「おいおい、聖書を配る宣教師じゃねえんだぞ? そんなことしばっかしてたら本当に捕まっちまうぜ?」
「そこは安心するといい。警察にも二冊売れたからな」
「……」
思わず閉口する俺。
そんな俺を見て作家は笑った。
「それはさておき、この街のことだ。何故、ここがこうまで壊滅してしまったか。あれはそう、確か一週間ほど前。この場所に突然、見るからに質のいいスーツを着込んだ連中がやってきたんだ」
「……」
一週間ほど前。起きると夕方になっていたから計算は合う。いや、それよりも。
「スーツを着込んだ連中だと?」
「ああ。中に羽織るワイシャツも高級品でな。擦れたジャケットを片手に、よれよれのシャツをさらけ出して歩くここの奴らと全く違う人種だってことは一目で分かったよ」
「……」
「そしてその連中は街に着いたかと思うと、有無を言わせずここの住人を捕縛し始めた。『世界の征服者ルリ様の命により、この場所にいる全ての社会不適合者は拘束する』とか宣ってな」
「……」
ルリ。俺はその名前を聞いて頭を抱えたくなる衝動に駆られた。まさか、ただの兄妹喧嘩がここまでの事態に発展しようとは。しかも、罪もない仲間達も巻き込んでしまって。そう考えると、心に後悔の念がじわじわと。
だが。
「いや、ちょっと待て。ここには各地の精鋭が集まっていただろ? あいつらがそんな理不尽なやり方に黙って従う訳がない。きっと断固として抵抗したはずだ。だからそのスーツの連中が何人やって来たとしても、こんな。こんな状況には……」
「違うんだよ」
「は?」
「確かにお前の言う通り、この街には精鋭が集まっていた。並大抵の勢力じゃ話にならないほどの実力者たちがな」
「だ、だったら……!」
「けれど、違うんだ。精鋭は、私達の仲間は。自身の持つ力をまるで発揮できずに一方的に無力化された」
「ど、どういうことだよ!?」
「スーツの連中はな、持っていたんだよ」
作家はどういう訳か苦虫を噛み潰したような顔をしていて。
「……?」
だから俺は首を傾げる。ここにいた奴らは大切なものを守るためなら、例え拳銃を向けられたとしても背後を見せないようなつわもの達だ。そんな彼らが、いったいどんな武器を見せられれば戦いもせず屈服するというのか。
けれどそんな誇りにも似た信頼は、次に作家が放った言葉で砂城のように瓦解する。
「戦う前から、こちらの戦意を喪失させる魔法の紙」
「……あ」
数瞬の暇。俺はすぐにこいつが何を言っているのか察しが付いた。もし今俺の頭によぎった答えに間違いがないなら。確かに、仲間達が一方的に敗北したことも納得できる。否、せざるを得ない。
「……ま、まさか」
「そこに書かれていた文面はこうだ。『卒業証書・学位記 あなたは所定の課程を修め、本大学を卒業したので学位を授与する』」
「そんな、じゃあそのスーツの奴らってのは……」
「ああ」
そして一つ息を吸い込み、作家は口にする。
「高学歴だ」
「……う」
こちら側が負けたのは必然だ。俺は膝をつく。きっと、ここを守っていた彼らもそうしたに違いない。何故ならこの秋葉原の列強達は、猛者達は。親の脛かじり、ニート、ひきこもりの頂点。だからこそ彼らは己が時間の全てを趣味に投じ、強者として君臨することができていて。
しかし。
「……ああ」
故に彼らは拭いきれない心理的欠陥も抱えている。
それは。
「学歴コンプ……か」
学歴コンプ=学歴コンプレックス