第24話 次の窓にも、二羽
午前十時の馬車が止まるより先に、窓の向こうでアドリアンが身を起こすのが見えた。私は鞄の持ち手を握り、降りてくる人の間から彼を探した。
階段へ足をかけた彼が私を見つけ、笑った。さっきまで考えていた挨拶も、道中は寒くなかったかという問いも、全部消えてしまった。
「会いたかった」
怒ったような声が出た。彼が最後の段を下りるのを待ちきれずに近づくと、彼も荷物を脇へ置き、両腕を伸ばした。
「会いたかったのよ」
「うん。僕も、ずっと寂しかった」
抱きしめられた途端、頬に上着のざらつきが触れた。肩に旅のほこりがついている。その向こうにいつもの温かさがあって、私は顔を押しつけた。
手紙を胸に当てても、こんなふうにはならなかった。抱かれると息が苦しくなるほど嬉しくて、もっと強くしてほしかった。
「顔を見せて」
彼に言われて顔を上げた。笑おうとしたのに涙が出て、彼も困ったように笑った。私は手巾を出し、頬を拭いてから、彼の肩のほこりまで払ってしまった。
「そっちは、あとでいいよ」
「気になるんだもの」
そう言っても手を戻せず、肩に置いたままで彼を見た。目の前で口が動き、私に返事がある。手紙で聞かれたことに返事を書くたび、何度この声を想像しただろう。
彼が私の額へ額を寄せ、少しだけ目を閉じた。
荷物を運ぶ人に声をかけられ、二人で道を空けた。私まで彼の鞄を持とうとして、笑われた。持てないのではなく、まだ放したくなかった。
「夕方、六時ね」
「うん。現場を見てから行く」
「ロザリーも呼んだの。三人で食べましょう」
「楽しみにしている」
彼は仕事の方へ歩き、私は買い物へ向かった。振り返ると彼もこちらを見ていて、もう一度手を振った。
帰宅すると、朝に干した布が乾いていた。取り込んで畳み、買ってきた野菜を洗った。窓を少し開けておくと、風に冬の冷たさが残っているのに、頬に当たる日差しはあたたかかった。
水を汲み、料理の支度をして、使う器を並べた。青い器に盛ったものを少し取りすぎ、戻そうとして自分で食べてしまった。夕飯まで待つつもりだったのに、お腹が空いていた。
六時を知らせる音のあとで、扉が鳴った。布巾を置き、自分で開けに行くと、アドリアンが菓子の包みを持って立っていた。
「階段、忘れていなかった?」
「最後の二段がきついことまで覚えていた」
声を聞いてまた笑ってしまう。彼の上着からは朝のほこりが払われていて、代わりに袖口に小さな白い汚れがついていた。現場で壁に触ったのだと言う彼を招き、手を洗う水を出した。
ほどなくロザリーも来た。小さな取っ手の水差しを抱えて、食卓へ置く。
「今日はこれを使いましょう。大皿ばかり活躍させるのは、つまらないもの」
私は青い器の位置をずらし、水差しの場所を空けた。ロザリーが早速水を注ぎ、最後の一滴まで上手に切ったので、私が頷くと、彼女は満足そうに椅子へ座った。
アドリアンは、町の現場で見たことを話した。通路の角を直したので荷車が通しやすくなったらしい。図面で見た線を思い出そうとして、私は手を止めた。
「前に見せてくれたところ? あの斜めになっていた線は、壁だったのね」
「そう。その角を少し引っ込めた。荷物を積むと、思っていたより曲がれないんだ」
「私も引っ越しの時、箱を持つと横を向かないと部屋を歩けなかったわ」
彼が頷き、ロザリーが私たちの階段の話に笑った。二人で荷物を持っていた時の顔を見たかったと言うので、私は、彼は鳥二羽を落とさないことに必死だったと教えた。
「それは、責任が重いものね」
「本当に重かったよ」
私の方を見て答えるので、皿を持つ手が少し熱くなった。
食後、大皿へ菓子を移した。都から持ち帰ったものも、こちらで買ったものも並ぶ。私は林檎の菓子を一つ取り、噛んでから、これくらい酸っぱい方が好きだと彼に言った。
「手紙に書いたのは、もう少し甘かった」
「今度は一緒に選びたいわ」
彼が嬉しそうに頷いたので、それだけで次の一口まで甘く感じた。ロザリーに工房での話を振られ、私は作りかけの器のことを話した。うまくいかないところを説明するうちに身振りが大きくなり、アドリアンが笑いながら水差しを避けた。
私も笑った。気づけば大皿は、ほとんど空になっていた。
ロザリーが帰ったあと、彼と並んで器を拭いた。水差しは、次に来た時に持ち帰るからと置いていってくれた。棚へ戻す大皿を私が支えると、彼の指が縁越しに触れた。
顔を見合わせ、片づけの手を少しだけ止めた。
* * *
翌朝、アドリアンが再び訪ねてきた。扉を開けるなり、朝の光を見せたくて窓辺へ連れていった。
二人で窓を開けると、冷たい空気が入った。白い鳥を倒さないよう、私が袖を押さえ、彼が窓を留めた。二羽の頭に朝日が当たっていた。
「昨日、言いそびれたことがあるの」
机の暦を持ってきて、手紙で相談した日を示した。今回の帰郷から三週間後。三泊分の宿と旅費は用意できるし、教室の予定にも重ならない。
「この日に、会いに行くわ。三泊して、戻ってくる」
「待っている。最初の夕方は、仕事を入れずに空けてある」
その日に都へ着く自分を思い浮かべた。馬車を下りたら、今度は彼がこちらへ近づいてくる。知らない通りを歩き、選んだ菓子の酸っぱさを、その場で彼に話せる。
嬉しくて、暦を机へ戻す手が落ち着かなかった。
「アドリアン」
振り返った彼の袖を取り、自分から口づけた。彼が笑ったのが唇に伝わって、私も笑った。
窓辺には鳥を二羽、並べたままにしておこう。帰ってきたら、またこの部屋でお茶を淹れる。その前に、私はこの人に会いに行く。
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