第45話:蹂躙の序曲
第45話:蹂躙の序曲
1. 二体目の災厄
アークデーモンへと完全な覚醒を遂げた中将は、20万のエンジェルが渦巻き、血の海と化した月島の戦場を悠然と見回した。周囲のビルが爆風で崩れ落ちる中、彼の纏う暗黒のオーラだけが、不気味なほど冷徹に空間を支配している。
「ほう……。四方八方、完全に包囲されているな。お前たちクローにとっては、いよいよ言い訳の立たない絶望的な状況だ」
中将の口から漏れる声は、地響きのように低く、圧倒的な余裕に満ちていた。20万の軍勢に囲まれているというのに、彼にとっては自分の庭を散歩している程度の危機感すら抱いていないようだった。
その時、一際激しい爆音と共に、防弾仕様の大型警察車両を叩き割って、もう一つの巨大な影が飛び出してきた。
「――中将、そちらも早かったようですね」
現れたのは、機動隊の精鋭を率いていたはずの警察キャリアの男だった。だが、その男の肉体もまた、中将と同じようにスーツを内側から引き裂き、悍ましい巨躯へと膨れ上がっていく。頭部から生える湾曲した角、空間を歪ませるほどの殺気。
彼もまた、世界の支配層に潜り込んでいたもう一人のアークデーモンだった。
中将は、恐怖に凍りつく湊の存在など最初から視界に入っていないかのように、その男へ向けて冷淡に言葉を交わす。
「なんだ、お前も正体を晒しているのか。機動隊の統制はどうした」
「エンジェルどもの数が想定を超えていましたからね。人間の皮を着たままでは、少々動きづらかったもので」
最悪の災厄が、この狭いエリアに二体。怪物たちの会話を前に、湊は指一本動かすことすらできず、ただその圧倒的なプレッシャーに圧殺されそうになっていた。
2. 将の采配と、無造作なる絶望
中将は空を埋め尽くす白銀の濁流を見上げると、顎で上空を指し、機動隊キャリアのアークデーモンへ冷酷な命令を下した。
「では、お前はエンジェルの殲滅に向かってくれ。あのおぞましい数の羽虫どもを片付けるのだ。上空の大天使どもをこれ以上調子に乗せるな」
「了解しました、中将。……お任せを」
警察キャリアだった巨躯の悪魔は低く笑うと、爆音と共に夜空へと跳躍し、迫り来るエンジェルの大群の中へと突撃していった。
あとに残されたのは、圧倒的な静寂を纏う中将と、地面に縫い付けられたような湊だけだった。
ひとしきり指示を終えた中将が、思い出したように、ゆっくりと首を巡らせて湊を見下ろした。その瞳には、敵に対する警戒など微塵もなく、ただ足元の路石を見るような冷酷さだけがあった。
「そうか、こちらを忘れていたな」
吐き捨てられた言葉。
身構える暇さえなかった。中将は、まるで道端の空き缶でも蹴り飛ばすかのように、極めて無造作に右足を振り抜いた。
風を切り裂く音すら置き去りにする、超音速の回し蹴り。
――ドガキィィィィンッ!!!
「が、あッ……!?」
肉体と骨が同時に粉砕される、凄惨な破壊音が路地に響き渡る。
湊の左太ももに直撃した中将の蹴りは、クローの強靭な防御力を完全に無視し、その肉体を一撃でへし折った。凄まじい衝撃波と共に湊の身体は横に吹き飛び、コンクリートの壁を激しく砕きながら地面に転がった。
3. 砕かれた足
「か……はっ、あ、ガ……ッ!」
あまりの激痛に、呼吸が拒絶される。視界が真っ赤に染まる中、湊は必死に身を起こそうとした。しかし、左足が全く言うことを聞かない。
泥と血に塗れた地面の上で、湊の左足は、人間の関節としては絶対におかしい、あり得ない方向へとグニャリと曲がってしまっていた。
「湊――ッ!!」
アークエンジェルとの死闘の最中、凪の悲痛な叫びが響く。だが、凪もまた目の前の大天使を退けるだけで手一杯であり、こちらに駆けつける余裕などない。
「人間の皮を被った私にすら勝てなかったお前が、この姿の私を前にして、一歩でも動けると思ったかね?」
中将は曲がった足で傷つき這いつくばる湊を見下ろし、愉悦に満ちた笑みを深めた。
圧倒的な格の違い。一撃で戦闘不能に追い込まれた湊の前に、暗黒のオーラを纏った中将が静かに影を落とす。絶望の底で、湊の視界から次第に光が失われようとしていた。




