第39話:環状線の閃光
第39話:環状線の閃光
1. 時速20キロの檻
タクシーは、首都高速都心環状線(C1)の激しい渋滞の中に完全に捕まっていた。
テールランプの赤い光がどこまでも連なるテール・ツー・ノーズの地獄。ノロノロと動き、止まり、また少し動く。メーターの速度表示は時速20km未満を行ったり来たりしている。5万円のチップに目が眩んだベテラン運転手も、さすがにこの絶望的な混雑には焦りの色を隠せず、貧乏揺すりを始めていた。
だが、後部座席の凪と湊が感じていたのは、渋滞への苛立ちではなかった。彼らの全身の肌が、ビリビリとした強烈な拒絶反応を感知していた。
「……湊、上だ」
凪の低く張り詰めた声に促され、湊はサンルーフとサイドウィンドウから夜空を見上げた。
大都会の濁った夜空。そのビル群の隙間を、まるで流星のような「白い光」が幾筋も交錯しながら、高速で飛び交っていた。
「あれは……エンジェル!」
湊は息を呑んだ。
あの光の軌跡は、八王子のファミレスで自分たちを襲った「掃除屋」の機動力そのものだ。それが一機や二機ではない。何十、何百という白い光が、まるで何かを探索するように東京の空を埋め尽くし始めている。デーモンとエンジェルの水面下の前哨戦は、すでにこの首都高の真上まで迫っていた。
2. ルールと物理
「運転手さん、ここで降ろしてくれ」
凪が静かに、しかし断固とした口調で告げた。
「はあ!? お客さん、ここ高速道路ですよ!?」
運転手はひっくり返った声を上げた。
「ルール上、こんなところで客を降ろしたら俺のクビが飛びますよ! 第一、危なすぎる!」
「ルール上の話は聞いていない。物理的にドアを開けて降りられるか、と聞いているんだ」
凪は冷徹な瞳で運転手を睨みつけた。その眼光の鋭さと、すでに支払われている5万円の重みに、運転手はごくりと唾を呑み込んだ。大渋滞で周囲の車も完全に停止している。今ここでドアを開けても、他車に轢かれる危険は事実上ゼロだった。
「……あ、足元、気をつけてくださいよ。俺は何も見てませんからね」
運転手が震える手でロックを解除した。
「感謝する」
凪と湊は素早くドアを開け、コンクリートのアスファルトへと飛び降りた。ドアが閉まると同時に、二人の姿は一瞬で夜の闇へと溶け込み、運転手は呆然とバックミラーを見つめることしかできなかった。
3. 銀座から月島へ
東京の中心、銀座の街を見下ろす高架の上。
凪と湊の背中から、闇に溶ける漆黒の翼が爆発的に解き放たれた。
「行くぞ、湊! 遅れるな!」
「おお!」
二人は首都高の防音壁を蹴り、夜の空間へと跳躍した。
ここからは人間の交通ルールも、物理法則も一切関係ない。ビルからビルへと影のように飛び移り、クローの超人的な身体能力で夜風を切り裂いていく。常人には視認することすらできない圧倒的なスピード。勝鬨橋の遥か上空を音もなく駆け抜け、隅田川を一跳びで越えていく。
空を舞うエンジェルたちの白い光が、すぐ近くを掠めていく。奴らもまた、東京に満ちるクローの気配を察知して集まりつつあるのだ。一刻の猶予もなかった。
4. 二十の影
銀座から月島まで、わずか数分。
着地したのは、月島の下町特有の入り組んだ路地裏だった。古びた木造家屋と路地、そして予約していたもんじゃ焼き屋の灯りが見える。
「……来たか」
暗闇の中から、不意に複数の声が響いた。
路地の影、ビルの屋上のヘリ、自動販売機の裏――そこには、異様な雰囲気を纏った男女が息を潜めて立っていた。
凪の呼びかけに応じ、日本全国、そしてアジアの各都市から死線を潜り抜けて集まった同族たち。その数、二十人強。誰もが湊と同じように、背中に見えない黒い翼の気配を宿し、世界への深い孤独と闘争心を瞳に宿している。
ついに、絶滅危惧種の「群れ」が東京の一角に結集した。




