第37話:不夜城への片道切符
第37話:不夜城への片道切符
1. 駅前ロータリーの誓い
八王子駅の北口ロータリー。
夕暮れ時の喧騒の中、五人のクローは奇妙な静けさを纏って立っていた。
凪が手を挙げ、流しのタクシーを一台呼び止める。滑り込んできたセダンの自動ドアが開くと同時に、結衣の目から堪えていた涙が溢れ出した。彼女は湊の衣服の袖を強く、千切れるほどに握りしめた。
「いってらっしゃい、湊……。絶対、絶対に戻ってきてね」
その涙を拭ってあげることはできなかった。今の湊の手は、すでに戦うための「カラスの爪」としての覚悟を帯びていたからだ。湊は結衣の目を真っ直ぐに見つめ返し、強く頷いた。
「必ず戻ってくる。結衣も、毅さんたちの言うことを聞いて、無事でいてくれ」
湊が凪に続いて後部座席に乗車すると、パタンとドアが閉まった。窓ガラス越しに遠ざかっていく結衣の小さな姿を、毅と美玲が挟むようにして人混みの中へと警護しながら消えていく。それが、湊が見た八王子の最後の景色だった。
2. 密室を避けるための選択
「運転手さん、中央道から首都高に入って、月島まで行ってくれ」
凪が低い声で行き先を告げた。
「えっ、月島ぉ!?」
ハンドルを握る中年ドライバーの顔が、バックミラー越しに露骨に歪んだ。
「お客さん、今のニュース見てないの? 羽田や成田からのお偉方の車と、異様な数の外国人観光客のせいで、都内の主要道路はどこもかしこも大渋滞だよ。八王子から月島なんて、今行ったら何時間かかるか分かったもんじゃない。悪いけど、電車で行ってくれないかねぇ……」
迷惑そうに愚痴をこぼす運転手に対し、凪は表情一つ変えなかった。
彼らが中央線を使わず、あえて莫大な運賃がかかるタクシーを選んだのには、明確な理由があった。
(電車はダメだ……)
湊は車窓を流れる八王子の街並みを見つめながら、凪から叩き込まれたリスク管理を反芻していた。
もし電車に乗れば、そこは完全な密室だ。仮に移動中の車内で、世界中から集まってきたデーモンやエンジェルと鉢合わせたらどうなるか。逃げ場のない時速100キロの鉄の箱の中で、一般の乗客を巻き込んだ凄惨な殺し合い(戦闘)が始まってしまう。それだけは絶対に避けたかった。タクシーなら、いざという時は車を捨てて逃げることも、ルートを変えることもできる。
3. 五万円の笑顔
渋る運転手の背中に向かって、凪は胸ポケットから静かに万札の束を取り出した。
「運賃とは別に、チップで5万円払う。これで文句はないだろう」
一瞬、車内に沈黙が流れた。
「5万……!?」
バックミラーに映る運転手の目が、一万円札の輝きを捉えた瞬間、驚愕に見開かれた。さっきまでの不機嫌そうな眉間の皺が、まるで魔法のように消え失せていく。
「いやあ! お客さん、そうとありゃあ話は別ですよ! 抜け道ならこの道三十年の俺に任せてください! どんな大渋滞だろうが、意地でも月島まで安全にお送りしますからね!」
人間の現金なほどの変わり身の早さに、湊は内心で小さな溜息をついた。
だが、この男が必死にハンドルを握る理由が「5万円のチップ」という極めて人間らしい欲望だからこそ、この車内だけはデーモンやエンジェルの脅威から切り離された安全な空間であるとも言えた。
「頼むぞ」
凪は短くそう言うと、静かに目を閉じた。
タクシーは夕闇が迫る中央道のインターチェンジへと向かって加速していく。
その先にあるのは、1000人以上のデーモンと数万のエンジェルが渦巻く、怪物たちの巣窟――東京の心臓部だ。湊はシートに深く背を預け、これから始まる本当の死闘に向けて、静かに精神を研ぎ澄ましていった。




