第22話:神代の重み、偽りの汗
第22話:神代の重み、偽りの汗
1. 3時間の不在
翌朝、簡素な朝食を済ませると、凪は玄関で古い作業用手袋をはめながら結衣を振り返った。
「悪いな、結衣。今日の仕事は昨日より少し時間がかかる。……3時間くらいだ。留守を頼む」
「うん。……気をつけてね、二人とも。湊も、腰を痛めないように」
結衣の心配そうな、けれど自分たちを信じている眼差しに見送られ、二人は再び高尾の深緑の中へと消えていった。
2. 「演技」の教本
「実はな、少し前に『神代木』を見つけておいたんだ」
山道を歩きながら、凪が前を向いたまま切り出した。神代木――数千年前の火山活動などで地中に埋もれ、朽ちることなく化成した伝説的な木材だ。
「この量は一人で運ぶには、普通の人間の目からすると無理がある。だが、二人なら『近くまで軽トラで来て、そこから手で運んだ』という設定が通る。……お前、芝居心はあるか?」
「芝居……?」
「俺たちの力なら、この巨大な材木も片手で持てる。だが、それを人前でやれば『怪物』だと宣伝しているのと同じだ。……いいか、重いフリをしろ。歯を食いしばって、腰を落として、必死に運んでいるように見せるんだ」
湊は自分の掌を見つめた。自衛官の腹を貫き、鹿の首を折ったこの力。それを今は、「隠す」ために使わなければならない。
3. 太古の残像
森の奥、崖崩れの跡地にその巨木は横たわっていた。湿った土の香りと、数千年の時を止めたような静謐な黒い木肌。
「……よし、行くぞ。おっと……!」
凪がわざとらしく声を上げ、丸太の端を担ぎ上げた。湊も反対側を抱える。
指先から伝わる重圧は、確かに凄まじい。普通の人間なら数人がかりで重機を使わなければ動かせない重量だ。だが、クローの血が流れる湊にとっては、心地よい「手応え」程度でしかなかった。
二人は材木屋が並ぶ集落まで、その巨木を担いで降りた。
人目に触れる場所に入ると、凪の教え通り、湊は顔を真っ赤にして息を荒らげ、いかにも重さに耐えかねているような足取りで歩いた。
「……お、重いな、凪……!」
「ああ……もう、少しだ……踏ん張れ……!」
二人の迫真の演技に、通りすがりの住人も「若いのに精が出るな」と感心したような目を向ける。自分たちの「異質さ」が、芝居という皮膜一枚で守られている。その奇妙な高揚感の中で、二人は材木屋の玄関に辿り着いた。
4. 五万円の対価
「おばさん……いいの見つかったんだけど。これ、現金で引き取れるかな?」
凪が材木屋の店主である年配の女性に声をかけた。彼女は眼鏡をずらし、二人が運んできた木をまじまじと見つめた。
「……こりゃまた、見事な神代木だね。本物の価値が分かるまで鑑定に時間はかかるよ。今すぐ現金が必要だって言うんなら……かなり買い叩くことになるけど、5万円だね。どうだい?」
「……ああ、それでいい。助かるよ」
凪は即答した。
おばさんから受け取った5枚の壱万円札。それは、自分たちが「人間」のフリをして、社会の隙間で手に入れた最も重い対価だった。
帰り道、空になった手を眺めながら湊は聞いた。
「……5万円。林業って、以外と儲かるんだなぁ」
「いいや、価値を知る奴に売れば10倍にはなるさ。だが、俺たちの名前は表に出せない。……足がつかない5万円。これが、今の俺たちの『適正価格』だ」
家に戻ると、結衣が温かいお茶を淹れて待っていた。
5万円の現金と、演技でかいた偽りの汗。
それらは、クローとして生きる過酷さと、共犯者としての絆を、より深く湊の心に刻み込んでいった。




