第10話:偽りの航路、真の座標
第10話:偽りの航路、真の座標
1. 喧騒に溶ける
天使たちの蹂躙、そして悪魔の捕食。あの凄惨な光景を背に、湊と結衣は新宿の喧騒へと逃げ込んだ。
「……ここにいれば、少しは時間が稼げる」
選んだのは、歌舞伎町の裏通りにあるネットカフェだった。狭い個室の防音壁が、外の世界のパトカーのサイレンを遠ざけてくれる。結衣は疲れ果てたように湊の肩に頭を預け、短い眠りに落ちた。
しかし、湊の脳裏には、先ほど見たアークエンジェルの無機質な瞳が焼き付いて離れない。
(あいつらから逃げ切れるのか……?)
自問自答を繰り返す湊の手の中で、スマートフォンが青白く発光した。
2. 攪乱かくらんの指示
匿名チャットの主からのメッセージは、湊の予想を裏切るものだった。
『安息はないと言ったはずだ。だが、闇雲に逃げても袋のネズミだ。まずは「偽の足跡」を残せ』
湊は固唾をのんで文字を追う。
『夜が明けたら、電車に乗って秩父方面へ向かえ。西武新宿線か、あるいは池袋から特急を使え。監視カメラのアルゴリズムにお前たちの目的地を「秩父の山中」だと誤認させるんだ』
「秩父……?」
湊は画面をスクロールする。
『だが、終点まで行く必要はない。適当な場所で降り、そこから大きく方向を転換しろ。真の目的地は、府中方面の[XX-XX]地点だ』
3. 境界を切り裂く加速
メッセージには、逃走を成功させるための具体的な「攻略法」が記されていた。
『都境や重要地点の監視網は、お前たちが秩父へ向かっていると思い込んでいる。その「思い込み」がデータのノイズになる瞬間を突け。府中へ向かう際は、電車を降りて俺の言うルートを走れ。……いいか、お前の「力」を全開にしろ』
湊の鼓動が早まる。
『大都会のカメラは避けられないが、郊外の監視システムには処理速度の限界がある。お前の超スピードで境界を越えれば、カメラのフレームレートはお前の残像すら捉えられない。デジタルな死角を作れ。光さえ置き去りにすれば、お前たちは透明な存在になれる』
4. 決意の朝
「……結衣、起きろ。行くぞ」
湊は結衣を優しく揺り起こした。ネットカフェの狭いブースを出ると、早朝の新宿は冷たい空気とゴミの臭いに包まれていた。
二人は池袋へと向かい、指示通り秩父方面へ向かう電車に乗り込んだ。
ガタンゴトンと揺れる車内。窓の外を流れる景色は、どこまでも平穏な日常に見える。だが、湊は知っている。自分たちが今、目に見えない巨大な網を潜り抜けようとしていることを。
(秩父へ向かうフリをして、府中へ抜ける……)
湊はポケットの中で、スマートフォンを強く握りしめた。
「府中に行ったら、何があるのかな」
不安げに尋ねる結衣の手を、湊は力強く握り返した。
「何があっても、俺が守る。あの天使たちにも、カメラにも、俺のスピードは追いつかせない」
郊外の駅で電車を降りた瞬間、湊の背中から黒い翼が音もなく溢れ出した。
日常のレールを外れ、物理法則の向こう側へ。
二人の姿は一瞬にして掻き消え、静まり返った線路沿いには、風を切る鋭い音だけが残された。




