Ⅳ-Ⅰ 授爵 そして孔雀舞
社交界へのデビューを命じられたカナデ。
その準備に振り回される。
デビュタントのダンスパートナーは二転三転し…
Ⅳ-Ⅰ 授爵 そして孔雀舞
太陽が輝きを増す季節だ。白い光は更に強く中空で輝く。魔闘士団詰所はしばしの昼休憩を迎えようとしていた。午前の訓練を終えた魔闘士が続々と戻って来る。リシュリューはそんな彼らを詰所のソファで出迎える。専用の執務室はあるのだが、そこに籠るのは急ぎか秘密の用事がある時くらいだ。
長官のディミトリ・コリニーが鍛錬所から戻った。うっすら額に汗をかいている。上着を脱いで長袖のシャツ姿だ。一緒にバインダーを抱えたカナデも戻る。リシュリューの頬が緩む。
「おかえり。ご苦労」
「戻りました」
真面目な顔で礼をする。カナデは壁のファイルにバインダーの紙を綴じる。爵位授与式も無事に終わって身分が確定した。それで政府としても何かの役割を与えてもよろしいだろうとなった。しかし彼が望んだ皿洗いや掃除などは準男爵にはさせられない。結局はリシュリューの配下である。魔闘士の事務処理を週に二回ほど手伝う事になったのだった。それで今朝は訓練の記録係を仰せつかった。
「では失礼いたします」
と、頭を下げてカナデは部屋を出た。それを見送るリシュリューはとろけそうな笑顔だ。それを見て、ディミトリは微妙に唇を歪めた。笑っていいものなのか。先にリシュリューが彼を見上げて言った。
「何が可笑しい」
「微笑ましいなあと思っただけだ。とうとう結ばれたか?」
「まだなんだ。でも気持ちを確認した。同じベッドで眠ったよ」
リシュリューはほうっと息を吐く。うっとりと宙に視線を彷徨わせる。
「こんな気持ちは初めてだ」
今まで想いを寄せられた経験は数知れず。しかし自分から相手を愛しく想い、欲しくなったのは初めての感情だった。乱暴に自分の物にしてしまいたい。しかしいざ体の下に組み敷き、恥じらう姿を見ると愛しくてたまらない。壊れそうなガラス細工のように扱ってあげたくなる。
「触れると、とても固くなる」
「それはお互いそうだろう?」
「前だけじゃない。体全体が緊張しているようだ」
あ、そっち。とディミトリが苦笑した。
「もしかして彼はやり方を知らないのか? ほら、チュウゼンジ卿の国では異性婚が主流らしいし」
「あ~それはあるかもしれない」
ラファイエット王国では愛の営みは朝からでも話題に上る。二人は大真面目だ。カナデにどうやってやり方を教えるか? しばし作戦会議となった。妻帯者のディミトリが提案する。
「自然に体に触れるなら、やはりマッサージだ。疲れているだろうと言ってさすってやる。背後から肩に触れて胸へ、そこから下だ。体を密着させれば更に良い。或いは足から行う。ベッドに横たえ、ふくらはぎから始めたらどんどん上へ行けるぞ」
「なるほど」
リシュリューももちろん恋人はいた。しかし大概は相手からお膳立てをしてくれる。自分からとなるとあまり経験はない。素直にレクチャーに耳を傾ける。
「尻を優しく撫でてみろ。そして覆いかぶさるように密着する。そうすれば安心するだろう。耳元で愛を囁くのも良い。なおかつ片手を前に回して…」
カナデが聞いていたら恥ずかしさで頭が沸騰しただろう。
そんな会話をされているとはつゆ知らず、カナデはのんびりと王宮敷地を歩いていた。魔闘士団の売店でサンドイッチを買ったのだ。彼ら専用の食堂はあるのだが、外でゆっくり食べたかった。適当な木陰を見つけて座った。魔闘士用の分量だ。なかなか多い。半分ほどで満腹だった。
(準男爵になって良かったかも)
最初こそ面倒だなと思ったものだ。しかし身分が安定したおかげで、王宮内なら単独の行動が許可された。自分用の身分証明書も渡された。しかも事務を手伝うので、お手当がもらえる。高いのか安いのかは分からない。しかし今日のように自分の好きな飲食物や文具などを買えるようになった。
王立病院の手伝いは週に一日から二日で行っている。こちらも謝礼をもらえる。画学校には王宮の外という事もあってまだ調整中だが、リシュリューは前向きに検討してくれているようだ。それも楽しみだ。
これから向かうのは離宮の一つだ。貴族宮と呼ばれている高位貴族が部屋を持つ城である。白い壁がまばゆい。リシュリュー宮よりは少し小さいようだ。もっともどの貴族も王宮の外に邸宅を持つ。王宮に滞在するのは勢力の証だ。だから別邸の扱いながらも、ここに部屋を持てるのは名誉らしい。
前庭でセシルが待っていた。復帰して一週間ほどだ。またカナデの傍に付いている。カナデを見かけると足を引いた挨拶をする。
「チュウゼンジ卿、お昼は食べた?」
「うん。でもその卿ってやめてよ」
態度は依然と変わらないものの、綬称してから卿の敬称で呼ばれるようになった。挨拶もお辞儀をされる。
「決まりなのよ。それに私が何て呼んでもカナデはカナデよ、チュウゼンジ卿」
セシルは肩掛けのカバンから懐中時計を出した。
「丁度いいくらいね。行きましょう」
まだ腕時計が存在しない。敷地内ではあちこちの塔に時計が付いているが、やはりちょっと不便だ。カナデのお手当ではまだ高級品である時計は買えない。
二人は門番に通行証を示した。ホールに入るなり、二人ともこれから就職の面接にでも臨むように大きくため息をつく。これから向かうのは最上階の一室だ。四大公爵家の中でも最も伝統があるデュポンドルール家の女性当主デルフィーヌの部屋だった。もう何度目かの訪問だが、未だに緊張する。
扉の前で大きく息を吸う。セシルがドアをノックした。中から開けるのは白髪の紳士だ。グレイの燕尾服を着用のデルフィーヌの執事だ。カナデが礼をして先に入った。セシルが感情を限界まで抑えた顔で続く。
窓際の椅子に座る銀髪の夫人がデルフィーヌ・デュポンドルール公爵である。細身の体を白銀のシンプルなドレスに包む。瞳は灰色がかっていて、お肌も年輪を重ねている。唇をぐっと引き結ぶ様子が学校のセンセイのようだ。白い羽の扇を開いて胸の前で持っていた。
「公爵閣下のお目に、お目通りいたします」
彼女は扇を手で叩いた。
「聞こえません。もう一度」
「ご、ごきげんよう。公爵閣下におかれましては…」
挨拶の文言を一言でも間違えると何度でもやり直しをさせられる。
「その角度でお辞儀をしているつもりですか」
部屋に入るだけでコレだ。宮廷生活が四年目のセシルでさえ緊張の漂う表情だ。さらにカナデはまだスムーズに行動できるほど貴族社会に慣れていない。お辞儀と挨拶を数回繰り返して、ようやく入室が許可された。セシルを従えて校長先生の前に立つ。彼女は厳かに言った。
「宿題をやってきましたね。読み上げなさい」
前回カナデに課せられたのは、お茶会のセッティングだ。上流階級の慣習として、同じ階位の者たちと頻繁に交流が必要だ。まだリシュリューとの関係性は未確定ながら、彼の配下にあるのは間違いない。だからお茶会のお膳立てもカナデの役目になる可能性があるのだ。セシルがカバンから紙の束を出してカナデに渡す。
緊張で声がうわずる。いつもより甲高い調子になってしまった。
「はい。今回のお茶会のテーマに『夏の花を愛でる会』と頂きました」
「普通に話しなさい」
懸命に深呼吸する。
「はい。続けてよろしいでしょうか?」
「二度、言わせるのですか」
じろっと睨まれる。『読み上げろ』とは確かについさっき言われた。
「つ、続けます。そこで使う茶器と、テーブルに飾る花を提案いたします。まず茶器はマール社のホワイトフラワーのシリーズを用意、花は太陽をイメージした黄色…」
ぱし、と手にした扇を手で叩く。遮られた。
「そのシリーズには絵柄に紫が入っています。黄色とは合わせません。色の組み合わせは教えたはずです」
色がきれいならいいというわけではない。花や茶器の取り合わせにとても細かいルールがある。伝統的に決まっている常識なのだ。それを守るには、茶器の模様まで知っている必要がある。そこまでは把握するのは短い期間では難しい。リシュリュー宮にある食器をチェックさせてもらったのを懸命に思い出す。
「ベリーシリーズ…はいかがでしょうか」
確か藍色と赤だった。緑はあったが、組み合わせはできるはず。
「自分で決めてから言いなさい」
「ではベリーで…」
「濃い赤があります。冬でしょう。季節外れも甚だしい」
もうダメだしの嵐である。なかなか先へ進まない。デルフィーヌはにこりともしない。むしろ苦い物でも噛んでいるような目つきだ。この状態を立ったままで約一時間。
はあ、と公爵閣下は扇の陰でため息だ。
「その場しのぎで誤魔化そうとするから行き詰まるのです」
「はい。勉強不足で申し訳ございません」
「全くその通り。精進なさい。やり直しです」
ふん、とそっぽを向かれた。カナデは深々と頭を下げた。やっと終わりだ。
執事から封筒を渡された。今回の再提出に加えて次回の課題だ。ここまではぴくりとも動かず見守っていたのだ。隙のない動きで扉を開ける。彼は慇懃無礼に頭を下げた。
廊下に出た二人は、またも大きく息を吐いたのだった。ぐったりして声も出ない。セシルは自分の肩を揉んだ。
「はあぁ…陛下と同じくらい緊張するわ…」
リシュリュー宮はかなりフランクだ。
「殿下はあまり貴族の決まりに厳しくないよね?」
「そうね。お若い頃から留学されていたし、割と自由に過ごされていたみたい。そのせいかも」
帝王教育は一応受けていたようだが、あくまで世継ぎは兄だ。しかも総裁の職を持っている。貴族社会以外にも見識がある分、厳しさが緩和されているのだろうか。使用人食堂でコック達と世間話しをしながらお茶をしている時もある。他の王族ではあり得ない光景らしい。リシュリュー自身のおおらかな性格もあるに違いない。
カナデのタスクはまだ終わらない。次は一階の部屋だ。セシルとは別れた。ここからは一人で行動する。
(何でこんな事になっているんだろうなあ…)
これから別の個別レッスンが始まる。貴族社会へのデビュタントも命じられたのだ。その準備だ。
出て来るのはため息ばかり。ドアを開けると小さなホールだ。ここは貴族の部屋ではない。共有部分といったところか。テーブルを出して食事会をしたり、個人的なダンスパーティを開催したりする場所だ。今は家具を置いていない。無人だ。しばらく待っていると、男性が二人やって来た。
一人は金色の髪の少年だ。彼は口をへの字に曲げて腕組みをしている。カナデの肩くらいの身長だ。付きそう大人は燕尾服だ。水色のタイピンをしている。四十代くらいだろうか。彼も少年に負けないくらいに唇をひん曲げた上に、眉間にはシワが寄っている。
それでもカナデは胸に手を当てる挨拶をした。
「よろしくお願いいたします。サミュエル様、先生」
二人揃って無視だ。サミュエル・シャルパンティエはあらぬ方向を見ながら大声で言った。
「どうしてあそこの炭は、私の事をいつも『サ、ミエル』と呼ぶのか。バカにしているのか」
ダンスパートナーはファーストネームで呼び合うのが慣習だそうだ。だからカナデも彼を名前で呼ぶよう二人から言われた。
ミュ、と言っているつもりなのだが。ひねりが足りないらしい。ミュを強く意識すると、サ・ミエルと一呼吸入って聞こえるようだ。名前をちゃんと言わないのは確かに失礼にあたる。サミュエルには一度も呼ばれた事はないが、カナデは素直に謝った。
「申し訳ございません。ところで今日のレッスンは」
男性は大きく息を吐いた。ダンスのインストラクターである。指を鳴らす。音楽が魔法で鳴り響いた。重々しい二拍子の音楽だ。元の世界でいうなら、かしこまった場で入場する孔雀舞が近い。この曲名も翻訳陣が『若草の為の孔雀舞』と訳したほどだ。まずはカップルでしずしずと行進するのだ。もちろんそれだけではなくてステップを踏むなど振り付けもある。カナデはシャルパンティエ公爵の三男とダンスパートナーを組まされたのだった。デルフィーヌの仲介だ。身分差が大きいし、背の高いカナデの方が女役のフィメールステップとなるアンバランスな組み合わせだ。
こちらにも何回か出向いているのだが、まともにレッスンができた試しがない。サミュエルはまだ文句を言っている。
「他の令嬢と組むはずだったんだ。デュポンドルール公爵のたってのお願いだから仕方ないが、炭と手など合わせたくない。しかも平民だ。身長のバランスも最悪ではないか」
先生も頷く。
「全くその通りでございます。私は貴族の子弟を教えておりますので、平民を相手にするのには向いていないのでございます」
これらの発言も毎度代わり映えしない。講習の時間は二人揃って嫌味のシャワーを浴びせてくる。カナデの練習は全く進んでいない。これでは二か月後に迫ったデビュタントに間に合わなくなる。
『太陽感謝祭』。それはラファイエット王国の夏の最大行事だ。
太陽が最も強く輝く季節の終わりに、それまでの恵みに感謝する祭りだ。国を挙げて数日に渡る祝いが催される。王宮で開催されるメインの行事は、貴族の新成人お披露目の舞踏会だ。参加するのは十六歳が基本だが、留学などで参加できなかった場合は十八歳まで可能だ。カナデは十七歳として戸籍が作られている。年齢の範囲内だ。
デビュタントでは二人一組のカップルを組み、整然と王宮ホールに行進する。そして華麗な舞を披露するのだ。組むのはこの国らしく男女どちらでも構わない。ベルナデットの提案をオレリオンソルが支持した。それにより、カナデも踊る羽目になったのだった。
(王様の発言だからな。断れないよなあ)
相手の人選は貴族に顔が広いデルフィーヌに一任された。上流階級の十六歳ともなればもう婚約が見えてくる年令だ。だがカナデは異世界人だし王弟と同居している。結婚は限りなく可能性が低い。組みたがる者はいない。それで彼女は友人でもあるシャルパンティエ公爵に相談した。ちょうど三男が成人だ。もうカップリングはされていたのだが、王室からの願いでもある。シャルパンティエ公爵は高位貴族の義務として、カナデと組むよう息子に命じたのだった。
だからサミュエルが面白くないのは分かる。だがこのままでは進捗が全くない。カナデは頭を下げた。
「先生、デビュタントに間に合うように教えていただけませんか?」
ダンス教師はちらっとサミュエルを見た。彼は腕組みのまま壁を向いている。動こうとしない。教師は言葉を吐き出した。
「一人ではダンスはできませんよ、あなたはご存じないのですね」
「それはサミュエル様も同じでしょう」
サミュエルは壁に向かって大声を出した。
「だから私は組みたくなかったと言っている! 練習もままならないのはお前のせいだ」
カナデも踊りたいわけではなかった。さすがにむっとする。この状態を続けるのは時間の無駄だ。
「ではやめましょう」
え、と二人が振り向いた。まさか平民の分際で高位貴族に反することを言うとは思っていなかったようだ。
「断れるとでも思っているのか。お前だって命令でやっているんだ」
「そうです。でも受け入れたのは私自身でした。あなたたちも命令とはいえ、自分で受けると決めたのではないですか? でもどうしても嫌だと言うのなら私は辞退します。この状態が続けば本番には到底間に合いません。いっそ今のうちに辞めましょう」
「そんな事を父上やデュポンドルール公爵が許すと思うか? 何と言われるか…」
「どう見られるのか気にするのですか? それならきちんとやれば良かったでしょう。それに辞退も自分で決めた事です。私からリシ…リシュリュー殿下にお伝えします」
また噛んだ。普段なら微妙な空気になるところだが、それどころではないようだ。先生が震えながらも高い声を出した。
「待ちなさい。言いつけるなど卑しい行為です。私の立場がどうなるのですか。そ、それに提案は皇后陛下と伺っていますよ。逆らうおつもりですか」
上位からの命は絶対だ。それを蔑ろにするとどうなるのか、カナデは病院の騒動で知っている。しかしこの二人はカナデを相手にするつもりがない。デビュタントを迎える前にさっさと撤退した方がマシだ。二人がどういう罰を受けるか知らないが、彼ら自身の言動のせいだ。
「そうなりますね」
カナデも反逆罪だろうか。しかしもう嫌味の海でおぼれそうだった。サミュエルがじっとカナデを見ている。
「お前は…父上や公爵閣下が怖くないのか?」
「あなたは怖いんですか」
正直、デルフィーヌは怖い。とっても。
(それにしても、まともに目が合ったのって初めてだな)
とカナデは思った。
サミュエルは上位貴族だ。多分魔力は強くてホワイトスターもあるだろう。やはり瞳はホワイトオパールの輝きだ。嫌味ばかりの子供だが、どうしても美しいと思ってしまう。
サミュエルがもごもごと何か言った。すぐにカナデに反論できない。
(失敗したではないか!)
講師と練った作戦だった。カナデと組みたくないあまり、レッスンを拒否する。もちろん異界人は習得できない。そこでパートナーを戻してもらう。上申するのは、もちろん上の立場である貴族のこちら側からだ。
ダンスは貴族の嗜みだ。幼い頃から親しんでいる。だからサミュエルはもう孔雀舞を踊れるのだ。レッスンが滞っても何も困らない。解消理由を異界人のレベルの低さにすればいいのだ。平民だから言い訳などさせない。そのつもりだった。それなのに彼の方からあっさりと辞退を申し出てしまった。
だが彼が言葉を失ったのは、こればかりでは無かった。
カナデは胸に手を当てた。
「では失礼いたします」
先生が待って、と悲鳴を上げる。追いかけてきたが身を交わした。さっさと扉を開ける。急ぎ足で廊下に駆けだした。
ホールではサミュエルがぼんやりした顔で呟いた。
「瞳が…真っ黒だった…」
瞳孔まで茶色の人種しかいないのだ。初めてまともに見た瞳は、サミュエルにとって衝撃的だった。もし黒い宝石があるのなら、まさにそれだ。その美しい黒に唇を歪めた自分が映っていた。元々の育ちは良いのだ。自分がこんな嫌な顔をさらしていたのかと軽くショックを受けた。
彼も全方位の八芒星魔法陣を持ち、王家ほどの輝きではないがホワイトスターを持つ。対になるブラックスターに惹かれる習性があった。そして、しっかりと黒い瞳を見てしまった。
(私に言い返すなんて無礼だ…。でも…き、きれいだった…いや、そんな馬鹿な…)
無口なのかと思いきや、まくしたてるように話してくる。この世界の慣習を否定する強さもまた驚きだった。上位者に言い返すなどあり得ないはずだった。そんな者は初めてだ。心臓の鼓動が速い。サミュエルはよろよろと後ずさり、壁に寄りかかった。脳裏に浮かぶのはこちらを見つめるカナデの姿だ。
動悸は鎮まらない。自分の心の動きに戸惑ってばかりだった。ダンス教師が何か言っている。もう耳に入らなかった。
(私は…どうかしてしまったのか?)
追いかけて、またあの瞳を見たい。閉まったドアをただ見つめるだけだった。
カナデは足早に貴族宮を抜けた。ダンス講義を切り上げたので、時間が少し余った。まだ日は高い。営繕部へ向かった。こちらもまた別の棟だ。以前にセシルが話を通してくれたので、ここのデザイン課から画材を貰える。この世界でも油絵具は開発されていた。だがアルミチューブはまだ無いので、大きなガラス瓶に入っている。それを小さな瓶に小分けにしてもらうのだ。
なぜデザイン課が王宮修理を担う担当部署なのかよく分からない。しかし修復や改修の際に、色々とアイディアを出す業務を担っているそうだ。
在庫の部屋に入れてもらった。学校の図工室のにおいがする。作り付けの棚にガラス瓶が並ぶ。
「どうしようかな」
迷っていると、デザイン課の課長がやって来た。マチュー・キャビレはカナデの父よりも少し年上のようだ。肉体派ではないのかというほど体が大きい。瞳は灰色がすこし混じったような水色だ。白い物が混じった眉毛を少し下げた。
「いらっしゃい、異界人殿。絵の具かな?」
「はい、お願いします」
マチューはカナデの為に小瓶を幾つか戸棚から取り出してくれた。
「ところで異界人殿。この間のスケッチの件なんだけど、貴族宮の御婦人が気に入った模様でね」
「え~見せたんですか!」
以前、デザイン課で異世界の流行を聞かれたので描いて見せたのだ。地球の絵画の歴史と照らし合わせると、まだラファイエットは百年以上前だ。そこで現代絵画はやめた。先進的すぎて受け入れられないだろう。
何を選ぶか。装飾的でなおかつ写実的、そしてカナデが描いても楽しい。そこで思いついたのはアールヌーボーだ。風を受けているような流麗な曲線を多用する。中でもアルフォンス・ミュシャは現代日本でも人気があるチェコ出身の画家だ。広告ポスターや製品デザインも数多く手がけている。カナデ憧れの芸術家だ。それを意識したイラストを数点描いた。
「目新しい図柄が御所望だったんだよ。それであのデザインのスカーフが欲しいそうなんだ。デザイン頼めるかな? あ、もちろん手当は出すよ?」
実際の作成は外部に発注だ。カナデは図案を描けばいい。胸がどきんと鳴った。
「そ…それは…光栄です」
何に使うスカーフか、季節はいつか。身分に対応して描ける文物はどれか。さっそくデルフィーヌに教わった事柄が役に立ちそうだ。急ぎではないので、納期は特にない。
「細かい注文は後でリシュリュー宮に届けるからさ。幾つか候補を作ってね。出来たら持って来て」
「はい」
それから何色かもらってリシュリュー宮に戻った。広い王宮内の移動にはかなり時間がかかる。油彩に集中するほど時間はなくなったし、新たなタスクが増えた。でもこちらは楽しみだ。庭に出てスケッチを始める。今は花の盛りだ。庭師が整えた植栽は見事だ。パソコンのデザインも楽しかったが、アナログの手作業は気持ちが落ち着く感じだ。
(…それにしても花嫁修業させられている感じだよな…)
行儀見習いの発端は一か月ほど前だ。ナント自治区から戻ってまもなく、アルニウスから書簡が届いた。賠償金の交渉は継続中なので別件だ。盗掘事件の解決のお礼と、相互理解と両国の親睦を兼ねたカナデとロウタの招待だった。二人をラファイエット人と認めたのかと、政府は理解した。それなら断る理由はない。国交回復はラファイエットにも利点がある。アルニウスでは地下資源は採掘できないが、天然ガスがふんだんに噴き出しているのだ。これを利用できるかもしれない。
そして自国民だとさらに誇示する為に、カナデを正式にラファイエット社交界にデビューさせる事になった。ロウタはこれには参加しない。ナント自治区に留まっているせいもあるし、そもそも暴行事件はラファイエット王国では親告罪ではない。本来なら処罰案件だ。カナデの口添えと異界人だから逮捕されていないだけだ。彼の扱いについてはラファイエットも若干持て余し気味ではある。
カナデにしても社交界デビューなどしたくはない。だが参加を受け入れたのはリシュリューの為でもあった。黒髪の自分がここにいると、貴族社会にしっかりと知らせたい。得体の知れない者を抱えているなど噂が立つのは嫌だった。
仮にリシュリューが王宮を出たとしても、まだ公爵位を持っていると言っていた。貴族との付き合いは続くだろう。それなら上流社会の仕来たりを知っておけば役に立つ。
親書にはヒューゴ・ニューホルムからの手紙も同封されていた。検閲を意識したのか、丁寧で簡潔な文面だった。ちょっと拍子抜けしつつも返事を書いた。ラファイエット自治省からヒューゴに届けられるはずだ。
庭が茜に染まって来た。また趣向の違う美しさだ。
(ミュシャ風をご希望って事は、やっぱり女性像?)
注文はまだ未確定だ。スケッチを切り上げた。部屋に戻る。残したサンドイッチを食べてから図書室から借りてきた本をめくる。テーブルマナーやお茶会の作法の解説本だ。デザインに必要な知識が満載だが、もともと余り興味のない分野である。瞼が勝手に下がってくる。
夕食を知らせにロザリーが来たが、カナデはもう寝落ちしていた。ゆっくり背中をさすって起こしてくれる。
「ご飯要らない…食べた…」
寝ぼけて母親に向かって言うような口調になった。
「はいはい、でもキレイにしてから寝ましょうね」
ロザリーも優しく応えてくれる。カナデは目をこすりつつ、歯を磨いて寝てしまった。
リシュリューが戻った時、カナデはすっかり夢の中だ。リシュリューはいつも通りに『蝶の間』にやって来た。カナデの髪を撫でる。それでわずかに覚醒した。なかなかちゃんと声が出ない。
「あ…殿下…。私はダンスを…辞退したい…します…」
うんうん、とリシュリューは頷いた。
「心配するな。大丈夫だ」
そうか、大丈夫か。大きい手の平が頬を包む。ほっとする温もりだ。カナデはそこに自らの手を重ねた。安心する。睡魔に勝てない。瞼が下がる。唇が重なったが、カナデは再び眠りについていた。
翌日は魔闘士団のお手伝いはない。先に出かけたリシュリューとは会えなかったものの、ダンス辞退は言えたはずだ。午前中はデルフィーヌの宿題に取り組んだ。
不安なままに貴族宮へ赴いた。今日の演習場所は屋外だ。ここにも庭園がある。片側だけ壁があるあずまやが舞台だ。もう丸いテーブルがセットされている。実技の披露だ。カナデのプランに沿って五人分をセッティングする。実際に並べてくれるのは、デルフィーヌの使用人と今日の付き添いであるロザリーだ。ベテランだけあって、いつもと同じように自然に振舞える。リシュリュー宮から持ち込んだ茶器を並べ、花瓶に花を活ける。
色々とダメ出しをくらった結果、マール社のイエローシリーズを使った。黄色を主体とした小花が散る模様だ。活ける花も同系色を選んだ。但し色合いは違う。グラデーションを描くようにテーブルの周りにも飾った。ここの植栽は夏に向けてなのか、黄色い花が多い。それに合わせてみた。花瓶には細いリボンをカールさせて巻いた。
準備が整ったところでデルフィーヌが来た。執事が背後に控えている。彼女は無表情でテーブルを眺めまわす。花瓶で視線が留まった。眉がほんのわずかだけ跳ね上がった。扇を軽く叩く。
「なんですか、この布切れは。花瓶を飾るなど、私は教えましたか」
「あ…いいえ…私の思い付きです…」
「教わっていない事をまだ勝手にやるものではありません。外しなさい」
「…はい…申し訳ありません」
花瓶がシンプルなので少し寂しいかと思ったのだが、余計な気配りだったようだ。ロザリーが手早く巻き取ってくれた。肩を落としていたのだろう。背後を通ったロザリーが背中をとんっと叩いていった。慌てて姿勢を直す。
デルフィーヌが執事に向かって顎をわずかに上げた。彼は礼をした。そんなわずかな動きで行動に移せるようだ。庭園を横切り、貴族宮へ向かう。そしてすぐに華やかな笑い声がした。ドレスの令嬢たちが現れる。そう、今日は実践。呼ばれたのは四人だ。いずれも淡い色彩のドレスだ。夏の花を愛でるというテーマに合わせて、生花を髪に飾る者もいれば、花の刺繍のドレスを着ている者もいた。中にはコレット・アポリネールもいた。
デルフィーヌの主催ではあるが、プランニングは平民のカナデだ。招待されたのは子爵以下の令嬢たちだった。彼女達はデルフィーヌに一斉に礼をした。コレットが代表のように口を開く。
「デュポンドルール公爵におかれましてはご健勝の御様子、何よりでございます。本日の御招待、まことに有難く存じます」
デルフィーヌは鷹揚に頷いた。
「今日は内々の茶話会です。かしこまらずともよろしい」
彼女が席に着くと、令嬢たちも腰を下ろした。コレットが一番デルフィーヌに近い。今回の参加者で一番の位の高さなのだろう。お茶やお菓子をサーブするのはデルフィーヌの小間使いだ。ふっくらしたベテランの男性で、にこりともしない。彼女の配下の者は、みんな感情の制御に長けているようだ。
末席の令嬢が小さくため息をついた。
「珍しいテーブルウェアですわね。黄色だけとは初めてです。驚きましたわ。発案者の美意識を疑ってしまいそうです」
隣の女性も、扇で口元を隠しながらも同意した。
「幾らでもお色はございますのにね。何でもそちらのプランニングと伺ったような」
と、ちらっとカナデに視線を送る。
コレットが小さく声を上げた。
「あら…。私は好きですわ。とてもたくさんの太陽のお色ですわね。全ての種類の黄色があるみたいで華やかで。周りのお花も黄色ですし、まるで夏に囲まれているような気分になりますわ」
それこそカナデが目指したテーマである。しかし二人の令嬢は納得しない。
「だって…ただの一色ですのよ。異次元の者のセンスは私どもとは…ねえ」
「本当ですわ。しかも平民ですもの。それを褒めるコレット様も…ねえ」
ぱしん。デルフィーヌが扇を閉じた。
「今日は夏の花を愛でる目的でお呼びしました。それ以外の感想がおありのようですね。チュウゼンジには私が教えたのです。私の生徒に何か?」
二人は赤くなって俯いた。この場でカナデをけなすのは、デルフィーヌを相手にするようなものだ。
カナデも少なからず驚いた。いつもダメ出しばかりだ。よもやかばってもらえるとは。『私の生徒』という言葉にじ~んとする。
(受け入れてくれていたんだ)
今までの苦労を思うと泣けそうだった。俯きそうになったが背筋を伸ばす。この方がデルフィーヌの前では礼儀に叶っているからだ。
執事が主に歩み寄った。耳元に口を寄せる。デルフィーヌは頷いた。手で彼を払う。
「中座を失礼しますよ」
そして貴族宮へ歩み去った。
コレットが壁際に立つカナデに話しかけた。
「リシュリュー殿下はいかがですの?」
「はい。精力的に活動なさっています」
令嬢たちが少し驚いた顔になる。黒髪の平民が王弟の近況を知っているとは。カナデがリシュリュー宮で世話になっているのは、まだ末端の貴族まで知られていないようだった。
一人がカナデに声をかける。
「あなたは王弟殿下にお仕えですの?」
一瞬詰まる。使用人というより恋人未満の居候だ。しかし彼の命を受けて行動しているには違いない。
「…はい」
コレット以外の令嬢たちが騒めいた。王弟の配下へ嫌味を言ってしまったのだ。非礼に当たる。先ほどの二人は頬を赤くして無言のままだった。
一方、屋内に入ったデルフィーヌは足を引いて礼をした。廊下の窓際にはリシュリューが居た。
「お呼びするつもりはなかったのです、デュポンドルール。少し見学に来ました」
彼女は重々しく挨拶をした。
「お忙しいところお運びいただきまして有難く存じます」
「教習は順調のようで何よりです」
彼女相手では、さすがのリシュリューも公式な話し方になってしまうようだ。令嬢たちの内輪の茶話会に突然乱入するのは、さすがに無作法だ。それで彼は貴族宮の中から庭園を窺っていたのだ。それが執事にばれてしまった。彼の気配りと目配りはさすがである。王弟が居ると分かれば挨拶は必須。それで女主人を呼んだのだ。
まずは現状の報告だ。
「まだまだお勉強が足りません。この世界に来たばかりというのはただの言い訳です」
「これは手厳しい」
デルフィーヌは物問いたげに少し目を細めた。わざわざ王弟が一介の平民の為に訪れたのだ。その理由が気になる。
「アレは何か言ったのですか?」
「講習に? あなたについて? どちらも否です。もともと口数の多い子ではありませんし。まあ…大人しそうに見えてなかなか頑固者ですが」
リシュリューは柔和な微笑みを浮かべる。脳裏にはカナデがいた。普段はあまり感情を露わにしない。しかし怒ったり泣いたり、リシュリューにはいろいろな顔を見せてくれる。殊にベッドの中の姿ときたら、黒い髪がシーツの上で乱れる様子がたまらない…と妄想が浮かんだ。あわてて真面目な顔を作る。まだ一線は越えていないのだ。
「あなたになら、安心してあの子を預けられます。夕べの話しの通りで進めるつもりです。ダンスの習熟度にもよりますが、引き続き指導を頼みます」
デルフィーヌは頭を下げた。
「勿体ないお言葉でございます。殿下のそのような御方の教育を仰せつかるとは、ご信頼を賜り光栄至極にございます」
わざわざ王弟が教育を頼みに来たのだ。しかも四大公爵のうちの最上位と言われるデュポンドルール家である。それほどリシュリューが異界人を気に入っている証でもある。そして今のわずかながらも恍惚とした表情。昼間から何を考えているのか。ナニだろうとデルフィーヌにはバレた。
(相当お気に召しているのね。アレという呼び名はまずかったわ)
当然ながら真面目な表情は崩さない。
彼女もホワイトスターを持つ。そのせいばかりではなくカナデを憎からず思っている。素直で勤勉だ。貴族社会のルールを厳しく仕込むのも、彼の為を思えばこそ。アンティーク家具のように重々しく頷いた。
「お任せ下さいませ」
リシュリューは少し視線を上げた。デルフィーヌの執事がこちらを窺っている。ちょいちょい、と指で呼んだ。彼はすぐにやって来た。
「カナデを呼んでくれ。デュポンドルール、少し早いですが彼を連れて行きます」
「御意」
呼ばれたカナデは、リシュリューの姿に少し目を見開いた。
「殿下。いかがされましたか?」
まずは王族への礼をしないのは非礼だ。それをすっ飛ばしても咎められない。そこに二人のとても近しい関係性が見える。しかし貴族社会ではよろしくない。
(これもきちんと教えなければ。まだまだ甘かったわ)
もっと厳しくしなくては、と心に決めた彼女だった。
恐怖とも言えるべき更なる厳粛なレッスンが始まるなど、予想もしていないカナデだった。リシュリューに連れられてその場を離れた。
彼に連れられてその場を離れて廊下を進む。このままではダンス練習場のホールにまっしぐらだ。
「殿下、夕べのうちにお伝えしたつもりだったのですが、ダンスを辞退させていただきたく」
リシュリューがカナデの肩に腕を回した。額に軽くキスをする。
「分かった、俺も君に言う事があるんだ。サプライズがある」
分かっているならなぜここに! と思う間にホールに着いてしまった。肩を抱かれたまま扉を開く。サミュエルと講師が先にいた。彼らは二人の様子にぎょっと目を剥いた。何しろ昨日まではさんざん嫌味を言って見下していた相手が、王弟と密着して登場だ。
カナデはリシュリューの体を押した。
「離していただけますか?」
固い口調だ。リシュリューは軽く笑って離れた。カナデは二人に向き合った。
「殿下もいらっしゃるので改めて申し上げます。私はデビュタントのダンスを辞退させていただきます」
リシュリューはにこにこしている。カナデは少しイラっとした。
サミュエルはリシュリューに礼をしてからカナデの前に歩み寄った。
「それは許さない」
「あなたが決める事ですか?」
「そうだ!」
彼は頬を染めた。
「お前の相手ができるのは、新成人の貴族の中では私しかいない。だからダンスをしてやる!」
彼にどんな心の動きがあったのかカナデには知る由もない。この二人がリシュリューに話をしたのか。サミュエルはともかく、講師は怯えまくっていたのだ。カナデはむっとした表情で隣のリシュリューを見上げた。王弟の威光でダンスを続けさせるつもりなら真っ平だ。いくら恋人未満の間柄でも、権威をかさに着るような真似をされたくない。
「何を言われたのですか?」
彼は両手を広げる。
「カナデはそんな顔も可愛いな。サミュエル、この子の面倒を見ているのは俺だ。『お前』と呼ぶな」
「…申し訳ありません」
そこかい! とカナデは心の中で突っ込む。
「殿下、私はデビュタントを辞めると申し上げました」
「ああ、ベッドで言っていたな」
「…えっ」
誤解を招く言い方だ。カナデのみならずサミュエルまで赤くなって言葉に詰まる。彼はついこの間まで未成年だ。夜のお話しは知ってはいてもデビュー前らしい。
そんな反応にリシュリューは楽しそうだ。
「進捗が遅れているそうじゃないか。ダンスは初めてだろう? 気にするな。デルフィーヌには昨日のうちに言っておいた。マナー講習を休んでこちらに集中して良い」
「どんな話になっているんですか!」
講師が両手を揉んだ。
「昨日も申し上げました通りです。私めの力及ばす、大変申し訳ございません。これからも誠心誠意努めさせていただきます」
やはりコイツが先にリシュリューに言いつけたのだ。保身の為だろう。しかも話が違う。練習が進まないので、カナデがデビュタントを辞めたがっている事になった。
(この嘘つき野郎~!)
外堀を埋められた。この状況で絶対に辞めるなどと言い張ればカナデの我儘になってしまう。講師を睨んだが、彼はリシュリューの方しか見ていない。
ホールに更に二人の訪問者が現れた。どちらも上着なしのシャツにベストだけだ。アームバンドで少し袖をめくっている。
「早かったな。では頼む」
二人はさっさとカナデとサミュエルの前に歩み寄った。
「俺からのサプライズプレゼントだ。デビュタント用に衣装を作ろう。サミュエルの分もだ」
二人は仕立屋だった。一人が巻き尺を持ち、もう一人は分厚い本を持っている。見本帳らしい。王族からの下賜である。サミュエルに選択肢はない。恭しく頭を下げた。
「有難うございます」
採寸が始まった。相変わらず少し眉間に皺が寄っているカナデも、不承不承に腕を広げた。
見本帳をリシュリューが見せられている。
「デビュタントですから、お揃いの色とデザインは如何でしょうか」
「却下だ。そうではない組も多いし、二人は髪の色が違いすぎる。同じ服は似合わないだろう」
「御意。では同じデザイン、同じ生地で色違いはいかがでしょう? 全く違うというのもパートナーとしては如何かと」
「う~ん…」
自分の想い人が他の者とお揃いの服とは。リシュリューとしては、同じデザインでさえ不満らしい。しかしカップルで踊るダンスなのだ。妥協は必要だ。仕立屋と協議を続ける。そこにサミュエルとカナデの希望は反映されないようだ。
採寸が終わった。そこで仕立屋と共にリシュリューもホールを出た。投げキスとウインク付きだった。
サミュエルは改めてカナデに言った。
「何か勘ぐっているのなら今すぐ考えを改めろ。私は殿下とデュポンドルール公爵に何も申し上げていないし、伺ってもいない。お前とダンスをするのは自分で決めたんだ」
言いつけたのは講師だけらしい。カナデはサミュエルを見た。少年らしさの残る丸い頬が紅潮している。やはり『お前』呼ばわりだが瞳がまっすぐこちらを見つめていた。
(きれいだな…)
キツイ言い方は変わらずだ。名家の三男である。何不自由なく甘やかされて育ったのだろう。だが昨日までの不貞腐れた空気は微塵もない。むしろ真剣で濁りのない視線だ。本当にサミュエルが決めたのだと信じられる強さだった。カナデは微笑んだ。
「はい。よろしくお願いいたします」
講師が指を鳴らした。音楽が流れる。サミュエルはどことなくおずおずとカナデに手を差し出した。片手を肩にかけてもう片手を繋ぐ。冷たい指だ。最初はまるで燃える火に近づくようにためらいがちだった。しかし一度触れると、痛いほど強く手のひらを包む。
「お前の手は冷たいな」
「サミュエル様は温かいですね」
今度こそちゃんと発音できたと思ったのだが。サミュエルはふん、と息を吐いた。
「やはりちゃんと私の名前を言えないのだな。よし、決めた。サミーと呼ぶのを許す」
「……ありがとうございます…」
リシュリューの拗音に続いてまただ。そのうちグリフィスもグリーだろうか。あと捻る人名は魔闘士団長官のディミトリ・コリニーや研究班のロジェ・デマレか。だがおそらく彼らのファーストネームを呼ぶ機会はないだろう。そう思ったカナデは苦笑した。
それから本格的にパヴァーヌの練習が始まった。サミュエルは基礎的なステップは習得している。対してカナデはまるっきり初心者だ。つい下を向いて足さばきを確認しては注意される。それでもリシュリューと一緒の所を見られてからは、講師は各段に優しくなったのだった。ようやくダンス講習は動き始めた。
その日から数日間、カナデはあちこちの筋肉痛に苦しんだ。意外と全身を使うのだ。そしてダンスは参加者全員による合同練習も始まった。舞踏会のマナーも学ぶ必要がある。デルフィーヌのマナー教室は、重すぎる愛で苛烈を極めた。
当然ながら魔闘士団のお手伝いはお休みになった。一か月ほどはお行儀修行とダンス漬けの日々だ。カナデは夜ごとにぐったりと寝落ちだ。リシュリューとの入浴及びマッサージはお預けになったのだった。
盛夏に向けて陽も長くなる。夕方から夜にかけて外出する者も増える。殊に成人を迎えて飲酒が可能になればなおさらだ。貴族も例外ではない。むしろ彼らの方が飲食店では庶民よりももてなされるだろう。それで慣れない酒を飲み過ぎてしまうかもしれない。成人したとはいえ、まだ十六歳だ。自分が飲める量も把握できていないだろう。
とある男爵の四男が夜半を過ぎても帰宅しない。心配した家令たちと護衛士が探索の結果、繁華街の路地で倒れているのを発見された。財布は無かった。意識不明は酒のせいばかりではない。頭を殴られた上、右足の骨が折れていたのだ。
彼がデビュタントでパートナーを組むのは、コレット・アポリネールだった。
好天の昼下がりだ。侯爵以上の令嬢を対象としたお茶会が開催されている。会場は王宮の庭園である。主催はやはりデルフィーヌだ。親睦はもちろん、貴族間の情報交換の為にも重要な催しである。その日は近づく太陽感謝祭について、着用するドレスの色など腹の探り合いなど行われていた。ここにベルナデットも臨席している。だから会場が王宮なのだ。今日のコレットは彼女の小間使いとして立っていた。
ベルナデットには腹の探り合いなど不要だ。唯一自分の好きなドレスを選べる立場だからだ。彼女のドレスと被ってはならない。何とかどんな色とデザインなのか聞きだしたい令嬢たちだ。もう太陽感謝祭までは一か月を切った。当のベルナデットは、彼女達のどこか緊張した面持ちなど意に介さず、おっとりした笑顔だ。
「ねえデルフィーヌ。この前はカナデちゃんのプランでお茶会をしたのですって? 私も参加したかったわ」
「お戯れを。皇后陛下をお招きできるほどの技量は、まだあの子にはございません」
「残念ね。早く呼んで欲しいものだわ。太陽感謝祭の前は忙しくなるでしょう?」
一人の令嬢がやっと口火を切った。
「本当に間もなく太陽感謝祭ですわね。皇后陛下におかれましては、きっと素敵なドレスをお召しなのでしょうね」
皇后の衣装係や小間使いを通じて、ある程度の情報は入っているのだ。ここできっちり確認をしたいものだ。ベルナデットは首をかしげた。
「そうね。まだはっきりとは決めていないの。私は白の総レースが好きよ。でもクリーム色のビーズ刺繍もあつらえたの。どちらかね」
他の色は使える。よし、と令嬢達は心の中でガッツポーズをした。
デルフィーヌのいつもの執事が振り返った。庭園に来客だ。コレットの母ミレーユ・アポリネール子爵夫人だった。供も連れずに一人でやって来た。かなり急いでいる。貴婦人らしくなく、額にうっすら汗がにじんでいた。
彼女は茶席までやって来ると、膝を折って挨拶した。
「ご臨席の方々にはご健勝の御様子、何よりでございます。お寛ぎの所をお邪魔するのをお許しください。聞いて頂きたい件がございます」
デルフィーヌが扇を叩いた。
「緊急なのですか?」
侯爵家以上が参加する場に、子爵夫人はそぐわない。しかしミレーユは大きく首を縦に振った。
「左様でございます。ぜひとも皇后陛下にお願いしたく…」
「弁えなさい、アポリネール夫人」
下位貴族が直接王族に面談できる機会は限られている。ミレーユがベルナデットに会えるのは、おそらくこの場しか無かったのだろう。しかしアポイントメントなしで押しかけた上、自分から話題を振るのは無礼だ。デルフィーヌが遮るのはもっともだ。姪であっても容赦はしない。娘のコレットはおろおろしている。母に駆け寄った。
「お母さま…ここはお下がり下さい」
「いいえ、いいえ。コレット、あなたの為よ」
ミレーユはベルナデットに縋る視線を送った。
「無礼は重々承知でございます。しかしながら大変な出来事が起きてしまいました。ご存じの通り、コレットのデビュタントパートナーがその…事故に遭いました」
すぐに病院に運ばれたし、命に別状はない。しかし打撲と骨折だ。魔法で治療するとはいえ、リハビリを含めると一か月弱はかかる怪我だった。デビュタントに間に合うか微妙な期間だし、合同練習に参加が出来ない。
「コレットは一度パートナーの交代をお受けしました。またお相手を探さなくてはなりません。たった一度のデビュタントに二度の交代。それは酷でございます。どうかサミュエル・シャルパンティエ様と再度組ませては頂けないでしょうか」
サミュエルの最初のパートナーはコレットが予定されていた。カナデの為に交代したのだ。それがまた別の者と組まねばならない。どちらの交代もコレットの望むところではない。結婚相手と出会う機会でもあるのだ。パートナー選びは重要だ。
しかしタイミングが悪い。デルフィーヌは扇を片手で叩いた。
「二度言わせるのですか、アポリネール夫人」
「伯母上、お言葉ですが太陽感謝祭は目前でございます。哀れなこの母娘に、陛下よりご配慮を頂きたく存じます」
お茶会の場は凍った。デルフィーヌが気分を害しているのは明らかだ。ミレーユは皇后の前に跪く。コレットが引き起こそうとしているにも関わらず、地面に両手をついて深く頭を垂れる。
「どうか、どうかお願いいたします」
ベルナデットの視線がきょろきょろする。戸惑いを隠せない。
「え…そうね…お気の毒ね…。とにかく顔を上げてちょうだい」
「いいえ。お許しいただくまでは…!」
皇后を困らせるなど言語道断。しかも姪が自分に恥をかかせるのかと、デルフィーヌの我慢が限界に達したようだ。あからさまに眉をひそめた。執事に視線を送り、顎をくいっと上げた。追い出せ、とのジェスチャーだ。彼は軽く礼をした。今にも一歩踏み出しそうだ。
慌てたのはベルナデットだった。身分が低いとはいえ子爵夫人である。使用人に追い払わせるわけにはいかない。また手荒い様子なども見たくない性格である。
「分かったわ。そのように。サミュエルにはまたコレットと組んでもらいましょう」
氷のようなデルフィーヌの視線に、ちょっと身をすくめる。彼女に小さい声で言い訳をした。
「だって地面は固いのよ」
「皇后陛下が仰るのならば致し方ございませんね」
ミレーユがぱっと顔を上げた。大きく目を見開いて満面の笑みだ。
「有難く存じます!」
「もう下がりなさい、ミレーユ」
公式の場なのに敢えてファーストネームで呼んだ。デルフィーヌのお怒りモードは相当だ。爵位を外したのは、貴族扱いしていないのと同じだ。しかしミレーユには通じていない。
「はいっ!」
来た時とはまるで違う。自分がダンスをするような軽やかなステップで庭園を後にした。
ベルナデットはもじもじと指を動かした。
「コレットのせいではないもの…ねえ。デルフィーヌ、お世話をかけるけれどもカナデちゃんのパートナーをまた選定してくれるかしら?」
ブリザードが彼女の背後から吹き付けてくるようだ。その氷点の声音でデルフィーヌは答えた。
「はい。お任せ下さい」
コレットは両手をしっかり組んだ。頭を垂れている。表情は誰にも見えなかった。
新たなパートナー選びは難航し、一週間が経過した。ようやくパートナー交代がカナデとサミュエルに伝えられた。
それを受けてカナデは貴族宮ホールへ赴いた。正式にパートナー解消となったので、最後の挨拶をする為だ。講師はいない。サミュエルは一人で待っていた。初めて会った時のようにそっぽを向き、腕を組んでいる。一か月ほど特訓を繰り返して、それなりに息も合ってきたばかりだ。事情を聴けばやむを得ないが、サミュエルのせっかくの覚悟も無駄になった。不貞腐れる気持ちはカナデにも理解できる。
顔をしかめたままでカナデが口を開く前に言った。
「私以外にもお前と組む者がいたとは驚きだな」
「全くです」
この点はカナデも同意だ。
「お前は何とも思わないのか?」
「仕方がありません」
これも正直な気持ちだ。やっと多少なりとも気持ちが通じてきたかな? と思ったらパートナー解消だ。貴族の都合で振り回される。これがラファイエットなのだと、半分諦めモードだ。
「私の努力が無駄にされたんだ」
サミュエルに言われるまでもない。二人で少しずつ積み上げた物が一気に崩れる。その時間が愛しく、また惜しい。
「ではサミー様。せめて最後にレッスンの復習をしていただけますか? …あ、音楽がないか…」
「私を見くびっているのか。音楽くらい何という事もない」
『若草の為の孔雀舞』が流れ始める。サミュエルはつかつかとカナデに歩み寄った。乱暴に腰を抱き寄せて手を握る。痛いほどだ。
「あの、もう少し力を緩めていただけますか」
「私に指図できるとは、お前も偉くなったな」
最後までお前呼ばわりだ。コイツは…と思いながらサミュエルを見下ろした。白銀の瞳とぶつかる。彼の頬に朱が走った。耳まで赤い。ふいっとそっぽを向いた。今日も拗ねているようだ。しかしその子供っぽさがカナデには今は微笑ましかった。
(子犬みたい。可愛いなあ)
と思った。サミュエルが知ったら怒りそうだ。
「サミー様、今日も手が温かいですね」
「…お前もだ。今日は温かい…」
肩にかかる指にも力がこもっている。彼の体全体が力んでいるようだ。スムーズにステップが進まない。かつてないほどサミュエルの動きは悪かった。不機嫌な声を上げる。
「もう少し私に合わせろ」
「は、はあ…」
サミュエルは湧き上がる葛藤に翻弄されていた。異界の平民と踊るのは義務。そう自らに言い聞かせたはずだった。しかしカナデの瞳の美しさに魅入られてしまった。認めたくないのだが、ふとした瞬間にカナデの姿が思い浮かぶ。拙いダンスを導くのは自尊心が満たされるばかりではなかった。密着する肢体から伝わる熱と呼吸。それを合わせ、二人で築くステップ。抱き寄せる度に心が高揚するのを止められない。このまま温もりを感じていたいのに、もう叶わないのだ。せっかくリシュリューが用意してくれた衣装も、一緒には着られない。見上げる度に揺れる黒い髪と穏やかに見返して来る同じ色の瞳。そこにはいつも自分がいた。もう全て終わりだ。
最後のダンスは散々な出来だった。曲が終わる。サミュエルは唇を噛んだ。突き飛ばすようにカナデを押しやる。
「…やはり…やはりお前の技量はこの程度なのだな…」
嫌味だと自覚はある。でもどうにも出来なかった。どんな言葉が今の正直な言葉なのか、自身で納得できるのか。握りしめた拳が震えた。
「今まで有難うございました」
カナデの礼に答えられない。何だか叫んでしまいそうだ。
背後で静かに扉が閉まった。残されたサミュエルは俯いたままだ。
「…行くな…カナデ…」
初めて呼んだ名前は、答える者が去った後だった。
カナデはリシュリュー宮に戻った。一階のホールへ行く。見知らぬ男性が立っていた。細身で茶色の髪だ。カナデよりも頭一つほど高い。
ホールに現れたカナデを見ると、彼の細い目がさらに糸のようになった。胸に手を当てた。
「これはこれは異界人殿。カナデ・チュウゼンジ卿ですね。初めまして、イノー・ルーティと申します。お見知りおきを。どうぞイノーとお呼びください」
デルフィーヌが探してくれた新たなダンスパートナーだ。苗字に拗音があるが、名前はカナデには呼びやすい。まずはそこにほっとする。彼は続けた。
「お聞き及びかと思いますが、自己紹介させていただきます。私は十八歳、王立博物館の学芸員を務めております。ファルカ連邦国に留学していたのでデビュタントを逃しちゃいました。男爵の五男です。妹が二人。なかなか賑やかですよ」
貴族に子供が多いのは、多夫多妻制によるものだ。富裕層は経済的に複数の配偶者を維持できる。
「えーと、皆さま爵位があるのですか?」
「いやいや、父一人ですよ」
ちなみに生まれた子供は母親の戸籍に入る。複数の伴侶を持つなら父親がはっきりしない場合がある。でも母親は血の繋がりは確実だからだ。
「もっとも身分が当てにならない時もあります。実の父親の位階が上だったり下だったり…なんてよくある話です。デビュタントにそういう方も参加しますよ。例えば…そうだなあ。有名な所といえばチュウゼンジ卿はコレット・アポリネール嬢をご存じかな」
「はい。子爵令嬢でしょう?」
「そうなんですけどねえ。父上はイネス公爵らしいです」
四大公爵の一人だ。母のミレーユはその何番目かの伴侶だった。彼女は既にアポリネール子爵の第一伴侶。だから娘のコレットも子爵令嬢になる。
「複雑…」
「そうそう。だから貴族専門の結婚仲介所があるんですよ。うっかり家族同士で結婚しないように調整してくれます」
「イノーさんも実は…って事ですか?」
「いや~母の第一伴侶は男爵ですが、第二、第三とも準男爵。気楽なものですよ」
こういう話題を気軽にできる相手は、貴族では今まで身の回りにはいなかった。とてもほっとする。男爵の息子と準男爵では、あまり身分差がないのもありがたい。
「イノーさん、堅苦しい話し方はなしにしませんか? 呼び名もカナデでどうぞ」
「そうしましょう、カナデさん」
「僕の相手を了承して頂いてありがとうございます。…あ」
自分から言い出したのに、つい貴族相手の話し方をしてしまった。イノーは何度も頷いた。
「ずっと上位貴族に囲まれていたそうだね。そりゃ肩も凝るし表情筋もこわばる」
カナデは思わず笑った。
「うん、そうだね。イノーさんは、今回のパートナーは決まってたりした?」
「う~ん。彼女はいる。でも二年前にデビュー済なんだよね。僕の職業柄、社交界にはあまり出ないんだ。今更デビュタントはいいかなって思っていたけど今回お話を頂いたから、まあやるかと。礼服も持っているし」
彼女と貴族の舞踏会に参加するのなら、正式にデビューしていた方がいい。デルフィーヌから直接ではなく、色々な伝手で話が来たそうだ。やはりパートナー選びは相当苦労したらしい。
彼の態度はサミュエルと全く違う。むしろ喜んでさえいるようだ。そこに不安を感じた。
「別の世界から来て、平民で、しかも黒髪だよ。僕と組んでもイノーさんも彼女は平気?」
「もちろん。僕は学芸員だよ。古今東西の珍…いやいや標本…違うか…」
博物館でさまざまな収蔵物に接しているのだ。見知らぬ物や人への警戒心よりも好奇心が強いのだろう。そんな彼と付き合っているのだから、彼女も似たような感覚かもしれない。それにしても珍獣と言いかけたようだ。
「…いいよ…確かに珍しいから…」
「そうだね!」
あっさり珍獣認定された。しかしイノーが言葉選びに困っただけで、嫌みではないのだろう。
「ほらデビュタントは通過儀礼的な催しだよ。彼女も分かっているから拘ってない。それに君もいるでしょう、殿下が」
「え、あ、うん」
大っぴらに色恋沙汰を話す習慣にはまだ慣れない。口ごもってしまう。イノーはカナデの頭を撫でた。
「かーわいい! 十七歳だっけ。殿下とは、まさかまだ?」
「え、あ、いや、向こうでは十八。それに恋愛の事はあんまり言わないのが普通だった!」
もう何回同じ事を訴えたやら。イノーにもあっさり流された。
「ふ~ん。まだみたいだね。では、あちらではそれなりの経験があった? やはり男性かな? 女性?」
「だから聞かないで!」
思わず声が大きくなった。いくら話しやすくても、初対面の相手に恋愛事情は言えない。可愛いなあ、とイノーが髪をぐしゃぐしゃ撫でる。
「やめて~。どうして皆、僕の髪をすぐ弄るんだ?」
「珍しいから!」
「もう、やり返す!」
身分差や身長、性格の相性もサミュエルよりは遥かに良い。二人は笑いながらお互い髪を掻きまわした。
不意にリシュリューが現れた。じゃれ合う二人に不審な視線を送る。
「邪魔するよ。ダンスの練習じゃなかったのか?」
「もちろんです。カナデさんと打ち解ける為の会話を楽しんでおりました」
「短い時間でずいぶんと仲良くなったようだな」
「はい。デビュタントには問題ございません」
イノーはまた目を糸にして王族への礼をした。王族へ対する緊張感が希薄だ。物怖じしない性分なのか。それに笑みを返したがリシュリューの目が笑っていない。もう名前呼びというのも気に障るようだ。
「それにしても講師がいないが」
「私は『若草の為の孔雀舞』をマスターしております。側室様にご教授ができますので不要でございます。音楽も、ほら」
彼の指先に小さな八芒星魔法陣が浮いた。ホワイトスターはない。エレメントも風だけだ。それが音楽を奏で始めた。
「そっそっ側室…!」
じゃあ正妻はどこにいる? 二の句が継げないカナデだった。しかしその単語に満足したようだ。イノーはきちんとカナデと自分の立場を理解している。リシュリューはやっと表情を緩めた。ドアに近い壁際に寄った。
「習熟度を確認する」
「御意。では始めましょう。カナデさん、基本は学んだよね」
男女役と身長差が一致する。また踊り慣れているようでリードも巧い。彼に体を預けると自然に足が進む。サミュエルと組むよりずっと楽だった。
やがて執事がやって来た。リシュリューを呼ぶ。若干怖い笑顔の彼に目を瞬くものの、ダンス中の二人を見て軽く頷いた。主の不機嫌の理由を理解したようだ。自分以外の男と楽しくダンスをしているのが面白くないのだ。
「何だ」
「お客様がいらしております。談話室へお通ししておきました」
舌打ちでもしそうな勢いでホールを見渡して、リシュリューはその場を離れた。歩きながら執事に言う。
「俺の方が上手く踊れるぞ」
「左様でございますね。髪のお色の相性も、殿下の方がふさわしいと存じます」
「そうだろう!」
主の不機嫌をなだめるのも彼の役目であった。
ツヅク! 次回Ⅳ‐Ⅱ 舞踏会 そしてマッサージの顛末は マッサージをするのは、されるのは誰だ
お読みいただきありがとうございます。
カナデの異世界生活も だんだんとなじんできた感じです。
コレット、意外とたくましくて嫌いではないです。




