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十四人目の髪の色 異界に転移したら王弟殿下と異形の神に寵愛される最強の能力者になった  作者: あべ舞野


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Ⅳ‐Ⅱ 舞踏会 そしてマッサージの顛末は

不穏な流れがある一方、

華やかに舞踏会が開催される。

カナデとサミュエル、それぞれのカップルのダンスは…

 Ⅳ‐Ⅱ 舞踏会 そしてマッサージの顛末は


 リシュリュー宮の出入口に近い談話室は、小さな部屋だ。そこにディミトリ・コリニーが待っていた。ドアをきっちり閉めてから口を開く。

「呼びたててすまない。ナントから内偵が戻ったんだ。文書は残さない。口頭の報告にする」

 防護陣がしっかりしている。盗聴の心配はない。二人は向かい合って座った。ナント自治区にはロウタの動向を探りに魔闘士を潜入させていたのだ。ディミトリは続けた。

「コマツは郊外に住んでいる。国境に近い西アトラン山脈近くだ。妖狗が多くて人家が殆ど無い場所だ。監視が難しい」

 住民以外が近づけば、すぐに気づかれてしまう。

「魔法陣を使って覗いたらお付きのベルナールにばれるか」

「ああ、エレメント五つ持ちだからな。町での目立つ動きはないが、市中からでも妖狗が沸いているのが見えるそうだ。彼らを連日のように使っていると。何をしているやら…まさか奴らの親玉にでもなるつもりか」

「かもしれない」

 リシュリューはナントでのロウタを思い起こす。彼は妖狗を鎮めているふりをしていた。それで喝さいを浴びたのだ。

「それでどうしたいのか…。ところでデマレも戻ったか?」

「うん。コマツから協力が得られなかったらしい。でも観察だけでも、と粘ってくれた。波動の発動を確認したそうだ。物ばかりではなく、空気も振動させられる」

「八芒星魔法陣にも適用できるぞ」

 これはリシュリューが確認している。

「…恐ろしいな…」

「うん。それでヴァランタンはどうした? しばらく姿を見ていない」

「許可なくナントへしょっちゅう出かけている。逆に本宅の捜査がやりやすかったよ。屋敷内の木はなぎ倒されたり、裂けたりしている」

 ヴァランタン邸の周囲に尋ねると、大風や振動が確かに発生していたそうだ。ある日突然始まり、現在は全くない。ロウタが滞在していた期間と一致する。

 リシュリューは指を組んだ。あの事件では王宮と政府の建造物に被害は一切無かった。体制に反逆するつもりは無さそうだ。ますます意図が不明確だ。

「間違いないな。犯人はコマツとヴァランタンだろう。ベルナールも知らないはずはない。しかし状況証拠ばかりだ。告発しても裁判は難航しそうだ」

「そうだな。全くヴァランタン長官は何を考えているやら…」

「キルデベルト副長官にも近く話を聞かないと。ナントへはまた監視を兼ねて内偵を送れ。振動に対する防護陣は可能だろうか? デマレに確認してくれ。できるのなら皆に知らせて使えるようにしよう。重点地域にも用意させろ」

「了解だ。少なくとも太陽感謝祭の間は帰国させない方がいいな」

 少し間が空いた。ディミトリは軽くため息をついた。

「ところで…君の黒い宝石のダンスは順調か?」

「どうして君が聞く?」

「今日か、遅くとも明日の朝には報告が上がると思う。つまらん話だ」

 賭場で派手に金を使う者がいた。そこに出入りする者に帰りを狙われて暴力的に金を奪われた。病院に搬送されて事情を聴かれたのだ。彼は裏組織の下っ端で、大金を持っているはずがなかった。

「そこで名前が出たのがアポリネール家だ。コレット嬢のデビュタントパートナーが襲われただろう? その謝礼として受け取った、と」

 金の受け渡しはアポリネール家の使用人を名乗る者が行ったそうだ。それで元パートナーを酒場に誘い込んで酔わせた挙句、怪我を負わせたのだ。コレットをサミュエルと再び組ませる為だ。警察組織からの問い合わせには、アポリネール家は関与を否定した。件(くだん)の使用人についても該当者がいないとの返答だった。

 貴族が関与するとなると、警察はこれ以上の捜査ができない。それで同じく町を警護する護衛士団へ捜査が移った。

「でも長官が不在だろう。キルデベルト副長官から相談を受けたよ」

 上位貴族はなかなか罪に問えない。下の階級が上位者を断罪するなど不敬とされているからだ。

 しかも舞踏会まで残り一か月を切った。この件は問題だ。だが今更またパートナー替えなどできない。

 リシュリューは腕を組んだ。カナデと組まされて、サミュエルに少し同情していたのだ。一生に一回のデビュタントを、自分より頭一つ高い者と組まされる。しかも婚姻の可能性はゼロだ。コレットとは身分差が大きいものの、遥かにお似合いだ。イネス公爵の実娘でもある。婚姻に進むかもしれなかった。今回の事件次第ではどうなるか。まだ詳細が明らかではないのに、未来の可能性を潰すのは忍びなかった。

「コレットは、取り敢えずこのままでいいだろう。またパートナー替えというのも気の毒だ」

「全く不問か?」

「いいや。怪我人が出ている。その話が本当ならば彼こそデビュタントを台無しにされたんだ。コレットの母はミレーユだったな。デルフィーヌの妹の娘だ。公爵にそれとなく話が伝わるようにする」

 その血筋があるからこそ、コレットは子爵令嬢ながらベルナデット皇后のお付きになり、サミュエルと組めたのだ。

「…デュポンドルール公爵か。身内にそんな噂を立てられるだけでご立腹では…」

「だからこそ教える。彼女の倫理観は貴族の規範そのものだ。ただの冤罪なら黙らせるだろう。本当にやらかしたのなら、やはりそれなりに対応するに違いない」

 彼女の厳しさは貴族社会に轟いている。確かに彼女に任せたら安心だろう。デマであれば何としてでも叩き潰す。そして真実であるなら遠慮なく断罪する。

 ディミトリが去った後、リシュリューは執事を呼んだ。使用人の繋がりから、公爵家へ今回の事件が伝わるように指示をしたのだった。

 早くも数日後、ミレーユはデルフィーヌからお茶会への出入り禁止を言い渡された。それは事実上の追放だ。公爵は伝手も経済力もある。それなりの手段を駆使して証拠を掴んだらしい。貴族社会への体面を保つために、出入り禁止の理由は公表されなかった。しかし噂がじわじわと広がる。さらに最高位貴族の不興を買った彼女と親交したがる者はいない。

太陽は相変わらず眩いが、それでもかすかに忍び寄る季節の終わりを含む光だ。異界人の来訪から半年が経とうとしていた。



ナント自治区にも太陽感謝祭が近づく。ラファイエット側のイベントではあるが、町自体に祝いのムードが溢れてくる。ラファイエット人の居住区のみならず、感謝祭を祝うオーナメントが掲げられる。

西アトラン山脈の麓は深い森だ。なだらかな丘陵地帯に馬車が一台通れるほどの道は一軒の家の前で終わる。二階建てのペンションといった雰囲気だ。ここにロウタとモリスが住んでいる。隣の家は数キロ下がった場所にある。日々の買い物さえ不便だが、彼らはここを選んだ。

そして人の気配が乏しいここにも、賑わいの雰囲気は伝わる。彼らは家の外にいた。夕暮れの光にその姿が染まる。

「ふざけやがって。何が祭りだ、誰に感謝だと?」

彼は腕を組んで上空を眺めた。傍らにはモリスが寄り添う。妖狗の叫びが渦を巻いていた。

夕暮れの空を覆うほど妖狗が飛び回る。彼らの咆哮が耳につく。空気の振動の渦に囲まれて身動きが取れないのだ。ただロウタの頭上をぐるぐると飛び回るばかりだ。彼らの放つ黒ずんだ瘴気は渦に阻まれて二人には届かない。

「帰らねえな…」

 渦を移動させると、そのまま中の妖狗も移動する。しかし渦を解くと空に散らばってしまう。ねぐらの山に向けて波動の道を作るのも試した。移動はするが、帰ったり帰らなかったり。精度は一定しない。

彼らがロウタを攻撃する事はもうない。何度も同じことを繰り返した為、波動に阻まれるのを覚えたからだ。彼らにとってもロウタの存在は不明確なままだった。

 ねぐらにいるのを波動でたたき起こされる。そして空気の渦に包まれて外に出されるのだ。黒い髪の猿に何等かの力があるのは分かったものの、意図が分からないのだ。

 しかもこの猿は翻訳陣を備えている。長い文章でなければ、妖狗でも理解はできた。

 …帰れ。ねぐらに戻れ。

 彼は何度もそう繰り返す。ではなぜ呼び出すのか。妖狗達は毎回のように混乱する。ナント自治区は反対側の山脈に棲むグリフィスの縄張りだ。妖狗達には遠慮がある。 

 そしてこの猿はグリフィスほどではないにしろ、魔獣と呼ばれる自分たちを移動させるほどには力がある。実は妖狗の知能はさほど高くない。本能に沿って動く。それゆえに、ロウタの命令に従うのはだんだんと習慣化されてきていた。妖狗達はひと際大きく叫ぶ。そして山の頂へと消えた。

 ロウタは大きく息を吐いた。全身の肌に粘りつくような汗にまみれている。高地の空気が痛いほど冷たい。傍らのモリスが背中を軽く叩いた。

「妖狗の扱いに慣れてきたようですね」

「まあな」

 ロウタもモリスも、妖狗の習性には詳しくなかった。それが移動させるだけならかなり自在になったのだ。

 二人は家に入った。そろそろ日暮れだ。ささやかな玄関ホールからすぐに階段だ。左が応接室で、右が食堂と台所だ。二階が居住区で部屋は三つ。水回りも全て上階だ。奥地の一軒家だがナント自治区は完全電化が終了している。

 応接室にはアンリ・ヴァランタン護衛士団長官がいた。二人を見ると、飲んでいたグラスを掲げて挨拶する。

「練習熱心で結構な事だ」

「また来たか」

 ロウタは上着を放り投げた。床に落ちた。素早く拾うモリスをしり目にソファに腰を下ろす。テーブルに両足を投げ出した。

「こっちは妖狗の躾に忙しいってのに、長官殿は優雅に酒。モリス、俺にも何か寄越せ」

 モリスは肩をすくめて部屋の外に出た。

 会った頃は人好きのする笑顔だったロウタだが、距離が近くなるほど粗野になった。それでも彼を利用したい。アンリは彼の無礼に耐えて尋ねた。

「デマレ研究班長には、協力を拒否したろうな?」

「もちろん。でもモリスによると、ずっとこっちを窺っていたようだぜ。とんだ覗きだ」

 波動能力があると知られると、爆発事件の犯行を疑われる。しかし平和広場で妖狗を抑えた時には目撃者が多数いたのだ。彼の能力が本国に伝わっているだろう。

「侯爵様は肝っ玉が小さいな。疑われてるのがどうした? ガスの事件には物証は何もないんだ」

「その通りだ」

 モリスが戻った。簡単なつまみと、ロウタ用のオレンジジュースの瓶とグラスを運んで来た。彼は家事の全般も担っている。夕食の支度の為にと、また席を外した。護衛がするべき範囲を超えている。

「小間使いをつけるか?」

「モリスで充分だが、夜も相手をしてくれるなら追加をもらおうか」

 ロウタはグラスを口に運んだ。小さく舌打ちする。そして足を下ろして身を乗り出した。

「ところでモリスが市場で聞いて来たんだが。王都サントルラファイエットの異界人が王弟殿下の愛人だってもっぱらの噂だ。社交界デビューするだと? 本当なのか?」

「そのようだ」

「俺のネコのくせに色仕掛けで取り入ったのかよ。あっちは貴族様。こっちは妖獣どもと追いかけっこ」

「ここに留まるのを選んだのは貴殿だ。この訓練を繰り返せば、チュウゼンジ卿など歯牙にかけないほどの立場になれる」

 現在は魔闘士たちだけが妖狗と戦える。しかし交戦するまでもなく追い返せる存在はラファイエットにはいない。カナデの能力をまだ彼らは知らなかった。

「分かっている。俺は唯一無二の存在になれるんだ」

 どこか自分に言い聞かせるようだった。

「祭りか。その時だけでも王都に帰ってやるか」

「それもいいかもしれない。手配しよう」

 モリスは戸口の陰で聞いていた。たわいない話題へ移ってから台所へ戻った。夕食はパンを切り分け、買い置きのハム類を並べて終了だ。狭い台所だが、作り付けの棚と丸い椅子がある。そこに腰を下ろした。

 ぼんやりと、本国に送った手紙を思い返す。妻宛ての離婚届けを同封した。記入済だ。彼女がサインをすれば提出できる。いつまでここに留まるのか分からないのだ。今やロウタの専従従者とも言える。ずっと待ってもらうのは酷だ。しかも彼女には他にも伴侶がいる。ロウタの供になった事に後悔はない。むしろ彼自身の望みだった。

 廊下から大声がしている。モリスは皿を持ち上げ、食堂へ向かった。

 翌日にはアンリより本国へ、ロウタの出入国許可証の申請がされた。しかしロウタの希望は叶わなかった。カナデへの暴行事件も問題視されたままだ。さらに隠している波動能力や、密かに妖狗と触れあっている事など入国には不安要素が大きい。舞踏会に招待状がないのも当然だ。申請は却下だ。ナント川を渡るには、出入国許可証が必要なのだ。それを持たない者は、アルニウスの役人が通さない。

 この出国拒否により、ロウタの妖狗訓練はさらに熱心になったのだった。

 



 ひつじ雲が浮いている。昼の刻一時(午前九時)の空に花火が上がった。ラファイエット王国挙げての祝日太陽感謝祭が始まる合図だ。これから三日に渡って、全国的に祝宴が開かれる。道路はほぼ通行止めになってパラソル付きのテーブルがずらりと並ぶ。ここで飲んだり食べたりするのだ。それで乗合馬車はこの期間中遅くまで運行される。

 この日ばかりは王宮の門が開かれる。王族が通る中央ではなく、両脇の二つだ。護衛士が控える横に受付がある。ここで身分証明書を提示してから魔闘士の魔力によるボディチェックを受ける。そうすれば、この日ばかりは市民も王宮の敷地内に入れる。門に近い離宮の前庭が解放されるのだ。庭園にはたくさんのテントが設えられ、食べ物や飲み物が無料で振舞われる。富裕層はもちろん、市井の人々も着飾って城へやって来る。

 招待状を持っていれば、更に奥の王宮のベランダ下まで行ける。王族たちのお出ましを直に見られるのだ。

 リシュリューは朝早くから王宮へ出かけた。太陽感謝祭恒例の市内のパレード参加の為だ。他にも外国からの賓客を迎えたり、表敬訪問を受けたりと予定が目白押しだ。

 昼過ぎにイノーがカナデを迎えに来た。もう礼服着用だ。右耳の傍に青いリボンをつけてある。留め具が小さいながらもダイヤだ。舞踏会にメイルステップで参加する印だ。

 カナデもリシュリューに仕立ててもらった服である。少し青みがかったシルバーだ。左耳の上には真珠と青がやや強いイリザスィヨンをあしらった髪飾りを付けている。こちらはフィメールステップします、という印だ。これもリシュリューが用意してくれた。

イノーが目を丸くする。

「すごいな! さすがは殿下のプレゼント」

「うん、きれいだよね」

「人気と価格ワンツートップの宝石だよ!」

 ラファイエットの一番人気で最も高価なのはイリザスィヨンだ。次いで真珠がお高い。不透明だが海が無いから貴重品だ。次いで無色の水晶と並んでダイヤ、淡い色の貴石が続く。ルビーやエメラルドと同じような宝石もあるのだが、自国で産出されるのと透明度が低いのであまり人気がないそうだ。つまり準男爵という最下位の爵位には不釣り合いなほどの価値がある。

「そ、そんな…」

 カナデは静かに飾りを外そうとした。見送りに来た執事が慌てて止める。

「付け直しでしたら私がやりましょう」

「いいえ、一度外そうかなって。本番は夕の刻二時(十八時)でしょう? また取りに来ます。落とすのが怖い…」

「お待ちを! 早まってはなりませぬ!」

「そうだよカナデさん! 付けて! 落ちたら僕が拾うから! あ、落っこちないように魔法をかける!」

 イノーと二人がかりで付けておくように説得された。せっかくの殿下の下賜である。外すのは非礼に当たる。飾りを気にしながらも二人で会場へ向かったのだった。途中の敷地には市民が誰も入り込んでいない。あちこちに護衛士がいるのもあるが、立ち入り禁止の魔法陣が張ってあるそうだ。

 見る事ができなくとも、魔力のせいで進めないらしい。実際にカナデとイノーは会場の庭園手前で停まってしまった。近くの護衛士が軽く手を振って通してくれた。通る間だけ魔法陣を無効にしてくれるのだ。

 会場は賑わっている。屋台だけではない。メリーゴーランドや回転ブランコなど遊具が用意されて、小さな遊園地だ。歩きながら愉快な音楽を奏でるカルテットは奇抜なメイクだ。さながらピエロというところか。

 まずは腹ごしらえとばかりに、二人は食べ歩きだ。串焼きやカステラのようなお菓子を食べた。ルイのタルトも供されている。王家の料理人の味だ。市井の人々には普段とは違うご馳走である。どこも人気があった。

 王宮に黒髪の異界人がいるのは、もうかなり広く知られているようだ。一瞬驚く者はいても、露骨に避けられたりはしない。認知されてきたのはカナデにはありがたい。普通に祭りを楽しめる。

「カナデさん、工芸展示を見に行こうか」

「うん、行きたい」

 イノーが向かったのは離宮の中だった。広々とした一階のホールがパーテーションで区切られて、それぞれ展示をしている。外よりも人は少ない。工芸展と物産展が一緒に開催されている感じだ。解放されているのは内部ではここだけだ。

 ブースの一つで二人は足を停めた。『自動開閉器』と看板が出されている。白いテーブルに置かれているのは、まさにファスナーだった。現代のようには小さくできなかったようで、嚙合わせる金具は小指の爪ほどもある。まだ試作品の段階ではあるが、カナデが持ち込んだ物と作りの点では遜色はない。

 魔闘士研究班の若い男性が立っていた。

「あ、チュウゼンジ卿! …すげえ髪飾りっすね」

 彼はカナデを見知っているようだが、カナデの記憶はおぼろげだ。記憶採取の時しか会っていない。それでも彼は喜々としてファスナーの動きを二人に実演してみせる。

「ね、ほら! 取っ手を引っ張るだけで勝手に開け閉めできるんですよ」

 イノーもまんざらではない様子だ。

「ほう。新機軸の機構ですね。この内側のすぐ下に油を塗った布を張ったりすれば、雨が降っても水が浸入しにくく出来ますか」

「その通り! チュウゼンジ卿が持ち込んだ品を研究・復元してるんです」

 カナデは呟いた。

「……自動ではないですよ……」

 人力で引っ張っているではないか。しかしこの世界には無かった機構だ。

「もう少し小さくできれば実用化が見えてきます!」

 研究班は、魔法だけではなく最新の技術も扱うのか。まあ落下事件の副産物ではある。

 近くのブースから見覚えのある顔が覗いた。ジャンだ。

「あっチューゼ! 俺の所にも来いよ!」

 走り寄って来る。もうすっかり元気そうだ。たかだが数か月振りなのに、背がだいぶ伸びた。

 彼に連れて来られたのはもちろん時計の展示だった。国家工芸賞の盾やメダルがずらりと並ぶ。ジャンパパもいた。つまらなさそうにフンと鼻を鳴らす。

「異界人殿が身の程知らずにも出世したなあ」

 視線の先には、もちろんあの髪飾りだ。彼はその価値を理解している。イノーの顔が険しくなった。

「挨拶がそれか? 君の名前は?」

 耳の傍の飾りは貴族の証明でもある。ジャンがあわてて間に入った。

「パパは褒めているんだよ!」

「うん。素直という言葉が辞書にないみたいだ」

 カナデは真面目な顔で頷いた。本当に褒めているのか分かるのは発言の本人だけだ。だがカナデを励ましてくれる時も憎まれ口だった。イノーだけではなく、ジャンパパもむっと口を歪めた。しかしカナデがそれを見て半笑いになっている。どちらもそれ以上言わなかった。

 二人は陳列された時計を眺める。驕奢な彫刻のついた置時計と掛け時計がメインだ。懐中時計もある。手のひらサイズで、どちらかといえば大き目だ。

「腕時計は無いんだね」

 ジャンが首を傾げる。

「腕につけるのか? 要らないだろう? 今だって持ち運べるし、時計塔もあっちこっちにあるぞ」

「僕の国には普通にあるんだよ。手首にはめるんだ。カバンやポケットから出さなくても見られるし、軽いからね」

 受付名簿があった。その裏にカナデはさらさらと何種類かのスケッチを描く。

「ベルトは金属を編んだ物…革とか布もあるね。開発から百年以上は経っていて色々な形があるけど、ずっと使われているよ」

 携帯電話の普及によって、一時は使用率が落ちたようだ。しかしファッションの一部でもあり、腕に付けるスマートウォッチが開発されている。おそらくなくなりはしないだろう。ジャンパパがやはり吐き出すように言う。

「そんな小さな部品を作るのがえらい大変だ。現実的じゃない」

 しかしジャンは違う。カナデのスケッチをじっと見つめる瞳が輝く。

「…面白いなあ…ずっと持ち歩けるんだ! ねえチューゼ、中身はどうなっているんだ?」

「知らないよ。それはパパが本職だろう」

「そりゃそうだ。お前が何か知ってるはず無いよなあ」

 親子そろって口が悪い。一言余計だ。カナデは苦笑した。

 これからジャンは父の後を継いで時計職人になる。伝統の時計作りの傍ら腕時計の開発に取り組むのだ。実用できるのは三十年後となるが、それは別の話だ。

 そこを離れた。イノーは何度も頷いていた。

「カナデさんは来るべくしてここに来たのかもしれないね」

「どういう事?」

「君は未来からの来訪者でもある」

 つまりこの世界には未知の技術や知識を有しているのだ。カナデにとっては過酷な運命だ。しかしラファイエット王国は彼から恩恵を受けられる。

(未来か…ここではどうなるんだろう。それにロウタはどうしているのかな)

 その言葉を受けてカナデが感じたのは、失った日常ではない。ここでのこれからの自分とロウタの在り方だった。だがそれはすぐに祭りの賑わいに押されて消えた。

 隅のブースには常に数人が滞留している。彼らの後ろからのぞいたカナデは固まった。彼の絵が展示されているのだ。控えているのは、リシュリュー宮の侍従と営繕部デザイン課課長のマチュー・キャビレだった。侍従が礼をして言った。

「なかなか好評ですよ、チュウゼンジ卿」

「僕は出展するって聞いていない…」

「殿下が許可されました」

 リシュリューは良かれと思えばすぐ行動に移してしまうのだ。カナデの絵も気に入ってくれたのだろう。それで国民にも見てもらおうとしたに違いない。

 スケッチはもちろん、油彩が数点ある。主にリシュリュー宮の庭園だ。写実と印象派の技法を使った物が両方ある。どれも習作だ。展示となると出来については思う所がたくさんある。

「うわわわ…」

 これは恥ずかしい。

 イノーは半ば口を開いている。写実主義しかない世界だ。印象派の描き方は衝撃だろう。実際に見学している人々の囁きは賛否両論だ。

「…ピントがずれまくっているな…。植物はこんな色ではないし…」

「でも柔らかい印象が斬新」

 カナデの世界で印象派が出現した時も、おそらくこんな反応だったのだろう。

(あちらでは肌の表現が死体か、とか言われていたよな。まだマシか)

 先人達の切り拓いた画風に改めて感服するカナデだった。何もない所から一大潮流を作ったのだ。

 マチューが言った。

「デザインご苦労さん。コレがいいって。もうお渡しした」

 指さされたのは、後で渡したアールヌーボー風の彩色したペン画だ。数点が掲示されている。色合いも柔らかい。これは装飾的なのでラファイエットでも受け入れやすいだろう。

「気に入っていただけたなら良かったです」

「うん。他にも描けたら持って来て。好評なんだ。貴族向けと、市民向けにも展開してみようかと思う」

「はい。有難うございます。感謝祭の後で描いてみます」

 あくまでミュシャ風だ。表面をなぞっているだけだという自覚はある。そこが創作者としては多少ひっかかる。けれど自分の制作物に期待されるのは嬉しい。

(もっと精進しないとだな)

 そんなカナデの横で、イノーはしげしげと絵を観察している。

「これは興味深い」

 各地の標本を収集しているイノーである。初めて見る技法に拒否感は無さそうだ。

 花火の音がした。昼の刻七時(十五時)だ。イノーが言った。

「今回は、特別にこちらで陛下の挨拶があるよ。いつもはもっと奥の王宮だけなんだ。外に行こう」

 離宮前に人が集まり始めた。

「特別?」

「そう。いつもは招待状を持った人だけが王宮前まで行ける。そこでご挨拶なんだ。本当に珍しい。何かあるのかも」

 例外的に招待状無しで聞ける挨拶だ。バルコニーの扉を外から侍従が開く。国王夫妻と王弟が現れた。いずれも真っ白な衣装だ。太陽に眩く反射する。うわぁと歓声が上がった。

 カナデとイノーは群衆の後ろに回った。

 王家の三人が手を振る。オレリオンソル・ラファイエットが中央だ。厚みのある柔らかい声が響いた。

「我が親愛なる国民たちよ。尽きる事のない恵みに応え、ここに『太陽感謝祭』の開幕を宣言する! 共に祝おう」

 拍手が沸き起こる。オレリオンソルは満足げに頷いた。

「皆に知らせがある。我が王国の花ベルナデットに小さな星が舞い降りた!」

 広場がどよめいた。ベルナデットのドレスは言われてみればルーズフィットだ。そう、皇后がついにご懐妊である。彼女ははにかんだ笑顔を浮かべた。国王と見つめ合い、それから広場に向かって手を振る。

「うわああ!」

 カナデとイノーも思わず声が出た。結婚して六年目だ。側室を迎えずやっと今日の日を迎えたのだ。これで無事に跡継ぎが生まれたら、王国も安泰だ。このおかげで、離宮での挨拶になったようだ。

 イノーも大きく手を叩いた。こころなしか涙ぐんでいる。国王一家は国民に敬愛されているのだ。

「良かった、良かったよ~」

「うん、本当だ」

 国王夫妻の隣でリシュリューも手を振っている。これだけの人数がいても、カナデの黒髪はきっと目立つだろう。リシュリューもこちらを見ている気がする。そっと手を振り返した。

 高い場所で喝さいを受ける王族が、帰れば同じベッドにいるのだ。

(何だか不思議…)

 王族の挨拶が終わった。興奮冷めやらぬ人々も、やがてばらけ始める。また屋台や乗り物が賑わい始めた。

 イノーが懐中時計を見た。

「まだかなり時間があるね」

 デビュタントの舞踏会は夕の刻二時(十八時)からだ。その前に王宮へ行けばいい。歩き疲れた二人は、木陰のベンチに腰を下ろした。イノーが飲み物を持って来てくれた。

「イノーさん、今日はありがとう。彼女さんには悪かったなあ」

「気にしない、平気だって。彼女には伴侶がいるから。そちらと回っているよ。成人の舞踏会は夕の刻三時(十九時)からだろう。それには三人で参加するんだ」

「あ…そうなんだ…」

 この辺りの複数で愛し合う感覚がまだカナデにはついて行けない。

 見覚えのある顔が歩いている。サミュエルだ。カナデと対になる白銀の礼服は、とてもよく似合っている。少し遅れて歩いているコレットはピンクのドレスだ。レースが多用されていて彼女の可憐さが際立つ。デビュタントパートナーとして同行しているようだ。

(僕よりもずっとお似合いじゃないか)

 結果的にはパートナー替えは良かったなあ、とカナデは思った。視線に気が付いたのだろう。サミュエルと目が合った。

 イノーが何か言っている。そちらに気を取られた一瞬で、彼はぐっと唇を曲げてそっぽを向いた。いつも通りだ。

(やっぱり僕と組んだのって嫌だったんだろうなあ…)

 パートナー解消後の彼の懊悩など知る由もない。カナデはイノーとのおしゃべりに戻った。

 一方のサミュエルは、実は何度もカナデの姿を見かけていた。黒髪は目立つからだ。やっと目が合ったと思ったら、隣に背の高い男性。しかもサミュエルよりもそちらの方を気にしている。

(あれが新しい相手か。貴族宮では見かけない顔だ。小者だな)

 髪の色も濃い。あまり身分が高くなさそうだ。しかし身長は高い。大人の男性という感じで、優しくカナデをアテンドしているようだ。本来ならカナデの隣にいたのは自分だ。心がざわざわする。

 背後から小鳥のさえずりに似た声音がする。コレットだ。

「サミュエル様、何か召し上がりますか?」

「いや、いい」

「では少し座りませんか?」

「まだいい」

 先ほどからそっけない返事ばかりだ。二人は何を見るでもなく、ゆらゆらと会場内を回遊しているばかりだ。サミュエルは殆どコレットを振り返らない。視線を左右にめぐらせている。時々じっと見つめる先には、いつも黒髪の人がいる。分かってはいても、コレットはサミュエルの少し後ろを歩く。

(だって私がダンスのお相手なのだから)

 舞踏会になれば、彼が手を取るのは異界人ではない。コレットなのだ。

 やがて陽が傾く。また花火が鳴った。まもなく夕の刻一時(十七時)になる合図だ。離宮のお振舞はあと一時間で終わりだ。それまでに市民は帰宅となる。貴族たちは王宮に移動だ。下級貴族は徒歩で向かう者が多い。だから早めに向かう。高位者たちはカートや馬車で移動する。だからもう少し庭園を楽しむようだ。

 カナデとイノーは中途半端な立場だ。二人とも参加者の中では最下位の地位である。しかしながらカナデは王弟の側室扱いだ。その証は最高級の髪飾りの装着だ。それでも自分たちで交通手段を手配できる経済力はない。

 僕たちって矛盾してるよね、と言い合いながらも丘の上まで徒歩だった。

 王宮は他の城に比べるべくもなく豪華で広い。込み合う馬車寄せを横目に入城した。王宮内で着替える貴族もいるようだが、二人はその恰好のままだ。まずは控室へ案内される。そこももはや体育館並みの広さだ。今回の参加は三十二組だ。この国ではキリの良い四の倍数だ。髪飾りの男性も数人いる。パンツスーツの令嬢はメイルステップか、ファッションか。ジェンダーの垣根は低いのだ。

軽食や飲み物が用意され、軽やかな音楽も流れている。楽団はいないので魔法だろう。

 なんとなく視線を感じる。サミュエルだ。コレットと壁際で立っている。

(僕が目障りかもだけど!)

 舞踏会が終わるまでの我慢だ。サミュエルの気持ちなど知る由もない。カナデはなるべくそちらを見ないようにした。

 開始時間が刻々と近づく。カナデは現実感が今一つなかったが、イノーはそれなりに緊張しているようだ。何度も壁の時計を見ている。世話役の貴族が現れた。小太りの男性貴族だ。ぱんぱんと手を叩いて注目させる。新成人たちにこれからの予定を告げた。

「まもなく開始のファンファーレが鳴る! ホールの扉が開くので、事前の打ち合わせ通りに行進しなさい。いいか、今までさんざん練習した成果を見せるたった一度の機会だ。陛下ご一家を始め、公爵家もご列席である! こころして臨みなさい」

イノーの定番笑顔がない。カナデは軽く彼の腕を突いた。全身のこわばりに自分でも気が付いたようだ。

「緊張するなあ~。僕はこういうのって苦手でね~。ほら、僕は無言で主張する物に囲まれて仕事しているから。声なき声を聴くっていう…」

 実際に若者たちの会話は賑やかだ。令嬢達は扇で口元を隠しつつも、楽しそうに会話をしている。ちらちらとカナデとイノーの組み合わせを見る目もあった。しかも周りは全て二人とも上位者だろう。聞えよがしの嫌味が聞こえた。

 …平民があんな髪飾りを…成金…殿下に取り入って…

 イノーが眉間に皺を寄せた。それでもカナデには笑みを向ける。

「カナデさんはリラックスしているみたいだね」

「ううん。もう上手くやろうとか諦めてるだけ」

 イノーはふふっと軽く笑った。それから声を潜めた。

「意外と貴族の子女って下世話な会話をするんだね。ああ…夢が壊れそう」

「貴族の行動標本が採取できたと思えば?」

 二人は顔を見合わせて笑った。

 別の噂話も聞こえる。

 …皇后のご懐妊は自分の功績だってサンドラが言ってたぞ! 陽気をたくさん取らせたと…;

 …遠ざけられたくせにね。いい気味…あの高慢ちきが…

 本当にやや下品な単語も飛び交う。サンドラ夫人の高飛車な言動は、貴族社会でも顰蹙を買っていたようだ。皇后の為に懸命過ぎるのだろうと思っても、カナデも顔を合わせたくはない。それにしても懐妊を自分の手柄にしてしまうあたり、鋼のメンタルである。カナデはむしろ感心した。

(ある意味、清々しいよ)

 音楽がやんだ。成人たちは扉の前にぞろぞろと整列を始めた。爵位が高い者ほど順番が早い。サミュエルは最先端だ。

(本当にパートナー替えしてもらって良かった…!)

 怪我をした人には申し訳ない。しかし先頭で進むなど想像もできない。

 ファンファーレが鳴り響いた。同時にホールへの扉が開く。花の香りと陽気が一気に押し寄せた。カナデは急いで陰気をまとった。

 世話役が先頭に立つ。声を張り上げた。

「ご臨席の皆様方へラファイエットの若草達に代わりご挨拶申し上げます。ただいまより成人の儀として舞をご披露いたします」

 音楽が始まった。もう飽きるほど聞いた『若草の為の孔雀舞』が流れ始める。一歩ずつ行列が内部へ進む。ホールは白と金だ。シャンデリアが輝き、眩い。柱には繊細な彫刻が施され、天井には太陽と四つの月が輝く。壁のあちらこちらには淡くも明るい花が零れるように飾られていた。

 ホールの一番奥が上手だ。まるで舞台のように高くなった所に国王夫妻が玉座に座る。傍らにはリシュリューだ。そして四大公爵が控える。デルフィーヌ・デュポンドルールもいた。扇で顔を隠している。彼らの前に楽団がいた。生演奏である。楽器の形は多少違うものの、編成は日本とあまり変わらない。人の耳が心地よいと思う音は、世界が違っても似ているのだろう。

 カナデは最後尾だ。陰の気(ルキデュイ)のおかげで心身ともに少し落ち着いた。さすがにドキドキする。手が少し冷たくなっていたらしい。繋いだ手を、イノーが軽くさすってくれた。

(これは…惚れてしまうかも…)

 ダンスパートナーが結婚相手になるのが分かる。数か月を同じ目的で過ごす。これだけでも同志のような気持ちになる。そして本番にはこの心臓の動悸。華やかな衣装と音楽、溢れんばかりの花、芳しい香り。舞台設定はばっちりだ。

緊張感からくる感覚でも、隣の人物への想いだと錯覚を覚えるだろう。いわゆる吊り橋効果だ。そしてダンスが終わった後の達成感と高揚感。

 行進のパートが終わった。これから華やかなステップになる。カナデはフィメールパートなので、イノーに回されたりする。ターンの度に衣装の裾が広がってシルバーが光る。髪飾りは成人随一の輝きだ。光が弾ける。末席なのが却って目立つ。イノーともども何度かステップを間違えた。これは仕方がない。イノーは市井の専門職だ。普段は王宮に出仕しないから舞踏会への参加の経験はあまりない。さらにカナデは初めてのダンスだ。

二人は見つめ合い、笑った。張り詰めた気分が解けた。どうせダンスは今回限り。二人ともこの場を楽しもうと切り替えた。

そして音楽が終わった。参加者は一斉に上座へ礼をする。拍手が起こった。

 オレリオンソルが立ち上がる。軽く手を叩いた。

「麗しい舞踏であった。皆を成人としてラファイエット貴族社会へ迎えよう。今しばらくこの場で楽しむが良い」

 音楽が変わった。成人の舞踏会が始まるまでは、まだ新成人のダンスの場である。王の言葉により、殆どのカップルがダンスを続ける。

 カナデは一曲しか踊れないのだ。素直に壁際に下がった。柱の陰は少し暗い。陽の気避けにも丁度良い。イノーが一緒に来てくれた。

「終わったね。カナデさん、お疲れ」

「イノーさんもお疲れ。パートナーを受けてくれてありがとう」

「こちらこそ。これからも会いたいね」

 カナデは目をぱちぱちさせた。まさかの吊り橋効果がイノーにも? しかし彼は手を顔の前で振った。

「あっ、ほら! 異界の文物について聞きたいから! 僕の博物館に来て欲しいなって」

「…いいけど…行けたら…」

 カナデは言いよどんだ。王宮からは自由に外出できないのだ。そんな沈んだ顔を見下ろすイノーの目は細くなった。

「大丈夫! 行けるよ。市内だよ」

「そうかなあ。…イノーさん、僕の存在って王宮の外ではどんな感じになっているのかな?」

「う~ん。噂だからまともに聞く必要はないけどねえ。まあ…異界人を殿下が配下においたって。ただ魔力が強いので王宮内に軟禁されていると。それだけだよ」

 どんな話だ。イノーは逆に興味を持ってパートナーを受けたのだ。

「僕には魔力自体は無いよ」

 ブラックスターの陰の気(ルキデュイ)を扱えるだけだ。軟禁は半分当たっている。行動の自由には制限がある。黒髪を厭う市民からカナデを守る為でもある。分かってはいるのだ。髪飾りを重く感じた。

「ただの庶民。分不相応だ。場違いで居心地が悪い」

 言ってしまってからカナデは慌てて首を振った。

「ごめん、こんな話をするつもりじゃなかったんだ。忘れて」

 イノーは勤労する普通の市民だ。王宮とはあまり縁がないだけにカナデに近い感覚のようだ。思わず弱音を吐いてしまった。

「分かった、忘れるよ。でもこれだけは言わせて」

 イノーはカナデの頭を撫でた。

「君がこの世界にいるのが当たり前になる日がきっと来るよ」

 カナデははっとした。この舞踏会もその為だ。まだ慣れていない者も多いが、王宮内ではカナデの存在が普通になっている。それをメインで尽力しているのはリシュリューだ。

 遠い壇上を見上げた。リシュリューは公爵たちと談笑している。あんなに高貴な人物が自分の為に尽くしてくれる。カナデの胸が大きくときめいた。

「はいはい、ご馳走様。君は殿下しか見てないね」

「いやそんな…そうかも」

 イノーが笑った。

 音楽はまだ続いている。カナデ達と反対側にサミュエルがいる。今まさにコレット以外の令嬢とダンスを始めたところだった。高位貴族として、自分から誘わなくてはならないのだ。参加者の中には、今か今かと彼の誘いを待つ顔もある。公爵の令息との顔つなぎは重要だ。舞踏会は貴族同士の繋がりを作る場でもある。

 続けて数人と手を合わせた。その合間にもカナデを目で追ってしまう。孔雀舞の時には、距離が遠すぎて殆ど視界に入らなかったのだ。今は柱の陰であの男と親し気に話している。距離が近い。髪まで撫でている。

(そこは私の場所だった!)

 腕に別の者を抱きながら、そんな気持ちが抑えられない。何度か相手を代えた。彼女達はまるで花のように麗しい。この日の為の完璧なヘアメイクとドレス。しかしいずれも同じだ。特筆すべき個性がサミュエルには見つけられない。コレットに対しても、感情が動かなかった。皆同じ。ステレオタイプ。サミュエルの心は深く沈んだ。

 音楽が途切れる。サミュエルはコレットの元に戻った。彼女の頬がぱっと輝く。

「次が最後ですわね」

 ラストダンスは戻って来てくれたのだ。手を差し出した。細くて白く美しい。しかしそれさえも今のサミュエルにはただの光景だ。マナーのままに彼女の手を取った。

 コレットはうっとりとサミュエルの肩にもたれた。耳に口を寄せて囁く。

「パートナーを受けていただいたお礼をさせて頂きたいのです。新市街に素敵なカフェがありますの。ご招待を受けて下さいます?」

 サミュエルはあらぬ方向を見ている。

「せっかくだが、すぐに士官学校へ行くのが決まっている。時間がない」

「あ…では…婚約者の選定も始まるのでしょうか? デビュタントのパートナーは結ばれるらしいですわね」

「そうか」

 生返事だ。またもカナデを目で追ってしまう。リシュリューがホールに降りて来た。周囲と挨拶を交わしながらもカナデに近づく。肩に手を掛けた。引き寄せる。頬を撫でるのが見えた。イノーは礼をして二人から離れた。

 サミュエルの時間が凍った。コレットの口が動くが何も聞こえない。音楽も無音だ。色を失った光景の中で、リシュリューとカナデが寄り添ってキスを交わす。

 心臓に鉛を撃ち込まれた感覚を覚えた。

 どれだけ令嬢がいようとも、カナデは一人だけだ。あの黒い髪と瞳。唯一無二の存在だ。外見だけではない。外界の価値観でぶつかってきた。そんな者は初めてだ。だからこそ心に刺さったのだ。もう認めざるを得ない。これは恋だ。決して手の届かない憧憬だ。思わずサミュエルは足を停めた。

 リシュリューに送られてホールを出ていく想い人を見つめる。最後にダンスをした時と同じく、声さえ掛けられない。自覚した思慕は彼の心にしっかりと根を張った。

 そんな彼の横顔を、コレットがじっと見つめていた。

 王宮からの帰りは、リシュリューがカートを手配してくれた。イノーは成人の舞踏会に参加するので、カナデ一人だ。午後は色々とつまんでいたのでお腹も空いていない。足がぱんぱんに張っているので温めの風呂にゆっくり浸かった。使用人たちも今日は忙しいのだろう。玄関で迎えられただけで、誰も顔を出さなかった。むしろ気楽だ。

 ちょっとソファで休むつもりが寝落ちしたようだ。ドアが開いたので目が覚めた。夕の刻八時(夜中十二時)を回っている。リシュリューが戻ったのだ。彼はまだ礼服だった。上着を脱いで机に置いた。お片付けは使用人の仕事である。彼は脱ぐだけだ。

「お帰りなさいませ」

 半分寝ぼけた声ながら、カナデはよいしょっと起き上がった。リシュリューの上着をクローゼットに一旦しまう。

「あちらへ運んだ方がいいですか?」

「誰かが片付ける。気にするな。デビュタントはご苦労だった」

 リシュリューは鏡の前の机に座った。とんとん、と自分の隣を叩く。いつもはこんな真似はしない。酒臭い。カナデは彼の前に立った。

「殿下、色々とお気遣いありがとうございます」

「俺がしたくてやったんだ。礼を言われる事はない。そうだ、頑張った褒美をやろう。何が欲しい?」

「いえ特に…これ以上は望みません」

「何? やると言ったんだ。俺の褒美が受け取れないのか、こら」

 顔は笑っているものの、何となく声音が怖い。酔っ払いの『俺の酒が飲めないのか』と無理強いする鉄板ネタが思い浮かぶ。カナデはため息交じりに言った。

「ではリシュリュー宮のどこか物置でもいいので、一部屋使わせて下さい。アトリエが欲しいです。絵の具で床が汚れますから、ここではあまり油彩をやれないので」

「アトリエ。よし! 作ってやろう」

 リシュリューは手を打った。

「絵を描く部屋と休憩室は必要だな。寝室は四つあればいいか。他に侍従の控えと食堂だ。ああ…広間も忘れてはならない。王宮の西に古い庭園がある。あそこに建てよう!」

 リシュリューの言う食堂や広間は、晩餐会もできる規模だろう。それはもはや城だ。もらっても管理ができない。それに侍従の控えの間よりも画材やキャンバスの保管場所の方が重要である。

「一部屋でいいんです! 八畳くらいあれば」

「ハチ…何だと? この俺に四阿(あずまや)をプレゼントさせる気か。想い人相手だぞ」

 日本の間取りが上手く翻訳できなかったようだ。リシュリュー宮の一室でもいいのだが。リシュリューの唇が拗ねたように少し尖った。想い人、と言う言葉に胸が熱くなるカナデだった。しかし本当に一軒家は欲しくない。この場を何とか収めようと試みた。

「ありがとうございます。また詳しく打ち合わせをお願いします。私の希望を取り入れて頂けたら嬉しいです!」

「もちろんだ」

 彼の機嫌は直ったようだ。酔っ払い相手にどうしようか迷ったが、一応尋ねてみる。

「あの髪飾りはどうすればよろしいでしょうか? 私には分不相応です」

「君にはあれ以上の価値があるんだ。手元に置いて、また使ってくれ」

「私はダンスができません」

 あの孔雀舞は、ほぼ成人式用だ。何度も繰り返し踊るものではない。

「そうか。では私が教えてやろう」

「い、今ですか?」

 リシュリューは立ちあがった。すっとカナデの体を抱きしめる。白い魔法陣が浮かんで消えた。ゆったりした音楽が流れ始める。

「これは舞踏会の最後の曲だ。どんなに離れていても、この時はペア同士が踊るんだ」

 新成人の舞踏会は第一部といったところか。成人の舞踏会が控えているから、この曲は流れなかった。決まったステップがあるのかもしれない。だがリシュリューはしっかりとカナデの肩を抱き、左右にゆらゆら揺れるだけだ。額に押し当てられた頬はいつもより熱い。

「どうだ? 私はあの男よりも巧いだろう」

 唇が耳を甘く食(は)んだ。さらに首筋を這う。肩に置かれた手は、どんどん下へ下がってきた。

(かなり飲んでいるな)

 その勢いのままで…どうなんだ? と不安になるカナデだった。恋愛経験はある。しかし実際の体験はキス止まりだ。リシュリューに触れられるとそこが熱を帯びる。唇の先から痺れが走る。しかし。

 リシュリューの足元はふらふらしている。目も焦点が合っていない。カナデはゆっくりとベッドに誘導した。とん、と軽く胸を突くだけでシーツに横たわる。

「お、おいで」

 言葉も呂律が回っていない。カナデはにっこり笑った。リシュリューの傍に行って顔を覗き込んだ。

「お疲れのようですね」

「大丈夫、だい…」

 音楽が停まった。リシュリューは目を閉じた。彼の周囲にはうっすらと黒い靄が漂う。カナデの陰の気(ルキデュイ)だ。少しまとわせただけで、リシュリューは眠りに落ちた。

「おやすみなさい、私のリーシュ様」

 リシュリューの耳元で囁いた。それから靴を脱がせた。頬に軽くキスする。彼の隣に潜り込んで目を閉じた。



 翌朝。夜が明けた。世間が動き始める時間である。

リシュリューの目がぱっちりと開いた。隣で眠っているカナデを起こさないように抜け出した。シャワーを浴びる。白いバスローブに包まれて鏡に映る自分はしかめっ面だ。夕べの醜態を思い出す。タオルに顔をうずめて身もだえした。

(無様だ…)

 酒が過ぎたのだ。ダンスパートナーと踊るカナデがあまりに楽しそうでイライラした気持ちになってしまった。元パートナーのサミュエルも、熱のこもった目でカナデを見つめているではないか。カナデはリシュリューの真のパートナーだ。その証拠の髪飾りも付けているのに。すぐに傍に行きたい。それなのに王弟としての義務がある。やっと見送りが出来ただけだ。

 その後も秋波を送る貴族子女の相手をしなくてはならなかった。飲み過ぎるというものだ。ようやく部屋に戻ったら酒の勢いでカナデに絡んだ挙句、すぐに潰れて眠ってしまった。陰の気(ルキデュイ)を吸わされたのは分かっていない。

 ベッドルームに戻る。寝台のカーテンが開いた。カナデが目をこすっている。

「おはようございます。今日は出仕がありますか?」

「午後からだ。カナデ、起こしてしまったか? 夕べはその…何だ」

「舞踏会をお楽しみのようでしたね。ところで殿下の体調はいかがですか?」

「平気だ」

 カナデは探るように見つめる。陰の気(ルキデュイ)を浴びせた影響を心配しているのだ。

「それは良かったです。まだお休みになりますか?」

「う~ん、少し休むか。でももう眠くはない」

「そうですか。それなら髪飾りのお礼がまだでしたね。殿下、こちらへ」

 手招きされる。まさかいきなりのお誘いかと、ドキドキしながらベッドに腰かけた。カナデは肩を押す。リシュリューをうつぶせに横たわらせた。

「カナデ?」

「私は指圧が得意なんです。よく祖母にやってあげました」

「シアツ?」

「マッサージみたいな?」

 カナデはリシュリューに馬乗りになった。肩に両手を当てる。

「私はこうやって手のひら全体で押します。あ、けっこう凝っていますね」

 勲章が幾つもついた礼服は、それなりに重い。幾ら鍛えているとはいえ、一日中着たままでは肩も凝るだろう。しかも夕べは着替えずに寝てしまった。リラックスできたかどうか。カナデに返せるのは、と考えたのがこれだった。

「痛くないですか?」

「…いや。気持ち良い…」

 ここに来たばかりの頃は、カナデの手足はとても冷たかった。緊張していただろうし、貧血もあって血行が悪かったのだろう。それが温かい両手で背中全体をほぐしてくれる。目覚めたばかりなのに、また睡魔が襲ってきそうだ。

 カナデが足元まで下がった。足の裏に指を当てる。一本ずつ指に圧を加えた上で、足裏全体を揉む。バスローブの丈は膝までだ。それからむき出しのフクラハギをゆっくりさすり始めた。

 心地よさに身を委ねる。しかし、すぐにはっと気が付いた。これはディミトリの作戦会議と真逆である。触れながらリードするのはリシュリューの方だ。カナデの手が膝を過ぎた。太ももに到達する。そこで動きが止まった。お終いか。いや、次は腕のようだ。そこではない。リシュリューは勢いよくあおむけになった。

「待て。違う。俺がする側だ」

「は?」

 カナデがきょとんと眼を見開く。シャツの胸元がはだけそうだ。リシュリューはまだこれからの行動を決めかねていた。

 カナデは身を起こした。

「私はとくに凝っていません」

「いや凝っている。疲れているだろう。ほぐしてやろう」

 この体勢からバックハグは無理がある。フクラハギも今更だ。リシュリューは跳ね起きた。懸命に自制する。

(やり方を知らない相手だ。怖がらせてはならない)

 これは必須の命題である。どうしたらいいのか。顔を両手で抑えて考え込んだ。

 カナデが顔を傾けた。じっとリシュリューの顔を覗き込む。

(どうもオカシイ。かなり加減したんだけどなあ…陰の気(ルキデュイ)を吸わせたのが良くなかったのかな?)

 リシュリューが目を上げた。視線が絡む。

(殿下…今朝はちょっとヘンだけど、やっぱり美しい…)

 二人はしばらく見つめ合った。ふう、とリシュリューがため息をついた。もう溢れる気持ちを抑えるのには限界だった。開き直る。

「カナデ、君は綺麗だ。月さえも光を失うほどの輝きだ。ぜひマッサージが必要だ」

「はい?」

 文章のつながりがおかしい。

 きょとんとしたカナデの髪をなでる。そのまま頭を引き寄せてキスした。

(え? マッサージ? 食べられちゃいそう)

 うろたえる。その間にもリシュリューは口づけを繰り返す。

「ちょ、ちょっとお待ちください、殿下」

「君のリーシュだ」

 言葉だけでなく、行動で示したい。どれほどカナデを愛しく思っているのか。ぎゅっと目をつぶって唇を噛む、そんな仕草が可愛らしい。

「ここにも必要だ」

「…凝っていません」

「いいや。ほぐさねばならない」

 ここに来て、ようやくマッサージとは口実だと理解した。

「リーシュ…様…」

 かすれた声に甘さが漂う。

(朝から?)

 そう思うが、カナデもリシュリューを感じたい。耳元を囁きが通り過ぎる。

「俺の宝石、きれいだ」

 カナデは耳まで赤くなった。カーテンの中でも朝の冷気が迫る。ふるっと震えた。

 窓の外が明るい。リシュリューの肌があでやかに輝くようだ。

 カナデはうっとりと眺める。

「リーシュ様…」

 お互いの想いを強く感じる。それがとても嬉しくて愛おしい。

 「寒くないか?」

 問いかけに首を振る。お互いの首に腕をからめた。リシュリューの体温を感じて、胸の奥が甘美にしびれる。

 初めての感覚に戸惑った。

「嫌か?」

 カナデは首を振った。

「…いいえ…。リーシュ様が下さるものなら全て…嬉しい…」

「良い子だ」

 リシュリューが髪を撫でる手は優しい。それが彼の恋を伝える。

   

   ツヅク! Ⅴ-Ⅰ アルニウス訪問 そして再会   まずは平和に視察と言う名の観光から始まった!



お読みいただきありがとうございます。


若干の不穏を漂わせつつ、

無事にデビュタントが終わりました。

ベルナデットもおめでたで何よりです。


朝っぱらからマッサージ。二人とも、お互いに触れたい…のかな。

イチャイチャ甘々な二人は、別の場所かな?

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