Ⅴ-Ⅰ アルニウス訪問 そして再会
アルニウスで歓迎を受けるカナデとロウタ。
最終目的地アーネコスキに到着し、旅も終盤を迎える。
Ⅴ-Ⅰ アルニウス訪問 そして再会
空の青が灰色を含む季節だ。ナント自治区も秋を迎えた。先の地震と妖狗騒ぎの跡はもうどこにもない。朝食の時間を過ぎて、町は一気に活動を始めた。
カナデもホテルの部屋で朝食を食べ終えたところだ。前回宿泊したナント・パレスホテルである。
「ごちそうさま」
いかめしい顔の護衛士ダヴィッド・ブリアンが、無言で頭を下げた。中堅からベテランといったところか。彼もリシュリュー宮勤務だ。あまり顔は合わせないのだが、爆発事件の際に病院への送り迎えをしてくれたのが彼だった。水色の腕章を付けているので魔力があるようだ。彼とは殆ど話をしていないのでよく分からない。
「ダヴィッドさんは食べましたか? 腰とか平気ですか?」
「ご心配は無用です」
返答は短い。
今回の移動手段は列車だ。全車両を貸し切った上に、カナデは寝台のある個室だった。訪問団としては馬車列よりもグレードが落ちるらしい。しかしかかる時間は半分以下だ。それに横になれるのがありがたい。
(それでも、まだちょっと背中と腰が痛いなあ…)
昨日の午後にホテルに到着してからずっと部屋の中だ。前回の誘拐事件のせいで、単独行動と予定にない外出は一切禁止である。仲の良いセシルとマチアスは不参加だ。世話係はロザリーが付いてくれた。やはり前回の件は尾を引いている。
一人でも身支度はできる。だがロザリーが今日の服を用意してくれた。軽いジャケットだ。それを羽織った。念の為にと帽子もかぶる。目の色を分かりにくくする眼鏡も着用だ。
「いよいよか…。ロザリーさんはナント初めてだっけ?」
「はい、左様でございます。狗属とも初お目見えです」
彼女はいつも通り…と言いたい所だが、アレを忘れた、コレはどこかしら? と落ち着きがない。初めての訪問地だが観光はほぼできず、部屋に閉じこもりで気の毒ではある。
「ロウタは別ルートで行くんだよね?」
「はい。逆回りと伺っておりますよ。もう入国したそうです」
彼は自治区住まいだ。移動にさほど時間はかからない。別行動の理由は『効率的な視察』とアルニウス側には告げてある。
出発時間になった。楽しみと不安が一気にこみ上げる。
「国交回復のきっかけ作りなんだよね? 緊張するなあ」
「予定は視察ばかりですよ。落ち着いて参りましょう」
狗属の言い分としては、異界人はグリフィスが招聘したからアルニウスの所属にするべき。猿属だからナント自治区に置くのはやむを得ないにしても、よりアルニウスを知って欲しい。今回はその為に国土を視察するのが目的だ。友好の為でありカナデのお供は二人だけだ。
国交がないので、あくまで民間使節団としての訪問だ。アルニウスに敬意を表する形で団長をパルクが務める。彼もそろそろ準備ができただろう。
時間だ。ロザリーとダヴィッドを従えて一階のロビーへ降りた。パルクらも揃った。彼が引き連れているのは護衛四人と秘書と小間使いだ。お付きの人数の差はやはり身分差である。
ホテルの正面玄関が開いた。色の濃い服の集団が現れる。大きな体躯の者ばかりだ。小柄な先頭のアルニウス人が声を上げた。
「おう! 久しぶりだな!」
ヒューゴ・ニューホルムだ。濃紺のスーツは狗属らしくルーズフィットだ。彼は片手を挙げた。カナデも手を振る。
「ヒューゴ! 久しぶり」
二人は小走りに駆け寄った。手を取り合う。ヒューゴはすぐに帽子を勝手に取ってカナデの髪を撫でた。
「お前のアテンドは俺がやるぞ。本当にグリフィス様のようだ」
「うん。よろしく。それはとにかく帽子返して」
「ちっ。見せとけよ。髪だけなら神々しいのによ」
一言余計だが、彼の言う通りカナデはただの人間なのでスルーだ。また髪を押し込むカナデに、背後の数人を示す。
「あいつらは護衛と案内人だ。これから一緒だ。お前ら、挨拶!」
ただの貿易会社の孫息子に過ぎないはずだが、ヒューゴはいつもこの調子らしい。護衛達はカナデに向かって深々と礼をする。
カナデとヒューゴの文通は、不定期ながらも続いている。手紙では検閲を意識してか、とても丁寧な文面である。実際に会えばこの通りだ。そのギャップがカナデには楽しかった。
「相変わらずだね」
「おう。俺は元気だぜ」
続いて、初めてパルクに気が付いたかのように軽く頭を下げた。
「あ、ども。ヒューゴ・ニューホルムと申します。首都まで同行いたしますのでよろしくお願いいたします」
パルクは余裕の微笑を浮かべた。
「アルニウス流の御挨拶、痛み入ります。首都まではまだ移動中という事でよろしいですな?」
つまり到着までは正式に挨拶しないからな、と確認しつつちょっとした貴族風の嫌味だ。ヒューゴをただの案内役だとみなす発言だ。しかし通用しなかったようだ。彼は全く気にする様子はない。
「はいはいはい、じゃ、そういう事で」
彼の背後の一団も、ちょっと会釈をしただけだ。彼らにとっては正式な国交のない国の役人よりも神の御使いの方がVIPらしい。
「はい、これから移動開始です」
一応ヒューゴは敬語だ。
まずは徒歩移動だ。ホテルから五分ほどのナント平和広場へ向かう。カナデがトラブルに巻き込まれた場所だ。まだ朝だ。開いている屋台は数店舗だった。通勤客が足早に通り過ぎる。カナデの一行に目線を送る者も多い。
ラファイエット鉄道はナントが終着点の為、通勤にはほぼ使われていない。商談か旅行者ばかりだ。出国に向けて検査の為に検疫所の外まで列が続く。
一行が訪れたのは広場脇にあるグリフィス神殿だ。丸くて先端がとがった屋根で、このデザインはここだけだ。あまり大きな建物ではないのだが目立つ。濃い灰色の扉の前には、相変わらずのグリフィスの像が鎮座する。その両側にアルニウス人が控える。彼らはフードを深くかぶっていた。一行を見かけると、両腕を胸の前まで掲げて礼をした。
ヒューゴが一歩前に出た。
「神官殿。チュウゼンジ様をお連れしました。アルニウス訪問の御挨拶をさせて頂きたく拝殿の許可を願います」
フードの下から鋭い視線がカナデを窺う。
「グリフィス神より御使いであられるチュウゼンジ様のみ面会を許可されております。帽子をお取りになってお進み下さい」
二人によって扉が開けられた。軽く頷いたパルクに軽く会釈をしてから、カナデは帽子を持って中に入る。背後で扉が閉まった。灯りは壁に置かれたろうそくだけだ。ほんのりとムスクに似たアロマの香りがする。ぼんやりした黄色い光に照らされたホールは、カナデの知らない生物たちの彫刻で飾られている。一番奥に、赤いカーテンに囲まれた舞台があった。
「グリフィス?」
彼の気配はない。八芒星魔法陣で呼んでみた。するとすぐに目の前で空気が揺れた。舞台ではなく、カナデのすぐそばに彼がやって来た。ぐるぐると喉を鳴らす。
「来たな」
カナデは彼の首に手を回した。
「グリフィスってやっぱり神様なんだ。ここは立派だね」
「ふん、神官と名乗る犬が我の言葉を聞く場所だ。この匂いで我を呼ぶ」
「来てなかったじゃない」
「そのような時もある」
気まぐれな神様らしい。
「逆に我が犬を呼ぶ時は、ここに雷を落とすのだ」
わざわざ神殿を訪れなくても、カナデとグリフィスは会える。だがカナデが神殿に来るのが、アルニウス人には重要だったのかもしれない。
「ここに?」
「そうだ。ほら」
空間を激しく稲妻が飛び交う。
「うわ」
思わずグリフィスにしがみついた。黒い毛並みからかすかに漂うアロマと同じ薫りがする。
「驚かせたか」
グリフィスの舌がカナデの頬を舐めた。
「もう一人の異界の猿もここに来たようだが放っておいた」
「…ロウタが来たんだ…」
グリフィスは興味なさげに首を振った。アレは黒の八芒星魔法陣を持たない。猿どもと同じ色に髪を染めている。グリフィスからすれば、彼らと同族のふりをしているのだ。そんな輩と関わるつもりは毛頭なかった。
「アレはどうでも良い。お前も、そもそもここに来る必要はないぞ。いつでも会えるのだから」
「そうだよねえ」
この二人にとっては神殿訪問は形式的なものだ。
「猿の国はどうだ?」
「みんな親切にしてくれるよ」
され過ぎだ。カナデは庶民のつもりなのに、叙爵してしまった。だがグリフィスに聞いて欲しいほどの不満はない。
「これからアルニウスを巡るそうだな。我に遠慮など要らぬ。好きにして良い。不都合があれば呼べ」
「ありがとう。でも大丈夫だよ。みんな歓迎してくれてる」
「そうだろう」
カナデはグリフィスの腹に頬ですりすりした。
「地下に棲んでいるんだよね。来てくれてありがとう。いつか一緒に散歩とかしたいなあ」
「…散歩? まだ言っておるのか。歩くのはやはり地上か」
カナデの中では、やはりグリフィスは神様より犬寄りだ。一度刷り込まれてしまった感覚はなかなか変わらない。
「まあ考えてみよう。では楽しんで来い」
グリフィスは首を伸ばした。頭上に黒の八芒星魔法陣が広がる。その中心のブラックスターへ飛び上がって吸い込まれた。姿が消えた。面会は終わりだ。カナデは扉を開けた。光が目に刺さるようだ。眩しい。帽子をかぶり直した。
神官が礼をする。
「雷の音が致しました。グリフィス神の御神託をうかがえますか?」
「えーと…アルニウスを楽しんでおいでって言ってくれました」
「他には?」
「それだけです」
来なくてもいいと言われたのだが…。結局グリフィスが言ったのは『行ってらっしゃい』に尽きる。旅行の見送りとしては正解だろう。神官は今一つ納得していない感じだ。
「我らには何か…」
「特には有りませんでした」
神官の一人が頭を抱えた。
「あああ。心を込めてお仕えしているのにお言葉が今日も頂けなかった…。私に何が足りないのか。御使い様、どうかお導きを!」
カナデに今にもすがりそうだ。ダヴィッドが素早く間に入った。神官の背後からヒューゴが言った。
「神官殿とはいえ御使い様と同列のはずが無えだろうが」
傷に塩を振りかけて一行はその場を去った。ホテルに戻る。車寄せに馬車列が控えている。全部で四台だ。パルク用に二台とカナデ達に一台、さらにアルニウス人用だ。傾斜の多い地形と維持費用の高価さから、まだ車は殆ど導入されていないそうだ。
パルクはグリフィス神殿の前ではただ待たされていただけだ。一応は表敬訪問なのだろうが、アルニウス側からはカナデの一段下に置かれている。
すぐに馬車はナント川を背にして出発した。自治区を出るには検問がある。しかし今回は特別だ。ラファイエットの役人たちは速やかに、かつにこやかに彼らを通した。パルクの馬車列は、カナデとは別のルートを行く。観光は飛ばして首都アーネコスキを目指す。先に国の上層部と協議を行うそうだ。
すぐにアルニウスに入った。東西のアトラン山脈の間を行く。自治区から出てしばらくは人家が密集している。天然アスファルトの道も広い。電線が空を横切っていた。
二時間ほど走った。電柱が姿を消した。舗装が途切れて赤褐色の道になる。人家がまばらになってきた。
(郊外に来たって感じだな)
ヒューゴが窓の外を確認する。
「少し早いが、もうすぐ昼休憩にするぞ」
馬を休ませる為でもある。家は三角屋根が増えた。中でもひときわ大きな家に馬車が停まった。山が近い。道は西アトラン山脈の麓に沿う。木々の緑は濃い。
カナデは馬車から降りた。陰の気が強いようだ。深呼吸する。冷たい空気が肺に流れ込む。体中に清冽な気が満ちる。全身が軽くなった。
ヒューゴがやって来た。
「中に入るか? 宿屋だ。メシの前にまずは軽く何か飲めるぜ」
カナデは頷いた。彼が中へ入れば、ロザリーとダヴィッドも休憩できる。
内部はむき出しの日干し煉瓦だ。ロビー横には居酒屋のような飲食店がある。客の姿がない。
「お客さんがいないね。まだお昼には早いかな」
「何を言ってんだ。俺らの為に貸し切りよ」
ヒューゴとカナデはその店に入った。当然のようにロザリーとダヴィッドも一緒だ。彼らと少し離れた壁沿いのカウンターに並んで腰を下ろした。
「この辺りって雪が降るの?」
「ああ。屋根が雪を落としやすくなってんだぜ」
日本の北国と同じだ。アルニウスは食味だけではなく、自然環境も日本と似ているようだ。
飲み物が運ばれてきた。やはりウーロン茶に近い薫りだ。カップはくり抜いた木だった。ウェイトレスがしばらくその場を離れない。カナデと目が合うと、トレイを顔に当てて走り去った。
「僕の顔、何か付いてる?」
「おお。神様のお印だ」
ヒューゴは大真面目である。彼もまたカナデを神様扱いなのだ。カナデは無理やり話を替えた。
「ロウタは今どの辺りだろう? 別ルートで回るんだよね?」
「詳しくは聞いてねえな。でもせっかく二人きりの同胞なのになあ。一緒に回りたいだろう?」
カナデはカップを両手で包んだ。無言なのを会話の拒否と受け取ったようだ。ヒューゴは手を激しく振った。
「いい、いい。何も言うな。事情は人それぞれだ」
口調や態度で誤解されそうだが、ヒューゴは本来は面倒見が良い性格だ。カナデは小さく首を振った。壁を向いて、そちらへ低い声で話す。
「ううん。お願いがあるから、ちゃんと言った方がいいかもね。ロウタを僕に近づけないでほしいんだ。他の人達には黙っててほしいんだけど…。彼はあっちの世界で僕を付け回してた。こっちに来てから…」
目の前に迫る水。鼻に逆流し、喉に流れ込んだ。むせて息ができない。そして殴られ、押し倒されて…。カナデはぐっと唇を噛み締めた。
「…重い話で悪い。来たばかりでまだ陰の気が使えなかった時だ。暴力を振るわれたうえ無理やり…その…されそうに…」
「え…何を…まさか…」
「その想像で合ってると思う」
がっちゃん、とカップがカウンターに乱雑に置かれた。驚くとこうなるのか、目と口が全開で固まっている。肩を突く。数回瞬いて戻って来た。
「男同士…だよな? 何だアイツ。許せねえな。爪剥ぎの刑だ!」
とても痛そうな刑罰だ。アルニウスでは同性のカップルは皆無に近いそうだ。さらにカナデはグリフィス神の眷属である。だからロウタの所業が信じられないほど衝撃だったらしい。
「言いにくい事を済まねえ。俺に任せろ」
「うん、ありがとう。頼りにしてる」
グリフィス様の賜物からこの言葉。ヒューゴはじ~んと噛み締めている。その肩をポンと叩いて、カナデは椅子から降りた。少し離れた場所にいるロザリーに声をかけた。
「スケッチブックと鉛筆をお願いします」
この旅行に持って来たのだ。カメラがまだ無い。だったら光景を写生しようと思ったのだ。リシュリューに見せてあげたい。外に出た。ロザリーとダヴィッドはもちろん、ヒューゴが一緒だ。
「あまり草むらに近づくなよ。ヴァーラリスタがあるかもしれないからな。ぶっ倒れるぞ」
翻訳陣が音のままで伝えてきた。日本語には無い種類なのだろう。
「ヴァー…何?」
「ヴァーラリスタ。ナントより北なら、どこにでも生えている雑草だ。毒がある」
ホテルの庭だけに気を付けてはいるそうだが、タネの飛来はどうにもできない。芽を出したばかりでも、踏みつければ汁が出てしまう。それが目や口に入ると中毒症状を起こすそうだ。
「とにかく草を踏むな。すげえ臭いぞ」
「うん、分かった」
庭先で鉛筆を滑らせる。横からヒューゴが覗いた。
「巧いもんだな。俺も描いてくれ」
「いいよ」
次のページをめくる。人物画はあまり得意ではないのだが、狗属は犬に似ているのでむしろ描きやすい。さらりとクロッキー風にヒューゴを描いた。ページを破って渡す。
「おお! 俺はこんな顔をしているか」
アルニウス人の護衛が集まって来た。エプロンを付けた者は宿屋の従業員だろう。すぐに似顔絵大会になってしまった。これも民間交流である。
ふと気が付くと、宿屋や木の陰からたくさんの目がこちらを見ているではないか。中にはラファイエットの旗や『歓迎します』などと書いてあるプラカードを掲げている人もいた。近隣住民が集まったらしい。カナデが顔を上げた方向からは、きゃ~と歓声が上がる。
(……アイドルか……)
似顔絵の順番が終わったアルニウスの護衛たちが本来の仕事に戻る。彼らが近づかないようにいかめしい顔で立ちはだかるのだ。それでも似顔絵希望者はなかなか途切れない。昼食の準備が整うまでカナデは鉛筆を走らせ続けた。
食事の後は、近隣の工場へ案内された。木造の質素な建物だ。こちらはアルニウスの特産品である織物の染色を行う。こちらの世界でも衣料品は植物や動物の毛を使っているそうだ。翻訳陣はやはり綿だのウールだのと変えてしまう。本来の発音や名前を知るのは難しそうだ。羊のイラストは、確かに全身が毛に覆われてもこもこだ。しかし角が四本ある。
絹らしき布もある。蚕と紹介されたものの足が十二本のクモに似た昆虫が吐き出す糸で織る。これも名産品だ。ナントを通じてラファイエットにも輸出される品だ。織られた布はいずれも淡く染められている。
(絶対ヒツジとカイコじゃない!)
工場の関係者たちに自己紹介をされた。やはりカタカナで拗音ばかり。覚えきれない。曖昧な笑顔でやり過ごす。それから彼らに囲まれて内部を視察だ。工場長だという人物が色々と説明してくれる。
(こんな状況、テレビでしか見た事がない…)
まさか自分が映像の立場になるとは。
「淡い色なんですね」
「ここでは輸出用の染色をしております。自国用は藍、青、濃い灰色が人気です」
工場長は重々しく礼をして答えた。
「やっぱり黒はないんですね」
「大変に貴重で数は少ないのです。原料となる煤が希少ですから」
平地の少ない国土だ。煤を作る為の木も山地で伐採しなくてはならない。手間暇がかかるうえに数も少ないので、どうしても高価になってしまう。
「泥染めはしないのですか?」
何気なく聞いたのだが、周囲がざわめいた。
(アレ? 掘っちゃダメだけど泥は地面の上だよな?)
工場長とは別の女性が尋ねる。
「泥ではムラになりがちですし、すぐに色落ちしてしまいませんか? お国の泥は成分が違うのでしょうか」
「う~ん。そうかもしれないですね。すごく深い黒になるんです。摩擦と洗濯には弱いらしいけど、そんなにすぐには落ちません」
「チュウゼンジ様、もっと詳しくお聞かせいただいてよろしいですか?」
カナデは記憶をめぐらす。スマホがあればすぐに検索できるのだが、今は記憶だけが頼りだ。
(えーと、確か奄美大島)
家族旅行をした時に泥染めを知った。そこで産出される染物で、大変珍しいからと家族そろって染色体験をしたのだ。何度も泥の池に入っては布をゆすいだ。まだ小学生だったカナデには重労働だった。
「え~と…木のチップで茶色の液体を作って…それに染めてから泥に付ける? すごく時間がかかるようです」
実際はもう少し手間がかかる。チップ状にした木を煮だした液体は一週間ほど発酵させる。そして石灰液と交互に浸けて茶褐色に定着してから、泥の中の鉄分と化学反応させるのだ。
質問をした彼女がさっと手帳を取り出してメモを始めた。
「あと少し質問をお許し下さい。木を利用しての茶色というと、栗の木などでしょうか。タンニンでよろしいですね?」
茶碗に残る茶色の染みもその効果だ。
「…かもですが…」
「確かに鉄と反応させれば黒くなりますね。泥に含まれていれば可能です。石灰を使用すれば色素を定着できます」
技術者のようだ。専門家らしい。カナデよりも詳しい。カナデは素直に言った。
「あまり詳しくないのです。でもおそらくその通りかと」
彼女は何度も頷いた。
「草木染めはアルニウスの伝統染色です。そこへもう一段階、手間をかければよろしいのですね。そうすれば黒が生まれる…」
地下資源は全面的に採掘禁止だ。全て輸入に頼っているが量は多くない。先ほどの食堂でも、カトラリーは全て木製だった。タンニンと鉄の化学反応で黒ができると知ってはいても、鉄は煤よりもさらに貴重品だ。それで染色を行うなど考えもしなかったのだろう。だが泥は地上に露出しているうえ、原価はゼロだ。
工場関係者たちが騒めく。
「タンニンが強い木はあったか?」
「選定を始めましょう。鉄分の多い土も探さないと」
最も高貴な黒の布を作れるかもしれないのだ。彼らの瞳が期待でキラキラしている。
ヒューゴが腕を組んだ。ふん、と顎を上げる。
「異界人様はすげえだろう。ダチの俺もすげえ」
「どさくさ紛れに自分の自慢をする?」
「まあまあ。固い事を言うな」
カナデはメモを取る手元を見た。黒い棒だ。
「黒…ですね」
「はい。煤を練って固めて使います」
「えっまさか黒の絵の具とかあったりします? ナントで買えるかなあ」
いきなり前のめりになってしまう。描線を描くのは紫や紺ばかりだった。絵に陰影やメリハリを付けたい時には、やはり黒が欲しいと思ってしまうのだ。
カナデの食いつきの良さに、また騒めきが起きた。工場長が答える。
「ここにはございませんが、画材商であれば取り扱っていると思います。ナント自治区でお取り寄せも可能かと存じます」
よし、と小さくガッツポーズだ。カナデの機嫌が見るからに急上昇で、周囲もほっとした様子を見せた。
そろそろ見学も終盤だ。
工場の外へ出ると、住人がたくさん集まっている。花を手にした少女が近づく。ダヴィッドがカナデとの間に立ちはだかる。少女の目が潤んだ。カナデは彼を制した。花を差し出す彼女の前にしゃがむ。
「ありがとう。くれるの?」
うん、うん、と少女が頷いた。灰色の毛並みだ。頭頂部に近い場所に五百円玉ほどの白点がある。花を受け取った。彼女はスカートを持ち上げて礼をする。小さな直立のワンちゃんだ。カナデの意識は一気にメルヘンの世界へ飛んだ。
(かっ可愛い…!)
カナデは思わず少女の頭を撫でた。
「この模様、素敵だね。日暮れの一番星みたいだ。僕は好きだよ」
彼女の顔がこわばった。くるりと背を向けて走り去る。母親なのだろう。後ろにいた女性にしがみついた。肩が震えている。
「悪い事を言ったのかな?」
ヒューゴに尋ねる。彼はう~ん、と腕を組んだ。
「濃い毛並みの方が美しいとされてんだ。薄いところへ色が抜けて白ってのがな」
やってしまったか。
母親に撫でられた少女が叫んだ。
「ママ~! 御使い様に褒められたぁぁぁっ! う、嬉しい……好きって…好きって言って下さった!」
母にしがみついたまま振り返る。零れた涙を拭い、カナデに手を振った。どういう事が今一つピンとこない。母親が礼をした。
「御使い様、発言をお許し下さい」
「…どうぞ…」
許可しなければ話せないほど偉くはないのだ。
「この斑点を、ずっとこの子は気にしていたのです。それを…それを直々に褒めて頂けるとは…!」
周囲の人々もしんみりしている。カナデは逆に居心地が悪い。素直に感想を言っただけだ。それなのに大げさに受け止められる感じがしてしまう。
隣に立つヒューゴに尋ねた。
「僕は君たちの言う猿だけど、こんなに大切にされてもいいの? 髪が黒いだけだよ?」
「いい加減に自覚しろよ。そこ大事だろうが。外見でいえばグリフィス様は竜だ。俺達とは違うけど神だぜ。お前は神と同じ髪」
自分のダジャレにヒッヒッと受けている。真面目なのかふざけているのか。カナデは耳元で髪を弄んだ。
「僕はそのうち白髪になるよ」
「そりゃそうだ。それはそれですげえだろ」
「は? 当たり前じゃない」
「違うって」
アルニウスの平均寿命は六十歳ほどだ。耕作地も少なく豊かな国ではない。風土病もある。それらを乗り越えた長寿者は体力があり、運にも恵まれているとされる。しかも積み上げた知識も持つ。それで年を経た白い毛並みは尊敬の対象だ。
「俺の祖父さんは七十越えだ。昔は俺くらい濃い体毛だったんだ。アーネコスキで紹介するぜ」
カナデはハッキネンには会っていない。セシルから伝言をもらっただけだ。
(帰る手段があるかもって言っていたな)
胸がどきんと鳴った。
「うん。よろしく」
工場を後にして次の目的地へ移動だ。少し時間が押してしまった。その地の市長と面会や、名産品の説明などをスケジュールが目白押しだ。夕食もナントカ長との会食だった。次から次へと自己紹介されても、とても覚えきれない。曖昧な笑顔で乗り切るだけだ。ロザリーが全て把握しているのはさすがベテランである。もはや彼女に秘書業務も託した。
宿へ到着したのは午後九時を回っていた。アルニウスは日本と同じ時計なので分かりやすい。渓谷を臨む小さな町だ。山肌に家が点在している。宿泊場所もホテルというよりちょっと大きめのペンションという感じだ。建物の色だけではなく、木々や土の色まで全てラファイエットよりも濃い。
部屋はダブルルームだ。コネクティングルームにロザリーが宿泊する。ダヴィッドがカナデと一緒だ。
カナデが風呂に入っている間、ロザリーは彼の荷物を整理する。着替えを箪笥にしまって、すぐ着られるようにしておくのだ。ダヴィッドは所在なさげに立っている。いわば上司と隣のベッドで休むのは特別というか緊急事態だからというか。使用人用の控えの間がないから仕方がない。そんなに大きな部屋がないホテルなのだ。
「自分はソファで寝た方がいいでしょう」
「ベッドにしなさいよ、ダヴィッド。チュウゼンジ卿はそういうのを気にするだろうし、体に堪えるわよ」
護衛は一人で交代要員がいない。いわば二十四時間労働である。ダヴィッドは顔にはまだ出さないものの、疲れはあるだろう。彼は閉まった浴室のドアを見た。
「チュウゼンジ卿は私が思ったよりも普通の人でした」
「そうね、それに良い子だと思うわ」
爆発事件の際に病院への送迎を行った時は、まだ黒髪への畏怖があった。あまり触れたくはなく、多少は雑に扱ってしまったかもしれない。カナデの表情も硬かった。次元を超えて来た緊張と不安なのだと半年後の今なら分かる。
「こんなにちやほやされても変な勘違いをしないし、きっちり自分を持っているのね。きっと温かい家庭で大事に育てられたのよ」
「そのようですね」
それからロザリーは隣の部屋へ入った。一人だ。ベッドに腰かけた。
「はあぁ~」
つい大きなため息が出た。何度もリシュリューのお供で長距離移動はあった。しかし国内だ。国外ならもっぱらファルカ連邦国だが、祖先が同じ種族だ。ずっと狗属に囲まれているのは初だ。随行員が少ないので一瞬も気が抜けない。
食事の味も全然違う。淡泊なラファイエットに対して、アルニウス料理は塩が濃い。魚の出汁も多用されている。お茶も、紅茶とウーロン茶ほどの違いがあるのだ。スイーツも乳製品はない。豆が原料だしシンプルな砂糖の味が強い。どうしても食が進まない。
しばらくぼーっとしていると、境のドアが軽くノックされた。カナデが顔を出す。ロザリーはプロである。すぐに業務用の笑顔を浮かべた。
「何かご入用ですか?」
「ううん、座っていて。お邪魔していい?」
「どうぞ」
カナデはロザリーを横向きに座らせた。背中側に腰を下ろす。
「ロザリーさん、ご飯はちゃんと食べられる?」
マチアスはサバに似た風味のフィッシュサンドが苦手のようだった。同じ味覚ならナントを出てからは辛いだろう。食事をする場所は別なのだが、ロザリーの体調が気にかかる。
「お気遣いはご不要です。大丈夫でございますよ」
気丈に言うものの、目の下には隈があった。
「ふうん?」
カナデは彼女の肩に手を置いた。
「指圧してもいい?」
「シアツ?」
リシュリューと同じ反応だ。カナデはゆっくりと力を入れ始めた。
「あ~凝ってるね。筋肉ががっちがち」
相手は女性である。さすがに寝かせるのはまずいだろうと、そのままで肩や背中をほぐす。最初は遠慮していたロザリーだが、すぐに力を抜いた。
「ああ気持ち良い。息子にやり方を教えようかしら」
「お子さんいるんだ?」
「はい、息子と娘が一人ずつおります。もう立派に勤めておりますよ。ですから私は出仕に集中できます」
「うん。一緒に来てくれてありがとう」
「勿体ないお言葉でございます」
ロザリーの瞼がだんだん下がって来た。カナデは最後に彼女の背中をとんとんと叩き、終わりにした。
カナデは部屋に戻った。ダヴィッドが風呂に入っているようだ。ソファに腰を下ろした。ラジオから低く音楽が流れている。テレビはまだ開発されていない。
(ああスマホが欲しい…)
あのバンドの新曲は発売されただろうか。お気に入りの俳優の新作映画はミステリーだったか。もはや知る由もない。カナデの今の居場所はここなのだ。無理な願いを頭から追い出した。
リシュリューの八芒星が呼んでいる。ナントではシンクロができなかったが、もう防護陣はない。カナデは亜空間に意識を飛ばした。リシュリューと向かい合う。彼は春の笑顔を浮かべて両手を広げた。そこへ飛び込む。リシュリューはカナデの腰に両手を回した。
「元気そうだな、俺の宝珠。アルニウスはどうだ?」
「はい、皆さん親切にしてくださいます。殿下も息災のようで何よりです」
まだ離れて三日だ。それなのにずっと会っていないような気持ちになってしまう。リシュリュー宮に行ってからこんなに離れたのは初めてだ。
「かしこまるな。君のリーシュだ」
二人はしばらく見つめ合った。それから唇を合わせる。カナデもリシュリューに腕を回した。実体はなくとも感触がある。温かさと逞しさに包まれるのが心地よい。
リシュリューの手がカナデの頭を引き寄せた。しっかりと抱きしめる。
カナデも更に強くしがみついた。
「リーシュ様…」
カナデの想いは、そのままリシュリューと同じだ。それを温もりで感じる。
ダヴィッドが浴室から出た時、カナデはまだソファにいた。体が斜めになっている。リシュリューとカナデの八芒星魔法陣が重なって見えた。シンクロしているのはすぐ分かった。
カナデの頬が少し紅潮している。うっとりした表情だ。
(これは逢引きだな)
のろけ話は昼間の話題でも、デート中ならお邪魔してはならない。慌てて後ろを向いた。しかしカナデは彼の気配に気が付いてしまった。はっと体を起こす。亜空間が溶けた。二人ともしばらく無言だった。これはどちらも気まずい。しかしダヴィッドはすぐに職務用の顔に戻った。
「お休みのところを起こして申し訳ありません。ベッドにどうぞ。私は外で警護いたします」
カナデは首を振った。いたずらが見つかった子供のように、膝をぴったりと合わせた。
「ベッドで寝て下さい。警備してくれるなら近い方がいいでしょう? 僕は…その、もう寝ます」
ダヴィッドの答えを聞く前に立ち上がった。そそくさと寝室に向かう。しっかりと布団をかぶって目をつぶった。
さらに視察は北へ向かって続く。織物工場や家具の製作所など、アルニウスの産業の見学がメインだ。どこでも歓待を受ける。そして二日後の夕暮れになってアルニウスの首都アーネコスキに到着した。
幹線道路は天然アスファルト舗装で、町中に電線が巡らされている。都市の規模としてはナントと同じか、やや小さい位だ。雪のせいか建物はあまり高くない。建築資材となる石材もほぼ輸入便りだ。大陸を大回りする海路か、ナントを通じて輸入しかない。ラファイエットと国交を結べば物資はもっと多く安価に入手できるだろう。自分が招かれた理由を、カナデはだんだんと実感してきた。セシルを通じてハッキネンから言われた言葉が重みを増してくる。
…あなたが思うよりもずっと重いものを背負っている…
夕闇が迫る。ホテルに入った。ナントほどではないが規模はこの辺りでは一番大きそうだ。最上階のスイートルームを用意してあった。しかし一息つく暇はない。ロザリーが予定を告げながら礼服を用意してくれた。デビュタントの時に、リシュリューが何着か作らせていたのだ。ラファイエットらしい淡い色合いだ。ピンクなのが少し恥ずかしい。
アルニウスのトップクラスと面会だ。場所は晩餐会の会場となるアルニウス宮殿だ。かつて王政だった頃の王族の住まいだ。共和国となってから百年経過しているそうだ。
晩餐会が始まる前に会場入りした。手前にウェイテングルームがある。まずそこで待機だ。トレイに飲み物を乗せたウエイトレスやウエイターが招待客の間を歩く。参加者はそれぞれに会話を楽しんでいるようだ。カナデの周囲には人垣ができていた。一言でも挨拶をしようと集まっているのだ。ここにはさすがにダヴィッドはいない。参加者の一人であるヒューゴが懸命に仕切ってくれる。
パルクの顔もある。彼もアルニウス人に囲まれていた。
また人々が騒めいた。新たな顔がやって来たのだ。見事な金髪の彼は小松狼太だった。アンリが横にいる。青い礼服だ。きっちりとボタンをしめている。髪もきちんとセットされているし体格も大きい。颯爽と歩く姿は芸能人のようなオーラを発していた。アンリが横にいる。護衛士ながらも侯爵位だからこその参加だろう。
カナデの動きが止まった。その緊張をすぐにヒューゴが察した。別ルートで回るはずのロウタだ。しかしアルニウスのトップとの顔合わせ的な晩餐会だ。同席させない方が不自然だ。彼の暴行事件や嫌疑はアルニウスには伝えていない。
ヒューゴがカナデの腕を引いた。
「とにかく先に行くぞ」
ロウタがカナデを見つけるより先に、二人は会場に入った。周囲の人々もぞろぞろと付いて来る。給仕に案内されて席に着いた。席次表がある。ヒューゴは末席だ。腕をぽんぽん、と叩いてくれた。ここでいったん離れるしかない。
続々と参加者が席に着く。カナデの上席の隣はパルクだ。軽く会釈する。そして逆の隣。給仕の引く椅子ががたりと鳴った。カナデの全身が緊張する。そちらを見られない。
「元気そうだね。髪が伸びたな」
ロウタだ。彼の声は明るく伸びやかだ。カナデの頭に手を伸ばす。彼を見ずに首を振った。
「触るな」
「ああ、驚かせてごめんね。久しぶりで嬉しくなっちゃったんだ」
口調が違う。ちらっと見上げると軽く頷いた。表情も親しみのこもった笑顔だ。カナデは逆に背筋に寒気が走った。高校に入学したばかりはこうだった。彼はむしろムードメイカーでたくさんの友達に囲まれていたのだ。だが親しくなればなるほど別の面が出て来る。
アルニウスでは初対面の者ばかりだ。彼は表の顔を見せている。暴行事件や爆発の嫌疑を知られていない場所だ。冷たくあしらえばカナデの方が色眼鏡で見られかねない。
ロウタは笑顔のままでカナデの耳元で囁いた。
「王弟殿下にうまく取り入ったそうじゃないか」
パルクがこちらをうかがっている。カナデは膝の上で拳を握りしめた。挑発に乗ってはダメだ。ロウタは口の中でクックッと笑って席に着いた。
やがて政府の重鎮たちが現れた。オリヴェル・ハカミエス大統領、リアム・ベックマン宰相、ローヴェ・バーリ将軍だ。この三人がいわゆる立法・行政・司法の三権を統括しているのだろう。名前を覚えるのをカナデは最初から放棄した。ただ肩書を頭の中で何度も繰り返す。
大統領の挨拶で晩餐会が始まった。公式な場所だけにカトラリーは銀色だ。おそらくこの国では最高級の品だろう。メニュー表が目の前に置いてある。カナデはちらりと見ただけだ。
(日本語で読めても、どうせ違うだろうなあ)
皿の上の野菜は見た事もない形と色だった。魚醬の風味を感じるドレッシングだ。初めてではないのか、パルクは平然と口に運ぶ。
アルニウスの面々の興味は異界人に集中しているようだ。しかし会話はもっぱらパルクが応対してくれた。カナデやロウタがまだ国際情勢に詳しくないのを分かっている。
ふと見上げると、藍色の壁にベージュ色のはめ込み時計がある。盤面は飾り文字で華やかだ。針も先端が緩やかな曲線を描く。ラファイエット風の色と装飾だ。上部の両開き扉は、定時になると仕掛けが出る仕様だろうか。
(ジャンのパパが作るってこういうのかな)
カナデの視線に気が付いたようだ。ハカミエス大統領が声をかけてきた。
「あの時計がお目に留まりましたか、チュウゼンジ卿」
「はい。仕掛け時計ですか?」
パルクが頷いた。
「両国の友好の証として、わが国から贈った物です。あれはナント事変の前でしたかな」
「その通り。その後は国交が途絶えてしまいましたが、こうしてまたラファイエットから訪問いただけるとは喜ばしい限りです」
カナデの知らない両国間の小競り合いがあったようだ。政治の場ではどうしていいか分からない。
(ご飯の味がしないよ…)
マナーについてはがっちりと仕込まれた。今更ながらデルフィーヌ・デュポンドルールに感謝だ。ロウタもモリスに指導されたようで、違和感なくナイフとフォークを動かす。将軍や宰相と視察の感想なども話し合っている。
末席をうかがう。ヒューゴと目が合った。彼は親指を立てた。大丈夫。そう言われているようだ。少しほっとする。
ハカミエスは何とかカナデと話しがしたいようだ。また声を掛けて来る。
「チュウゼンジ卿、視察はいかがですか? 何かご不便があれば遠慮なくお申し付けください」
「いえ…何も…」
思わずもごもごとしてしまう。本来ならこんな場所にいる自分ではない。ハカミエスは追い打ちをかける。
「前回のナントご訪問では、充分なおもてなしをできず残念でした。…何しろ妖狗が大量に飛来しましたからな。珍しい事ではあります。御使いとして何か思う所がありましたら是非お聞かせいただきたい」
いや知らんわ! と思わず突っ込みそうになる。ロウタが山を揺らして発生させたなど、この時点ではカナデには思いもよらない。そこへロウタが口を挟んだ。
「もちろん私たちが訪れたせいでしょう。異界人であり強い力を保持しています。彼らは私を試すべく押し寄せたのではないでしょうか」
ハカミエスは彼を見た。
「なるほど。妖狗を収めたのはあなただと伺っております」
「その通り。私です」
「我らの世界にはない強大な力をお持ちのようですな。チュウゼンジ卿も同じですか?」
ごっくん、と喉が鳴った。どれほどの情報を伝えてもいいものか。
「いいえ。私に魔力はありません。ロ…コマツ君のような力を発揮できません」
正直な所だ。ローヴェ・バーリ将軍が加わる。
「地震の前後に黒の八芒星魔法陣が広がるのを市民が目撃しております。それならあれはどこから来光したのでしょう。お二人が保持しておられるのですか?」
意味ありげに異界人の二人を見る。パルクとロウタの視線も感じる。カナデはじっと食べかけの皿を見下ろすばかりだ。黒の八芒星魔法陣を持っていると教えていいのだろうか。
(…いや…ダメだ…)
カナデ自身では何もできない。だからこそだ。最終兵器ともなりうる機構を、国同士の都合で使われる可能性もある。それは真っ平だ。
「グリフィス神…では…」
ぼん、と時計が鳴った。扉が開く。外にレールが伸びた。軽やかな音楽が流れた。オルゴールに似ている音色だ。それに合わせて花や鳥がくるくると回る。
パルクがグラスを片手に立ち上がった。
「我が国よりの時計も、この晩餐を歓迎してくれているようです。より一層の交流を願って、いざ再度の栄弥を! 皆さまご賛同いただければご起立を」
座が賑やかになる。ウエイターが急いで空のグラスを満たした。参列者がグラスを手にして立ち上がった。
「乾杯!」
さすがは政争の荒波をくぐってきた宰相である。仕掛け時計とパルクの機転のおかげだ。黒の八芒星魔法陣を保持しているのがカナデだと、ここで言質を取られずに済んだ。
この後は、パルクの独壇場だった。彼は他愛もない話を相手が飽きないようにする話術を心得ているようだ。カナデやロウタに八芒星魔法陣の話題が振られる隙を作る事は無かった。
緊張の時間は二時間ほどで終わった。宿泊場所は晩餐会の会場に移されていた。移動にかかる時間を軽減してくれたつもりだろう。元は王宮だけあって、ロザリーとダヴィッドの間も完備だ。それはいいのだが、隣がどうやらロウタである。同室でなかっただけマシだ。ダヴィッドが室内で寝ずの番をしてくれる事になった。万が一のロウタの侵入を防ぐ為だ。パルクと同室にならないものかと、一瞬考えてしまったカナデだった。
危惧はロザリーも同じだ。
「ドアの前にソファを置いて、ダヴィッド。窓にはテーブルを置きましょう」
暴行事件の詳細を知らないダヴィッドは首を傾げる。
「親善訪問の迎賓館ですよ。そこまでしますか?」
やりかねない、とロザリーとカナデは目を合わせて頷いた。
この心配は当たっていた。隣室では少し揉めていたのだ。突撃しようとするロウタをモリスが止めていた。礼服を脱ぎ、リラックスした服装のロウタは、今にも窓から出そうだった。正面から行ったらドアさえ開けてくれないかもしれない。だからベランダ越しに窓を開けさせようとの心づもりだ。モリスがカーテンを後ろ手に閉めて首を振る。
「いけません。やめて下さい」
「友達に会いに行こうとしているだけだ。何でダメだ? モリス、妬いているのか?」
「それだけではありません」
「やっぱり嫉妬か」
ロウタは片頬を歪めて笑った。
「俺の恋人のつもりかよ。まあ波動の練習に付き合ってはくれたけどな、俺は頼んでない。お前が好きで勝手にやったんだろう? 寝たのだってお前からだ。そうだ、お前も来い。カナデを押さえろ。三人でやるか」
勝手な言い分だ。それでもモリスの静かな笑顔は崩れない。
「あちらにも護衛士がいます。騒ぎにしたくないのです」
「波動で叩く。気絶させてやる」
ドアがノックされた。二人とも肩がびくりとした。さらにもう二回。モリスがロウタを横目に見ながら鍵を開けた。やって来たのはアンリ・ヴァランタンとジョルジュ・パルクだった。
「邪魔するよ。少し話がしたい」
彼は当然のように応接セットの上座に腰を下ろした。堂々とした態度だ。伯爵ながらも国のトップだ。アンリが傍らに立つ。二人で並ぶとさすがに威厳がある。ロウタは気圧されて黙って立っているだけだった。
「コマツ、君はラファイエットに戻るつもりはあるのか?」
モリスはそっとロウタの背中に触れた。小さく震えている。そっと押した。宰相の前に座らせる。ロウタは小さく息を吐いた。そしてパルクを見上げた瞳は取り戻した強い力で満ちている。
「それなりの待遇をしてくれるのなら喜んで」
「難しいな」
モリスがティーカップを運んで来た。向かい合う二人の前に置く。パルクは背面に寄りかかった。
「チュウゼンジ卿は王弟殿下のお気に入りでね。その暴行現場を当の殿下に押さえられているんだ」
ロウタの声が大きくなった。
「だからそれは勘違いだと何度も言ったんです!」
「報告書は私も読ませてもらった。あれは…」
パルクは肩をすくめて見せた。一方的な暴力だった。口にしなくても自分で分かっているだろう…とのジェスチャーだ。
「捏造だ!」
ロウタの答えにアンリの顔が一瞬歪んだ。ロウタは一貫して無実を訴え続けている。逮捕されていないのだから事実は違うかもしれない。そう思って彼を信じようとしたのだ。かばいもした。しかしロウタがどう言おうがリシュリューの目撃証言の方が遥かに重視されるのだ。ロウタの嫌疑を覆すのは難しそうだ。
「責めているのではない。君の為にはどうするのが良いだろうと考えたのだ。アルニウス側へ残る選択肢がある。ここに住むには不都合がありすぎるが、ナント自治区か近隣ならば不便はないだろう」
膝の上で組んでいるロウタの指が白い。アンリが言った。
「コマツ殿は優れた力をお持ちです。妖狗を自在に扱えるのです。それを追い出すのですか? ラファイエットにとって大きな損失です」
「神獣扱いの狗どもを使えるのなら、アルニウスでは神格化されるだろう。今の歓待ぶりを見るがいい。君を手にしてこちらに強気に出るかもしれないが、それで国交回復がスムーズに進むかもしれない」
「両国に一人ずつ異界人を分けるという事ですか?」
「その通り」
パルクは口にしなかったものの、ロウタには爆破事件の容疑も掛けられている。ラファイエットに帰国しても下手をすれば逮捕だ。それに自国には黒の八芒星魔法陣の方が欲しい。妖狗を使えるよりも遥かに使い勝手が良いのだ。病院での救命活動も知っている。
さらに異界人を一人譲った事で、アルニウス側への印象も良くなる。ロウタがアルニウス側に身を置くのは、両国にとってはメリットばかりだ。
ロウタは指を解いた。お茶に口を付ける。
「ふうん…」
「すぐに決めろとは言わない。考えておいてもらおう」
ここでパルクもカップを持ち上げた。
「ふむ、良い薫りだ。これらの茶葉や珍しい食べ物なども、国交回復により国内で流通するだろうね。その恩恵は君によるものとなる」
そして立ち上がりざまに、ロウタの肩をぽんと叩いた。
彼が去ってしばらく室内は無言だった。モリスがカップを片付ける音だけだった。アルニウスの初秋は空気が冷たい。夜の闇がなおさら寒さを部屋に運ぶ。
一方のカナデの部屋。訪問したのはヒューゴと二人の護衛士だった。どちらも立派な体躯だ。百九十センチを越えているダヴィッドが目線を上げるほどだ。これほど大きなアルニウス人も珍しい。
「こいつらニューホルム警護社のモンだ。まあいわば俺の子飼いだな。魔力も少しはある。夜は付けてやるぜ」
護衛はダヴィッド一人だと手薄になりかねないし、負担が重すぎる。それを補う為だ。カナデの打ち明け話を聞いたせいだろう。要注意人物がまさかの隣室だ。用心は必要だ。
「え、ヒューゴが手配したの? あの…じゃあ警備のお礼…」
「やめろよ、寝言を言うな。こいつらが御使い様のお役に立ちたいって言うから連れて来ただけよ。そうだろ?」
「はい。謹んでお勤めさせていただきます!」
二人は深々と礼をした。
カナデに心理的な負担をかけまいとするヒューゴの言葉は有難い。しかし彼らのきらきらした瞳に圧倒される。
(……重い……)
何度目なのか。『御使い』に対する敬愛があからさま過ぎて、逆に萎えるカナデだった。もっともダヴィッドとロザリーにはゆっくり休んで欲しい。喜んで…とまではいかないが、有難く申し出を受けたのだった。また、グリフィスが国民に広く愛されているのだと思うと嬉しかった。彼は地下にいても、きっと孤独ではないのだ。
ツヅク! 次回 Ⅴ-Ⅱ アルニウス訪問 そして陰謀が王宮を揺るがす
アルニウス視察が続く。観光名所の湖にまさかのアレ? ロウタの企みがヤバいです
お読みいただきありがとうございます。
無事にアルニウスを巡って、いよいよ首都に到着しました。
とりあえず平和な感じです。




