Ⅲ-Ⅰ ナント自治区へ そして外出の代償は
いよいよアルニウスとの共同統治の町、ナント自治区へ。
先に到着したロウタは とある策略をめぐらす。
Ⅲ-Ⅰ ナント自治区へ そして外出の代償は
「腰は痛くない?」
「う~ん...背中の方がちょっと...」
「はい、どうぞ」
セシル・レイがカナデに追加のクッションを渡した。
馬車は上下動が激しい。サスペンションもあるのだろうが、列車に比べて乗り心地がよろしくはない。何しろ車輪は鉄製だ。道路のでこぼこの影響をもろに受ける。
「ありがとう」
セシルの気遣いに感謝しつつ、クッションを背中に押し込んだカナデだった。
王宮を出発して二日目だ。途中の町デゥダンで一泊した。そして今日も走り詰めだ。昼食を取ってから、何度か短い休憩はある。主に馬を休ませる為のようだ。それでも乗りっぱなしには違いない。
アルニウスに向かう使節団の馬車列が進む。リシュリューとカナデを始めとして、事務方や護衛も同行する。そのため車両もそれなりの数がある。カナデは平民なのでリシュリューとは違う車両だ。
隣にセシル、向かいには護衛士マチアス・ジュスタンが同乗している。窓のカーテンは閉まったままだ。テロ防止とカナデが酔いそうになった為である。かつて乗り物には特に弱くはなかった。遊園地のいわゆる絶叫コースターも平気だったのに、どうもこの地に来てからは体質が変わったようだ。うっかりすると陽の気を浴びすぎてしまうのか、すぐに体調を崩してしまう。
ロウタは前日に出発済だ。同行したのは護衛士団長アンリ・ヴァランタンとジョルジュ・パルクの一行だった。
マチアスは遠足にでも行くような表情だ。カナデのぐったりした様子を分かっているのか、喜々として話しをしている。
「ナント自治区は初めてだなあ! セシルは行った事ある?」
「ええ、何度か」
「へえ~。じゃあ案内してよ。そうだチュウゼンジさん、知ってる? ナントだけはアルニウスから奪えなかった土地なんだよ」
「そうなんだ」
国の歴史などまだまだ疎い。ここからマチアスの簡単な歴史講座が始まった。
ラファイエット人は、もともとは海沿いの南の地方に住んでいた。自国の勢力争いを避けて北上した一族が始祖である。しかし大陸の中央の先住民はアルニウス人と妖狗たちだった。領地をめぐって争いが起きた。
魔力が強いラファイエット人は、すぐに肥沃な中央の平地を奪取した。アルニウス人と妖狗は徐々に北東の山岳地帯へ退避した。
ナント川は西アトラン山脈を水源とする大河だ。ここの対岸同士で両国がにらみ合った。どちらの岸も川が運んだ土砂で豊かな土地である。しかも広い平地は、アルニウス側の最後の砦でもあった。戦いはなかなか決着がつかなかった。更に奥地に攻め込むには、ここを陥落させる必要がある。
またここを手に入れたいのは、希少なイリザスィヨンの為でもあった。
「イリザ...?」
「そう、イリザスィヨン。水晶に光を通すとプリズムで光るだろう? あんな色がもとから付いている透明な貴石があるんだよ。だから『虹の色』。他の鉱石が内部で結晶するから発色するらしい。産出するのが東アトラン山脈だけなんだよね」
アルニウスとラファイエットの東よりの国境付近、現在のオーギュ地方である。ただしラファイエット側では産出しない。
アルニウスでは、淡い色より濃い方が人気だ。そのうえ、地下採掘が禁止だ。地上に露出した分だけを少しずつ採取する。流通量は少ない。それだけに希少性が高まり、高値で取引されるのだ。ラファイエット側としてはこの鉱山も欲しい。
「だから何度も攻撃をかけたんだよ」
だがことごとく跳ね返される。大きな原因はグリフィスの存在だ。唯一の神獣が外来の支配を許さなかったのだ。ラファイエット人の魔力では、追い払えても倒せない相手だ。
両国はここで停戦を行った。長引く争いはどちらにも益にならない。どうしてもナント川両岸を手に入れたいラファイエット側と、貴重な平地を失いたくないアルニウス側。占有権の折り合いは難しい。結局は川を挟んで領有権が別れた。南岸はラファイエット。北岸を共同管理の非戦闘地帯としてナント自治区とした。
「敗北ではないよね。今の王族と高位貴族たちが、闘いの英雄なんだよ。だから魔力の強さが階級の高さになるんだよね」
ニコニコと説明してくれるマチアスだ。
(普通に侵略者だよね...?)
カナデはリシュリューを普段の行動を思い返す。
(ラファイエット人って割と強引なんだな)
リシュリューだけがそうなのかもしれないが、有無を言わさず行動に移してしまう。風呂の話をした日もそうだった。ベッドに運ばれた後、さんざんキスのシャワーを浴びた。後は軽いお触り程度で済んだものの、同じベッドで朝を迎えた。殆ど恋人扱いだ。使用人たちにどんな目で見られているのやら。その日以来、夜には逃げるように『蝶の間』へ直行だ。同じベッドで寝ないようにしている。
(ちょっと...恥ずかしいし...)
まだ心の整理がつかないのだ。
ナントへの使節団の為、仕事は忙しいようだ。帰るのが遅い日も多い。それでも必ずカナデの元を訪れる。寝たふりをしていると、頬や髪を撫でられる。リシュリューの体温を感じるのは決して嫌ではない。無理をさせないと言った通り、すぐに立ち去る。
(嫌じゃないって言ったけど...むしろ気持ちいいかも...だけど...)
このまま進んでもいいものか。この世界での立ち位置が不明確だ。これから自分がどうあるべきか分からない状態なのだ。いわば無職のニート状態だし身分制度の厳しさも知らされた。
車窓はカナデの戸惑いなどお構いなしで流れ去る。
「...ナントまでどれくらいかかりそう?」
セシルが答えた。
「あと丸一日くらいかな。列車を使ったらもう少し早いかもしれないけど。まもなく宿泊地に着くわ」
「到着まで二泊? かなり遠いね。鉄道はナントまで通じてないの?」
「行けるわよ。でも今回は王族もいらっしゃる使節団だから馬車なの」
鉄道だと進路があらかじめ分かっている。万が一のテロなどを避けるための馬車利用だ。通行箇所は直前まで秘密だ。さらに馬車列全体に防護陣が張ってあるらしい。マチアスも協力しているそうだ。自分で魔力を使えないカナデや、力の弱いセシルには見えない。
また少し気持ち悪くなってきた。フーシェ閣下からもらった酔い止めも効いているのか、頭がふわふわする。瞼が勝手に下がるような感じだ。そのまま眠ってしまったらしい。ふと気が付くと、馬車の中に灯りが灯っている。かなり時間が経過したようだ。
少し眩しい。また目を閉じた。まだ睡魔が頭から離れない。マチアスとセシルが小声で話している。
「遊びに行くのではないでしょう?」
「少しくらい自由時間だってあるだろう? セシルが行くって聞いて嬉しかったんだ。少し付き合ってよ」
「カナデの付き添いだから無理」
「まあそうだけどさ...。ねえセシル。もうずいぶん一人だろう? 俺は年下だけど頼りになる男だよ? チュウゼンジさんと話している時、ずいぶんと仲良しの感じじゃない? 複雑なんだよ~俺」
やはりマチアスはセシルが気になっているようだ。一気に眠気が飛んだ。しかしこの会話の途中で目を開けるのは気まずい。カナデは懸命に寝たふりを続けた。
幸いまもなく宿泊地デュダンに着いた。森の中の都市だが、規模はかなり大きい。鉄道も通っているそうだ。ホテルではなく、町長の館に一泊だ。地方の有力者の邸宅はちょっとした城だ。リシュリュー宮ほどではないにしろ、二十人ほどになる使節団も余裕で泊まれる。カナデとマチアスが同室を割り当てられた。他には文官二人も一緒の四人部屋だった。
やはりリシュリューは別格だ。夜には歓迎の晩餐会も催されるようだが、カナデやマチアスは参加しなくても良い。食事は自由にして良いとの事だが、万が一を考えて町に出る許可はリシュリューから出なかった。その代わりに部屋まで運んでもらう。
ここでもやはり自由に外出はできない。窓から暗くなる空と町を眺めるだけだ。高い山脈が近くなった。西アトラン山脈だとマチアスが教えてくれた。この地にも電気は通っている。ホテルの中は完全電化のようだ。町全体も明るい。家々の窓が黄色く光る。動力は分からない。
リシュリューは最上級の客間に通された。ディミトリ・コリニーも同行している。ナントには入れないが、自国内は随行している。護衛として同じ部屋の控えの間に宿泊する。ロザリーが荷物を整理している間、二人は部屋のバーカウンターで酒の炭酸割を作っていた。どこか浮かない顔のリシュリューにディミトリが声をかける。
「付いていけないのが残念だよ、殿下」
「まあそれは仕方がない。それよりもカナデがなあ...可愛いんだ」
ディミトリは酒を噴き出すところだった。これからアルニウスとの会談に臨むのに、気になる所がそこか。
(大物だよな...)
と半ば呆れつつも感心する。
「まだここに来て二か月やそこらだろう?」
「時間は関係ない。容姿はもちろんだが、行動や言う事も全てが可愛らしくてたまらん」
「いっそ正式に側室にしてしまえ。それならアルニウスも手が出せまい」
平民の身分では王族と婚姻はできない。しかし側室なら可能だし、貴族位を与える選択もありだ。
リシュリューはカウンターに寄りかかった。
「カナデの気持ちは分かった。俺を夏の眩い太陽と言ってくれたんだ」
思い出したのか、目がうっとりと潤む。ディミトリは逆に醒めた目付きだ。
「ではいいだろう。同じベッドで眠ったのか? 今さら何を悩む?」
「キスはした」
「...だけか?」
リシュリューはまた陶然と表情を緩める。
「実はもうちょっと触れた。だが来たばかりだ。カナデはまだこの世界の慣習など把握しきれていない。身分についても未確定だ。だからモノにしても良いのか迷っている」
「何を言っている。王族の側室になれるんだぞ。どこに不満が? それに時間など関係ないんだろう?」
言葉のブーメランを食らってしまった。リシュリューは柄にもなく口ごもる。
五年前の婚約破棄が頭に浮かぶ。まだ先代王が存命の時だ。上級士官学校の卒業と同時に、先代王の主導で婚約が決まった。侯爵家令嬢なので、身分のつり合いは許容範囲だ。容姿も申し分ない。社交界でも人気だった。何度かデートをしたのだが、いつも笑顔で話も合う。リシュリューの心にも相手への愛しい感情が湧いてきた。
そんな矢先だ。とあるパーティーでの出来事だ。令嬢たちがホールで談笑している。その中に彼女を見つけた。少し驚かそうかな、と物陰からそっと近づいた。華やかな笑い声に交じって彼女が言った。
『王太子ではなくて残念。皇后になりたかったのよ。でも王族だからリシュリュー様でもいいわ。それに王太子妃には結婚して一年以上経つのにお子様がいないでしょう? このままお生まれにならなかったら私の子供が王位につけるわ』
彼女は、当時の王太子であるオレリオンソルに輿入れしたかったのだ。しかし幼少時からベルナデットという許嫁がいた。それでターゲットを弟のリシュリューにしたのだ。
王族ともなれば、結婚相手は自由に選べない。家柄や貴族の勢力関係である程度決まってしまう。リシュリューもそれは納得の上だった。しかし『お子様』発言は棘になって突き刺さった。リシュリューとベルナデットも幼馴染だ。王宮内で兄と共に三人で楽しい子供時代を過ごした。妹のような存在だ。それが貶められるのは心が痛む。
リシュリューはそっとその場を離れた。内なる野望を知ってしまった。彼女を伴侶には選べない。しかし王族から断るとなると、彼女と家名を傷つけてしまう。また縁談を破棄できるほどの瑕疵は、公には彼女には無い。
あちらから断ってもらう。
そう決めた。それからギャンブルにのめり込むふりをした。派手に遊びまわり、金を放り投げるように使った。最後には遊学と称して外国へ逃げた。彼女に連絡を一切入れなかった。複数の相手と付き合っていると噂を流したりもした。
すると彼女よりも彼女の父が音を上げた。約一年もその状態で放置だ。しかも悪い噂が流れる王子だ。第二王子妃の位は魅力的だが、いつまで待たされるやら。娘を行き遅れなどと不名誉な呼び方をさせたくない。それで恐れながらと婚約破棄を申し出た。そしてすぐにそれなりの貴族と婚姻させたのだった。
リシュリューが帰国したのはそれから数か月後だ。父王はもちろんご立腹である。罰として魔闘士団の総裁を任じられた。普通なら王族は固有の組織に所属して勤労などしない。つまり罰である。王族としての務めと、総裁の仕事をこなすのは忙しい。遊ぶ暇など与えない意図だったろう。
もともとただ悪ぶっただけのリシュリューだ。魔闘士の資格は持っている。むしろこの職は楽しかった。元通りにふるまうだけだ。地に落ちた悪評がV字回復するのにそれほど時間はかからなかった。二年前に先代王が崩御した後も総裁を続けている。
何度か恋人はできた。しかし女性不信というほどではなくとも、婚姻となると腰が引ける。そこまで進むには、かつての婚約者の言葉が重い。相手は自分を身分だけで見ているのではないか、と不安な気持ちが頭をもたげる。兄夫婦よりも先に子供ができるかもしれない。そこにも遠慮があった。
カナデが身分制度の重さを理解したら、やはり王族だからという理由でリシュリューを受け入れるのだろうか。そうなるのが怖い。
「カナデが愛しいからこそ迷うのだ」
「よく分からん」
事情を知らないディミトリは、首をかしげるばかりだ。
護衛士団副長官セブラン・キルデベルトがやって来た。リシュリューは仕事モードの顔に戻った。敬礼する彼に声をかける。
「コマツはもうナントに着いているな」
「はい。本日到着しました」
「奴の普段の様子はどうだ?」
「モリス・ベルナールを付けて、この国の歴史や習慣などを教えています。退屈はしていない模様です」
「彼か。若いが優秀な人材だと聞いている」
実は二人でロウタの波動能力を練習している。爆発事件の犯人も彼だ。キルデベルトは知ってはいたが、ここでリシュリューに告げてよいものか決めかねていた。上長のアンリ・ヴァランタンには口止めをされていたもののリシュリューは更に上の立場だ。
「先の会議で護衛士の待遇改善を言っていただろう。ヴァランタンはどういうつもりだったのか。外交が厳しい処へ爆破事件も重なった。大変な時期だと分かっていてのあの発言とはね」
タイミングが悪い。それはリシュリューも分かっていた。強い言葉で遮らなかっただけだ。キルデベルトは頭を下げた。
「申し訳ございません」
「謝罪は不要だ。責めているのではない。キルデベルト、君は先代からの忠臣だ。ヴァランタンはまだ若い。しっかり支えてやってくれ」
「勿体ないお言葉、有難く存じます」
キルデベルトはまた頭を下げた。ここでアンリの企みを言ってしまおうか。心が大きく揺れ動く。リシュリューはアンリを気遣ってくれている。それに報いたい。しかし正直に告げたらロウタはもちろん、アンリも唯では済まないだろう。王都に甚大な被害を与え、死者さえ出た。
「疲れているようだな。報告が無ければ、もう控えに下がって良い。晩餐会の支度はロザリーに任せる」
目配りが部下にも及ぶ。リシュリューは上に立つ資質を備えている。比べて自身の長官はどうなのか。キルデベルトは気が付かれないように唇を噛んだ。
翌朝は、朝食後にすぐ出発だ。カナデの同乗者は引き続きセシルと、どことなく拗ねた感じのマチアスだった。振動に長く晒され続けると胃に影響を及ぼす。カナデはぐったりとクッションの山にもたれた。セシルはそんなカナデの隣に腰を下ろして、あれやこれやと世話を焼いてくれる。そのせいか、お付きの二人は会話が弾まない。何となく居心地の悪いカナデだった。やがて太陽が真上に差し掛かる。唐突に馬車が止まった。
セシルがカーテンを少しめくった。柔らかい日差しだ。
「起きられる? カナデ、シュドナントよ。ナント川の南岸に着いたわ」
はっと身を起こした。少し灰色がかった空がまず目に入る。流れる車窓から高い山脈が見える。左が西アトラン山脈、右が東アトラン山脈だ。そして緑の木々。葉の色がラファイエット中央部よりも遥かに濃い色だ。
灰色の大河ナント川が眼前に広がる。大きくカーブしてラファイエット側へ流れる。だから対岸へ渡るのはここしかないようだ。ナント自治区を過ぎると、川は東アトラン山脈の麓を流れるのだ。そこが盗掘の舞台になったオーギュ地方だ。
目の前に橋がある。列車用の鉄橋も近い。馬車用の橋は橋脚が石積みだ。既視感がある。
(あ、長崎のメガネ橋!)
それより規模はかなり大きい。ロンドンのタワーブリッジにも似ているようだ。マチアスも身を乗り出した。
「ナント大橋だ。でかいな! でもネーミングが安直すぎない?」
「うん。ひねりが無い」
思わずカナデも頷いた。セシルが首を振る。
「いいじゃない! 分かりやすいのが一番! これもあっちの鉄橋も造ったのはラファイエットなんだから!」
ナント自治区で使われる貨幣や経済活動は、より経済的余裕があるラファイエット王国に依存しているのだ。
カナデは馬車の扉を開けた。御者は馬ごといない。交代らしい。車両から降りる踏み台も見当たらないが、よいしょっと飛び降りた。マチアスが続く。川岸の森だった。この位置からはよく見えないが、シュドナントも相当に栄えている町らしい。
「馬車から離れないで!」
セシルのお願いを背に、大きく息を吸い込んだ。水と草木が萌える匂いだ。程よく湿気がある。呼吸が楽になるのを感じた。四肢に感じる重みが楽になる。
「アルニウスって陰が強い国なのかな?」
「その通り! 本国はナントから更に奥の山の方だよ。でもここの陰の気は川が近いせいだ」
それでも空気を爽やかに感じる。陰気の土地ならカナデの体調に合うのだろう。
川幅は広いのだが、天気も良くて対岸の景色はよく見える。こちら側と似たような街並みのようだ。マチアスが指を指す。
「ほら、すごい防護陣が掛けられているよ」
セシルが目を細めた。
「ええ。私にも分かるくらい」
もちろんカナデには何も見えない。町を守る為の防護もある。それ以上に中の魔法が漏れないようにとの方策だ。ナントとそれぞれの自国で密通されない為だ。電話や手紙など通信手段を使わなくても、離れていても魔法陣をシンクロさせれば亜空間で連絡が取れてしまう。それを防ぐ魔法だ。
「どうして僕とロウタを引き取りたがるんだろう」
セシルとマチアスは目を合わせた。
「さあ...」
言葉を濁す。アルニウスからしたら、二人はグリフィスの賜物である。それを本人に言ってよいものか。
ここで魔闘士たちは使節団から離脱して待機だ。ディミトリとリシュリューが何か話している。周囲にも侍従や護衛士が控え、とてもカナデが近づける雰囲気ではない。
ディミトリ達とは一旦ここで別行動だ。荷物を下ろす従者も見えた。新しい馬も曳かれて来た。
対向車線には大きな門がしつらえてある。検問を行っているらしい。馬車や数少ない車が渋滞だ。逆にナント入りの道には何もない。
「入国は簡単なの。逆に出国のチェックは厳しいわ。スパイが出入りしないように監視するから。身分証明書だけじゃなくて出国許可証が必要だし、二つ揃っていても確認作業が長いのよ。面倒よね」
出国者はお互いの国の役人がチェックするそうだ。さらに手紙や郵便物は無作為に検閲される。ナント自治区にはそれを納得して住まなくてはならない。
御者が戻った。新しい馬を繋ぐ。踏み台を出すまでもなく、マチアスがひょいっとカナデを背後から抱える。車両に乗せてくれた。再び揺られる事になる。しかしすぐにナント大橋に乗り入れた。使節団の馬車だけが進む。
カナデが疑問を口にする。
「通行止めをしたのかな?」
マチアスが答えた。
「もちろん。王家の馬車列だよ」
移動はスムーズだ。向かいの検閲所を横目に通り過ぎた。
いよいよナントだ。橋から大きな通りに繋がる。馬車の速度がゆっくりになった。左右には石積みの四角い建物が並ぶ。殆どが三階から四階建てほどだ。白が強い王都よりも色のバリエーションがある。
(やっぱり古いヨーロッパみたい)
ただ対岸のシュドナントと違いは、道路沿いに一定間隔で街灯がある事だ。王都でさえガス灯なのに、こちらは電球だ。しかも空に電線が渡っていない。地下埋設のようだ。電気と、それに伴う技術がラファイエットより進んでいる。
また道路の状況が違う。馬車の揺れがかなり安定する。蹄の音も小さくなった。真っ黒な舗装に覆われているからだ。マチアスが目を丸くした。
「道が黒い!」
地表の土さえ赤茶色のラファイエット王国だ。ナントが初めてのマチアスは、この道路にかなり驚いたようだ。セシルが答えた。
「瀝青っていうんですって。これを噴き出す湖がアルニウスの奥にあるって聞いたわ」
いわゆる天然アスファルトだ。地表に出た原油の揮発成分が失われた後に、強い粘り気を持つ炭化水素類が残る。それを加工して道路を舗装する。共同管理の地域だけに、お互いの国から様々な物資が集まる。ラファイエット側は黒を厭うお国柄とはいえ、アスファルト舗装の快適さは拒めなかったようだ。黒い道はずっと続く。
道の両側では人々がラファイエット国旗を振っている。使節団を歓迎だ。その面々を何気なく追っていたカナデは、目をぱちぱちさせた。二度見しようにも馬車は通り過ぎてしまう。
服を着た犬だ。あちこちに立っているのだ。彼らも目を細め、手を大きく振って馬車を見送る。
「えーと、あれは犬...?」
「狗属っていう人種だよ。俺も生で見るのは初めてだ」
「人間? アルニウス人? 狗って犬って意味だよね?」
「うん。奴らは俺達を猿属って呼ぶからお互い様だな」
人間が二種類いるのだ。猿の系統と犬の系統だ。アルニウス人の体つきは人間なのだが、顔は犬そのものだ。服から見える肌は全て毛に包まれている。その体をゆったりした服に包む。手の甲も短い毛に覆われているが、こちらに振る手は五本指で毛はない。猿属の指よりも短くて太い。いかにも肉球から進化した見かけだ。
「尻尾はあるのかな?」
「無いはずだよ」
直立歩行になれば尻尾はむしろ邪魔になる。退化するのは必然だろう。
(やっぱり異世界なんだな)
と圧倒されるカナデだった。広い道だ。植え込みや庭園のある大きな建物を幾つか過ぎた。セシルが説明してくれる。
「この辺りは経済とか政治の中枢部ね。あっちが商工会議所。右は評議会。明日の会議の会場よ」
ナントは両国の代表の合議制で運営されている国だ。その議会と言うべき場所が評議会場だ。白っぽい石造りで、簡素ながらも彫刻に囲まれている。塔も複数あり、城と呼べる規模だ。
建物はほぼラファイエットの建築による。本国よりも装飾はシンプルながらも、どの建築もやはり美しく設計されている。
そこを過ぎると、小ぶりな建築物が多くなる。店が増えた。経済地区に入ったようだ。日本でいうなら、東京駅か新宿駅の近くといった風情だ。
「カナデ、着いたわよ」
見物人の間を縫って五階建てのホテルに到着だ。ナントパレスホテルという名前が読み取れた。王都を出発して丸二日半かかった。
「アルニウス人がいないね」
「ラファイエット系のホテルだから。アルニウスのホテルは近くにあるわよ」
ホテルの従業員はラファイエット人ばかりだ。
大理石に似た石のロビーは広い。端に喫茶コーナーがあるのはカナデの世界と一緒だ。コンシェルジュ近くの壁には時計が複数。各国の時間の表示だ。いかにも国際色溢れるホテルだった。
ここでもマチアスと同室に案内された。セシルも一緒だ。部屋は二階だった。主寝室と小ぶりの寝室が二つ、会議室まであるスイートルームだ。大きな主寝室の前でマチアスがキングサイズのベッドを示した。
「セシル、一緒に寝よう?」
ちょっと半笑いだ。セシルが口を尖らせる。
「そこはカナデが使うでしょう。他にも寝室が三つもあるのよ。私はロザリーと打ち合わせをするわ。すぐに戻るから」
彼女は部屋を出た。マチアスはがっくりと肩を落とす。
「本気だったんだけどなあ...」
ふざけた様子は照れたかららしい。
「僕も同じ部屋で寝るのに、本気で誘わないで」
それは断られるに決まっている。
カナデはリビングの広い窓に近づいた。東アトラン山脈が近い。眺めだけなら関東平野の北側のようだ。しかし街並みはまだ馴染めないヨーロッパだし、犬のような人間も歩いている。ここは市内の中心部のようだ。高い建物が密集している。飾り気のないのは役所や銀行だろうか。他にもホテルが数軒あるが、ここが一番大きいようだ。
今まで王宮住まいだ。病院への往復では、被害があったばかりの町を抜けただけだ。のんびり辺りを見渡す余裕はなかった。初めてこの世界の日常を間近で見る。
一方のマチアスは、キングサイズのベッドを未練がましく両手でさすっている。
「いいベッド~。良い夢が見られそう~」
「それマチアスさんが使ってもいいよ」
「えっいいの? でもこの広さは一人じゃ寂しい...。ああセシルと一緒ならなあ」
まだセシルの話題にこだわる。
「なあチュウゼンジさんはセシルと仲が良いよな? どうなの?」
「どうって? きょうだいみたいな感じ」
「ふううん...。そうなのか? チュウゼンジさんとはお互い呼び捨てだし...」
「だったらマチアスさんも僕を名前で呼んでくれる? 何歳なの?」
「二十一になったよ、カナデ」
「いきなりだね、マチアス」
カナデは笑った。周囲は年上ばかりだ。でも年令は近いし、マチアスはとても話しやすい。近所のお兄さん的な感じだ。
「それならもう結婚しているの?」
「まあね。でも一年くらいで離婚した。俺はリシュリュー宮に常駐だから、どうしても家に帰る日が限られるんだよね~。別の伴侶と暮らすって出て行っちゃった」
モリス・ベルナールと同じだ。護衛士は拘束時間が長い。どうしても家庭に割ける時間に制限がかかってしまう。
「セシルとなら二人で住み込みだ。いいと思うんだよ」
「そこ? 相手の気持ちがあっての結婚じゃない?」
「分かってるわ!」
マチアスは苦笑いだ。住み込みできるからセシルと...という理由だけではもちろん無いだろう。ふう、とため息を吐く。と同時に彼のお腹が大きく鳴った。
もう昼食の時間はとっくに過ぎている。何なら太陽は少し西に傾いているくらいだ。飾り棚の時計はやたら目盛りが多い。二十四時間計だ。午後三時を示している。
「とっても分かりやすい」
「そうかあ? ちょっと見づらい...」
ラファイエットは一日を朝・昼・夕で分けるので八時間時計。対してアルニウスは午前と午後だから盤面は十二時間。誤解や勘違いを防ぐためにナントでは二十四時間計が一般的だ。八時間計に比べると、目盛りがぎっしり詰まっている。
「カナデも腹が減ったよね。何か食べよう」
ルームサービスを頼める。マチアスが机にあったメニューを目で追う。カナデは町を見下ろした。アスファルトはメインストリートだけのようだ。横道はレンガ敷きが多い。大通りの少し先に人が集まっている。野球場ほどの大きさの広場だ。線路が近い。ここからは見えにくいが、駅もありそうだ。屋台が出ている。
「あそこに行こうよ」
「ナント平和広場って所かな? セントラル駅もすぐそこだ。ラファイエットからの終点だよ。人出が多いな。危ないよ」
「近いよ。すぐ帰って来られそう」
「出てもいいとは言われていないよ?」
「出るなとも言われていない」
カナデは窓に手を付いた。また階下を見下ろした。市井の生活がそこにある。自由に歩き回り、食べたい物を食べ、会いたい人と会う。世界は違っても、つい先日までカナデがいた場所がそこにある。
「ねえ、本当に食べるだけだから!」
しばらく逡巡していたマチアスは、やがて頷いた。
「よし。すぐ帰るならいいか。カナデ、幻姿術をかけてあげよう」
ふっと八芒星魔法陣が体を覆って行った。窓に映るのは茶色い髪だ。髪を染めた事はない。違う自分のようだ。
「うわ~すごい。これなら目立たないね」
「うん。でもある程度の魔力持ちにはバレるから、帽子と眼鏡はして行こうか」
眼鏡のレンズのおかげで、カナデの瞳は茶色に見える。
マチアスは制服を脱いだ。そして二人で部屋を抜け出したのだった。ロビーはごった返している。会談の参加者はもちろん、新聞社の腕章を付けた者もいるのだ。階段は封鎖されて上階には上がれないから、一階に人が滞留するのだろう。カナデとマチアスは誰にも気が付かれないままにホテルを出たのだった。
(うわあ~)
カナデは大きく息を吸った。歩いて町に出るのは初めてだ。おのぼりさんよろしく、マチアスと二人できょろきょろしながら歩き始めた。広場はホテルから一本道だ。道沿いには商店が立ち並び、ウインドウも華やかだ。『使節団歓迎『友好万歳』など垂れ幕をかける店もあった。ラファイエット人とアルニウス人が入り混じって行き交う。車は殆ど走っていない。まだ馬車が移動手段の中心らしい。
五分ほど歩くとあのナント平和広場だ。白いレンガが敷き詰められ、中央には丸い噴水がある。水を吐いているのはカナデの知らない生物たちだった。噴水を取り囲むようにパラソル付きのテーブル席がある。広場に沿って白い屋根の屋台が並んでいた。笑いさざめく人でにぎわう。
広場の横にひと際大きな建物があった。『ニューホルム商会』と看板がかかっている。
「アルニウスの一番でかい商社だ。国交はないけど、ナントを通じてラファイエットに織物や酒を輸出しているよ。でも最近はライバルのザイラス商会の売り込みもすごいんだ」
「へえ」
他に目立つのは、灰色の丸屋根の建物だ。ラファイエットでは見かけない形だ。大きな扉は閉まっている。その前に竜の彫像があった。首が長くしっかりと太い胴。尾も長い。背中は鱗に覆われているが、腹側にはないようだ。
「あの建物は何だろうね?」
「う~ん、分からん。でもあの像はグリフィスだよ。神殿かもな」
カナデは彫像を見つめた。グリフィスは黒い靄の中に隠れている。実像がこれなのか。最初に抱き着いたのは腹側だ。それでノワールと勘違いしたのだ。
(犬じゃない!)
マチアスが違う方向を指した。
セントラル駅はすぐそこだ。ここが鉄道の終点らしい。大きなバッグを抱えた人々が行き交う。切符売り場は表には見当たらない。代わりに二つの四角い建物がある。ここで出入国の検査を行うのだろう。
二人は屋台へ進んだ。良い匂いがする。もう昼の時間は過ぎているものの、まだ盛況だ。カナデははっとした。
「僕はお金を持ってない!」
日本では財布を忘れても携帯があれば何とかなった。こちらでは全てが用意されている。現金の存在を忘れていた。
「奢るよ。大丈夫」
使用通貨はラファイエットのイェンだ。マチアスはもう腹ペコだったらしく、一番近くの屋台で決まりだった。パンに揚げ物とキャベツのような野菜を挟んでソースをかけてある。カナデも同じ物を頼んだ。ホットドッグのようでもあるが、フライは魚だった。脂がのっているサバに近い。味付けは甘辛い。しかし馴染みのある風味を感じた。
(あれ? ナンプラー? むしろしょっつるに近いな。うま~!)
肉が中心食材のラファイエット側には無い味だ。ぱくぱく頬張るカナデとは対照的に、マチアスは微妙な面持ちで噛む。それから一気に押し込む感じで食べ終えた。
「ちょっと...飲み物買ってくる...」
魚?は初めてなら少し癖を感じるだろう。やはり味覚が合わなかったようだ。口直しの飲み物を求めてその場を離れた。食べ物の屋台ばかりだ。自動販売機などあるはずもなく、きょろきょろと人込みを進んで行った。
(美味しかった)
カナデにとってはむしろ懐かしい。ここに来てから二か月余り。魚は久しぶりだった。お金がないのでこれ以上は食べられない。少しその場から離れた。パンを買った店が見えるなら大丈夫だろう。
小さな木彫や編み物など民芸品を扱う露天商もある。雲が少し出てきて涼しくなってきた。太陽に照らされてばかりだったので、むしろ気持ちよかった。
広場がざわめいた。濃い色の車が侵入してきた。超高級外車をほうふつとさせる大きさだ。
(えっ黒?)
良く見るととても濃い紺色だ。ゆっくりだが半ば強引に人々をかき分けて進む。ニューホルム商会の前で停まった。賓客なのか。建物の中から迎えがばらばらと出て来る。
(お偉いさんってのはどこの世界でも強引なのかな。あ、マチアスがそろそろ戻るかな)
いきなりどん、と衝撃を受けた。ばしゃ、と肩に何か零れる。振り返るとアルニウス人が立っていた。カナデが見上げる高さだ。近くで見ても、やはり立っている犬だ。灰色の毛に覆われている。背は高く、ゴールデンリトリバーといった感じか。一見優し気な目元かと思いきや、顔中に皺が寄った。尖った歯をむきだす。
「どこを見てるんだ、この猿。飲み物が台無しだ」
猿。ああ確かに。と納得だ。しかし。
「ぶつかってきたのはそちらでしょう。僕は後ろに目が付いていない」
「何だと?」
彼には二人の連れがいた。どちらも身長はカナデとほぼ同じくらか、低いくらいだ。柴犬とシェルティのようだ。彼らもカナデに詰め寄る。
「口答えはなしだ、猿」
今にも襟首を掴まれそうだ。最初の男が腕を組んでにやにやする。
「まあ落ち着け。俺は心が広い男でな。弁償してくれればそれでいい」
マチアスはまだなのか。きょろきょろしたところ、手下の柴犬に襟首を掴まれた。
「無視すんな、猿。聞いてんのか。ちょっと体に教えてやろうか」
「え」
カナデは危うく噴き出すところだった。あまりに古臭い脅し文句だからだ。それを犬が喋っている。カナデは犬が好きだ。そのせいか、あまり恐怖はない。
気が付くと周囲を人が取り囲んでいる。両国人が入り混じっていた。
「マチアス!」
大声で呼んでみたが、見つけられない。
「この野郎。ふざけんな!」
激しく揺すられた。あわてて頭を押さえたが、帽子が落ちた。髪がするんと広がる。魔力持ちにはバレる髪色だ。拾おうとしたが柴犬は服を離してくれない。それどころか帽子を踏みつけた。
「待てよ。何の騒ぎだ?」
人の輪を割ってアルニウス人が現れた。濃い茶色の毛並みで、身長はカナデの肩くらいだ。そしてどの犬にも似ていない。ころんとした体格だ。年齢は見当がつかない。彼はカナデを見て目を丸くした。口をぽかんと開ける。
「あ...」
彼の背後にいるアルニウス人も驚きを隠せない。ひそひそと耳打ちをしている。
(あ、ばれた?)
その心配をよそに、柴犬がカナデを揺すった。
「こいつがぶち当たって来やがったんですよ、ヒューゴさん」
ヒューゴと呼ばれた男は腕を組んだ。驚きでまん丸になった目で自国民とカナデを見比べる。ため息をついて顔を両手で擦った。
「お前らには見えねえのか...。まあいい。おい、手を放せ。祖父さんのおひざ元で騒ぎを起こすのは俺が許さねえ」
「でも」
「ああん? そいつは背中が濡れてんぞ。後ろから行っただろうが。まさかちょいと小銭稼ごうなんて舐めた真似をやってんのか。猿相手に面倒を起こすな」
「でも」
「デモデモうるせえ。この面倒、俺が預かる。文句があればニューホルム商会へ直接寄越せ」
柴犬はちっと舌打ちして手を放した。三人はカナデを睨みながらもその場を去った。人の環が崩れる。
カナデは帽子を拾った。手ではたいて、また髪を押し込む。
「おい猿。ちょっと来いよ。俺は怪しい者じゃねえ」
彼はニューホルム商会を指した。
「あそこの総裁の孫だ。今着いたばっかりよ。ヒューゴ・ニューホルム。ヒューゴでいい。よろしくな」
「ああ...はい。ありがとう」
「名乗れや」
「中禅寺奏。チュウゼンジが家名。じゃあね」
お坊ちゃまなのだろうが柄が悪い。カナデは挨拶もそこそこにマチアスを目で探す。
ヒューゴは背後の男に言った。
「俺はコイツの服を替えてやるわ。それから送って行く。お前は先に帰ってろ」
「かしこまりました」
お付きのようだ。彼はしげしげとカナデを見た。しかし無言だ。頭を下げて背を向けた。
それからヒューゴはカナデの腕を引いた。
「よしカナデだな。来いって。送ってやるが、そのまんまじゃやべえ。着替えろ」
言葉使いは乱暴だが、良い人のようだ。
「ホテルに戻るよ。すぐそこだし」
「送って行くって言ってるだろうがよ。ナントパレスホテルだな」
「えっ何で知っているの?」
「舐めてんのか。そんなちゃちな幻姿術なんざお見通しよ。そのすげえ髪と目。お前は噂の異界人だろう。宿泊ホテルはあそこしかねえ。送る。一人で歩いてたらまた絡まれるぞ」
彼は魔力持ちだった。カナデの正体はすぐにばれていた。
「そもそも異界人が居るってのも、もうナントやアルニウスにも広がってんだ。みんな知っている。お前だろうが」
「髪の色だけで信じるなんて! 僕が偽者かもしれないじゃないか」
反論を試みたが無駄だった。
「それならわざわざ帽子と眼鏡で隠すかよ。黒い毛なんて俺らにも猿にもいねえんだって。それに昨日だ。先に一人来ただろう。手下を引き連れて市内観光していたぜ。わざわざ金髪にするなんて俺には意味が分からん。ちゃんと根本は黒かった」
ロウタの事のようだ。
ヒューゴの鼻先で八芒星魔法陣が光った。カナデの顔の周辺を通り過ぎる。幻姿が消えた。カナデは黒髪に戻った。
「ほら、やっぱり。そんな美しい髪と目を何で隠すんだ」
「え...アルニウス人はこの髪が怖くないの?」
「当たり前だろう。あ、畏怖とでも言うか。怖いけど敬うっつーか」
とても敬っている態度ではないが。
「もしかしてお忍びってヤツか。護衛もなしに出歩くんじゃ黒髪は目立つもんなあ」
通り過ぎた数人が振り返った。はみ出していたのだろうか。カナデは急いで帽子を直す。しかし騒めきがさざ波のように広がる。異界人がいると知られてしまうと騒ぎになりかねない。
「お前は魔法を使えないのか? あ~禁忌陣? すげえ強いのがかかってんな」
来たばかりの時にリシュリューに掛けられた禁忌の魔法がまだ有効だ。それが見えたようだ。
「うん、まあ。でも魔力は無いんだ」
嘘ではない。自分では発動できないのだ。ヒューゴは首を傾げた。
「神の色を持っているのに? そりゃあ封じられてるからか? 勿体ねえ。猿属は何を考えてんだ。あ、お前も猿か。おら行くぞ」
ヒューゴが歩き始めた。カナデの腕を掴んだままだが、ホテルの方向だ。それでそのままカナデは付いて行った。しかし、そのままウインドウに服が飾られた店のドアを押した。
「えっちょっと待って!」
「ニューホルムが出資している店だ。気にするな」
「するよ!」
洋服の陳列はない。カウンターがあり、まるでサロンだ。ドアのカウベルが鳴った。長いドレスのアルニウス人が振り返る。
「いらっしゃいませ。あらヒューゴ様...えっ...」
彼女は目をぱちくりさせた。カナデは帽子を直した。髪がはみ出していたらしい。
「久しぶりだな。こちらは異界人のカナデ・チュウゼンジ様だ。着替えを用意してやってくれ。エールをぶっかけた馬鹿がいるんでな」
ヒューゴはカナデの帽子を払うようにはぎ取った。
「あっちょっと!」
店主はしばらく固まった。カナデの髪色はもちろん、超VIPのはずの異界人だ。供も連れずに現れるとはあまりに想定外だったのだろう。本物ですか...と目が言っている。
「ヒューゴ様はお知り合いで?」
「そうよ。お忍びで観光中だ。早く用意してやってくれ。猿の服もあるだろうが」
ようやく彼女は頷いた。ニューホルムほどの規模の商社なら、外来の重要人物と接点があってもおかしくないと踏んだのだろう。
「まあまあ、災難でございました、チュウゼンジ様。ご来店賜り光栄でございます。さっそくお着替えをご用意いたします」
「あ、いいえ...すぐ帰るので...」
それは無視された。店主がカウンターの鈴を鳴らした。奥からアルニウス人とラファイエット人が一人ずつ現れる。二人ともカナデを見てぴたっと動かなくなった。ヒューゴがドヤ顔で言う。
「どうだ? すげえだろ」
「はいっ。どうぞ、こちらへっ」
小間使いの服装のアルニウス人が大きく何度も頷く。小走りにカナデに駆け寄った。そのままフロア内の小さな部屋に誘われる。壁に大きな鏡があり、全身が映る。そしてソファとテーブル。やや濃い藍色の内装だ。応接室といった雰囲気だ。ヒューゴも一緒だ。
「すっすぐにっお着替えをっ」
緊張しているのか言葉を噛みまくっている。スカートを翻して去った。キャーキャーと騒ぐ声がした。静かに! と店主が窘めてもなかなか鎮まらない。
「やっぱり僕の髪が気になるのかな」
「当たり前だ。猿どもはどうか知らないけどな、俺の国じゃ濃い色ほど高貴なんだ。何しろ天の黒はグリフィス様だけだぜ」
アルニウスでもやはり黒の色素はとても少ない。生物で持つのは妖狗と神獣のグリフィスのみ。彼はナントを侵略者から守ったのだ。他に存在する黒は土と天然アスファルトと炭だ。しかしそれらは人に対して恩恵を与えてくれる。それで天と地の黒は崇める対象なのだ。大きな神殿があるのも当然だ。そして地下はグリフィスの住処である。そこを掘削するなどもっての外だ。
「あ~それでグリフィスとアルニウスは怒っているのか」
「そうそう」
ヒューゴはカナデの髪をぐしゃぐしゃと撫でた。
「お前は天から落ちて来たって? それで真っ黒な髪と目だぞ。グリフィス様の御使いだ。みんな大歓迎だぜ」
カナデはうっと息を飲んだ。情報が筒抜けだ。アルニウス人をラファイエット国で見た覚えはない。国交がないのだから当たり前だ。それにも関わらずかなり詳細に広まっているようだ。
(どうして?)
ドアの向こうがまた少し騒がしい。アルニウス人が顔を出した。口角がしっかり上がっているし、目が微笑みの形だ。犬の顔に近くても、表情はちゃんと見てとれる。カップと小皿をテーブルに乗せた。ふわんとウーロン茶に似た香りがする。お菓子は茶色の粒がまぶされていて、まるでおはぎだ。ご丁寧に、濃い灰色の木肌ながらもくろもじ付きだった。給仕の女性はお盆を胸の前に抱えた。じっとカナデを見下ろす。緊張なのか、体が小刻みに震えている。
「おっお口にあえば、ここ光栄でございます」
そしてスカートを翻して去った。
これは食べないわけにはいかないようだ。お菓子を割ってみた。中が白い。穀物を練ってある。多少食味に違いがあるものの、まさにおはぎだ。お茶も発酵した茶葉の味だ。
「美味しい」
「だろう? 俺の国の伝統銘菓だ。『おはぎ』ってんだ」
またも翻訳陣が余計な親切をしたようだ。カナデの記憶に近い言葉を選んでくれた。本当の呼び名を知るのは難しそうだ。でも絶対に違う、とカナデは思った。
「...そうなんだ。アルニウスって僕の国の味覚に近いかも。海がある?」
「ああ。北の端に行けば見られるぞ」
だから魚も食べるし魚?に似た調味料があるのだろう。カナデは図書室の地図を思い浮かべた。確か北方の国は山脈に挟まれた南北に長い国土だった。
ヒューゴはまたカナデの髪を撫でた。お返しにカナデも茶色の毛に触れてみた。見た目よりもしっかりした感触だ。ヒューゴは少し真面目な声になった。
「猿って呼ばれても怒らなかったな。俺達を狗属って言わねえし」
犬も狗も同じ動物を示す。しかし狗はあまり良い意味がない。獣とか卑しさも表現するのだ。彼らの外見に始めは驚いたものの、近くで接してみたら普通の人達だ。敢えて貶めて呼ぶつもりはなかった。
「うん。僕はヒューゴ達よりずっと猿だし犬は好きだ。僕にとってはどっちも同じ異界の住民だよ」
ヒューゴが頷いた。
「そうだ、人間だ」
彼は少し遠い目になった。しばらく無言だ。カナデが異界のおはぎを食べ終わった頃、ようやく口を開いた。
「俺は大学院で研究をやろうとしてたんだ。論文も通ったし、後はもう研究室に行くだけになってたんだぜ。魔獣の瘴気を解明するつもりだった。それで風土病が無くなれば、皆はシアワセにやっていける。でもなあ」
祖父から呼び戻された。ニューホルム商会の為だ。ライバル会社が順調で、巻き返しで事業拡張を行う。その責任者が必要だった。血縁や地縁が重要視される国である。ヒューゴに選択肢は無かった。
「家族の為に働けるから、まあいいんだけど...」
口ごもる。少し前屈みになった。床に目を落とす。彼もやりたい事があったのだ。それを中断しなくてはならなかった。その点はカナデと一緒だ。慰めてくれているのだろうか。しかしちょっと気になる。
「大学院って事は...ヒューゴは何歳?」
「二十八だ。教員をしてたから、編入が遅れたんだ」
「えっ。十歳も上なんだ。しかも先生?」
アルニウス人の年齢は読み取りにくい。同年代かと思っていたのだ。しかも尖った青少年のような口調。
「何を驚いてんだ、こら」
しんみりした雰囲気はあっというまに霧になって飛び散った。
「俺はたった一人で異世界に来たお前にだな、ちっとは気を楽にしてもらおうとしてんだぞオイ」
「それ、本人に言っちゃダメなヤツだよ!」
私が行く、私が! と言いあう声がまたする。勝者は、今度は籠を抱えた男性のアルニウス人だった。折り畳み式のテーブルを用意して、中の服をさっと広げ始める。何種類ものシャツや羽織物だった。
「取り急ぎとのご要望ですので、プレタポルテとなります。ご容赦下さいませ」
集中するのは店員とヒューゴの視線ばかりではない。うっすらドアが開いているのだ。
(...こ、ここで着替えるのか...?)
ロザリーによると、肌は他人に見せてはいけないはず。しかし着替えは仕方がないのか? プレタポルテは既製品という意味だが、謝られる意味が分からない。見るからに高級品だ。上流階級はシャツ一枚もオーダーメイドが当たり前なのか。
(代金...後でセシルに聞こう。王宮の経費で落ちないかな。一度着てしまえば返品はできないよね...)
カナデの現在のお手当では手が届くかどうか。
「あの...その...代金は後で払います」
ヒューゴが大きく手を振った。
「馬鹿言え! 払わせるはずないだろうが。お近づきの印だ。受け取れ」
「いやもらう理由がない。後で払うよ!」
はああ、と店員がため息をつく。あきれたのではない。瞳がうっとりしている。
「高潔な方なのですね...。さすがは神の御使いでいらっしゃる...。お着替えをお手伝いいたします。お好みの服をお選び下さいませ」
えっだから代金のハナシは? 一人で着替えられるし!
カナデは半ば面倒になってきた。ラファイエットとは真逆の反応だ。歓迎されるのは有難いが、構われ過ぎも鬱陶しい。感情とは我儘だ。一番端の濃い青のシャツを指すと、さっさと濡れた服を脱いだ。ソファに置く。店員を制して手早く羽織る。王宮で用意されるのと同じくらいふんわりしている。そしてしっかりとした生地と縫製だ。
(こんなに濃い色、久しぶりに着るなぁ...)
汚れた服を店員がさっと持ち上げた。ドアを開けると店主を含めた三人の顔があった。ちょっと気まずそうに笑ったものの、全員の視線がカナデを捕らえて離さない。
「何をしてる?」
ヒューゴに言われてあわてて閉めた。
「洗って後でホテルに届けさせる」
「うん、ありがと」
生返事だ。おそらくかなりの時間が経過しているだろう。マチアスが探しているに違いない。お茶を飲み干して立ち上がった。しっかりと帽子に髪を押し込んだ。男性がタイミングよくドアを開けてくれる。店員たちがさっと左右に別れた。短いながらもまるで花道である。
「またのお越しをお待ちしております!」
ドアが閉まると、また内部から歓声が沸き起こった。念の為、とヒューゴが幻姿術をかけてくれた。また目立たない茶色の髪になったようだ。
空はもう暗くなり始めていた。月が二つ出ていた。街灯が点く。
「電気が普及しているんだね」
「おう。猿の金を使ったダムと水力発電所があるからな」
あ、とヒューゴが口を塞いだ。カナデは苦笑するだけだ。両国の歴史を聞いておいて良かった。お互いに距離感があるのは当たり前だ。
「ナントでは上手くやっているんだ?」
「妥協となれ合いの産物だな」
「巧い事を言うね」
すぐに広場だ。しかしふと振り返ったヒューゴが足を停めた。横道を覗き込む。つられてカナデも覗き込んだ。三人連れの男性だ。ラファイエット人とアルニウス人が二人だ。
「...タウノだ。何をやってんだ、アイツ」
「えっ誰?」
「声がでかい」
ヒューゴが首をすくめる。カナデの腕を取った。急いでその場を離れようとする。だが気が付かれた。彼らの傍にいるアルニウス人が何人か走って来る。素早くヒューゴとカナデを横道に引きずり込んだ。後ろから羽交い絞めにされて口を塞がれる。帽子と眼鏡が落ちた。二人はそのまま路地を引きずられた。数人で回りを取り囲んで隠すように運ばれ、近くの建物へ連行されたのだった。
小松朗大は前日にナント入りしていた。身の回りの世話係として侍従が付いたものの、本格的な使節団ではない。そのためにあとは護衛士が二人。全員で四人というこじんまりとした一行だった。馬車ではなく、列車を乗り継いだ。それでも車内泊を含んで丸まる一日半はかかった。
カナデが広場に出かける少し前には、ナントの郊外北側の森にいた。同行しているのはアンリ・ヴァランタンとモリス・ベルナールだ。二頭の馬が傍につないである。三人は町を眺めた。風はなくとも枝がざわめく。ロウタの心そのままのようだ。
「...ホテルの格も違うんだな」
随行員の数のみならず、宿泊場所も違う。王弟を擁する使節団は、ナントでも最も高い建物の一つであるホテルだ。アンリが答えた。
「チュウゼンジと同席させないのがナント行きの条件だ。違う場所なのは仕方がない」
何度も聞かされた理由だ。ロウタは顔を歪めた。
「長官殿。俺もカナデと同じ異次元の人間ですよ。どうして俺が低く扱われるんでしょうね?」
モリスと情を交わして以来、態度が多少尊大に変わった。言葉使いも棘がある。アンリが眉をひそめた。
今度はモリスが口を開く。
「我々も良いホテルを用意して頂きました」
彼らの宿泊施設も町の中心部にある。だが大通りには面していない。セントラル駅からも少し離れた場所だ。ナントパレスよりも低層で、明らかに格が落ちる。
「...超一流じゃない。使節団の人数も少ない。馬車も仕立ててもらってない。まるで露払い扱いだ」
空気が振動した。光景が歪む。山肌が不穏に鳴った。ぎゃあ、と声がする。妖狗が現れた。モリスの体が震えた。ロウタはニヤリと片頬を歪めた。
「面白いな。少し驚かせてやろうじゃないですか、長官殿」
ロウタの波動が妖狗に襲い掛かる。彼らの八芒星魔法陣が揺らめいた。妖狗たちのエレメントがみるみる増える。彼らの声が増大した。動きも大きく素早くなった。波動能力で増やされた力を思う存分発揮するかのように飛び回る。
さらにロウタは波動を地に放つ。土がうねった。うごめく地面が町へ一直線に向かう。やがて市内の建物が大きく揺らいだ。地震を起こしたのだ。何かがきしむ音がかすかに聞こえる。あちこちで土煙が上がった。
アンリはじっとその様子を見る。
「コマツ殿。妖狗どもを町へ出せるか?」
「誰に言っているのかなあ」
さらにロウタは空気を震わせた。妖狗が吹き寄せられる。群れ全体を波動の渦で押しやった。彼らはうるさそうに首を振る。そして町の中心へ向けて移動を始めた。
アンリは大きくうなずいた。
「我々も移動しよう。災いある所、異界人が救いの手を伸べる」
先にロウタと歩み始める。馬たちは妖狗の出現に驚いたようだ。落ち着かず首を振っている。モリスは口を開きかけた。そこへロウタが苛ついた声を掛けた。
「早くしろ。お前が乗せなくちゃ俺は移動できないんだぞ」
「どうするおつもりですか?」
アンリはもう鐙に足をかけている。振り返って二人に言った。
「活かせるチャンスがそこにあるのだ。使わぬ愚か者がいようか。暴れる妖狗を鎮められるのは異世界人のコマツ殿。それを擁するのは護衛士団。我らの力を見せつける事ができるのだぞ」
「それは面白い、ねえ。モリス、急げ」
モリスは何か言いかけた口をつぐんだ。そして馬に近寄る。もう鞍の傍にいたロウタの体を押し上げた。その前にひらりと飛び乗る。
「しっかり掴まって下さい」
ロウタの両腕が胸と腹に絡まる。密着すると心臓の鼓動が伝わるようだ。彼の動悸は速くて首筋にかかる息がいささか荒い。
「行くぞ」
アンリの声で一行は森を下り、町へ向かった。
ツヅク! Ⅳ-Ⅱ 誘拐、そして後始末はまたもバラ
お読みいただきありがとうございます。
アルニウス人、けっこう気に入っています。殊にヒューゴ。
拙著「冥界の太陽たち」に同じ名前の登場人物がいますが、
全く無関係です。




