Ⅱ-Ⅲ ロウタの不穏、そしてバラのお風呂の真実は
ロウタが動き始める
ご褒美バラのお風呂の意味を
ロザリーが教えてくれました
Ⅱ-Ⅲ ロウタの不穏、そしてバラのお風呂の真実は
カナデは泣き疲れて眠ってしまった。朝になってリシュリューは部屋を出た。今日の予定も目白押しだ。手早く朝食を済ませたらもう出勤の時間だ。ホールにはマチアスの姿があった。
「早いな」
「はい。ちょっと報告がございます。お人払いを」
二人はホール横の談話室に入った。マチアスは胸ポケットから折りたたんだ紙を取り出した。
「被害の状況はご存じでしょうが、爆発の範囲の割には被害者が少なすぎませんか? 現時点で死者は十名前後になるかと」
「もう聞いたぞ。良い事ではないか? 護衛士が急ぎ駆け付けて消火活動と救助に当たったと聞いている」
「その件です。当日の配備が通常通りではなかったのが少し気になるのです。本来は非番だった同僚が当日は出動になりました。それでシフト表を確認しました」
護衛士の出勤もシフトがある。宮殿用と町の護衛用だ。通常は一枚に印刷した紙が配布されるし、詰所にも貼ってある。しかし昨日確認したところ、同僚の持っていた予定表と違うのだ。
「事故の数日前に市街地用だと再配布されたようです。殆どの護衛士が配備されました。爆発場所の近く及び病院などの公共施設の付近は多めの人数です。まるで先に知っていたかのような」
「マチアス、滅多な事を言うな。はっきりしているのは勤務変更の件だけだ。この件は他言無用。気に留めておこう。ご苦労」
それから二人は場所を移動した。王宮敷地内の内閣部の下部組織総務課棟だ。ここは飾りの少ない実務的なデザインだ。政務関連の部署用の建物だ。広い会議室に大きな丸テーブルがしつらえられ、中央には白を基調とした花が大きな花瓶に飾られている。戸口から一番離れた席にリシュリューが座った。
参加者は立って待っていた。リシュリューが座ると席につく。宰相ジョルジュ・パルク、魔闘士長官ディミトリ・コリニー、護衛士団アンリ・ヴァランタンだ。背後の小さなテーブルには書記が控え、参加者各々の従者が扉近くに立っている。
宰相が口火を切った。
「早速ですがアルニウスより届いた書簡について。先の災害について必要であれば援助をさせて頂くと」
一同が小さくどよめいた。国交のない国だ。なぜあの爆発事件が知られているのはもちろん、北東の小国が援助を申し出るなど不遜でもあると感じたのだ。パルクは小さく咳払いした。
「もちろん深謝の上で辞退申し上げました。その代わりに、アルニウスまで使節団を出す余裕が無いと伝えました。それで会談場所をナント自治区で、という答えを引き出すのに成功しました。ただし異世界人の二名も連れて来るようにと条件付きですが。そのまま引き渡しを要求されるものと思われます。軍人扱いの魔闘士は同行できません。しかしリシュリュー殿下は王族として参加の了承を得ました」
よし、とリシュリューが頷いた。
「ご苦労。よくやった」
「有難うございます」
ディミトリが片手を挙げた。
「王族が敢えて参加されなくとも良いのでは?」
交渉に当たるには位が高すぎるとの疑問だ。
リシュリューが答える。
「私の参加で、こちらが真剣に今回の事象に向き合っているのだと印象を与えられる。また自国の民を渡せないとトップが言えるのだ」
またチュウゼンジかい? 私情じゃないのかと少し突っ込みたいディミトリだが、ここは公の真面目な会議である。軽く頷く。それで済ませておいた。
パルクは書類に目を落とした。
「残念ながら盗掘事件の真犯人は不明のままです。市場のイリザスィヨンは可能な限り回収し、アルニウスへ返却しました。その上で賠償額の交渉となるかと思われます。二名を引き渡さない為の金額を上乗せする必要があるかもしれません。事務方と引き続き協議中です」
アルニウスがどこまで二人の能力を知っているのか未知数だ。だがどちらも強大な武器になりえる。国防の観点から引き渡しはできない。かなり難しい交渉になりそうだ。
「二名に関しては面会を希望されています。これは断れないでしょう」
二人は盗掘事件には無関係なのだ。だが落ち度がこちらにあるとされている以上、もうラファイエット王国民とはいえ拒否できないだろう。
議題は次へ移った。
「爆発事件ですが、こちらも原因は不明です。施設の劣化は確認できませんでした。新規に敷設した場所も被害にあっています。爆薬及び魔力の痕跡はないので事故の可能性も捨てきれません。何しろ強靭な防護陣を備える貴族街も被害にあっているのです」
ディミトリが尋ねた。
「もしやアルニウスの陰謀なのでは?」
「アルニウス人がこの国に紛れ込むのは不可能でしょう。彼らの協力者が行ったのであれば、有り得ますね」
パルクは目を上げた。護衛士団長官アンリ・ヴァランタンに視線を送る。
「当日は護衛士の素早い対応で被害が最小限に抑えられたと報告が上がっている。ご苦労だった」
アンリは立ち上がり、胸に手を当てる敬礼をした。労われたにも関わらず、アンリはにこりともしない。身分制は複雑だ。アンリは護衛士団長官で侯爵だ。パルクは下位の爵位である伯爵。しかし護衛士は内閣部の下部組織である。立場は政治中枢のトップである宰相の方が強い。
「有難うございます。この件だけでも護衛士がいかに有用であるのかご理解いただけたと存じます」
うん、とリシュリューが首を縦に振る。ぐっとアンリは腹に力を入れた。
「もっと重用されてもよろしいと存じます。例えば魔力向上の教育充実や人員増員はもちろん、活躍のあった者への爵位授与があってしかるべきではないでしょうか。少なくとも魔闘士と並ぶ地位が必要であると存じます」
とんとん、とパルクが指で机を叩いた。
「この場で確約は無理だな。検討事項にするとしても、要望はまた改めて上げて欲しい」
「では私を御前会議に出席させて頂きたく存じます」
「それは出すぎだろう」
パルクが穏やかに止めたものの、アンリの勢いは止まらなかった。何しろ国王陛下も出席するのが御前会議だ。リシュリューはもちろん、各部署のトップだけが参加できる。護衛士団は出席できない。かつて魔闘士団の組織の一部だったからだ。独立した団体になって管掌も変わったものの、中央政治に参加する資格がない。
「王府直轄で魔闘士団と並ぶ組織です。先の爆破事件では、出遅れた魔闘士団よりも我ら護衛士団の方がはるかにお役に立てました」
これにはディミトリのこめかみがぴくっと反応した。どん、と拳でテーブルを叩く。
「役割分担が違う。町の警護はそちらの管轄だ。そもそもきちんと護衛していたのなら、なぜあのような大規模な災害が起きる? どこかに穴でもあったのか、むしろ検証が必要なのはそちらの団かもな」
アンリも負けない。
「これはしたり。緊急事態でなければ腰を上げないどこかの長官が出遅れた言い訳をなさるとは」
またパルクが指を動かした。
「君たちはどなたの御前で物を言っている?」
二人ははっとした。口をつぐんで椅子に座り直す。王弟の前で口論など無礼極まりない行為だ。リシュリューは緩く片手を振った。
「まあいい。二人とも国の為の発言だと思っておこう。あの災害での護衛士団の活躍を評価はしている。特別賞与を与えて報いよう」
こう言われては、もはや言う言葉はない。アンリはまた立ち上がり、敬礼で謝意を表現した。リシュリューは微笑んだ。
「国益になる上奏は歓迎する、アンリ・ヴァランタン。騎士団の魔力向上の実習などは検討の余地がある。しかし今はアルニウスとの難しい外交が控えている。大局を見て欲しい」
アンリは黙って頭を下げるしか無かった。彼の要望が通るどころか、場違いだと諫められたのだ。頬が紅潮したのは恥ずかしさと怒りが混ざっている。パルクが追い打ちをかけた。
「殿下のお気持ちをあまり煩わせるな」
それから何も無かったような顔で次の書類をめくった。
「...コマツとチュウゼンジの同行について。コマツを連れて行くのはヴァランタン、君の役目だ。彼はチュウゼンジに暴行を加えている。彼の温情で逮捕されていないだけだ。接触させないように」
「彼は否定しています。まともな事情聴取もなく、チュウゼンジの言い分のみ採用されたと」
じろり、とディミトリがアンリを見た。
「目撃者が二人だ。一方はそちらの王弟殿下でいらっしゃるが? 現場で二人を引き離しさえされたのだ。もう一人は私だ。我らの証言を疑うとでも?」
「いや...それは...。私はただ、コマツの証言ももっと聞くべきだったと...」
「私はいい。しかし殿下に難癖を付けている自覚はあるのか? 貴殿は何かと要らぬ不規則発言をするが、殿下や宰相閣下に思う所でもあるのか? 父上は礼儀を弁えた上に技量も申し分ない人格者だったのに」
この嫌味には、さすがにパルクが口をはさんだ。
「コリニー魔闘士団長官。議題に関係ない。そちらも不規則発言を控えろ」
今にも踊り始めそうな会議を引き締めるのも彼の役目だった。リシュリューの発言は、立場的に重すぎるからだ。二人はまだ言い足り無さそうだが、とりあえず言い合いをやめた。ぎこちない雰囲気の中、アルニウスへの使節団について協議が進んだ。
同じ頃、ヴァランタン邸。高い塀に囲まれた広い敷地には、人目につきにくい森もある。ロウタとモリス・ベルナールがいた。彼らの前で木々の枝が大きく揺れる。
「素晴らしいですね。魔力を使わずこのように物理的に物体を動かせるとは」
「うん、モリスの協力のおかげだよ。あっちもやってみよう。八芒星魔法陣を見せてくれる?」
言われるままにモリスの白の八芒星魔法陣が現れる。ロウタはそちらに手のひらを向けた。光景が歪むほど強く空気が揺れ動いた。魔法陣のエレメントが歪む。図形が成立しないほどだ。この状態ではモリスは魔法を発動できない。
少し波動の波が変わった。今度はエレメントの形そのままに激しく揺れる。八個全てが形を取った。
ロウタの能力によって、モリスの八芒星魔法陣が強制的に形を変える。それで使えるエレメントも増減できるのだ。モリスは増大した魔法陣を使ってみた。少しの魔力で大きな風が吹き荒れる。
「八芒星魔法陣に影響を与えるのも、かなり慣れたご様子で何よりです」
モリスはロウタにずっと付き従った。身の回りの世話だけではない。彼の波動能力を開発し、発展させたのだ。おかげでロウタは一週間ほどで波動能力を自在に操れるまでになった。
ロウタは無事だった木の幹に寄りかかった。
「もともと力はあったのかな。この世界で開花したんだね」
検証はできないのだ。モリスは微笑んで肯定する。
「そのようですね」
「モリスの事を聞きたいな。奥さんがいるんだよね?」
「しばらく会っていないですね。子供とも」
「他の伴侶の子供だっけ。それでも養育費は払うんだ?」
モリスは笑っただけだった。妻と最初に結婚したのは彼だ。しかし仕事が忙しく、あまり一緒にはいられなかった。そのうちに彼女から新たな伴侶を得たいと相談があった。複数の伴侶を持つ場合、参加者全員の許可が必要なわけではない。あらかじめ相談してくるあたりモリスの妻は良心的だ。
不倫はなかなか成立しない。厳しい身分制度をクリアすれば、婚姻と離婚は制約がない。お互い好きになれば結婚できる。初めて見た『蝶の間』をラブホテルかと勘違いしたカナデだが、そのようないわゆる連れ込み宿はラファイエットには非常に少ない。逢引き場所は家だ。
「う~ん緩い」
「そうでしょうかね」
モリスは妻を愛している。そのはずだった。妻は二番目の伴侶の家には入っておらず、モリスとの家で子育て中だ。自宅に戻れば子供と二人で出迎えてくれるだろう。数回しか顔を見ていないせいか、子供に愛着は感じない。留守がちのモリスを責めもせず自宅で待ってくれている。それでも恋人ができてしまった。寂しかったのだろうか。
そんな事を考えていたせいで、ロウタが近づいたのに気が付かなかった。少し低い目線でロウタの顔が目の前にある。
「...自由だよね。俺と試す? がっかりさせないよ」
手がモリスの頬に添えられた。低い声は少し震えている。不敵に片頬を歪めて笑っているものの、視線はどこか頼りなげに揺れる。自信満々な言葉とはうらはらに、いつも不安そうだ。
(この人も一人なんだ)
異世界から飲み込まれて、同胞と引き離された。髪を染めても根本は黒い。瞳もまた、カナデよりは色が薄いが瞳孔は黒い。この世界に存在しない色の瞳だ。ロウタもまたこの世界で孤独なのだ。それなのに虚勢を張る姿がモリスにはとてもいじらしく感じた。
目を閉じる。近づく唇を受け入れた。いったん離れたらほっと溜息を付く。そして首筋に口づけた。右手がシャツをまさぐる。それも少し遠慮がちだった。一度服の中に侵入してしまうと、とたんに大胆になった。
「待って下さい」
その手を掴んで止めた。一瞬、ロウタの目が哀しそうに瞬いた。拒絶されるのを恐れていたかのようだ。モリスの胸が切なく締め付けられた。
「ここでは...部屋に行きましょう」
ロウタは黙って頷いた。離れるのが怖いかのようにモリスの腕を掴んで狩猟小屋へ戻ったのだった。
ドアを閉めるなり、ロウタがモリスを抱きしめた。
戸惑う彼の瞳が頼りなさげに揺れる。それに微笑みかけた。
彼はモリスの為すがままだ。
(可愛いな)
くすぐったい気持ちになる。モリスも男性の相手は初めてだった。
「二階に行きましょうか?」
ロウタは黙って頷いた。乱れた服装のままで二人は階段を上がる。
やがて二人は一つのベッドで息を整えた。モリスはロウタにこの世界の話や彼らが落下した時の話などを聞かせていた。
「俺たちを引き込んだのは妖狗じゃないって事か?」
「と、いうか彼らだけでありません。グリフィスがいたようですね」
モリスは現場にはいなかった。魔闘士だけだ。あくまで伝聞だ。
「妖狗はアルニウスを主に居住地とする魔獣です。犬のような体に生えた羽で自在に飛び回ります。魔法陣は黒ですが、エレメントは四つしかありませんし、中央の陰の印も大きくないらしいです」
「オンブル?」
「はい、陰の気を操る印です。陰は陽に対するパワーの総称です。私は実際に見た事はありませんが、これを持つと陰の気を自在に操れるそうです。持っているのは妖狗たちとグリフィスのみです」
グリフィスは竜に似た体を持つ。黒の八芒星魔法陣に加えて妖狗とはけた違いの大きさの陰の印を持つ。また数の多い妖狗と違ってたった一体だ。力の大きさと相まって、神獣と称されるのだ。
「他にも何種類か魔獣どもがいます。妖狐とか妖蛇とか」
陽の気を嫌うが、季節によってはラファイエットに侵入する事もある。彼らの吐き出す陰の気は人間にとって毒だ。長い時間晒されると熱病を起こす。また家畜や人間を襲って生気を吸い取る。いわば食べるのだ。
「他にメジャーなのは魔鼠です。北西部の山間に大量に発生しますね。彼らは三つのエレメントしかないし、あまり頭が良くないようです。隙があれば飛来します。時には人間を襲いますが、こちらは大した脅威ではないみたいですね」
モリスの話しは続く。
「陰の気を操るのは妖狗達とグリフィスですが、ナント川流域の妖狗は特に瘴気が強いらしいです。グリフィスはあまり出現しないのですがね...」
「そいつらが暴れたせいで次元が裂けたと...。それならまた暴れさせたら同じ事が起きるのか?」
「多分...。でも同じ場所が裂けるとは限らないのでは?」
同じ事象が再現できたとしても、帰る場所が特定できない。結局、戻る方法は見つからないのだ。
ロウタはぎゅっと唇を噛んだ。そして再びモリスの胸に顔をうずめた。それは甘える動きだった。
蹄が石畳を打つ。馬車の中は二人だけだ。重苦しい沈黙を破り、アンリ・ヴァランタンは傍らの騎士に声をかけた。
「失敗だったな。ロウタの力を使って護衛士団は有用だと誇示したかったのだが」
副官のセブラン・キルデベルトは重々しく首を振った。がっしりした体躯の彼は、先代ヴァランタン侯爵から仕えている。髪に白い物が混ざるが、灰色の瞳は力強い。
「殿下に褒めていただけました。地位向上についてもご検討いただけるとは存外の仕合せでございましょう。犠牲者が出てしまったのは何とも残念でした」
「目的の為の犠牲だ。やむを得ない。それより早く魔力向上の為の講習なり訓練をしてもらわねば。団員の受爵には必須だ」
魔闘士団の一部だった護衛士団を独立させたのはアンリの父の功績だ。完全な八芒星魔法陣を身に着けて、護衛士としての業績を次々と積み上げたのだ。存在感を無視できなくなり、先代王が独立組織とした。そして管理をヴァランタン侯爵に任せたのだ。魔力の多さが位の高さと直結する国だ。どちらも推進すれば、さらに父から継いだ護衛士団を大きく強くできるだろう。
その為にロウタを利用した。できるだけ被害が小さく済むように、あらかじめ騎士を多めに配備した。その上で広い範囲で一斉にガス管を激しく揺すらせたのだ。連結がはずれてガスが漏れだす。そして短時間で爆発が連続したのだ。ただしアンリの想定よりも被害が拡大した。警察機構と護衛士だけでは事態を収められず、魔闘士も出動させてしまった。その上で死者が発生だ。ロウタの力は強大だった。
セブランはまた首を振った。
「一年の研修のうち、魔力向上の訓練もございます。その上での護衛士就任なのです。どれほど伸びしろがあるのか疑問です。殿下に認めて頂いた所で目的は達成されたでしょう」
「まだだ」
アンリも首を振った。
「低く見られるのは我慢ならない。我々の潜在能力を生かそうとしない連中は馬鹿だ」
馬車は市街地を抜けた。地面を叩く蹄の音が重くなる。舗装のない土の道だ。建物がまばらになり、畑が広がる。赤い土が飛び散る。
セブランは話題を変えた。
「もう一人の異界人は、魔闘士団がお引き取りのようですね」
「ああ。病院に殿下の命で派遣されたそうだが、人目につかない場所で何もせずに座っているだけらしい。ロウタのような波動能力は確認されていない。だが魔力はどうなのか。かん口令が敷かれている。情報が出て来ないのだ」
車窓に緑の森が見える。ヴァランタン邸が近い。
「とにかく我々はロウタを上手く使うのだ。アルニウス使節団には魔闘士が同行できない。護衛士だけだ。これは大きなチャンスなのだ」
「閣下。父上が求められた地位向上の意味を、今一度お考えになってはいかがか」
「言うな。私が一番よく分かっている! お前はただ私に付いて来ればいい」
アンリを子供の頃から知っている。穏やかで冷静な先代と違って気性が激しい。それをアンリの父も心配していた。親心を知るセブランとしては、ただ見守り付き従うつもりだった。
少し目を腫らしたままでカナデはまたも昨日の病院へ連れて行かれた。相変わらず不愛想な護衛士に馬で運ばれた。もはや腰と内股の筋肉の痛みは発生するのが当然だとして諦めた。
病院で迎えてくれたのはロザリーだった。目の下に隈ができているような感じだ。それでも優しい笑顔だ。昨日の事務員はいない。まさか逮捕されたのか。
ロザリーに誘導されるままに、今度は病院の中を歩いた。応接室に通されたのでびっくりだ。
「え?」
「お話しは伺いました。せっかくチュウゼンジ様にご協力いただけるのに勿体ないこと」
彼女に促されるまま王立病院でした通り、八芒星魔法陣を出した。彼女はドアを開けて外に合図した。すぐに三つの八芒星魔法陣がカナデの前に浮かぶ。カナデは自分の八芒星魔法陣を眺めた。エレメントは八個だ。全部には無理そうだが、もう一つは行けそうだ。
「南はどっちですか?」
方角を教えてもらってその方向を意識する。東西南北のエレメントなら一気に扱えそうだ。
「もう一つ合わせられそうです」
ロザリーが目を見開いた。さらに一つ追加だ。四つの八芒星魔法陣がそれぞれ動き始める。カナデは両手を組んで頭を下げた。かなりの集中が必要だ。しかし扱える。
静かに扉が開く。フーシェ閣下の助手が顔を出した。ロザリーと目配せしてすぐに去る。どうやら閣下も来院したようだ。
二時間ほど経過した。ふっと集中が切れる。八芒星魔法陣がはずれた。カナデは大きく息を吐いた。体を起こして伸びをする。すかさずロールケーキと豆茶が運ばれた。
(え)
昨日との落差は何だ。それにしても豆茶の色が濃い。カナデはスプーンでそっと豆茶をかきまぜた。じゃり、と音がする。しっかり砂が沈んでいた。まだ嫌がらせは続いている。まだ向かいに座っていたロザリーが目を丸くした。
「あれだけ言われたのに!」
独り言のように呟くと、さっと出て行った。
すぐに廊下で怒鳴り声が響いた。男性の声だ。
「責任者出せオラァァ! 舐めんじゃねえぞ! 耳の穴に指ィ突っ込んで頭ン中を掻きまわすぞ。詰まってんのはミソかクソか、オイコラ」
ガラの悪い怒声だ。また患者がクレームを入れているのだろうか。扉を開けた。廊下の先で怒鳴る男性の後ろ姿が見える。
「あの助手さん?」
いつもフーシェに付き従う寡黙な男だ。あんな大声が出せるとはカナデには意外だった。傍らにフーシェ閣下がいる。
カナデに気が付くと、ふんわり笑った。
「チュウゼンジ君、ご苦労だったね。四つもチャネリングできるとはやはりすごいね。普通二つが精いっぱいなんだよ」
じゃあ何で最初から三つも寄越したんだ...という疑問はさておいて助手を示す。
「え~と...あれは...私よりも普通にスゴイ気がしますが」
「ああ、彼は怒らせると怖いんだよ~」
フーシェはむしろ面白がっているようだ。
「それより休憩だ。中庭へ行ってごらん」
「私を人目にさらしていいんですか?」
「殿下のお考えだよ。むしろ黒髪の人間がいると知らせたいようだね。異界人の存在が普通になればいいと」
リシュリューの心遣いがここにもある。
ここでフーシェと別れて、ロザリーと一緒に中庭へ向かった。昼の少し前だが、賑やかな声がする。入院患者だけでなく、見舞いの者や通りすがりまで混ざっているようだ。なぜなら複数の屋台が出ていたからだ。
場所が病院だけに『低たんぱく食』だの『減塩』だの屋台に札が付いている。それでもお菓子の出店もあって子供たちに人気だ。
その中をゆっくりとジャンが歩いていた。まだ足を引きずっているものの、しっかりと進む。カナデに気が付くと両手にお菓子を持ったままで手を振った。頬が膨らむほど口の中に食べ物を詰め込んでいる。まるでリスのようだ。
「歩けるようになったんだ?」
ごっくん、と飲み込む。
「まあな。何回も手術が必要って言われていたんだけど、しなくて済むって。後はリハビリだな。手もいい感じだし、一か月もすれば元通りになるってさ」
頬が紅潮している。
「もう退院なんだ。お振舞いに間に合って良かったぜ。じゃあなチューゼ」
友達を見つけたらしい。彼はそちらへゆっくりと歩いて行く。ロザリーがにこにこと笑った。
「良かったこと」
「この屋台は?」
「殿下のお計らいでございます。市内の公共施設で行っている慰問の一環なんですよ」
被害に遭った人々に少しでも楽しんでほしい。その気持ちからちょっとしたご馳走を用意して、市内を巡回しているそうだ。個々の予定は本当に今日だったのか。昨日のカナデの話から用意してくれたのかもしれない。
「あ、そういえばあの事務員は?」
「チュウゼンジ様がお気になさる事ではございませんよ」
「まさか逮捕とかされないですよね?」
今日もしつこく嫌がらせをされてしまった。それは腹が立つ。しかし助手の怒声はすごかった。昨日のフーシェとリシュリューの怒りが強かったせいか。病院長や事務の引責がどうなるのか心配になってしまう。
ロザリーはあまり表情を変えなかった。
「もともとあまり評判のよろしくない病院でした。さらに、この病院に運び込まれた重症患者の改善が進んでいなかったのです。手段があるのに使わない、それこそ怠慢でございましょう。負うならばその責なのです」
「...でも」
「チュウゼンジ様。患者の回復が一番なのです。最優先が何か、お間違えになってはなりませんよ」
異界人を受け入れなかったからではない。身分制度も二の次だ。病院としてあるべき責務を充分果たせなかった事こそ彼らの罪である。
「はい」
中庭で楽しむ人々。昨日は立てなかった者が笑いながら屋台を巡る。本来ならカナデが居なくとも目指す光景だった。
(まさか不敬罪で投獄されないよな...)
と、それでも思ってしまうカナデだった。少し先に芝生がある。
「裸足になりたいなあ」
というつぶやきに、ロザリーはあわてて手を振った。
「いけません! 人前で靴を脱ぐなど無作法な!」
肌を露出してもいいのは風呂とトイレとベッド。医療行為なら当然だが、それ以外では肌を他人に見せるのはご法度だ。自由恋愛の国なのに、その辺りのマナーは厳しい。
「え、でも昨日は殿下とお風呂に入りましたよ?」
湯あたりで倒れたので、ものの数分だ。だがロザリーが少し口を開けた。それから軽く手を叩いた。華やかな声を立てる。
「あらまあ! とうとう! おめでとうございます。良かった、やっと殿下もお心を決められたのですね!」
「は? めでたい...?」
きょとんとした反応に、みるみるロザリーの顔が曇った。
「え? まさかご存じない...のですか? 一緒の入浴を承諾されるのは、同衾を受け入れるという意味ですよ」
どうきん。同じベッドで寝る。つまり肉体関係OKと。
「はあぁ?」
まだ出会って一か月余り。入れと言われて従っただけだ。意思の確認はされていないと、この時は思った。まだラファイエットの流儀を知らなかったのだ。
二人で顔を見合わせた。ぎこちない沈黙がしばらく流れる。
「こ、断る場合は...?」
「一人で入浴しますと答えればよろしいのですが...そうですか...ご存じないのに...入っちゃった...。と、とにかく。今はお昼をいただきましょう」
二人は屋台の前に進んだ。カナデの黒髪に驚く者がいないわけではない。しかし昨日のクレームのおかげで、カナデがこの病院に居るのは知られているようだ。何となく遠巻きで『いない者』扱いされているものの、あからさまな嫌がらせは無かった。
お祭りのような雰囲気だ。友達と連れ立っているジャンが遠くから手を振る。カナデはいつの間にか笑っていた。
リシュリューの私室は広い。部屋の主は部屋着に着替えたばかりだ。カウンターバーのある部屋で、カナデは白い革張りのソファにちんまりと座っていた。何となく両膝を揃えてしまう。病院から帰るなり風呂も済ませ、早めに夕食も従業員食堂で取ってしまった。リシュリューと顔を合わせるのが気恥ずかしいせいだ。しかし話はきちんとしなくてはならないだろう。
一方のリシュリューはあまりいつもと変わらない。自分で酒瓶を取ってグラスに注ぐ。透明の液体に炭酸を注いだ。
「カナデも飲むか?」
「いいえ」
日本では十八歳から成人になったが、飲酒はやはり二十歳からだ。ラファイエット王国の法律は知らないが、そこはきっちり守ってしまうカナデだった。
リシュリューはカウンターに寄りかかった。立とうとするカナデを制してグラスを口に運び、目を細めた。
「俺に話とは?」
「はい。今日は病院でのお計らいを有難うございました」
ロザリーを付けてくれた上、屋台のお振舞である。賑やかで楽しかった。
「礼はいい。国民の為だ」
「...はい。それであの病院長と事務員の処遇はどうなるのですか?」
カナデの問題ではないとロザリーに言われた。しかし気になる。リシュリューはグラスを両手で弄んだ。
「カナデは心配せずとも良い」
不安そうな顔を見て軽く頷く。
「フーシェに任せた。案ずるな」
もう手の及ばない事なのだ。カナデにはもう何も言えない。リシュリューはまた酒に口をつけた。
「他には?」
「あ、あります。昨日の入浴の件です。ロザリーさんから聞きました」
うん、とリシュリューは頷いた。実は帰宅早々、ロザリーに注意されたのだ。彼女らしくやんわりと、だがきっぱりと。カナデはこちらの常識や仕来りをまだ知らない。だから充分にご留意を、と。
「実は俺も、カナデにそのつもりがないのかと思ってはいたんだ。俺を見て驚いていたからね」
その通り。まさか一緒に入浴とは思っていなかった。日本なら同性では普通の事だ。だがリシュリューはソノ気だったらしい。
だがカナデには、そんな気配は無かった。すぐに気が付いたのだろう。
(それでさっさと浴槽に飛び込んだんだな)
やっと合点がいったカナデだった。
「すみません。そういう意味だとは知りませんでした」
日本には混浴の風習さえある。もっとも最近は友人同士でも風呂に入りたくない風潮がある。男性と恋愛経験があるカナデも、やはりちょっと微妙だ。
「ああ、困らせたか?」
「いえ...。その...驚いただけです...」
リシュリューの裸体の美しさと、今日のロザリーの同衾発言の両方だ。
「そうか。無理はさせないよ」
リシュリューは一気に飲み干した。カウンターにグラスを置いた。カナデの隣に座る。壊れ物を抱くように肩に触れた。唇を合わせるだけのキスをする。
「カナデ、とても綺麗だ。君の瞳は静寂と癒しを司る宝玉だ。答えて欲しい。君にとって俺は何だろう?」
むしろそれこそカナデが欲しい答えなのだが。キスのせいで少し頭がぼーっとしている。煌めくリシュリューの瞳に魅入られてしまう。
「えーと...面倒を見てくれる...強くて優しいお方です」
「それだけ?」
褒められた。お返ししなくては。霞む頭で懸命に考える。
「眩しくて、とても美しくて...まるで太陽...」
抱きしめる腕に力がこもった。耳元で低く囁く。
「もっとキスしてもいいか?」
「...嫌ではないです...」
また唇を塞がれた。ゆっくり、じっくりと押し付けてくる。そしてキスが頬やこめかみを通り過ぎる。ふう、とリシュリューの吐息が耳をくすぐる。手が服の上から胸を撫でた。そのまま下へ降りていく。リシュリューの重みで、どんどん体勢が斜めになる。このままでは押し倒される。
「殿下、これはキスではないのでは...」
「キスだよ? 嫌じゃないって言ったな?」
嫌どころか、触れられる度に背筋に電流のような刺激が走ってしまう。切ない気分だ。
(いやお互い好きとも言ってないし! 相手は王族だし!)
異次元に落ちてからの出来事がぐるぐる回る。指がそろそろ下半身に到達しそうだ。なし崩しに進んでもいいのか。プチパニックになったカナデの口から言葉が飛び出した。
「殿下! てっ天下の王弟殿下ともあろう御方が、平民のそんな所に触れるのは如何なものでしょうか?」
何を言っているんだ、自分! と自らに突っ込みを入れるカナデは首まで真っ赤に染まった。
ふふ、とリシュリューは小さく笑った。カナデの顎に手を添えて耳元で囁く。
「殿下ではない。君の前では一人の男だ。リシュリューって呼んでごらん」
「リュ、リ、シュリュー様」
また噛んだ。この状況でこれは更に恥ずかしい。しかし呼ばれたリシュリューは満足気だ。
「うーん、そうだな...リーシュはどうだ? 君だけの、君のリーシュだ。言ってみて、俺の宝石」
「あなたこそ宝石です、リーシュ様...」
これなら言える。またキスをされた。
「また一緒に風呂に入ろう。次はゆっくりと」
「...機会があれば...」
「いつでもある」
ロザリーの忠告はどこへやら。それからふわっと抱き上げられた。行先はベッドだった。
天蓋のカーテンから淡い光が落ちている。広いベッドの中央に横たえられた。リシュリューの赤みを帯びた顔がすぐ近くにある。
「カナデ...」
荒い息の下、わずかに声が震えている。
(殿下も、もしかして緊張している?)
美貌も富も地位もある。そんな彼が、ちっぽけな異界の自分に緊張するのか。そう思うと、とても嬉しいような愛おしい気持ちが沸いた。
「リーシュ様...」
彼の腕に首を回した。リシュリューが体にのしかかる。重みを受け止めた。そして下半身に当たる布越しの違和感。
(あ、あれ? 折りたたみ傘が入っている? しかも温かい?)
そんなはずはない。リシュリューなのだとすぐに分かった。自分の勘違いにとても恥ずかしくなる。と、同時にうろたえた。
(こんな?)
カナデの経験はキス止まりだ。一気に頭に血が昇ったと同時に、全身に力が入った。どう振舞っていいのか分からない。ましてここからどう進むのか、怖れが一気に湧き起こった。
リシュリューが少し動いただけでも、カナデの体が縮こまった。
「カナデ、硬いな」
「...えっ」
言い方が直接過ぎるのでは。
(ロマンチックのカケラも無いよ!)
そう思ったのだが。
「緊張しなくていい。俺に任せろ。無理はしないよ」
あっ体全体について言ったのか。
言葉の通りにリシュリューの動きは優しい。じれったいほど緩慢にカナデを翻弄し続けた。
ツヅク! 次回 Ⅲ-Ⅰ ナント自治区へ そしてアブナイお出かけ?
お読みいただきありがとうございます。
間隔が空いたため、2話同時更新してみました。
同衾。どうきん。このあたり、なんかお間抜けなやり取りで気に入ってます。




