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嫌われる勇者たち  作者: 白河ヒロ


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3/4

パイの蓋

「遅い」


私が言うと、ヴェルズは朝日に目を細めた。


「まだ鐘、鳴ってないだろ」

「私たちは来てるわ」

「それは君たちが早いんだよ」

「グレンは、私より早く来てたの」

「……俺は一生間に合わないな」


グレンが横を向いた。

笑った。

朝から少し、嬉しくなる。


「行くぞ。湯が使えなくて困ってるそうだ」

「待って。先に言っとくけど、今日は私たちのやり方を見てもらうだけだからね」

「手伝わなくていいの?」

「手は動かして」

「口は?」

「閉じて」


ヴェルズはグレンを見た。


「いつもこうなのか?」

「仕事はできる」

「何よ、その説明。私、仕事以外に問題があるみたいじゃない」


グレンは答えずに歩き出した。

私も慌てて隣へ並ぶ。

こういうとき、少しだけ歩くのを遅くしてくれる。

本人は気づかれていないつもりらしい。

私は、ちゃんと知っている。


◇◇◇


共同浴場の女将は、グレンを見るなり顔を明るくした。


「ああ、よかった。今日も休みになるかと思ったよ」


釜の下から、がりがりと音がする。

火蜥蜴が住みついたらしい。


暖かい所を好む、小さな魔物だ。

放っておけばおとなしいけれど、怒らせると火を吐く。

薪の山のそばで暴れられたら、浴場ごと燃えてしまう。


「一匹なのね?」


私が依頼書を見せると、女将は頷いた。


「昨日は一匹だったよ」

「今日は?」

「怖くて見てない」


嫌な予感がした。

グレンが釜の下を覗く。

少し待ってから、指を四本立てた。

私は女将を見た。

女将はグレンを見た。


「一匹分の値段で、いいかねえ」

「駄目よ」


グレンが答える前に、私が答えた。


「四匹いるんだから、四匹分」

「ちっちゃいんだよ?」

「小さいのが四匹いるんでしょう」

「グレンは、そんなこと言わなかったのにねえ」

「言わないから、私がいるの」


隣でヴェルズが頷いている。


「頼もしい相棒だな」


少し、気分がよくなった。


「そうよ。こいつ、一人だとすぐ安請け合いするんだから」

「話、まとまったか?」


釜の前からグレンが呼んだ。

こっちの苦労も知らないで。

そう思ったけれど、振り返った瞬間に忘れた。

上着を脱いで、袖をまくっていた。

朝から、これはずるい。


「……何をすればいいの?」

「そこの石を温めてくれ」

「追い出すの?」

「今いる所より暖かくすれば、出てくる」


私は杖を向けた。

釜の手前にある平たい石だけを、ゆっくり温める。

炎を出す必要はない。

こういう細かい魔法も、私は得意だ。

最初に出てきた一匹が、石の上で気持ちよさそうに腹を伸ばした。

二匹目がその背中に乗る。

三匹目も出てくる。


「順番を守ってほしいわね」

「君の魔法が気に入ったんだろ」


ヴェルズが籠を差し出した。

中には温めた布が敷いてある。

グレンが一匹ずつ移し、ヴェルズが蓋をする。

四匹目は、なかなか出てこなかった。


「おまえが一番頑固か」


グレンがもう一度、釜の下を覗く。


「ああ。卵がある」


小さな白い卵が、奥に並んでいた。

親らしい一匹が、その前に座っている。


「それじゃ、離れないわね」


私が石を温め直すと、グレンは炭を掻く道具で卵を引き寄せた。

親は慌ててついてきた。


「分かった。取らないから」


籠に入れてやると、すぐに卵を抱え込んだ。

四匹とも、大人しくなった。

私は思わず笑った。


「さっきまで、あんなに威嚇してたのに」

「守るものがあったんだな」


ヴェルズが籠を持ち上げた。

そのとき、蓋の隙間から細い尻尾が出た。


「あ。待て。そっちは」


一匹が腕を伝い、襟元へ潜り込む。

ヴェルズが固まった。


「……グレン」

「動くな」

「動けない。背中が熱い」

「いいじゃない。好かれてるわよ」

「嬉しいけど、相手を選びたい」


笑いすぎて、杖を落としそうになった。

きっといい奴だ、こいつも。


グレンが襟を広げ、逃げた一匹を取り出す。

ヴェルズはようやく息を吐いた。


「脱ぐ前に助かってよかった」

「女湯の前で脱いだら、別料金を取るよ」


女将が言った。


「もらえる方じゃなくて?」

「取る方だよ」

「残念だな。働いた分が消えるところだった」


女将も、娘たちも笑っていた。

私も笑った。


この男は少しうるさいけれど、一緒に仕事をするのは悪くない。


◇◇◇


魔物を近くの岩場へ移し、戻ってくる。

グレンはもう道具を持っていた。


「何してるの?」

「隙間を塞ぐ。また入ってくるから」

「それは分かるけど」

「あと、女湯の踏み板も直してくれるんだよ」


女将が、当たり前のように言った。

私はグレンを見た。

彼は板を持ち上げたまま、目を逸らした。


「……グレン?」

「一枚、割れてる」

「見れば分かる。いつ頼まれたの」

「さっき」

「私に相談するって、昨日言わなかった?」

「言った」

「もう忘れた?」

「覚えてる」

「じゃあ、どうしてこうなるのよ!」


女将は面倒そうに手を振った。


「ついでじゃないか。そのくらい」


腹が立った。

ついでなら、いくら頼んでもいいと思っている。

グレンが断らないのを、知っているからだ。


「そのくらいなら、ご自分でどうぞ」

「リナ」


グレンが私を呼ぶ。

止められると思って、ますます腹が立った。


「何よ。私が間違ってるって言うの?」


彼は少し黙った。


「……先に聞くべきだった」


謝ってほしかったわけではない。

それでも、謝られると何も言えなくなる。

ヴェルズが、娘さんの一人に声をかけた。


「この板、いつから?」

「昨日です。母が転んでしまって」

「怪我は?」

「打っただけですけど。また誰かが転んだらと思うと」


娘さんは腰につけた袋から、硬貨を出した。


「母には私から話します。修理、お願いできますか」


私は息を吐いた。


「材料があるなら、このくらいでいいわ」


必要な分だけ受け取って、残りを返す。


「ありがとう」


娘さんは、今度はグレンにも礼を言った。

彼の顔が少し、柔らかくなる。

私はその顔を見て、ようやく落ち着いた。

別に、たくさんのお金が欲しいわけじゃない。

ありがとうと言ってくれるだけで、こんなに違うのに。

帰り道、グレンは修理代を私に渡した。


「自分で持ってなさいよ」

「今月の宿代、足りるか」

「足りる。前の討伐で稼いだでしょう」

「そうか」


そう言って、今度は別の袋にしまった。

孤児院へ持っていくお金を入れる袋だった。


私は口を開きかけて、やめた。

あそこには、まだ小さい子がたくさんいる。

私も、助けてもらっていた。


「全部、入れないでよ」

「分かってる」


たぶん、分かっていない。


◇◇◇


その日の夕方、グレンはギルドの厨房にいた。

食堂の親父さんに、夕飯の手伝いを頼まれたらしい。

私は卓に頬杖をついて、待っていた。

隣にはヴェルズがいる。


「なあ。あいつ、いつも料理するの?」

「頼めばね」

「へえ。うまい?」

「おいしいわよ」

「急に嬉しそうになったな」

「なってない」

「じゃあ、俺の見間違いか」


ニヤニヤしている。

やっぱり、少しうるさい。


グレンが持ってきたのは、小さな芋のパイだった。

焼けた生地の真ん中に、小さな穴が開いている。

そこからいい匂いの湯気が出ていた。


「熱いぞ」

「分かってるわよ」


待てなくて、すぐに一口食べた。

熱かった。

向かいから水を差し出される。


「言っただろ」

「……分かってたの」

「そうか」


それ以上は笑わなかった。

その代わり、ヴェルズが笑った。


「三人で食べると、にぎやかでいいな」

「二人なら、もっと静かに食べられるわ」

「それ、俺に帰れって言ってる?」

「あんた、話が早いわね」


グレンが、私の皿に肉を足した。


「まだある。喧嘩するな」


肉の取り合いだと思われた。

少しだけ抗議したかったけれど、肉はもらった。

厨房の親父さんが、鍋を持って顔を出す。


「なあ、葱の青いとこも入れたのか?」

「ああ。細かく切って、先に炒めた」

「そうか、いつも捨ててたんだが」

「固い所は出汁に使えるだよ、覚えておきな」


グレンは料理の話をするとき、いつもよりよく喋る。

親父さんが何か聞くたびに、手を動かして説明していた。

楽しそうだった。


「そんなに好きなら、毎日作ってくれてもいいのに」


つい、口に出た。

グレンがこちらを見る。


「……毎日か」

「嫌なら、別にいいわよ」

「嫌じゃない」


今度は私が黙った。

毎日、一緒に食べる。

それはもう、ほとんど・・・


「俺も食べに行っていい?」


余計な声が入った。


「駄目」

「即答だな」

「自分で作りなさい」


グレンが声を出さずに笑った。

私も、顔が熱くなったのをごまかすように、パイを食べた。


◇◇◇


九年前にも、こんなふうに食べ物をもらったことがある。

私の村が、野盗に襲われた日だった。


十歳だった私は、妹のクリスを抱えて泣いていた。

お父さんも、お母さんも、帰ってこなかった。

誰に助けを求めればいいのか、分からなかった。


そのとき、手を伸ばしてくれたのがグレンだ。


まだ十五歳だった彼は、私たちを安全な場所まで連れていってくれた。

寒いと言えば、上着を貸してくれた。

お腹が空いたと言えば、食べ物を持ってきてくれた。

大丈夫だと何度言われるよりも、私は安心した。


この人に頼めば、何とかなる。

そう思った。


孤児院に引き取られてからも、グレンは何度も来てくれた。

子供たちに囲まれ、遊びに付き合い、壊れた物を直す。

いつ見ても、誰かを助けていた。

私は、その後ろをついて歩いた。


十六歳になって冒険者の登録をした日も、彼の所へ行った。


『私と組んで』


断られても、引き下がるつもりはなかった。

ようやく頷いてもらえたときは、嬉しくて、夜も眠れなかった。


あれから三年。

私はまだ、グレンの隣にいる。


「何を考えてる?」


顔を上げると、グレンが私を見ていた。


「別に。あんたと組んで、長いなって」

「三年か」

「そう。よく私を選んだわね」

「おまえが毎日来たんだろ」

「でも、最後はいいって言ったでしょう」

「同じ孤児院の出なら、そのうち一緒に子供たちにも教えられると思った」


前にも聞いた理由だった。

きっと、それだけではない。

私のことを少しくらい好きじゃなければ、三年も一緒にはいないはずだ。

そう思うことにしている。


「いつか、あの子たちも冒険者になるかもね」

「ああ。なりたければな」


グレンは自分のパイの蓋を外して、私の皿に置いた。

私はこの、よく焼けた部分が好きだ。

中の芋をつけて食べると、おいしい。


「もらっていいの?」

「好きだろ」


私は笑って頷いた。

いつも、こうしてくれる。

彼が厨房へ戻ると、ヴェルズが自分の皿を見た。


「グレンも、好きなんじゃないの?」

「何が?」

「その、パリパリしたパイの蓋」

「そうかしら」

「最後に食べるつもりで残したのかと思った」


私はグレンの皿を見た。

芋と、少しの煮汁が残っている。

戻ってきた彼に聞くと、いつもどおりの答えが返ってきた。


「リナが食べればいい」


ほら、気にしすぎだ。

私は二枚目を食べた。

グレンはその向かいで、嬉しそうにしていた。

私も嬉しかった。


◇◇◇


食べ終わるころ、ゴズが階段から下りてきた。

私たちの卓を見る。

グレンが、その顔を見て立ち上がった。


「南か?」

「ああ。また村が襲われた」


ヴェルズも、匙を置いた。


「子供が二人、連れ去られた。親父は殺されて、おふくろも大怪我だ」


さっきまでの笑い声が、遠く感じた。


「……ほかに、家族は?」

「上に娘がいる。外へ出てて助かった。親戚が王都へ連れてくる」

「その子は?」

「怪我はしてねえ」


私はようやく、息を吐いた。

よかった。

そう思った自分が、すぐに嫌になった。

無事だった子だって、帰ったら家族がいなかったのだ。

怪我がないから平気だなんて、言えるはずがない。


「話を聞く」


グレンはそう言って、食器を片づけた。

まだ、食べ終わっていなかった。

私は残ったパイを紙で包んだ。


「あとで食べて」


差し出すと、グレンは少し驚いてから受け取った。

「ありがとう」


その一言が嬉しかった。

南には、助けを待っている子がいる。


少し怖いけれど、グレンと一緒なら行ける。

私は杖を取って、彼の後を追った。


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