包帯の下
女の子がギルドに運ばれてきたのは、夜も遅くなってからだった。
親戚の女の人に抱かれて、眠っていた。
「ようやく寝ついたんです。馬車の中では、ずっと起きていて」
女の人が申し訳なさそうに言った。
話を聞くために待っていた男の騎士は、広げた紙を閉じた。
「では、朝にしましょう」
騎士の名はロダンという。
王国騎士団から派遣され、南領地の誘拐事件を調べている。
「よろしいんですか?」
「寝かせてあげてください。部屋は用意してあります」
グレンが先に階段を上り、扉を開けた。
私は水差しと、きれいな布を運ぶ。
ヴェルズはどこかへ行ってしまった。
こういうときに何をしているのかと思ったら、食べ物を買って戻ってきた。
「あとで食べられるように」
紙に包まれた、小さな豆の焼き物だった。
「ウッディに、まだ売ってる店を教わった」
「……気が利くじゃない」
「もっと言ってもいいぞ」
「一回で十分でしょ」
「惚れたか?」
「バカじゃないの」
ヴェルズは笑い、包みを寝台のそばに置いた。
◇◇◇
翌朝、女の子は食堂へ下りてきた。
手には、半分残った焼き物を持っている。
座る場所を探していたので、私は隣の椅子を引いた。
「ここ、空いてるわよ」
女の子は座った。
髪を結ぶ紐が、片方だけ緩んでいた。
「結び直してもいい?」
少し迷ってから、頷いた。
私には妹がいた。
こういうことなら、慣れている。
「きつくない?」
「うん」
結び終わると、女の子は手を伸ばして確かめた。
「お母さんは、もっと引っぱる」
笑っていいのか迷っているうちに、女の子の方が小さく笑った。
ロダンは、向かいの椅子に座った。
大きな声では話さなかった。
「弟と妹のことを、教えてくれるかな」
「……トトと、ルウ」
「どんな服を着ていた?」
女の子は、膝の上の包みを握った。
「ルウは、私のお下がり。袖、縫って短くしたの」
「色は?」
「青。でも、薄くなってる」
ロダンが書き留める。
「トトは?」
「茶色の服。でも、手を見れば分かるよ」
女の子は両手を脇に挟んだ。
「真っ赤なの。いつもこうやって隠してる」
「どうして赤いの?」
私が聞くと、女の子は少し困った顔をした。
「お母さんに内緒だから」
「じゃあ、それは聞かない。真っ赤な手の男の子ね」
女の子が頷いた。
ロダンはそれ以上、質問しなかった。
今度は私が尋ねた。
「残り、食べないの?」
「……あとで、お腹が空くかもしれない」
「それなら、取っときましょう。朝ご飯は別に出るから」
女の子は紙を丁寧に折った。
私が何か言う前に、ぽつりと呟いた。
「糸車、借りに行っただけだったの」
誰も口を挟まなかった。
「すぐ帰るつもりだった。おばあちゃんが、お茶飲んでいきなって」
私は膝の上で、拳を握った。
あの日、私も考えた。
お父さんを呼びに戻っていれば。
お母さんの手を、もっと強く握っていれば。
何か違うことをしていたら、二人は生きていたんじゃないか。
「借りに行ってくれて、お母さんは助かったと思うわ」
女の子が私を見た。
うまい慰めなんて言えなかった。
「頼まれたことをしたんでしょう。叱られることじゃないわよ」
女の子は俯いて、頷いた。
私はそれを見てから、もう一度髪の紐を直した。
本当は、もう直す必要なんてなかった。
◇◇◇
南へ出発する前に、グレンと孤児院へ寄った。
王都シリンから少し離れた場所にある孤児院は、私と妹のクリスが暮らしていた場所だ。
門をくぐると、すぐに子供たちが寄ってきた。
「グレンだ! 剣、教えて!」
「俺が先だよ!」
「今日は挨拶だけだ。剣はまた今度」
グレンは二人の頭に手を置いた。
一人が、私の杖を見上げる。
「リナ姉ちゃんは、火、出して」
「何を燃やしたいのよ」
「勉強の紙」
「それは自分で何とかしなさい」
後ろから、ラビ院長が笑った。
「燃やしたら、最初から書き直しだよ」
男の子が顔をしかめる。
私も笑った。
懐かしい。
昔、私も計算の紙を隠して、同じことを言われた。
「元気そうだね、リナ」
「そっちこそ。また子供が増えた?」
「ああ。南から来た子がね」
院長の目が、一瞬だけ曇った。
私は子供たちが離れるのを待って、声を落とした。
「クリスのことで、何か分かった?」
院長は首を振った。
妹は、私が冒険者になって間もなく、この孤児院から姿を消した。
まだ、行方は分からない。
失踪してすぐに教えてもらえなかったことを、私は今も少し恨んでいる。
「何かあったら、今度はすぐ教えて」
「分かった。約束するよ」
私は頷いた。
グレンは何も言わず、そばで待ってくれていた。
私が顔を上げてから、院長へ袋を差し出す。
「多くはないが」
ラビ院長は受け取り、重さを確かめた。
「自分たちの食い扶持は残したかい?」
「ああ」
私は横から、袋の口を少し開けた。
思っていたより多かった。
グレンを見ると、彼はまた目を逸らした。
「……本当に残してるんでしょうね?」
「残してる」
「本当に?」
「おまえの分も」
ラビ院長が笑った。
「リナが見張ってくれるなら、少し安心だね」
「少しだけよ。目を離したら、すぐこうなるもの」
「二人とも、いつもありがとうよ」
そう言われて、私は少し照れた。
稼いだのは、ほとんどグレンなのに。
奥から孤児院の会長、スラン・ヘルガが来た。
受け取りの書類を用意してくれた。
新しく雇った護衛の給金にも使えるそうだ。
子供を狙った事件が続いているから、夜も人を置いているらしい。
「これで、安心して眠れます」
スラン会長の言葉に、グレンが頷いた。
ほんの少し、嬉しそうだった。
私は、その横顔が好きだった。
役に立てたと分かったとき、彼はいつもこういう顔をする。
◇◇◇
孤児院を出ると、荷車のそばにいた商人がグレンを呼び止めた。
「ちょうどよかった。そこの箱、載せてくれ」
グレンは迷わず箱を持ち上げた。
重そうな箱だった。
「そっちも。あと二つ」
二つ目を載せたとき、私は口を挟んだ。
「待ちなさいよ。自分は何してるの?」
商人は手綱を持ったまま、私を見た。
「こっちも忙しいんだ。グレンなら慣れてるだろ」
「慣れているなら、何を頼んでもいいの?」
「いいんだ、リナ。もう終わる」
グレンは三つ目を載せた。
商人は箱を確かめると、そのまま馬を進めた。
礼の一つもなかった。
私は荷車を睨んだ。
「次に頼まれたら、断りなさいよ」
「困ってる人が助かるなら、それでいいじゃないか」
「あの人は困ってたんじゃない。楽をしたかったの」
「それでも、荷物は運べた」
そこで話を終わらせようとする。
私はますます腹が立った。
「何で、あんたばっかり」
グレンが、私を見る。
怒ってはいなかった。
その顔を見ていると、私の方が意地悪に思えてくる。
「……せめて、お金くらい取りなさいよ」
「昔、それでゴズに怒られた」
「取って怒られたの?」
「安すぎるって。ほかの冒険者の仕事も安くなるからやめろと」
呆れて笑ってしまった。
いかにもグレンらしい。
笑うと、彼も少し安心したようだった。
「今日は、報酬の出る仕事だ」
「そうね。私もいるし」
門の外では、ヴェルズが馬に乗って待っていた。
「準備できた?」
「ええ」
「よし。じゃあ、途中であの荷車を追い越そう」
「どうして?」
「お前がまだ睨んでるから。見えなくなれば、少し落ち着くだろ」
いつの間にか、呼び方が『君』から『お前』になっている。
不思議と、嫌な気持ちはしなかった。
私は返事の代わりに、馬に乗った。
◇◇◇
南へ向かう一行には、ウッディとサザも加わっていた。
ガルスは護衛の仕事を兼ねて、荷馬車に乗っている。
騎士のロダンと、衛兵たちも一緒だ。
これだけいれば、何とかなる。
そう思いたかった。
なにせウッディ、サザ、ガルスはギルド内でも勇者候補と呼ばれている。
そしてロダンも、正義感を持ち合わせた王国の騎士だ。
でも、私はグレンこそが勇者なのではと思っている。
魔王が復活して、グレンが勇者になったときを考える。
きっと彼は魔王を討伐に行くのだろう。
そのときも、隣にいられるのだろうか。
街道を進みながら、サザが下手な歌を歌った。
ウッディが途中から違う歌詞をつけた。
ロダンに注意されると、二人とも急に真面目な顔になる。
ヴェルズだけが、まだ笑っていた。
私はグレンの隣で、同じ速さで馬を進めた。
彼の手元を見る。
手綱を持つ指には、小さな傷痕がいくつもあった。
一月ほど前、そこに包帯が巻かれていたことを思い出した。
◇◇◇
あのときは、迷子を捜す依頼だった。
卵を売って歩く、幼い男の子。
声を聞けば誰だか分かるくらい、よく会っていた。
川の下流で、片方の靴を見つけた。
私は、すぐ近くにいると思った。
急いで助ければ、まだ間に合うと。
グレンが先に土手を下りた。
少しして、私の方を見た。
「上着を借りる」
その声で、分かってしまった。
上着に包まれた子を抱いて、彼が戻ってくる。
私は何もできなかった。
家まで歩く間も、何を言えばいいのか分からなかった。
グレンは全部、自分で話した。
母親が泣き崩れると、その肩を支えた。
帰り道、私にも声をかけた。
「リナのせいじゃない」
「……分かってる」
「飯、食えるか」
「いらない」
「少しでも食べろ。明日、つらくなる」
彼は、どこへ行っても変わらない。
強い人だと思った。
私まで泣いたら、もっと困らせる。
そう思って、食べられないパンを無理に口へ入れた。
夜中、隣の部屋から物音がした。
何かが壁に当たるような、細かい音だった。
目を開けたけれど、起きなかった。
眠れば、少しは忘れられる気がした。
翌朝、グレンの指には包帯が巻かれていた。
「どうしたの、それ」
「少し切った」
「珍しいわね。あんたが?」
「ああ」
包帯の端が緩んでいたので、結び直した。
グレンは、一度だけ手を引いた。
「痛い?」
「大丈夫だ」
それ以上は、聞かなかった。
いつもそう言うし、本当に大丈夫なんだと思っていた。
◇◇◇
「リナ?」
グレンに呼ばれて、顔を上げた。
「眠いのか」
「違うわよ。少し考え事」
「無理するな。次の村で休む」
あのときと、同じ声だった。
私は頷いた。
今度は間に合ってほしい。
今度こそ、生きている子を連れて帰りたい。
◇◇◇
南領地の村に着くころには、歌も聞こえなくなっていた。
まだ明るいのに、どの家も戸を閉めている。
畑にも、人がほとんどいなかった。
ロダンたちは村の者に事情を聞き、夜の見張りを頼んだ。
私たちも、戸を叩いて回った。
三軒目の家で、父親らしい男が顔を出す。
後ろに、男の子が一人いた。
「うちは大丈夫だ。子供もここにいる」
「最近、この辺りで知らない人を見ませんでしたか」
ヴェルズが尋ねる。
「分からないよ。外に出ないようにしてるんだ」
男は、戸を閉めようとした。
そのとき、グレンが動いた。
扉に手をかけ、奥を見た。
「そっちの子は?」
玉葱の袋の陰に、小さな足が見えた。
よく見ると、男の子がもう一人座っている。
膝を抱えて、顔を隠していた。
男は、嫌そうに眉を寄せた。
「うちのじゃない。預かってくれって、置いていかれたんだ」
「誰に?」
「こいつの母親だよ。二日で戻るって言って、もう十日だ」
グレンの手に、力が入った。
古い扉が軋む。
「役に立つから、置いてくれってさ」
男は不機嫌そうに続ける。
「でも、あの図体じゃな。こっちだって、自分の子で精一杯なんだよ」
私は男を睨んだ。
子供の前で言わなくてもいいでしょう。
口に出そうとしたら、グレンが先に言った。
「連れていく。必要な手続きは、騎士様に話してくれ」
男がほっとした顔をする。
「助かるよ」
グレンは答えなかった。
男の横を通り、子供の前にしゃがむ。
「腹は減ってるか」
子供は動かなかった。
「これから飯を作る。一緒に来るか?」
細い指が、服の裾を握りしめた。
「……お金、ない」
「いらない」
「お皿、洗う?」
グレンは少し黙った。
「食べてからでいい」
子供が、そっと顔を上げた。
「玉葱は、食えるか」
「からい」
「火を通すと甘くなる」
「うそ」
「試してみよう。嫌なら、残していい」
差し出したグレンの手を、小さな手が握った。
その手は、子供が立ち上がっても離れなかった。
私たちは四人になって、家を出た。
馬を見て驚いた子供を、グレンが抱き上げる。
いつもより、ずっと慎重だった。
私はそれを見ながら、さっきの言葉を思い返した。
役に立つから、置いてくれ。
そんな頼み方をされた子は、役に立てなかったら、どうすればいいのだろう。
グレンは子供を前に乗せ、手綱を取った。
「落とさないから、掴まってろ」
小さな腕が、彼の服をぎゅっと掴んだ。




