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【第二章完結】追放された宮廷女医は身体の嘘を見逃さない ~その病、この世界の誰にも治せませんが私は知っています~  作者: Lihito
第2章:王宮・水面下編

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42話:僕、大人ですよ

「僕、先生のことが好きです」


声は震えていなかった。庭の灯りの中で、レナートはまっすぐにこちらを見ていた。


「ずっとです。最初に診てもらった時から、たぶん。胸がぎゅってなるって、あの時は言いました。何だか分からなかったから。——今は分かります」


黙って聞いていた。


「今日まで言わなかったのは、治療中だったからです。余計なことを言って、診てもらえなくなったら困る。それに、子供が何を言ってるんだって思われたくなかった」


一度、唇を結んだ。


「でも、治療は終わりました。先生がそう言ってくれた。それに、僕は今日で十五です。——だから、ちゃんと言おうって、決めてました」


子供扱いするな、と言っていた。患者扱いするな、とも。盾にできるものを、この子は一つずつ、自分の手で外してきていた。十五の子供が、よく考えていた。


その一つ一つを、無駄にしないように聞いた。


「ありがとう」


最初に、それが出た。


「子供の言うことだなんて思ってない。一時の熱だとも思わない。あなたの気持ちは、本物だと思う」


レナートの目が、少し見開かれた。否定されるか、はぐらかされるか、そのどちらかを覚悟していた顔だった。


「だから、いい加減には答えない。——ごめんなさい。応えられないの」


レナートの喉が、小さく動いた。


「……子供だからですか」


「違う」


「患者だったからですか」


「それも違う」


一つずつだった。さっきまでこちらが盾にできたものを、今度はこの子が、断られる理由として確かめていた。そのどれも違うと、正直に返した。


「あなたが悪いんじゃない。足りないものがあるわけでもない。ただ、私が、その気持ちを返せない。それだけなの」


レナートが、長い息を吐いた。肩が下りた。


しばらく、二人とも黙っていた。風が、灯りを揺らした。


「先生」


もう一度、口を開いたレナートの声は、静かだった。


「先生には、好きな人がいるんですか」


答えようとした。


いない、と。それが事実のはずだった。誰かに傾いているわけではない。ただ、自分の中に、まだ名前のついていないものがある。それを「いない」と言い切るのは、簡単なはずだった。


なのに、言葉が出なかった。


ほんの数秒。


ずっと、よどみなく答えてきた。断る理由も、逃げずに返してきた。その最後で、初めて詰まった。


レナートが、それを見ていた。


「……あ」


小さな声だった。


何かを探すように、目が動いた。それから、止まった。


「先生、王宮にいた頃、楽しそうじゃなかったです。なんだか硬くて。だから、ブライテンで楽しそうにしてるって聞いて、王宮がつまらなかったんだなって思ってました。——でも、戻ってきても、先生は楽しそうで」


声が、だんだん小さくなっていった。


「王宮、つまらなそうだったのに。戻ってきても、楽しそうにしてる。なんでだろうって——」


だから。


その先を、レナートは言わなかった。


口が、開きかけた。


閉じた。


「……いや」


首を、小さく振った。それから、笑った。無理に笑ったのが分かる笑い方だった。


「やめときます。今のは、なし」


何も言わなかった。


何かを言えば、この子が飲み込んだものを、引きずり出すことになる。だから、触れなかった。


「先生」


顔を上げたレナートの声は、明るかった。明るくしようとしていた。


「僕、立派な男になります」


「レナート」


「先生が、断ったのを後悔するくらい。——いつか、先生の方から言いたくなるくらい。いい男になってみせます」


背伸びした言葉だった。十五の子が、精一杯背伸びして、それでも届かない高さに手を伸ばすような。声は明るかった。最後の方が、少しだけ揺れた。


その揺れは、聞かなかったことにした。


「……ええ」


「待っててください」


「待ってない」


「待っててください」


「期待しないで待ってる」


レナートが、笑った。今度は、無理のない笑いが、少しだけ混じっていた。


「それでいいです」


こちらも、笑った。医者でもなく、断った相手でもなく、ただ、目の前の若い人の未来が、いいものであればいいと思った。嘘ではなかった。


「じゃあ、戻ります。僕、今日の主役なので」


「行きなさい」


レナートが、背を向けた。広間へ続く扉の方へ、歩き出した。


数歩で、足が止まった。背を向けたまま、動かなくなった。


その背中を、見た。


肩が、少し震えていた。


「レナート」


「はい」


「泣いてるの?」


「……泣いてるわけ、ないじゃないですか」


背中が、言った。


「僕、大人ですよ?」


最後で、声が崩れかけた。崩れる前に、レナートは歩き出した。背筋を伸ばして、足を速めて、広間の灯りの中へ消えていった。


振り返らなかった。一度も。


その背中を、見えなくなるまで見ていた。


***


庭に、一人になった。


風が冷たかった。広間の音が、扉の向こうで遠く鳴っている。


レナートの背中が、まだ目の奥に残っていた。振り返らずに去っていく、十五の背中。泣いていないと言い張った背中。立派な男になると、声を震わせながら宣言した背中。


ふいに、別の背中が、重なった。


前世の、一人の子だった。


名前も、顔も、声も覚えている。助けられなかった。大丈夫だと言ったあの子を、信じた。信じたことを悔いる暇もなく、いなくなった。あの子の身体は、大丈夫ではなかった。


あの子は、大人にならなかった。


誰かを好きになることも、振られて泣くことも、泣いていないと見栄を張ることもなかった。立派な男になると宣言する、あの背中を、持たなかった。


レナートは、持っている。


これから、好きになって、振られて、泣いて、それでも前を向いて歩く。その全部の時間を持っている。


それが、どうしてか、少しだけ楽にした。


重ねたのではなかった。レナートはあの子の代わりではない。ただ、未来へ歩いていく背中が、ずっと連れて歩いてきた背中に、そっと触れていった。それだけのことだった。


いつも、間に合わなかったものばかりが、長く残った。


でも、今日は、間に合った子が、未来へ歩いていった。


空を見上げた。星が出ていた。


少しだけ、目の奥が熱かった。なぜだか分からないまま、しばらく、星を見ていた。


***


広間に戻ると、リーナが卓のところで待っていた。


顔を見て、何かを察したらしい。何も聞かなかった。皿を一つ、差し出してきた。


「これ、さっきの変な味のやつです。一口食べてみてください」


「何で」


「気が紛れますよ」


受け取って、一口食べた。甘くて、しょっぱかった。確かに、変な味だった。


「ね。変でしょう」


「変ね」


広間の中央に、レナートがいた。客に囲まれて、笑っている。主役の顔だった。さっきまで庭で泣いていた子だとは、誰も思わないだろう。


一度だけ、視線がこちらを向いた。


皿を持ったまま、小さく頷いた。レナートが、頷き返した。それから、また客の方を向いた。


それきりだった。


「いい誕生会ですね」


リーナが言った。


「……そうね」


レナートの方を、もう一度見た。


「来てよかった」


宴は、まだ続いていた。


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