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【第二章完結】追放された宮廷女医は身体の嘘を見逃さない ~その病、この世界の誰にも治せませんが私は知っています~  作者: Lihito
第2章:王宮・水面下編

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39話:呪い

翌朝。


通達の巻物を、もう一度読んだ。


『第三王子の呪いに関わる疑いのある患者について、宮廷医師団の正式な管理下に移行する。現担当医は速やかに引き継ぎを行うこと——』


何度読んでも意味が分からなかった。呪い。第三王子の呪い。トビアスの症状と、呪い。


(呪いって——何)


リーナが朝の支度をしながら、巻物をちらちら見ていた。


「エリカさん。それ、何回読んでも意味が分からないんですけど」


「私も」


「呪いって何ですか。トビアスさんのどこが呪いなんですか」


「どこも。病気と毒の話でしかないわ」


「じゃあなんで——」


扉を叩く音がした。


開けると、クラウスだった。一人。フリッツはいない。


「入っていいか」


「どうぞ」


クラウスが椅子に座った。リーナが茶の支度に動こうとした。


「いい。座ってろ」


リーナが止まった。クラウスの声に、普段と違う硬さがあったのだろう。座った。


クラウスがエリカを見た。


「通達が出たと聞いた」


「ええ。昨日の夕方」


「見せろ」


巻物を渡した。クラウスが目を通した。表情は変わらない。読み終えて、巻物を閉じた。


「……第三王子の呪い、か」


「殿下。これは——」


「知ってる。前からある話だ」


リーナが声を上げた。「前からって——」


「俺が王宮にいた頃から、使用人の間で囁かれていた。北部に来てからは聞かなくなったが」


「殿下が北部に来られてからも、ですか」


「噂は消えたわけじゃない。俺の耳に届かなくなっただけだろう」


エリカは椅子の背に手を置いた。


「それが今になって、通達の根拠になるくらい大きくなってる」


「麦角の件で火がついた。——俺の症状が落ち着いた直後に、周囲で人が倒れた。呪いが治ったんじゃなく移ったんだと言いたい人間には、都合のいい話だ」


リーナが椅子の上で身を乗り出した。


「それ、本気で信じてる人がいるんですか」


「信じているかどうかは問題じゃない。使える話かどうかだ」


クラウスの声は平坦だった。怒りでも諦めでもない。何度も同じ空気を吸ってきた人間の声だった。


再び扉が叩かれた。今度はアレクだった。


「入るぞ。——ああ、クラウスもいるのか」


「座れ」


「お前の部屋じゃないだろう」


「座って、アレク殿下」


エリカが椅子を引いた。アレクが座った。巻物がテーブルの上にあるのを見て、表情が変わった。


「それか」


「殿下も聞いたんですか」


「今朝、侍従から聞いた」


アレクがクラウスを見た。クラウスは窓の外を見ていた。


「……呪いの話、前からあっただろう」


クラウスが頷いた。


アレクがエリカに向き直った。


「俺が倒れた時にもあった。クラウスだけじゃなく——王家の血が呪われていると」


リーナが眉を寄せた。「王家の血?」


「ジーク兄上が死んだ。クラウスが病んだ。俺も倒れた。——三人続けば、そう言いたくなる人間がいるのは分かる」


「分かるって——殿下は否定しなかったんですか」


アレクが口を閉じた。少し間があった。


「した。呪いじゃない、エリカに治してもらったんだと。——ただ」


「ただ?」


「声を大にして言い続けたかと言えば、そうでもない。俺が元気になれば消える話だと思っていた」


クラウスが視線を戻した。


「消えなかっただろう」


「……ああ。消えなかった。麦角で膨らんだ」


リーナがテーブルに手をついた。


「じゃあ、この通達って——噂が根拠なんですか。医師団が動いてるのに、根拠が噂。それっておかしくないですか。宰相閣下の承認まであるのに」


誰も答えなかった。


エリカは立ったまま、巻物を見ていた。


「噂は噂よ」


三人がエリカを見た。


「どれだけ広がっても、噂は噂。トビアスさんの身体の中で起きていることは、呪いじゃない。毒と病気よ。原因がある。経過がある」


声は静かだった。


「でも通達は出た。宰相の承認がついて、ブルーノ先生が担当になる。——これは止められない」


「エリカ——」


アレクが何か言いかけた。


「止められないから、引き継ぎの時にちゃんと伝える。今の処方の意味も、麦角じゃないことも、全部。それを聞いて、どうするかはブルーノ先生の判断になる」


クラウスがエリカを見ていた。黙って。何かを確かめるように。


「俺から団長に言うか」


「いいえ。殿下が動けば、呪いの話がもっと大きくなる」


クラウスが目を細めた。


「……そうだな」


アレクが立ち上がった。


「すまない。もっと早くに潰しておくべきだった。俺が放置したせいだ」


「殿下のせいじゃない。噂を作った人間がいるなら、そっちの話よ」


「作った——」


「出来すぎてるの。タイミングが良すぎる。麦角が起きて、クラウス殿下の症状が落ち着いた直後に、ちょうどいい筋書きが出てくる。偶然にしては」


言いかけて、止めた。


「……ごめんなさい。今のは忘れて。まだ何も分からないから」


アレクとクラウスが目を合わせた。何かが通ったように見えた。


クラウスが立った。


「引き継ぎは今日か」


「夕方です」


「そうか」


それだけ言って、出て行った。アレクも続いた。扉の前でアレクが振り返った。


「何かあったら言え。俺にできることがあるなら」


「ありがとうございます」


扉が閉まった。


リーナが残った。しばらく黙っていた。


「エリカさん」


「何」


「怒ってますよね」


エリカは薬棚に手をついていた。


「……怒ってる」


「ですよね」


「目の前に答えがあるのに、見ない人がいる。見せても信じない人がいる。その人たちの手に、患者を渡さなきゃいけない。——怒ってるわよ」


リーナは何も言わなかった。ただ頷いた。


***


夕方。引き継ぎの時間が来た。


ブルーノが来た。医師団の書記官を一人連れている。


「久しぶりだな」


顎を上げて、部屋を見回した。


「患者の状態を説明します」


トビアスの病室の前で、エリカが記録を開いた。


「この患者は麦角中毒として入院していますが、麦角では説明できない症状が混在しています。心臓の伝導異常と舌の感覚神経低下。穀物を断っても改善しなかった。別の毒——トリカブト系の可能性があります」


ブルーノの目が動いた。


「今の処方はそれを前提に組んでいます。心臓への負荷を抑えながら、毒の代謝を促す方向です。十日かけてようやく安定し始めたところなので、処方を変えないでほしい」


「トリカブト、ね。何を根拠に」


「痺れの出方が違います。麦角なら末端から来る。この患者は舌から。心臓のリズム異常も麦角では起きない。穀物を止めても心臓と舌だけ改善しなかった。処方を切り替えて、口に入るものを管理下に置いたら回復が始まりました」


ブルーノが腕を組んだ。


「お前の見立てか」


「ええ」


「医師団に報告したのか」


「いいえ。私が診ました」


ブルーノの口元が歪んだ。


「一人の見立てで処方を変えた、と」


「結果が出ています」


「麦角の重症例が回復に時間がかかるだけだろう」


「違います。穀物を断っても心臓が悪化し続けていた。処方を変えた時点で止まったんです」


「いいよ」


遮られた。


「聞いた。記録に残しておく」


それ以上は聞かなかった。


トビアスの部屋に入った。ブルーノが寝台の横に立った。


「俺が担当する。よろしくな」


トビアスがエリカを見た。不安な目だった。エリカは頷いた。


部屋を出る時、トビアスの手が布団を握っていた。


***


診察室に戻った。


「リーナ」


「はい」


「トビアスさんの処方記録、全部写しを取って。投薬量、時間、経過、全部。こちらにも残しておく」


「……はい」


リーナが動き出した。


***


翌日から、トビアスはブルーノの管理下に入った。


エリカは直接診ることができなくなった。廊下でトビアスの部屋の前を通ることはあった。中には入れなかった。


リーナが、他の八人の回診の合間に断片を拾ってきた。


「処方、変わったみたいです。煎じ薬の匂いが違うって、隣の部屋の侍女が」


エリカは何も言わなかった。


三日目。


リーナが回診から戻ってきた。顔色が悪かった。


「トビアスさんの声が聞こえました。——苦しそうでした。前より」


五日目。


廊下でトビアスの部屋の扉が開いたのを、リーナが見た。


「顔色が灰色でした。引き継ぐ前は、あそこまでじゃなかった」


七日目。


深夜。扉を叩く音で目が覚めた。


リーナではない。知らない使用人だった。息が上がっている。


「エリカ先生——研究棟の助手の方が——急に苦しみだして——ブルーノ先生が処置しているのですが——」


エリカは既に立ち上がっていた。

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