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【第二章完結】追放された宮廷女医は身体の嘘を見逃さない ~その病、この世界の誰にも治せませんが私は知っています~  作者: Lihito
第2章:王宮・水面下編

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35話:原因不明

翌朝、エリカは東棟の使用人部屋を回っていた。


最初の患者は厩舎の馬丁だった。三十半ばの男。両手を膝の上に置いて、指先を見つめていた。


「いつから」


「三日前くらいからです。最初は寝違えたかと思ったんですが……手だけじゃなくて、足も」


「見せて」


手を取った。指先が白い。冷たい。部屋は暖かいのに、血の気が引いている。


「握ってみて」


馬丁が手を握った。力が入りきっていない。


「痙攣は」


「昨日の夜、足がつって。前にもあったんですが、最近は毎晩です」


「吐き気は」


「朝がひどいです。食えるんですが、食った後に来ます」


記録帳に書いた。二人目。東棟の侍女。症状はほぼ同じ。指先が白く、手足の痺れ、夜間の痙攣。三人目。庭師の助手。こちらは吐き気が強く出ていた。


爪の色を確かめた。退色している。血が先まで届いていない。


全員に共通していた。末端の血の巡りが落ちている。


部署がばらばら。厩舎、東棟、庭園。接点がない。


***


昼過ぎに医師団の召集がかかった。


原因不明の集団発症。クラウスの名で、宮廷医師団に調査の指示が下りた。あわせてエリカにも協力の要請が入った。


医師団の広間に入るのは久しぶりだった。


空気が変わっていた。以前は背中に視線が刺さるような場所だった。今は違う。好奇の目がある。品定めの目がある。あからさまに嫌な顔をしているのは——


(ブルーノか)


隅の椅子で足を組んでいる。組んだ足の右側が、靴に押し込まれて窮屈そうだった。


目が合った。ブルーノが先にそらした。


「よう」


横から声がかかった。


背の高い男が腕を組んで立っていた。顎に無精ひげ。白衣の袖を肘まで捲っている。


ゲオルク。同期ではないが、年次が近い。追放の日、大広間にいた。止めなかった。止められなかった。それは同じだ。


「まさか戻ってくるとは思ってなかったぞ」


「戻ったわけじゃない。王太子殿下の主治医として来ているだけ」


「同じだろ。結果的に」


肩をすくめた。悪びれない。が、目が笑っていなかった。


「——悪かった。あの時、何も言えなかった」


「言っても変わらなかったと思う」


「それはそうだが」


ゲオルクが腕をほどいた。


「で、今回の件。お前が来るなら話が早い。正直、手詰まりだ」


「医師団はどう見てる」


「個々の症例としてしか見ていない。痺れは痺れ、痙攣は痙攣、吐き気は吐き気。対症療法を出して終わり。だが患者が増えている。今朝も二人増えた」


「合計何人」


「七人。俺が把握している限りでは」


七人。部署がばらばら。同じ時期に同じ症状。


「全員の名前と部署、出してくれる?」


「もうまとめてある。お前ならそう言うと思った」


ゲオルクが懐から折りたたんだ紙を出した。


***


広間の奥から、もう一人が歩いてきた。


白衣ではなく、研究棟の者が着る濃紺の上衣。袖口に薬品の染みひとつない。清潔で、整っている。


「ルーカスと申します。研究棟で薬草の管理と調合を担当しております。今回は薬品・食品の安全性確認の名目でお声がけいただきました」


穏やかな声だった。丁寧な物腰。会釈の角度が正確だった。


「エリカです」


「存じております。王太子殿下の心内膜炎を治癒された方ですね。お噂はかねがね」


目が合った。柔らかい印象。笑みが自然で、好意的で、どこにも引っかかるものがなかった。


「研究棟からは私が窓口になります。薬草の在庫や保管状況について何かあれば、お気軽にどうぞ」


「助かります」


ルーカスが一礼して離れた後、ゲオルクが小声で言った。


「種痘のルーカスだ。知ってるか」


知っている。名前だけは。牛痘を使った天然痘の予防法を確立した人物。何千人もの命を救ったとされる、王宮医学研究の第一人者。


「種痘だけじゃない。解剖図の体系化、蒸留酒精の精製法。器具の煮沸消毒を医師団の規定にしたのもあの人だ」


足が止まった。


「——煮沸消毒?」


「お前がいた頃にはもうあっただろ。手術器具は酒に浸すか煮沸してから使えっていう決まり。あれを提案して通したのがルーカスだと聞いている」


(あの規定、この人が作ったのか)


宮廷にいた頃、当たり前のように従っていた。誰が始めたのか疑問に思ったことはあった。理屈を知らなければ出てこない発想だと。


ルーカスの背中が廊下の奥に消えていくのを見た。穏やかで、足音がほとんどしなかった。


(種痘も、煮沸消毒も。……本物の天才なんだな)


「で、そのルーカスが今回の件で協力してくれる。悪い話じゃないだろ」


「ええ。心強い」


***


午後。ゲオルクがまとめた名簿をもとに、改めて患者を一人ずつ回った。


七人。厩舎の馬丁、東棟の侍女二名、庭師の助手、西棟の下男、研究棟の助手、厨房の下働き。


部署も年齢も性別もばらばら。接触歴に重なりがない。感染症ではない。人から人にうつるなら、同じ部署に固まるはずだ。


全員の手を取り、足を診た。同じだった。七人全員、指先が白く冷たく、筋肉がこわばっている。


「共通点が見えないな」


ゲオルクが記録を覗き込んだ。


「部署がばらばら。同じ部屋にいたわけでもない。接触もない。でも症状は揃っている」


「揃っているなら、原因は一つ」


エリカは記録帳を広げた。


「部署じゃなくて、口にしたものを調べる」


「食事か」


「感染症じゃないなら、体の中に入ったもので考える。全員が同じ時期に同じものを口にしていれば、それが原因になりうる」


ルーカスが静かに近づいてきた。


「食材の納品記録でしたら、研究棟にも写しがあります。保管庫ごとの出し入れ記録もございます。お持ちしましょうか」


「お願いします」


ルーカスが一礼して去った。


ゲオルクが患者の名簿を指で追った。


「七人の食事を全部突き合わせるのか。何日分だ」


「発症の三日前からでいい。まず直近を潰す」


「やるか」


ゲオルクが袖を捲り直した。


***


夜になった。


ルーカスが持ってきた納品記録と、ゲオルクが聞き取った食事内容を並べた。


七人のうち五人が、同じ保管庫から出た黒パンを食べていた。


残り二人は——厨房の下働きと研究棟の助手。黒パンの記録がない。だが二人とも、同じ保管庫の粉で作った粥を食べていた。


「同じ保管庫か」


ゲオルクが紙を押さえた。


「穀物が原因なら——」


エリカの手が止まった。


痺れ。痙攣。吐き気。末端の循環障害。


同じ穀物を口にした人間に、同じ症状が出ている。


(——麦角)


前世の記憶が浮かんだ。中世ヨーロッパの記録。ライ麦に寄生する黒い菌核。汚染された穀物を食べた集落で、痙攣と壊疽が広がった。聖アントニウスの火。


麦角中毒。血管を収縮させ、末端への血流を断つ。初期症状は痺れと痙攣。進行すれば壊疽に至る。


(まだ確証はない。保管庫の穀物を直接見なければ)


「エリカ?」


ゲオルクが顔を覗き込んだ。


「……一つ、確かめたいことがある」


「何だ」


「明日、その保管庫を見せてもらえる?」


ゲオルクが頷いた。


ルーカスが記録帳を綴じながら、穏やかな声で言った。


「ご案内しますよ。保管庫の鍵は研究棟が管理しておりますので」

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