32話:あの子のミスじゃない
風邪で寝ていた。
自分で作った薬を飲んで、自分で横になって、それだけだった。リーナが枕元に水を置いてくれた。
「エリカさん。レナートくんの薬、今日渡す日ですよね」
「……ああ。そうだった」
起き上がろうとした。頭が重かった。喉が腫れている。
「私が行きます」
「リーナ——」
「処方は分かってます。量も手順も。経過確認の項目も、前に教えてもらったやつ見ながらやります」
「あの子、初対面の人には——」
「大丈夫です。エリカさんの弟子ですって言えば」
(弟子ってそういう使い方するものじゃないけど)
「……お願い。脈と爪の色と、腹部の圧痛。あと食事の記録ノート、見せてもらって」
「はい」
「それと、あの子は——」
「何ですか」
「いい子です。心配しなくていい」
リーナが鞄を持って出ていった。
枕に頭を戻した。天井を見ていた。
(あの子のこと、リーナに任せるのは初めてだ。——大丈夫。リーナは大丈夫)
目を閉じた。
***
夕方。リーナが戻ってきた。
「ただいま戻りました」
「どうだった」
「脈は安定してます。爪の色も良好。腹部の圧痛なし。記録ノートも見ました。毎日書いてます。字がすごくきれいで——几帳面な子ですね」
「食事は」
「ちゃんと食べてます。薬も時間通り。量も正確。侍医が見ている分も問題なさそうでした」
「ありがとう」
リーナが椅子に座った。少し黙っていた。
「エリカさん」
「何」
「あの子、最初すごく緊張してました。エリカ先生じゃないって分かった瞬間に」
「……そう」
「でも、エリカさんの弟子ですって言ったら、急に大人しくなって。全部素直に診せてくれました」
「いい子でしょう」
「いい子でした。——なんか、可哀想ですね」
「何が」
「十四歳で一人で記録つけて、一人で身体守って。周りの大人がちゃんとしてなかったんでしょう」
エリカは何も言わなかった。
「あ、でも今はお父さんが動いてくれてるんですよね。大丈夫ですよね」
「うん。大丈夫」
「よかった」
リーナが笑った。まっすぐだった。
「また行っていいですか。エリカさんが忙しい時」
「……お願いするかも」
「任せてください」
***
風邪が治った翌日。
リーナが診察室に入ってきた。
いつもと違った。鞄を抱えている手が強かった。肩が上がっていた。
「おかえり。マリアさんの経過確認、どうだった?」
「はい。行ってきました。——大丈夫でした」
「大丈夫?」
「はい。薬を飲んでるか確認して、体調聞いて。大丈夫です」
笑った。笑い方が硬かった。
「リーナ」
「はい」
「何かあった」
「ないですよ。何も」
「嘘。肩が上がってる。鞄の持ち方もいつもと違う」
リーナの肩がびくっと動いた。
「…………」
「座って」
リーナが椅子に座った。鞄を膝に抱えたまま。
「帰り道に——廊下で。侍女の方たちが話してるのが聞こえて」
「何て」
「あの田舎の薬師が出した薬で余計悪くなったって。マリアさんがそう言ってるって」
エリカの手が止まった。
「誰が言ってた」
「分かりません。顔は知らない人たちでした。私が通ったら黙ったので——聞こえてたの分かってて言ってたんだと思います」
リーナの声は平坦だった。抑えていた。
「それだけ?」
「…………」
「リーナ」
「その後、マリアさん本人にも言われました」
「何て」
「あなたの薬を飲んだ日の夜から具合が悪くなった。責任を取ってほしいって」
リーナの手が鞄の上で白くなっていた。
「私の処方、間違ってなかったと思うんです。エリカさんにも見てもらって、問題ないって。でも——実際に悪くなったって言われたら——」
「悪くなったって、具体的に何を言ってた」
「吐き気が増した、眠れなくなった、って」
「吐き気と不眠」
「はい」
エリカは黙った。
(胃腸を休める薬草で吐き気が増す? あの処方で不眠が出る薬草は入っていない。量も適正だった。おかしい)
「リーナ。あなたの処方は間違っていない」
「でも——」
「間違っていない。あの薬草で吐き気が増すことは、量が適正なら起きない。不眠はあの処方とは無関係の症状」
リーナが顔を上げた。
「でも実際に——」
「実際に悪くなったかどうかは、私が診れば分かる」
「エリカさん——」
「あなたの処方は合っていた。それは私が保証する」
リーナの目が揺れた。
「……エリカさんに見てもらった時は、大丈夫だって思えたんです。でも——廊下であんなこと言われて、マリアさんにもああ言われたら——自分が間違えたのかもしれないって」
声が小さくなった。
「ブライテンの時と同じです。自分の判断を信じられなくなる。あの時も——」
「あの時は違う」
「え?」
「あの時はまだ一人だった。今は違う。私がいる」
リーナが息を吸った。止めた。また吸った。
「……はい」
「それに、ブライテンの時のあなたと今のあなたは別人です。さっきの所見も処方も、あの時のあなたには書けなかった」
リーナが頷いた。小さく。
「リーナ。これは、あなたのミスじゃない」
リーナが鞄を抱え直した。目が赤くなりかけていたが、泣いてはいなかった。
「……大丈夫です。大丈夫。ちょっとびっくりしただけで」
「大丈夫じゃなくていい」
「大丈夫です」
笑った。空元気だった。分かっていた。でも今はそれでいい。
***
リーナを休ませた後、クラウスのところに行った。
「少しいいですか」
クラウスは書類を読んでいた。顔を上げた。
エリカの顔を見て、書類を置いた。
「何があった」
「リーナが潰されかけています」
座った。経緯を話した。侍女マリアの診察。処方。その後の噂。直接の非難。
クラウスは黙って聞いていた。腕を組んでいた。
「処方は合っていたのか」
「合っていました。私が確認しています。あの薬草で訴えている症状が出ることはありません」
「つまり、嘘か」
「嘘か、あるいは——仕組まれたか」
クラウスの目が細くなった。
「リーナを標的にする理由があるとすれば——」
「私です。私を直接潰せないから、リーナを狙った」
「……あんた、珍しく怒ってるな」
声が震えていたのかもしれない。自分では分からなかった。
「怒ってます」
隠さなかった。
「あの子はブライテンで自分の判断を信じられなくなったことがある。やっと立ち直って、やっと一人で診察ができるようになって——それを潰すようなことを、この宮廷は平気でやる」
「宮廷がやったとは限らん」
「誰がやったにせよ、あの子が傷つけられた事実は変わりません」
クラウスが黙った。
しばらくして、立ち上がった。
「……分かった。少し考えがある」
「考え」
「正面からやり返しても意味がない。相手の方が宮廷のルールに慣れている」
「では——」
「宮廷のルールの中で潰す」
クラウスの目が変わった。ブライテンで見たことのない目だった。
「任せろ」
「クラウスさん」
「あんたはリーナの側にいてやれ。——あの子の味方はあんただ」
エリカは頷いた。
部屋を出て、リーナのところに戻った。リーナは薬草の整理をしていた。手が動いていた。止まっていなかった。
それだけで少し安心した。
お読みいただきありがとうございます!
もし「面白そう!」「続きが気になる!」と思っていただけたら、
広告の下にある【☆☆☆☆☆】を【★★★★★】にして応援していただけると、執筆(投稿)の励みになります!
ブックマークもぜひポチッとお願いします。




