16話:勝手にやった
翌日から、ジャムを作り続けた。
市場の裏手、リーナが子供の頃に遊んでいたという野バラの茂み。トゲだらけだったが、実の量は申し分なかった。革の手袋は大工のハンスが貸してくれた。薬代の代わりに、と言ったら笑っていた。
三日かけて籠六杯分の実を摘んだ。種を取って、果肉を潰して、蜂蜜と煮詰める。
蜂蜜は足りなかった。
「南の外れに養蜂やってるエルンストさんって人がいます。ベッカー先生の患者さんだった人」
「紹介して」
リーナと一緒にエルンストの家を訪ねた。六十がらみの男。腰が曲がっている。
「ベッカー先生のとこの」
「はい。エリカです。蜂蜜を分けていただけませんか」
「金か」
「ジャムと交換でどうですか。ハーゲブッテの」
エルンストが瓶を見た。蓋を開けて、指で掬って舐めた。
「……うまいな」
「蜂蜜一壺で、ジャム五瓶。どうですか」
「三瓶でいい。うちは二人しかおらん」
「ありがとうございます」
帰り道、リーナが跳ねるように歩いていた。
「エルンストさん、頑固な人なんですよ。ベッカー先生の薬も最初は飲まなかったって」
「味見したら一発だったけど」
「美味しいって強いですね!」
(強いよ。正しいより強い場合がある)
***
瓶に詰めた。小さい瓶で三十個。
「リーナ。これ、南の裏通りを中心に配って」
「はい! ——配り方、何か注意ありますか?」
「一つだけ。薬って言わないで」
「言いません! 美味しいから食べてって言います!」
「それでいい。あと、感想を聞いてきて」
「任せてください!」
リーナが瓶を抱えて飛び出した。
午前中、診療所はリーナなしで回った。患者は二人。包帯を巻いて、薬を渡して、記録を書いた。一人でもできる。できるが、静かだった。
***
昼過ぎ。リーナが戻ってきた。息を切らしている。
「配ってきました! 三十個全部!」
「全部? 半日で?」
「途中から取り合いになっちゃって! 最初の三軒くらいはみんな怪しがるんですけど、一口食べたら顔が変わるんですよ! で、隣の家の人が見てて『何それ』って!」
「落ち着いて。座って」
リーナが椅子にどさっと座った。汗をかいている。
「カイルさんの奥さんが五瓶欲しいって言ってました。さすがにそんなにないですって断ったら——」
「一人一瓶が限度。次の分がなくなる」
「ですよね。あと、長屋のおばあさんが『これ売ってくれ』って」
「売らない。味の感想だけもらって」
「言いました! そしたらおばあさん、パンに塗ったのが一番うまいって」
「ちゃんと食べてくれてるんだ」
「あ、それと——」
リーナが立ち上がった。目が光っている。
「あのですね。私、ちょっと思いついたことがあって。勝手にやったんですけど」
「何を」
「配る時に、ジャムをお湯で溶かして飲んでみせたんです。沸かしたお湯に、ひとさじ入れて」
「……どうして」
「だって、パンに塗るだけだとパンがないと食べられないじゃないですか。パンを買えない家もあるし。でもお湯なら水を沸かすだけで——」
「それで」
「飲んだ人がすごく喜んで。子供も飲めるし、温かいし。で、そのまま多めにお湯を沸かして、その水を普段使いすれば身体にもいいですよって言ったら——」
手が止まった。
「みんな、やるって言ってました」
「…………」
「あの、勝手なことして怒ってますか」
立ち上がった。リーナの前に立った。
「リーナ」
「は、はい」
「あなた今、何をやったか分かってる?」
「えっ。……お湯で溶かしたらおいしかったから——」
「水を沸かせって言っても誰もやらなかった。でもあなたは、美味しい飲み物を作る名目で、勝手に沸かさせた」
リーナが目をぱちくりさせた。
「しかも多めに沸かしてそのまま使えって。あの人たちは今夜から、煮沸した水で生活し始める。あなたが仕掛けたから」
「えっ。えっ? 私そんなつもり——」
「つもりがなくてもいい。結果がそうなってる」
(この子は。私にはできなかったことを、半日で——)
リーナの顔が、じわじわ赤くなった。
「えへへ」
「えへへじゃない。すごいことだよ」
「えへへへ」
(駄目だ、褒めると崩れる)
「明日も配る?」
「行きます! 絶対行きます!」
***
夕方。クラウスの屋敷。
甘草を届けた。脈を取った。安定。
「ジャム、評判いいですよ」
「そうか」
「リーナがほとんど一人で配りました。三十瓶、半日で」
「あの子は——人に好かれるな」
「好かれますね。私にはない力です」
「本気でそう思ってるのか」
「え?」
「……まあ、いい」
自分では本気だった。だが言い返す前にクラウスの関心がジャムの瓶に戻っていた。
クラウスはまた掬って食べた。悪くない顔をしている。
「材料はどうしてる」
「野バラの実はリーナが場所を知ってました。蜂蜜はエルンストという養蜂家と物々交換で。今のところ回ってます」
「今のところは」
「量が増えたら足りなくなります。ハーゲブッテは秋しか採れないので」
「…………」
クラウスは何も言わなかった。窓の外を見ただけだった。
(この人が黙る時は、大体何かを考えている)
「明日も来ます」
「ああ」
***
帰り道。裏通りの手前を通った。
排水溝の工事が完成していた。溝が裏通りの端から端まで通っている。底に石が敷かれて、水がゆるやかに流れている。
(完成してる。——いつの間に)
立ち止まって見た。丁寧な仕事だ。傾斜がついていて、水が一方向に流れるようになっている。
作業員の姿はもうなかった。
(結局、誰がやったのか分からないまま終わった。——いや、終わってない。誰がやったかは後でいい。溝ができたことが大事だ)
診療所に戻った。
リーナが台所でジャムの仕込みをしていた。明日の分。鼻歌を歌っている。
「何の歌」
「え? 歌ってましたか私?」
「歌ってた」
「……えへへ」
(今日一日で、リーナの顔が三回変わった。配りに行く時の前のめりな顔。煮沸トリックを報告した時の無自覚な顔。褒められた時の崩れた顔)
(この子は自分で考えて、自分で動ける。私はそれを、ちゃんと見ていなかった)
椅子に座った。記録帳を開いた。
今日の記録。ジャム三十瓶配布。南の裏通り中心。反応良好。
最後に一行足した。
リーナの煮沸の工夫。報告により把握。極めて有効。
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