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【第二章完結】追放された宮廷女医は身体の嘘を見逃さない ~その病、この世界の誰にも治せませんが私は知っています~  作者: Lihito
第1章:ブライテン編

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15/50

15話:全部書いて

朝。ベッカーの家。


庭に出た。垣根の際、赤い実をつけた低木。昨日の帰りに見たのと同じ。


近づいて確かめた。小さな実がびっしりついている。指で一つ摘んだ。硬い。


窓の中からベッカーの声が聞こえた。


「何を見ている」


「この赤い実。ハーゲブッテですか」


「ああ。野バラの実だ。秋に採れる。昔は冬場の保存食に使ったもんだが、最近は誰もやらん」


「煮詰めれば食べられますか」


「渋いが、砂糖と煮ればジャムにはなる。ばあさんが作っていた」


(ハーゲブッテ。ローズヒップ。前世の知識ではビタミンCが豊富。熱に強い。保存がきく)


実をいくつか摘んだ。掌に載せた。赤くて小さい。


(南の裏通り。干し肉と芋と安い麦のパン。生の野菜も果物もほとんどない。ビタミンが足りていない。身体の抵抗力が落ちている。だから悪い水の影響をまともに受ける)


(水を変えられないなら——身体の方を強くすればいい。足りない栄養を補えば、多少の悪い水でも耐えられる)


(でも「これを食べろ」と言って聞く相手なら苦労しない。薬として出しても、手を出さない人たちだ)


リーナの言葉が浮かんだ。「めんどくさいより得なことがあれば、勝手にやりません?」


(美味しければ、勝手に食べる。薬じゃなくて、食べ物として広がれば——)


「先生。この実、もらっていいですか」


「好きにしろ」


***


リハビリの前に、庭のハーゲブッテを籠いっぱい摘んだ。ベッカーは窓から見ていたが、何も聞かなかった。


リハビリ。四回目。左足の曲げ伸ばし、十五回。


十回目でベッカーが足首を回した。自分で動きを確かめている。


「……前より動くな」


「気づきましたか」


「気づかんほど鈍くはない」


可動域が広がっている。初日は動かすだけで顔が歪んでいた。今は十回までは表情が変わらない。


「来週は立つ練習を入れます」


「気が早い」


「先生が思ってるより、筋肉はついてきてます」


ベッカーが天井を見た。否定しなかった。


***


診療所に戻った。


籠の実をリーナに見せた。


「何ですかこれ! かわいい!」


「ハーゲブッテ。ベッカー先生の庭に生えてた。ジャムにする」


「ジャム! 食べていいんですか!」


「食べるためだよ。南の裏通りの人たちに配りたい」


「配る? お薬ですか?」


「薬じゃない。この実はビタミン——身体を丈夫にする成分が豊富なの。あの辺りの人たちは食事が偏ってる。干し肉と芋ばっかりで、果物も野菜もほとんど食べてない」


「だから身体が弱くて、お腹壊しやすい?」


「そう。水だけの問題じゃない。身体の方が負けてる」


「じゃあこれを食べれば——」


「すぐには治らない。でも続ければ、身体の抵抗力が上がる。多少悪い水でも耐えられるようになる」


台所に並べた。実を割って種を取る。果肉を集める。地味な作業だ。


リーナが横に座って、一緒に種を取り始めた。


「でもエリカさん。これって結局、薬と同じじゃないですか。身体にいいから食べてって」


「だからジャムにする」


「?」


「薬として出しても誰も手を出さない。でも美味しければ勝手に食べる」


リーナの手が止まった。


「……あっ」


「昨日あなたが言ったこと」


「私ですか!?」


「めんどくさいより得なことがあれば勝手にやるって」


リーナが目を丸くした。自分で言ったことを思い出している。


「……私、そんないいこと言ってましたっけ」


「言ってた」


「えっ、じゃあ私のおかげ——」


「種を取って」


「はい!」


砂糖は足りない。蜂蜜で代用した。鍋に果肉と蜂蜜を入れて、弱火で煮る。赤い実が崩れて、甘い匂いが広がった。


リーナが鍋を覗き込んだ。


「いい匂い……」


木べらですくって、小皿に取った。


「味見して」


リーナが口に入れた。


「——おいしい! 甘酸っぱい!」


「パンに塗っても、お湯に溶いても飲める。保存もきく」


リーナが小皿のジャムをもうひとさじ食べた。


「これ、タダで配るんですか?」


「味の感想を聞かせてくれれば」


「絶対みんな欲しがりますよ!」


(まだ分からない。試作は一回目だ。量も足りないし、配り方も考えないと)


「まず少量作って、何人かに試してもらう。反応を見てから考える」


「私が配ります!」


「まだ早い」


「でも!」


「まだ。早い」


リーナが頬を膨らませた。


***


夕方。クラウスの屋敷。


甘草を届けた。脈を取った。安定。日課が淡々と終わる。


鞄から小瓶を出した。


「これ、今日作ったものです。よかったら」


クラウスが瓶を受け取った。蓋を開けて匂いを嗅いだ。


「甘い」


「ハーゲブッテのジャムです。パンに塗っても、お湯で溶いても」


指で少し掬って、口に入れた。


「……悪くない」


フリッツが横から覗いた。


「先生。これは何のために」


「南の裏通り用です。あの辺りの人たちは食事が偏っていて、身体の抵抗力が落ちてる。この実は身体を丈夫にする成分が多いので、ジャムにして食べてもらおうと」


「なるほど」


「薬として出しても誰も手を出さない。美味しければ勝手に広がるかなと」


フリッツが頷いた。クラウスはもうひと掬い食べている。


「発想はあなたのですか」


「リーナです。あの子に言われて気づきました」


「リーナさん」


「面白い子ですよ。知識はまだ足りないけど、素直で。患者さんとの距離の詰め方が上手い。私にはない感覚です」


甘草の水を渡した。クラウスが飲んだ。顔をしかめた。ジャムの直後だと余計にまずいのだろう。


「……これもどうにかしてくれ」


「甘草はどうにもなりません」


「ジャムに混ぜるとか」


「成分が変わります。それに——」


クラウスを見た。


「あなたには要らないでしょう。美味しくしなくても、飲む理由を知っている人には」


クラウスの手が止まった。


一瞬、こちらを見た。それから窓の外に目を戻した。


何も言わなかった。


「明日も来ます」


「ああ」


フリッツが玄関まで送ってくれた。


***


診療所に戻ると、リーナが走ってきた。


「エリカさん! 手紙です! 王都から!」


受け取った。レナートの字。二通目。


奥の椅子に座って、封を切った。



『エリカ先生


先生に言われた通り、気づいたことを書いてみます。


食事は増えました。前よりずっと食べられます。


ただ、時々気分が悪くなることがあります。いつもではありません。調子のいい日が続いた後に、急に来ます。薬を飲んだ後のような気もするのですが、よく分かりません。すぐ治まるので、大丈夫だとは思います。


気づいたことは、正直これくらいです。あまり役に立たなくてすみません。


先生の返事、待ってます。


レナート』



手紙を膝に置いた。


(「薬を飲んだ後のような気もする」——前の手紙でも「調子の悪い日がある」と書いていた。続いている)


毎日同じ薬を飲んでいるのに、「時々」だけ悪くなる。


(薬が原因なら毎日悪くなる。食事か。環境か。それとも——)


情報が足りない。「気づいたこと」を聞いただけでは、この子は何を書けばいいか分からない。


(もっと具体的に聞かないと。何を食べたか。誰が薬を持ってきたか。いつ悪くなったか。項目を決めて、全部書かせないと追えない)


便箋を出した。



『レナートへ


手紙ありがとう。役に立たないなんてことはない。続けて書いてくれたから分かったこともある。


もう少し詳しく教えてほしい。


一、気分が悪くなった日に何を食べたか。朝、昼、夜、間食も含めて全部。

二、その日の薬を誰の手から受け取ったか。名前を書いて。

三、飲んでからどのくらいで気分が悪くなったか。

四、調子のいい日と悪い日で、何か違うことがあったら何でも書いて。些細なことでいい。


面倒だと思うけど、全部書いて。一つも省かないで。


ブライテンは元気です。


エリカ』



封をした。


「リーナ。これ、明日の便で王都に」


「はい! ……また手紙ですね。レナートさん」


「うん」


「今度はどんな内容ですか?」


「調子が悪い日があるって」


リーナの表情が変わった。前とは違う。


「……大丈夫なんですか。その子」


「分からない。だから詳しく聞く」


「手紙で」


「手紙しかないから」


リーナが封書を預かった。今日は恋愛の話をしなかった。


「エリカさん」


「何」


「その子、遠くにいて会えなくて、手紙でしか診られないって——つらくないですか」


「…………」


「あっ、ごめんなさい。変なこと聞いて——」


「つらいよ。目の前にいれば脈を取って、顔を見て、一瞬で分かることがある。それができない」


リーナが黙った。


「だから記録で追う。見えないなら、書いてもらう。それしかできないから」


窓の外が暗くなり始めている。


ジャムの甘い匂いがまだ台所に残っていた。

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