水面下、釣り針見ず
昼休みの教室は、
水面のように穏やかだった。
窓際では与志野とフンペチが話している。
声は小さく、笑いは控えめで、
まるで午後の風がカーテンを揺らす程度の静けさだった。
そこへ――田野が割って入る。
『なに話してんの?w』
椅子を引く音が、静寂に石を投げ込む。
「ぁ……」
与志野が小さく声を漏らす。
だが田野は座る、当然の顔で。
最初からそこにいたかのように。
『昨日さ、俺ちょっと思ったんだけど――』
話題は滑るように変わる。
いや、奪われた。
田野の話。
田野の考え。
田野の理論。
田野という世界。
フンペチは相槌を打つ。
礼儀として。
与志野は黙る。
そして静かに、本を開いた。
ページをめくる音は、
会話よりも誠実だった。
田野は続ける。
『まあ、人ってさ。
合う合わないあるじゃん?』
笑いながら。
『無理して陰にいる必要ないと思うんだよねw』
遠回しな刃。
名前を呼ばない悪口は、
煙のように広がり、
しかし確かにそこにある。
与志野は顔を上げない。
ただ文字を追う。
まるで雨宿りをする旅人のように、
物語の中へ避難していた。
その時。
「封印くんまた語ってんじゃんw」
陽キャの声が飛ぶ。
笑いが起きる。
「音色困ってんだろw」
肩を叩かれ、
田野の言葉が途切れる。
空気が少しだけ戻る。
フンペチが小さく笑い、
与志野はページをめくる。
それだけの出来事だった。
――そして、時が経つ。
季節はゆっくりと進み、
教室の光の角度が変わる頃。
異変は、静かに起きていた。
与志野の周りに陽キャがいた。
最初は雑談だった。
ゲームの話。
動画の話。
好きな作品の話。
共通点は、思ったより多かった。
与志野は変わらない。
声は小さいまま。
笑いも控えめなまま。
だが、聞かれたことには答えた。
飾らず、誇らず。
その自然さが、
いつの間にか輪の中に居場所を作っていた。
笑い声の中心ではない。
だが、確かにそこにいる。
春の陽だまりに猫が紛れ込むように。
「音色それ分かるわw」
「おすすめ教えてよ」
名前が呼ばれる。
封印くん、ではなく。
音色、と。
教室の中央で、
田野はそれを見ていた。
陽キャが近づく。
「封印くんさぁw」
笑い。
以前より少し大きい。
少し長い。
少し、本気。
田野も笑う。
『いや別にw
俺は最初から一匹狼だからw』
言葉は軽い。
だが胸の奥では、
氷が静かに広がっていく。
なぜだろう。
奪ったはずなのに。
勝っているはずなのに。
世界は、
与志野を中心に少しずつ回り始めていた。
田野だけを残して。
窓ガラスに映る自分の姿が、
妙に薄く見えた。
影は光があるから生まれる。
だが――
光が別の場所へ移ったとき、影はただ消える。
田野は笑った。
『まあ、俺には関係ないけどなw』
その笑い声は、
誰の記憶にも残らなかった。




