10
雨は、さっきよりも少しだけ弱くなっていた。
屋根を叩く音がやわらいで、代わりに、ぽつりぽつりと地面に落ちる水の音が耳に残る。
沈黙は、不思議と居心地が悪くなかった。
言葉がなくても、そこに“何か”がある気がして。
神代が、ふっと小さく息を吐く。
「……なんか、変な感じだな」
「何が?」
「いや、初対面のはずなのにさ」
少し考えるように、視線を宙に泳がせてから。
「普通に話せてるのが」
その言葉に、思わず小さく笑う。
「確かに」
「だろ?」
軽く肩をすくめる仕草。
その何気ない動きが、胸に引っかかる。
懐かしい、なんて言葉では足りないくらいに。
でも、それを表には出さない。
ただ、同じテンポで会話を返す。
「でも、別に悪くないでしょ」
「うん。むしろ、楽」
即答だった。
少しだけ驚いて、神代の顔を見る。
本人は特に意識していないみたいに、自然な顔で続ける。
「さっきも言ったけどさ。なんか……落ち着くんだよな」
また、その言葉。
同じ響き。
同じ温度。
胸の奥に、静かに波紋が広がる。
けれど。
今度は、ちゃんと受け止める。
逃げずに。
「……そっか」
短く返す。
それ以上は、何も言わない。
言葉にしたら、壊れてしまいそうで。
ふたりの間に、また少しだけ静かな時間が流れる。
雨の匂いと、濡れたアスファルトの光。
その中で。
神代が、少しだけ迷うように口を開いた。
「なあ」
「うん?」
「もしさ――」
一度、言いかけて。
やめる。
代わりに、小さく笑った。
「……いや、いいや」
その“聞かなかったこと”に。
ほんの少しだけ、救われる。
名前を問われなかったことに。
どこかで、安堵している自分がいる。
知らないままでもいい。
このままでもいい。
そう思ってしまうくらいに、この時間はやわらかい。
「じゃあさ」
神代が、少しだけ前を向いて歩き出す。
「もうちょい、一緒に行く?」
振り返りもせずに、自然にそう言う。
まるで、最初から決まっていたみたいに。
その背中を見て。
一瞬だけ、立ち止まる。
そして――小さく息を吸って。
追いつく。
「……うん」
並んで歩く距離は、ほんの少しだけ近い。
でも、それを指摘する人はいない。
名前も知らないまま。
過去も共有しないまま。
それでも。
確かに、ここにあるものがある。
雨上がりの空気の中で。
ふたりの足音だけが、静かに重なっていく。
――それはきっと。
新しい関係の、はじまりだった。




