3
雨は、昼過ぎから降り続いていた。
強すぎるわけでも、弱すぎるわけでもない。
ただ一定のリズムで、静かに世界を濡らしていくような雨だった。
神代はバス停の屋根の下で、ぼんやりと道路を見ていた。
濡れたアスファルトに、街灯の光が滲んでいる。
水たまりに落ちる雨粒が、細かい波紋を繰り返す。
周りには、数人。
皆、無言でバスを待っている。
特別なことは、何もない。
ただの、よくある帰り道の一コマ。
――そのはずだった。
遠くから、足音が近づいてくる。
濡れた地面を踏む、軽い靴音。
神代は無意識に、そちらへ視線を向けた。
傘を差した一人の人影が、バス停に向かって歩いてくる。
それだけのこと。
本来なら、気にも留めないはずの光景。
なのに。
なぜか、目が離せなかった。
距離が、ゆっくりと縮まっていく。
雨音だけが、やけに大きく聞こえる。
その人影が屋根の下に入った瞬間――
ふと、視線が重なった。
ほんの一瞬。
けれど、その一瞬が、不自然なほど長く感じられた。
相手も、同じようにこちらを見ている。
まるで。
何かを確かめるように。
何かを、思い出そうとするみたいに。
神代の足が、止まる。
動こうと思えば、動けるはずなのに。
なぜか、その場に縫い止められたように動けない。
胸の奥が、ざわつく。
見覚えなんて、ないはずなのに。
初めて会ったはずなのに。
それでも――
どこかで、知っている気がした。
雨音が、少し遠くなる。
世界の輪郭が、ぼやけていく。
目の前のその人だけが、やけに鮮明に浮かび上がる。
言葉は、出ない。
出す必要もないような気さえした。
ただ、互いに立ち尽くす。
数秒か、それとももっと長い時間だったのか。
感覚が曖昧になる。
やがて、相手がわずかに視線を揺らした。
何か言おうとして、やめたような――そんな小さな動き。
神代の喉が、かすかに鳴る。
それでも、言葉は出ない。
代わりに、胸の奥から浮かび上がってくる感覚だけがある。
懐かしさ。
安心感。
そして、説明のつかない切なさ。
雨は、変わらず降り続いていた。
バス停の屋根を叩く音が、二人の間に静かに流れる。
誰も何も言わないまま。
それでも――
なぜか、この瞬間だけは。
“偶然”じゃないと、どこかで分かっていた。




