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講義が終わると、神代はそのまま人の流れに乗って外へ出た。
春にしては少し冷たい風が吹いていて、思わず肩に力が入る。キャンパスの中庭には、ところどころにベンチが置かれていて、何人かがそこで談笑していた。
特に理由もなく、足がそっちへ向かう。
――静かだから、だろうか。
自分でも曖昧な理由をつけながら、空いているベンチに腰を下ろす。
不思議と、落ち着いた。
騒がしくもなく、かといって完全な無音でもない。遠くで誰かが笑っていて、風が木の葉を揺らす音がして――その全部が、ちょうどいい距離にある。
「……なんだろな」
ぽつりと呟く。
こういう場所は、別に珍しくもない。
似たような中庭なんて、どこの大学にもあるはずだ。
なのに。
ここに座っていると、妙に安心する。
まるで、ずっと前から知っている場所みたいに。
肘を膝に乗せて、ぼんやりと地面を見る。
視界の端に、二人分の影があった気がして――
顔を上げる。
当然、そこには誰もいない。
「……はは、またかよ」
小さく笑って、額を指で押さえる。
最近、こういうことが増えた。
何でもない瞬間に、ふっと“何か”が引っかかる。
理由もなく、胸の奥がざわつく。
その正体は、まるで掴めないのに。
しばらくして立ち上がり、そのまま帰路につく。
夕方の空は、ゆっくりと色を変え始めていた。
オレンジ色が街を包み込んで、建物の影を長く引き伸ばしていく。
――その光景を見た瞬間だった。
胸の奥が、きゅっと締め付けられる。
「……っ」
思わず、足が止まる。
見慣れたはずの夕焼け。
特別なことなんて、何もない景色。
それなのに。
どうしてか、目を逸らせなくなる。
――隣に、誰かがいた気がした。
言葉を交わしていた気がした。
でも。
その“誰か”が、どうしても思い出せない。
「……なんだよ、それ」
苦笑しながら、無理やり視線を外す。
胸に残る感覚だけが、妙に生々しい。
懐かしいような。
切ないような。
それでいて、どこか温かい。
全部が混ざったような、説明のつかない感情。
「……なんだろな、この感じ」
ぽつりと漏れる。
答えは出ない。
出るはずもない。
ただ、その感情だけが、確かにそこにある。
やがて日が沈み、街に夜の気配が降りてくる。
帰り道、すれ違う人の声がふと耳に入った。
「じゃあ、また明日」
何気ない、ただの別れの言葉。
どこにでもある会話。
――なのに。
その一言が、胸の奥に強く引っかかった。
「……また、明日……」
無意識に、同じ言葉を繰り返す。
その響きが、やけに重く感じられた。
嬉しいはずの言葉のはずなのに。
どうしてか、少しだけ怖い。
何かを終わらせてしまうような――そんな感覚すらある。
「……変なの」
小さく首を振って、歩き出す。
理由なんて分からない。
分からないままでも、日常は続いていく。
それでも。
夕焼けと、中庭と、「また明日」。
その三つだけが、なぜか心に残り続けていた。
まるで――
忘れてはいけない何かの、欠片みたいに。




