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教室の扉を開けた瞬間、空気が少しだけ変わる。
ざわめきの中に混ざる、聞き慣れた声。
「お、やっと来た」
顔を上げると、そこに神代がいた。
いつも通りの席に座って、いつも通りの顔で、こっちを見ている。
まるで、何も変わっていないみたいに。
「遅いって。今日、当番だろ」
「遅れてないし。まだチャイム鳴ってない」
「いや、体感的に遅い」
「知らないよ、その体感」
自然に返すと、神代は軽く笑った。
そのやり取りが、あまりにもいつも通りで――
一瞬だけ、本当に何もかも元に戻ったんじゃないかと思いそうになる。
鞄を置いて、椅子を引く。
隣に座ると、神代がちらっとこっちを見る。
「……眠そうだな」
「普通」
「いや、絶対寝てただろ昨日」
「寝てない」
「嘘つけ。前もそう言ってテスト中に死んでたじゃん」
「死んでない。ちょっと意識飛んだだけ」
「それを死んでるって言うんだよ」
小さく笑い声がこぼれる。
こんな会話、何度もした。
何度も繰り返してきた。
――それが、全部ここにある。
「てか今日、数学あるぞ」
神代が何気なく言う。
「マジで?」
「マジで。小テスト」
「聞いてない」
「いや、言ってたから。先週」
「覚えてない」
「だと思った」
呆れたように肩をすくめる仕草も、見慣れている。
ふと、ノートの端に視線が落ちる。
そこには、前に神代に突っ込まれて書き直した字が残っていた。
『字、汚すぎ』って言われて、無理やり丁寧に書いたやつ。
思い出して、少しだけ口元が緩む。
「なにニヤけてんだよ」
「別に」
「こわ」
「そっちこそ」
軽く肘でつつくと、神代が「やめろって」と笑いながら避ける。
その距離感も、ちょうどいい。
近すぎず、遠すぎず。
気を使わなくていい、でもちゃんと隣にいる距離。
――これが、完成形なんだと思う。
誰かに見せるためじゃない。
特別なことをするわけでもない。
ただ、こうして隣にいて、くだらないことを言い合って、
気づいたら時間が過ぎている。
それだけでいい関係。
それが、ちゃんとここにある。
授業が始まって、先生の声が教室に広がる。
チョークの音が黒板をなぞる。
神代は途中で少しだけ姿勢を崩して、ノートに適当な線を引いている。
やる気があるのかないのか分からない、いつもの感じ。
(ほんと、変わらないな)
そう思って、少しだけ視線を逸らす。
窓の外は、朝と同じ光だった。
風でカーテンが揺れて、教室の空気がゆっくり動く。
全部、普通だ。
何一つ特別じゃない。
でも――
(これで、いい)
心の中で、静かに言葉が落ちる。
特別じゃないからこそ、ここまで来た。
特別じゃないからこそ、壊れずに残った。
だから、このままでいい。
この距離のままで。
この関係のままで。
チャイムが鳴る。
短い休み時間。
神代が伸びをしながら、こっちを見る。
「なあ、次の授業さ――」
その言葉に、自然に返す。
いつも通りに。
何も知らないままの、いつもの顔に。
(これが最後でいい)
そう思いながら、また一つ、
何でもない会話を重ねた。




