第6章:最後の日 1
朝の光は、いつもと同じ角度で差し込んでいた。
カーテンの隙間から細く伸びた光が、机の端をなぞって、ノートの上に白い線を引く。
埃がゆっくりと舞っているのが見えて、やけに輪郭がはっきりしていた。
目覚ましが鳴る少し前に、目が覚めた。
止める必要もないのに、手を伸ばしてスイッチを押す。
音はすぐに止んで、部屋はまた静かになる。
いつも通りの朝だ。
顔を洗って、制服に袖を通す。
鏡の中の自分は、特に変わった様子もなくて、少しだけ安心してしまう。
靴紐を結ぶ。
ドアノブを回す。
外に出る。
空気が少しだけ冷たくて、春の匂いが混ざっていた。
遠くで車の走る音、どこかの家のテレビの音、鳥の鳴き声。
全部、昨日と同じだ。
通学路を歩く。
見慣れた電柱、ひび割れたアスファルト、角にある自販機。
通り過ぎる人の顔も、もう何度も見たことがあるものばかりで、誰もこちらを気にしない。
それでいい。
それが、普通だ。
信号が青に変わる。
横断歩道を渡りながら、ふと空を見上げる。
雲はゆっくり流れている。
――今日で終わる。
頭の中で、はっきりとした言葉が浮かぶ。
でも、それだけだった。
胸が締め付けられるわけでも、足が止まるわけでもない。
ただ、その事実がそこにあるだけで、世界の形は何一つ変わらない。
誰も知らない。
誰も気づかない。
このまま、何もなかったみたいに一日が始まる。
校門をくぐると、ざわめきが耳に入る。
笑い声、呼びかける声、机を引く音。
「おはよう」
誰かが誰かに言っている。
それが自分に向けられたものじゃないことも、もう分かっている。
教室に入る。
黒板には日付が書かれていて、窓際の席に朝日が差し込んでいる。
椅子を引く音も、鞄を置く音も、全部いつも通り。
ただ一つ違うのは――
この景色を、最後に見ているということだけだった。
ノートを開く。
ペンを手に取る。
インクの匂いが、わずかに鼻に残る。
(覚えておこう)
ふと思う。
でもすぐに、それが意味を持たないことも理解している。
覚えていても、残らない。
それでも、目に映るものを一つ一つなぞるみたいに、意識の中に置いていく。
光の色。
音の重なり。
空気の温度。
記録するみたいに、静かに。
――世界は、何も変わらない。
変わるのは、自分だけだ。
それでいい、と心のどこかで思いながら、
いつもと同じ一日が、静かに始まった。




