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――残すか、残さないか。
雨宮先生の言葉が、頭の中で何度も反響する。
静かに、でも確実に。
逃げ場を塞ぐみたいに。
(残す……)
その選択を考えた瞬間、浮かぶのは一人だけだった。
神代。
教室での何気ないやり取り。
放課後の、少し長くなった会話。
帰り道、並んで歩いた距離。
何度も、何度も繰り返してきた時間。
全部、私だけが覚えている。
――あの人は、何も覚えていないのに。
「なんでか分かんないけどさ」
ふと、あの声が蘇る。
「お前、放っておけないんだよな」
あの時の、少しだけ困ったような顔。
理由も分からないまま、私を選んでくれた瞬間。
……あれは、たしかに“残っていた”。
記憶じゃなくて、感情だけが。
何度消えても、少しずつ積み重なっていったもの。
(じゃあ、もっと関われば)
もっと強く。
もっと深く。
そうすれば――
一瞬だけ、そんな考えがよぎる。
でも。
(……それで、どうなるの)
すぐに、現実がそれを打ち消す。
たとえ一日長く残ったとしても。
たとえ、ほんの少しだけ思い出してくれたとしても。
最後は、同じだ。
全部、消える。
積み重ねたものも。
感じてくれた気持ちも。
私という存在ごと。
跡形もなく。
(だったら)
胸の奥で、何かが静かに落ちていく。
(意味、ないじゃん)
言葉にすると、驚くほどあっさりしていた。
あんなにしがみついていたものが。
あんなに欲しかった“記憶”が。
こんなにも、簡単に否定できてしまうなんて。
――いや、違う。
否定しているんじゃない。
分かってしまっただけだ。
(残しても、意味がない)
あの人は、また忘れる。
きっと、もっと早く。
もう、“違和感”すら残らなくなっている。
今日の神代の目を思い出す。
あの、完全に初対面だった視線。
引っかかりも、迷いもない。
ただの“他人”を見る目。
(あれが、最後なんだ)
ここから先は、もっと速くなる。
残そうとすればするほど。
関われば関わるほど。
その分だけ、消えるときの落差が大きくなる。
……私だけじゃない。
相手も。
(また、ゼロになる)
何度も繰り返してきた。
そのたびに、少しずつ傷ついて。
少しずつ期待して。
少しずつ、壊れてきた。
そして今。
その終わりが、はっきり見えてしまった。
(だったら)
静かに、息を吐く。
胸の奥にあったはずの熱が、ゆっくりと冷めていく。
(これ以上、増やさないほうがいい)
思い出も。
期待も。
全部。
これ以上、積み重ねないほうがいい。
どうせ消えるなら。
最初から、何もなかったみたいに。
――静かに終わらせたほうがいい。
そう考えたとき。
不思議と、涙は出なかった。
ただ、少しだけ。
胸の奥が、空っぽになっただけだった。




