第21話 残された選択肢 Part3 残る方
十九時十四分。
夕食が終わる頃、美咲が訊いた。
「今日、何かあった?」
悠真は味噌汁の椀を置いた。
「何で?」
「帰ってきてから、端末何回か見てるから」
「そんな見てた?」
「見てた」
蒼が横から言う。
「仕事?」
「人事」
美咲が顔を上げた。
「異動?」
「候補が来た」
「へえ」
それだけだった。
悠真は少し拍子抜けした。
「もっと何かないの?」
「まだ候補なんでしょ?」
「ああ」
「決めたの?」
「まだ」
「じゃあ聞く」
美咲は食器を重ねる。
「どこ?」
悠真は端末を開いた。
家族へ共有できる範囲へ切り替える。
《中長期職務提案》
《候補A》
《現所属で主任職》
《候補B》
《関連部署への配置変更》
《候補C》
《専門研修後に再検討》
《現在職務を継続》
部署名や業務資料の詳細は表示されていない。
勤務条件。
通勤時間。
報酬見込み。
家庭予定への影響。
家族相談に必要な範囲だけが並んでいる。
美咲が最初から見る。
「一番上、昇格じゃん」
「そう」
「給料上がる?」
「上がる」
「じゃあそれで」
「早いな」
美咲が笑う。
「冗談」
「半分本気だろ」
「半分くらい」
悠真も笑った。
蒼が画面を見る。
「異動の方も上がるじゃん」
「少しな」
「通勤八分増える」
「平均で」
「じゃあ年間だと結構じゃない?」
「そういう計算するなよ」
「端末に出せるよ」
「出さなくていい」
陽菜も身を乗り出した。
「研修って学校?」
「会社の研修」
「六か月?」
「ああ」
「毎日?」
「全部じゃない」
「どれが一番いいの?」
悠真は答えようとして止まった。
画面には数字が出ている。
報酬。
通勤。
時間外勤務。
職務選択幅。
専門性。
家族予定への影響。
項目ごとなら、一番は選べる。
全部を合わせた一番は表示されていない。
「それを考えてる」
悠真が言った。
陽菜が画面を送る。
「これ何?」
《現在職務を継続》
「今のまま」
「何も変わらないの?」
「ほぼ」
「それも選ぶの?」
「選べる」
陽菜は少し考えた。
「何で候補なの?」
「何でって」
「変わらないのに」
悠真は画面を見る。
確かに、
《主任職》
《配置変更》
《専門研修》
は、何かをする選択肢だった。
《現在職務を継続》
だけは、今あるものをそのまま続ける。
「何もしないって決めるのも、決めることだからじゃないか」
悠真が言う。
陽菜は納得したような、していないような顔をした。
「道と同じ?」
「何が?」
「いつもの道行くやつ」
悠真は昨日の朝を思い出した。
二分遅い道。
端末が出した別経路。
珈琲の小さな看板。
「まあ、似てるかもな」
「でも道は歩くじゃん」
「仕事もするよ」
「じゃあ何もしないじゃないじゃん」
「そうだな」
陽菜はそれで満足したらしく、食器を持って立った。
*
二十時三十二分。
子どもたちがリビングからいなくなったあと、美咲がもう一度人事画面を開いた。
「で、本当にどうするの?」
「まだ決めてない」
「いつまで?」
「二十三日」
「結構あるね」
「ああ」
美咲は候補Aを開く。
《設備計画課 主任職》
《勤務地変更 なし》
《時間外勤務予測 月平均+三・八時間》
《家族予定への影響 低》
「これ、忙しくなる?」
「多少は」
「帰り遅くなる?」
「平均なら、一日十何分とかだろ」
「平均でしょ」
「そう」
次。
《基盤運用統括室》
《通勤時間 平均+八分》
《時間外勤務予測 月平均+一・二時間》
《勤務地変更 なし》
「こっちの方が帰宅はそんな変わらない?」
「たぶん」
「仕事は?」
「今日、話聞いてきた」
「もう?」
「ああ」
「どうだった?」
「今やってる応援の仕事に近い」
「好き?」
悠真は少し考えた。
「嫌いじゃない」
「今の仕事は?」
「嫌いじゃない」
「主任は?」
「やったことない」
「研修は?」
「行ってない」
美咲が笑う。
「全然絞れないね」
「だからまだ決めてない」
「給料なら主任?」
「今の予測では」
「仕事の相性なら異動?」
「そう出てる」
「将来なら研修?」
「それも高い」
「家のことなら今のまま」
「ああ」
美咲は四つを並べた。
「全部それなりじゃん」
「だから困る」
「悪いの一個あった方が楽だった?」
悠真は少し笑った。
「選ばなくて済むからな」
「贅沢だね」
「そうだな」
美咲は画面を閉じなかった。
「悠真は何が嫌なの?」
「嫌?」
「この中で」
悠真は順番に見る。
主任職。
別部署。
研修。
現職。
特に嫌なものはない。
「今のところ、ない」
「じゃあ何がしたいの?」
悠真は黙った。
美咲がこちらを見る。
答えを急かす様子ではない。
「分からない」
悠真が言った。
「ならまだ決めなくていいんじゃない」
「そうなんだけどな」
「二十三日なんでしょ」
「ああ」
「明日決めなくても会社困らない?」
「困らない」
「じゃあ寝れば?」
「雑だな」
「今答え出ないなら、一番いいと思うけど」
美咲は端末を悠真へ返した。
*
二十一時五分。
悠真は一人で四つの候補を開いていた。
候補A。
《詳細説明 未利用》
候補B。
《業務説明 確認済み》
候補C。
《詳細説明 未利用》
現在職務継続。
《現在の条件を表示》
今日、基盤運用統括室の説明を聞いた。
その分だけ、候補Bについて知っていることが増えている。
男性の話し方。
執務区画。
机の配置。
実際の勤務時間。
「私は好きです」
という言葉。
画面上の条件だけだった候補に、少し形が付いた。
悠真は候補Aを開く。
《詳細説明を利用しますか》
《主任職業務説明》
《現所属責任者との十五分対話》
《担当範囲変更例》
《過去一年の勤務実績》
利用できる。
候補Cにも同じような説明がある。
悠真は二つとも閉じた。
最後に、
《現在職務を継続》
を開く。
《設備計画課》
《現在の担当範囲を基本として継続》
《勤務地変更 なし》
《報酬条件 現行》
《職務負荷 現状同等》
《家族予定への影響 極低》
下へ送る。
《現在の業務内容》
《自治体設備計画》
《設備更新条件確認》
《需要予測》
《住民生活影響の設備側確認》
見慣れた文字が並んでいる。
その下に、
《この選択肢について》
があった。
悠真は開く。
《現在職務の継続は、他候補を選択しないことを意味するものではありません》
《本提案期間では現在職務を継続し、将来あらためて配置・研修・職務拡張を選択できます》
《現在職務を継続したことによる評価上の不利益はありません》
悠真は読む。
その下。
《今後の提案》
《本人希望》
《業務実績》
《組織状況》
《生活条件》
《その他の変化》
《必要に応じて再生成》
今のままを選んでも、三年後まで今のままと決まるわけではない。
次の提案が来ることもある。
自分から見ることもできる。
悠真は一つ前へ戻った。
四つの候補。
どれも消えていない。
*
翌朝。
八時十一分。
悠真が出勤すると、人事通知は昨日と同じ位置に残っていた。
《中長期職務提案》
《保留中》
岸本がコーヒーを飲みながら言う。
「決めました?」
「まだ」
「奥さんに相談した?」
「ああ」
「何て?」
「寝ろって」
岸本が笑った。
「いい回答」
「人事相談の参考にならない」
「でも寝たんでしょう?」
「寝た」
「じゃあ役に立ってる」
悠真は自席へ座った。
業務一覧を開く。
今日の最初は、
《九時 設備施工条件確認》
人事ではない。
悠真は人事通知を閉じた。
その瞬間、別の小さな案内が表示された。
《現在職務を継続》
《比較対象として保持中》
昨日までと同じ候補だった。
選んでいない。
見送ってもいない。
ただ、残っている。
悠真は表示を閉じた。
九時まで、四十九分。
今日の資料を開く。
《設備施工条件確認》
《対象 三件》
一件目から確認を始める。
人事通知は、画面の端に小さく残っていた。
四つのうち、
まだ一つも選ばれていなかった。
第21話 完




