第20話 偶然のない道 Part3 見つける理由
十八時四十六分。
悠真が玄関を開けると、陽菜がリビングの床に座っていた。
昨日借りてきた、古い商店街の本が開いている。
「ただいま」
「おかえり」
美咲がキッチンから答える。
陽菜は本から顔を上げた。
「見た?」
「何を?」
「店」
悠真は靴を脱ぐ手を止めた。
「……ああ」
「忘れてたでしょ」
「忘れてない」
「何のお店?」
「菓子屋」
陽菜の顔が少し明るくなる。
「知らない店?」
「知らなかった」
「入った?」
「仕事でな」
「仕事?」
悠真は鞄を置いた。
「工事の影響確認」
「何の影響?」
「店の前を通る人が減るかもしれない」
陽菜は本を閉じた。
「道、通れなくなるの?」
「ならない」
「じゃあ何で減るの?」
「別の道の方が早いから」
陽菜が少し考える。
「みんなそっち行くの?」
「みんなじゃない」
「パパは?」
「そっち行った」
「菓子屋の前?」
「違う方」
「じゃあ見てないじゃん」
「午後は行った」
「仕事で」
「そう」
陽菜は納得していない顔をした。
「それ、見つけたんじゃないよ」
悠真が笑う。
「厳しいな」
「だって行くって決まってたんでしょ」
「店に行くのは決まってた」
「じゃあ知らない店じゃない」
「行くまで知らなかった」
「でも端末には出てた?」
悠真は少し考えた。
予定には、
《沿道事業者影響確認》
としか出ていなかった。
現地へ向かう途中で店名が表示された。
「途中からは出てた」
「じゃあ知ってたじゃん」
「お前の言う『見つける』って何なんだよ」
陽菜は本を開き直した。
古い商店街の写真。
店先に人が立っている。
「歩いてて、あった、ってなるやつ」
「店なんて大体場所分かって行くだろ」
「昔も?」
「知らないよ」
「この人たちも?」
写真の中では、買い物袋を持った女性が八百屋の前に立っている。
その横を、自転車の男性が通り過ぎている。
「買い物に来てるんじゃないか」
「全員?」
「全員かは分からない」
「じゃあ、途中で見つけた人もいるかも」
「いるだろうな」
「今日のお菓子屋さんも?」
悠真は昼間の店を思い出した。
駅へ行く途中。
商品棚を見て入る人。
最初から買うつもりではない人。
「いるって言ってたよ」
「誰が?」
「店の人」
陽菜が顔を上げた。
「じゃあ減っちゃうじゃん」
「何が?」
「見つける人」
悠真は返事をしなかった。
*
夕食後。
蓮が床に車のおもちゃを並べていた。
二本の道路を作り、交差点の前で一台を止める。
「こっちこんでる」
蓮が言う。
「じゃあ別の道行けば?」
蒼がソファから言った。
「こっち?」
「そっち空いてる」
蓮は車を別の道へ動かした。
「はやい」
「よかったな」
「でも、おみせない」
悠真が振り向く。
蓮の作った道の片側には、小さな積み木が二つ置いてある。
「それ店なのか?」
「アイス」
「店じゃなくてアイスそのものだろ」
「おみせ」
蓮は車を戻した。
混んでいる方へ。
「何で戻るんだよ」
「アイス」
「買うの?」
「うん」
「じゃあ最初から目的地じゃないか」
蓮は意味が分からない顔をした。
「もくてきち?」
「行きたい場所」
「アイス」
「そう」
蓮は車を積み木の前へ止めた。
陽菜が横から言う。
「でもアイス知らなかったら?」
「何が?」
「この道にアイス屋さんあるって知らなかったら」
蓮は少し考える。
車を空いている方の道へ動かした。
「こっち」
「やっぱりそっち行くんだ」
「はやいから」
陽菜が悠真を見る。
何も言わない。
悠真も何も言わなかった。
*
二十一時十二分。
子どもたちが自室へ戻ったあと、悠真は生活端末を開いた。
明日の予定。
《出社》
《通常出発 七時三十六分》
《推奨経路》
地図が開く。
昨日使った、一本先の道。
今日も所要時間が短い。
《徒歩 十一分》
《混雑 低》
《信号待ち予測 一回》
いつもの道。
《徒歩 十三分》
《混雑 中》
《信号待ち予測 三回》
二分差。
悠真は二つを見比べた。
昨日とほとんど同じだった。
画面の下には、
《この経路を利用》
《別経路を表示》
がある。
その下に小さく、
《経路条件を指定》
悠真は開いた。
《最短時間》
《混雑回避》
《歩行距離》
《屋根のある経路》
《階段回避》
《立寄り先を追加》
条件を入れれば、経路は変わる。
何かを買いたい。
店へ寄りたい。
公園を通りたい。
そう決めているなら、その目的に合わせて道を作れる。
悠真は、
《立寄り先を追加》
を押した。
検索欄が開く。
《施設名・カテゴリを入力》
指を置く。
何も入力しない。
知らない店。
そう打っても意味はない。
《周辺の未利用店舗》
という検索候補が一瞬表示された。
悠真はそこを見る。
押せば、過去の利用履歴にない店をいくつか出してくれるらしい。
それなら、知らない店は見つけられる。
候補として。
悠真は押さなかった。
検索欄を閉じる。
経路画面へ戻る。
《推奨経路》
一本先の道。
《別経路》
いつもの道。
二分遅い。
悠真は、
《別経路》
を選んだ。
《所要時間が二分増加します》
《この経路を利用しますか》
《利用する》
《戻る》
悠真は《利用する》を押した。
《明日の通勤経路へ反映しました》
理由入力は出なかった。
単なる経路選択だった。
*
翌朝。
七時三十四分。
悠真はいつもの角を曲がった。
昨日は通らなかった道。
通勤する人が何人か歩いている。
自転車が一台追い越す。
特別なものはない。
端末には、
《到着予測 八時十一分》
と出ている。
推奨経路より二分遅い。
歩いていく。
小さなクリーニング店。
自動販売機。
閉まった事務所。
住宅。
「何もないじゃないか」
悠真は小さく言った。
誰に言ったわけでもない。
もう少し進む。
交差点の手前に、狭い入口があった。
昨日までもあったはずだ。
建物と建物の間。
看板は小さい。
《朝七時から》
その下に、
《珈琲》
とだけ書かれている。
店内は見えない。
悠真は足を止めた。
端末を見る。
《到着予測への余裕 七分》
店名は表示されていない。
通知もない。
評価もない。
混雑予測も出ていない。
悠真は入口を見る。
七分。
コーヒーなら飲めるかもしれない。
でも、入れば何分かかるか分からない。
会計。
注文。
待ち時間。
店の中の様子も分からない。
端末へ店を向ければ、たぶん全部出る。
悠真は端末を持ち上げかけた。
やめた。
入口の扉を開ける。
小さなベルが鳴った。
「いらっしゃいませ」
奥から声がした。
悠真は一歩、中へ入った。
第20話 完




