第20話 偶然のない道 Part2 目的地にする
十五時十七分。
悠真は、午前中に通らなかった道を歩いていた。
駅から相川市の担当者と戻ってきた時とは逆方向だった。
三百メートルほどの通り。
歩道は狭いが、車同士がすれ違うには十分な幅がある。
工事車両はいない。
規制表示もない。
信号も通常どおり動いている。
ただ、人は少なかった。
《沿道事業者影響確認》
《十五時二十分》
《対象 一事業者》
案内された店は、通りの中ほどにあった。
小さな菓子店だった。
ガラス戸の横に、焼き菓子と飲み物の写真が出ている。
店名は悠真も知らない。
入口の前に商品棚が一つ。
季節限定らしい柑橘のゼリーが並んでいた。
「ここです」
市の担当者が言った。
悠真は店の前で一度止まった。
午前中に推奨された北側の経路を使っていれば、ここは通らない。
昨日までの自分なら、それを気にする理由もなかった。
担当者が入店確認を送る。
数秒後、店内から五十代くらいの女性が出てきた。
「どうぞ」
*
店の奥に、小さなテーブルが一つあった。
女性が椅子を二脚追加する。
「狭くてすみません」
「こちらこそ、お時間ありがとうございます」
市の担当者が端末を開いた。
《工事期間中交通影響》
《沿道利用変化》
店名や売上額は、悠真の画面には出ない。
設備工事に関係する範囲だけだった。
「最初に確認ですが、今回のご案内は補償申請を前提とするものではありません」
市の担当者が言った。
「工事に伴う経路案内で、この通りの通過量が減る見込みが出ています。実際の影響を確認した上で、必要であれば利用できる支援をご説明します」
女性は頷いた。
「昨日も聞きました」
「ありがとうございます。今日は設備工事側からも、経路設定の理由を説明します」
担当者が悠真を見る。
悠真は工事図を開いた。
「今回、大型車両が住宅側へ入らない経路に変更しました」
地図を見せる。
「その影響で幹線道路の一部に混雑が出るので、一般車両には手前で別経路を案内します」
「ここを通らないように?」
「この通りを避ける設定ではありません」
悠真は経路を拡大した。
「駅へ行く場合、北側から回った方が信号が少なくて、今の予測だと二分ほど早いんです」
女性が画面を見る。
「それで、そっちが出る」
「はい」
「ここも通れるんですよね」
「通れます」
「閉鎖じゃない」
「違います」
女性は少し考えた。
「じゃあ仕方ないですね」
悠真は顔を上げた。
「そう思います?」
「だって、早い方を出してるだけでしょう?」
「はい」
「私だって駅に行くだけなら、早い方を使いますよ」
女性は笑った。
市の担当者も小さく笑う。
「ただ、経路変更後に来店数が下がる可能性があります」
「それは聞きました」
「現在、十一パーセント程度です」
女性は特に驚かなかった。
「そんなものなんですね」
「予測なので、実際の営業状況を見ながら更新します」
「もっと減ると思ってました」
「なぜです?」
悠真が訊いた。
女性が店の外を見る。
「この店、わざわざ来る人そんなに多くないんです」
「常連さんは?」
「いますよ。でも、毎日来るわけじゃない」
女性は入口の商品棚を指した。
「駅に行く途中で見て、あ、これあるんだって入る人が結構いるんです」
悠真は棚を見る。
柑橘のゼリー。
その横に、小さな紙がある。
《本日入荷》
「最初から買うつもりじゃない?」
「そういう人も多いですね」
「じゃあ、さっきの分類だ」
市の担当者が画面を開く。
《経路途中利用》
女性が読む。
「こんなのまで分かるんですね」
「個別の来店理由を追跡しているわけではありません。店舗利用と移動経路の集計から算出しています」
「へえ」
女性はもう一度画面を見る。
《目的利用》
《経路途中利用》
「私は分けたことないけど」
「普通は分けないと思います」
悠真が言った。
女性が笑った。
「ですよね」
*
市の担当者が支援候補を表示した。
《利用可能な支援》
《工事影響補填》
《地域利用促進》
《配送費支援》
《経路案内上の目的施設表示》
《今回は利用しない》
「現時点では、補填対象になるほどの実績差は確認されていません」
「まだ工事始まってないですもんね」
「はい。なので今日は、事前設定だけ確認できます」
女性が一つずつ見る。
《配送費支援》
「これは?」
「仕入れ経路に工事影響が出た場合です。こちらのお店では今のところ対象外です」
「じゃあ要らない」
次。
《地域利用促進》
《地域商店情報への掲載》
《生活圏内利用候補への登録》
《利用者が地域店舗情報を希望した場合に表示》
「広告みたいなもの?」
女性が訊く。
「近いですが、広告枠とは別です」
市の担当者が答える。
「近隣店舗を探している人や、地域内で買い物先の候補を希望した人へ表示されます」
「表示する順番は?」
「距離、営業状況、本人の利用傾向、希望条件などで変わります」
「お金払えば上に出る?」
「出ません」
「それならいいか」
女性は次を開いた。
《経路案内上の目的施設表示》
「これは何です?」
「この店を目的地として登録する項目です」
「今まで目的地じゃなかったんですか?」
市の担当者が少し言葉を選ぶ。
「地図上には登録されています。ただ、経路案内で積極的に候補表示する設定ではありませんでした」
「積極的に?」
「例えば、利用者が《菓子店へ寄る》とか《手土産を買う》といった条件を入れた場合に、候補として出やすくなります」
「今は?」
「店名を検索すれば出ます」
女性が首を傾げる。
「店名知らなかったら?」
「菓子店を探せば出ます」
「菓子店も探してなかったら?」
市の担当者が止まった。
ほんの一秒だった。
「通常の移動経路では、店へ立ち寄る条件は入りません」
女性は頷いた。
「そりゃそうですよね」
特に不満そうではなかった。
「駅行きたい人に、お菓子屋寄りますかって毎回聞かれても困るし」
「はい」
「じゃあ、この設定をすると?」
「買い物や地域店舗利用を希望している人には、候補として表示される機会が増えます」
「駅に行くだけの人は?」
「変わりません」
女性は画面を見る。
しばらくして、
《経路案内上の目的施設表示》
を選んだ。
《設定内容を確認》
《店舗カテゴリ 菓子・食品》
《利用候補表示 許可》
《経路変更を伴う立寄り候補 許可》
《広告配信 利用しない》
《位置情報追加取得 なし》
《設定する》
《戻る》
女性が《設定する》を押した。
《登録しました》
「これでいいです」
市の担当者が確認する。
「地域利用促進も使いますか?」
「そっちは、まだいいです」
「分かりました」
《今回は利用しない》
「売上への影響が大きくなった場合は、改めて案内します」
「その時考えます」
処理が終わった。
*
店を出る。
悠真の端末に確認結果が届いた。
《沿道事業者影響確認》
《事業者選択》
《目的施設表示 利用》
《地域利用促進 見送り》
《補填 現時点対象外》
《本人確認済み》
市の担当者が言う。
「これで工事前の確認は終わりです」
「あの設定、すぐ反映されるんですか?」
「今日の夜間更新です」
「じゃあ明日から?」
「条件が合う人には出ます」
二人は店の前を離れた。
十数メートル進んだところで、悠真は振り返る。
店はさっきと同じだった。
看板も、
商品棚も、
入口も、
何も変わっていない。
ただ、明日からは、
何かを買いたい人の候補として少し見つけやすくなる。
「これで客、戻りますかね」
悠真が訊いた。
「一部は」
「途中で入ってた人は?」
「それは分かりません」
市の担当者は歩きながら答えた。
「目的施設表示を使う人とは、利用の仕方が違うので」
「そうですよね」
悠真は前を向いた。
駅までの経路を開く。
《推奨経路》
午前と同じだった。
北側交差点。
徒歩九分。
別経路。
目の前の通りを直進。
徒歩十一分。
二分差。
今度は画面の下に、小さな項目が増えていた。
《周辺施設》
悠真は開いた。
コンビニ。
薬局。
飲食店。
菓子店。
さっきの店も入っている。
《立寄り候補として経路へ追加》
悠真は店名を見る。
知らなかった名前だった。
押せば、この通りを通る経路になる。
押さなければ、北側へ行く。
悠真は画面を閉じた。
「行きますか」
市の担当者が言う。
「ああ」
二人は北側の交差点へ向かった。
*
会社へ戻る電車の中で、悠真は朝のことを思い出した。
一本先の道。
陽菜に頼まれたこと。
知らない店があったら見てきて。
端末には入れていない。
予定にもしていない。
悠真は今日通った道を思い返す。
菓子店。
薬局。
理髪店。
クリーニング店。
看板はいくつも見た。
店の前も歩いた。
それでも、さっき説明を受けるまで、
菓子店の名前を覚えていなかった。
端末を開く。
検索履歴には残っている。
《沿道事業者影響確認》
その下に店名。
悠真は一度見た。
検索欄には触れなかった。
電車が次の駅へ入る。
窓の外に、知らない店がいくつも流れていった。




