第16話 空いた机 Part1 戻らない席
木曜日の朝。
悠真が出勤すると、業務一覧に見慣れない通知が一件入っていた。
《基盤運用統括室》
《担当履歴引継ぎ》
《確認依頼》
《対象 外部検証資料確認支援》
悠真は鞄を机へ置きながら、通知を開いた。
外部検証資料。
その言葉を見るのは久しぶりではない。
ただ、最近は自分の担当一覧から外れていた。
《引継ぎ理由》
《担当者配置変更》
《関連履歴を後続担当へ移管します》
「また何か来ました?」
隣で岸本が尋ねる。
「引継ぎ」
「相川?」
「違う。基盤運用統括室」
岸本が少しだけ顔を上げた。
「前にやってた確認支援?」
「ああ」
「また担当になるんですか?」
「まだ分からない」
悠真は詳細を送る。
《対象履歴》
《生活行動予測モデル検証》
《通常生活支援事例》
《急落事象関連資料》
《設備需要影響確認》
最後の項目まで読んで、岸本が言った。
「結構ありますね」
「俺が全部引き継ぐわけじゃない」
その下に担当範囲があった。
《佐伯悠真》
《設備需要記載》
《生活基盤影響》
《過去確認履歴との照合》
《対象外》
《N-Index判定》
《急落要因》
《監査判断》
《予測モデル内部情報》
これまでと同じだった。
悠真が確認するのは、設備と生活基盤に関係する範囲。
原因を調べる仕事ではない。
「何で今さら引継ぎなんです?」
岸本が尋ねる。
悠真は《引継ぎ理由》を開いた。
《旧担当者》
《基盤運用統括室》
《現在 地域基盤調整案件へ出張対応中》
《七月付 同案件へ正式配置》
《配置期間 長期》
氏名は表示されていなかった。
悠真の業務には必要がないからだろう。
「正式配置になったらしい」
「どこへ?」
「別地域の案件」
「前から行ってた人?」
「ああ」
画面には補足がある。
《当初予定》
《短期現地対応》
《変更後》
《地域基盤再編計画》
《継続担当》
《配置変更 本人確認済》
「本人確認済み」
岸本が読み上げる。
「異動ってことですか?」
「社内配置だろ」
「希望した?」
「そこまでは出てない」
悠真がさらに開く。
《配置決定理由》
《現地対応実績》
《地域設備調整経験》
《関連部門との連携実績》
《継続配置による引継ぎ負担低減》
その下に、
《本人希望を確認済み》
とだけ表示されていた。
「希望も確認してる」
悠真が言う。
「じゃあ、本人も残る方を選んだ?」
「たぶんな」
「たぶん?」
「本人が何を選んだかまでは俺の仕事じゃない」
岸本が少し笑った。
「珍しく見ないんですね」
「見れないだろ」
「理由を入れれば?」
「何のために?」
「確認」
「業務上必要ない」
「ですよね」
岸本は自分の画面へ戻った。
悠真も通知を閉じようとした。
ただ、最後に一つだけ確認項目が残っていた。
《引継ぎ資料》
《九時三十分以降に閲覧可能》
《所要時間予測 四十五分》
《確認期限 今週中》
急ぎではない。
今日中でなくてもいい。
通常業務を優先。
いつもの表示だった。
悠真は《後で確認》を選んだ。
*
九時。
部門定例。
相川市案件は通常工程へ戻っていた。
《詳細設計》
《設備仕様確認》
《施工条件整理》
《地域需要条件 反映済み》
北部生活圏の相談拠点については、相川市側で住民意向確認中とだけ表示されている。
東央商事側には新しい確認事項はない。
課長が次の議題へ進む。
「基盤運用統括室から、一部の担当履歴移管があります」
悠真は朝の通知を思い出した。
壁面に対象者が表示される。
悠真を含めて三人。
《外部検証資料確認支援》
《旧担当者配置変更に伴う履歴移管》
「新しい確認支援が始まるわけではありません」
課長が説明する。
「過去の資料について、問い合わせや追加照合が発生した場合に対応できるよう、担当履歴を整理します」
「旧担当者は戻らないんですか?」
参加者の一人が尋ねた。
「現在対応している地域案件へ正式配置となりました」
「いつから?」
「今月付です」
「本人希望?」
課長は資料を見る。
「配置提案に本人が同意しています」
それだけだった。
「当初は短期応援でしたが、現地側で継続して担当した方が効率的だと判断されています」
《配置判断》
《現地対応継続》
《引継ぎコスト 低》
《地域側習熟効果 高》
《本人希望 確認済み》
《所属責任者 承認済み》
誰かが尋ねる。
「AI配置ですか?」
「候補生成は人事支援と業務配置支援です」
課長が答えた。
「正式な配置決定は、本人確認と双方の所属責任者承認を経ています」
「じゃあ普通の異動ですね」
「そうです」
課長はすぐに次の説明へ移った。
「今回お願いするのは、その人が持っていた確認履歴のうち、現担当へ必要な部分の引継ぎだけです」
悠真の画面にも対象が表示される。
《設備需要確認履歴》
《生活支援後の需要変化》
《地域設備影響》
《関連資料照合記録》
「資料そのものは統括室で保存しています」
課長が続ける。
「個人で持っていたファイルを移すわけではありません。担当者が付けた確認履歴、照会履歴、作業メモのうち、後続業務に必要なものを統合します」
岸本が小声で言った。
「仕事は残る」
悠真が横を見る。
「何?」
「人が移っても」
「そりゃそうだろ」
「ですよね」
定例はそのまま続いた。
*
九時四十二分。
悠真は基盤運用統括室へ向かった。
引継ぎ資料は自席でも確認できたが、担当履歴の範囲を最初に確認するため、統括室側で説明を受けることになった。
以前、資料確認支援で使った会議区画の近くだった。
壁面画面。
四人用の机。
業務認証端末。
見覚えがある。
その手前に、通常執務用の席が並んでいた。
一席だけ、机の上に何も置かれていない。
個人端末もない。
書類もない。
小さな収納箱だけが机の端に置かれている。
《返却予定》
の表示が付いていた。
悠真はそこを見た。
「そこ、今回配置が変わった担当者の席です」
統括室の社員が言った。
悠真は顔を上げる。
「朝の?」
「はい」
「もう片付けたんですね」
「本人はしばらく現地なので、先週のうちに遠隔で整理してもらいました」
「戻って片付けたわけじゃない?」
「必要ないものは廃棄確認、私物は自宅へ送付、業務資料は共有領域へ戻しています」
「便利ですね」
「こういう時は助かります」
社員は笑った。
机には、本当に何も残っていない。
椅子だけが、きちんと収納されている。
「正式配置になる前から空いてたんですか?」
悠真が尋ねる。
「ほとんど」
「短期応援だったんですよね」
「最初は二週間程度の予定でした」
「長くなった?」
「現地で設備条件の再整理が必要になって、そのまま延びました」
社員は説明画面を開く。
《現地対応》
《当初 二週間》
《延長 一回目》
《継続支援》
《配置提案》
《本人確認》
《正式配置》
順番に並んでいる。
悠真は表示を上から追った。
「戻すより、そのままの方が楽だったんですね」
「本人にとっても、現地側にとっても、その方が適合度が高いという結果でした」
「今の所属には?」
「欠員補充が入ります」
「もう決まってる?」
「候補選定中です」
社員が別の画面を開く。
《基盤運用統括室》
《補充予定 一名》
《必要経験》
《設備需要予測》
《自治体案件》
《資料照合》
悠真は少し笑った。
「また似た人が来る」
「仕事が同じですからね」
「確かに」
悠真はもう一度、何も置かれていない机を見た。
*
十時。
引継ぎ説明が始まる。
《担当履歴引継ぎ》
《旧担当者記録》
《共有範囲 佐伯悠真担当分》
最初に表示されたのは、日付と作業名だった。
《生活行動予測モデル検証》
《通常生活支援事例確認》
《設備需要変動照合》
《急落事象関連資料》
Case-04という表記もある。
ただし、個別内容は出ていない。
悠真が過去に見た範囲と同じ。
《担当者確認履歴》
《設備記載 確認済み》
《需要計算条件 確認済み》
《追加照会 二件》
《作業メモ 三件》
「作業メモも引き継ぐんですか?」
悠真が尋ねた。
「必要と判定されたものだけです」
「正式記録じゃないですよね」
「はい。正式資料へ反映済みのものは、基本的に統合済みとして表示されません」
「じゃあ、残ってるのは?」
「まだ統合先が確定していないものか、今後の作業で参照価値があるものです」
悠真は《作業メモ 三件》を開く。
一件目。
《設備需要確認時、支援開始日と設備変化日を分けて確認》
《統合先》
《設備需要確認手順》
《状態 統合済み》
二件目。
《地域施設利用の増加は、居住需要低下と別に扱う》
《統合先》
《需要分類手順》
《状態 統合済み》
どちらも、普通の実務メモだった。
誰かが仕事をしていて気づいたこと。
その内容が手順へ取り込まれた。
元の文章は残っているが、今後は正式手順を見るだけでいい。
三件目。
《統合先 未設定》
悠真は指を止めた。
「これだけ未設定ですね」
「そうですね」
「今開けます?」
「はい。佐伯さんの担当範囲です」
悠真が項目へ触れる。
《旧担当者作業メモ》
《統合先 未設定》
《本文 一文》
その時、会議区画の外から呼び出し音が鳴った。
統括室の社員が端末を見る。
「すみません。少しだけ外します」
「はい」
「急ぎではありません。引継ぎ終了までに確認してください」
社員は席を立った。
悠真はメモを閉じ、残りの一覧へ戻った。




