第1話 今日も、いい国だ。Part5 帰る場所
午後三時二分発の列車は、定刻どおり相川中央駅を出発した。
窓際では岸本が端末を閉じ、深く息をついている。
「終わりましたね」
「ああ」
「予測どおりでした」
「そうだな」
「佐伯さん、今日は一回も予定が崩れませんでしたね」
「珍しいことじゃないだろ」
「最近はそうですね」
岸本は笑いながら窓の外を眺めた。
「でも、昔は違ったんでしょう?」
「よく知らないよ。俺も学生だったし」
「父が言ってました。電車が遅れるし、役所は待たされるし、工事は延期になるし」
「そういう時代だったらしいな」
「今は全部予定どおりです」
「全部じゃない」
「ほとんど」
「その『ほとんど』が大事なんだ」
岸本は不思議そうな顔をした。
「予定どおりじゃない方がいいことってあります?」
「あるよ」
「例えば?」
悠真は少し考えた。
「子どもかな」
「子ども?」
「蓮は毎日予定どおりじゃない」
岸本が笑う。
「確かに」
「昨日できなかったことが今日できたり、その逆だったり」
「AIでも予測しきれませんね」
「しきれないだろうな」
「でも成長曲線くらいは出ますよ」
「出るだろう。でも、蓮本人は見てない」
「見る必要あります?」
「ないよ」
悠真は窓の外へ目を向けた。
田園が流れていく。
小さな川。
畑。
住宅。
そして再び町並み。
景色はゆっくりと都会へ近づいていた。
*
帰りの車内では仕事の通知は少なかった。
今日決まった内容はすでに各部署へ共有され、担当者ごとの作業へ分割されている。
悠真が今日中に処理すべき項目は二件。
明日でよいものが六件。
週内が九件。
無理のない量だった。
画面を閉じる。
代わりに家族用の画面を開いた。
《美咲》
『スーパー寄ったよ。今日はカレー』
《蒼》
『職業連携授業、来週だって』
《陽菜》
『今日体育で転んだけど勝った』
《蓮》
文字はない。
代わりに動画が一つ届いていた。
再生する。
「ぱぱー!」
画面いっぱいに蓮の顔が映る。
どうやら自分で撮っているらしい。
「みてー!」
ぐるりと部屋を映す。
積み木で妙な形の建物ができていた。
「ぱぱのおしごと!」
高い塔が一本。
その周りに小さな箱が並んでいる。
悠真は思わず笑った。
「会社だと思ってるんですね」
隣で岸本が動画を見ていた。
「違うかもしれない」
「塔がありますよ」
「煙突かもしれない」
「夢がないですね」
動画の最後で蓮がカメラへ近づく。
「はやくかえってきてね」
そこで終わった。
再生時間は二十三秒。
悠真は動画をもう一度見返した。
『現在の予定では、最短帰宅予測時刻は十八時五十二分です』
朝の言葉が頭をよぎる。
端末を見る。
《現在の帰宅予測》
《十八時四十九分》
三分早くなっていた。
「間に合いそうですね」
岸本が言う。
「何に?」
「蓮君の『早く』です」
「三分だけどな」
「子どもにとっては大きいですよ」
悠真は「そうかもしれない」と答えた。
*
本社へ戻ったのは十六時だった。
残っていた処理は予想以上に早く終わった。
設計部門との確認。
訪問計画の承認。
相川市への議事録送付。
すべて終えた時点で時計は十七時三十五分。
予定より七分早い。
《本日の主要業務は完了しました》
《退勤可能です》
端末が告げる。
悠真は机の上を片付ける。
「佐伯さん」
岸本が声を掛けた。
「今日はありがとうございました」
「何が?」
「住民説明の考え方です」
「まだ説明してないぞ」
「今日だけでも勉強になりました」
「ならよかった」
岸本は少し照れたように笑う。
「また来週お願いします」
「ああ」
「唐揚げも」
「そこか」
二人は笑い、エレベーターへ向かった。
*
退勤時間帯の駅は、朝より人が多かった。
それでも混乱はない。
人の流れは自然に分かれ、ホームでも改札でも立ち止まる人は少ない。
列車も予定どおり到着する。
乗り換えも問題ない。
池上駅へ降り立った時、端末が静かに振動した。
《帰宅予測を更新しました》
《十八時四十七分》
二分縮まる。
悠真は思わず歩く速度を上げた。
「急ぎますか」
端末が尋ねる。
「少しだけ」
《帰宅時刻をさらに一分短縮できる経路があります》
画面には一本裏道が表示される。
普段なら住宅街を抜ける近道だった。
悠真は少し迷い、そのまま表示に従った。
狭い路地を抜ける。
夕飯の匂いが漂う。
犬の散歩をする夫婦。
玄関先へ水を撒く老人。
自転車で帰る高校生。
いつもの町だった。
家まで残り二百メートル。
角を曲がると、四階建てのマンションが見える。
その瞬間だった。
「ぱぱー!」
上から声がした。
三階のベランダ。
蓮が身を乗り出し、美咲に抱えられている。
「帰ってきた!」
悠真は思わず手を振った。
「ただいま!」
蓮も大きく振り返す。
「はやかった!」
「約束したからな」
端末が小さく振動する。
《帰宅予測との差 五分》
《予定より早く帰宅しました》
悠真は通知を閉じた。
そんなことより、蓮が笑っている。
それだけで十分だった。
エレベーターを待つ数十秒さえ、今日は少し長く感じた。
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**第1話 Part6へ続く**




