第1話 今日も、いい国だ。Part4 相川市
「佐伯さん。着きますよ」
岸本の声で、悠真は目を覚ました。
意識が戻るより先に、座席脇の照明がゆっくりと明るくなる。
『まもなく相川中央駅に到着します』
車内放送と同時に、悠真の端末にも同じ案内が表示された。
時計を見る。
眠っていたのは十六分四十二秒。
推奨された休息時間より、十八秒短い。
「ちゃんと起こしてくれたんだな」
「端末が先に照明を変えましたけど」
「それでも声を掛けてくれただろ」
「人に起こされた方が早いときもあるので」
「根に持ってるな」
「気に入ったんです」
岸本は仕事用端末を鞄へ戻した。
窓の外には、都心とは異なる景色が広がっていた。
低層の建物。
広い歩道。
街路樹の向こうに続く住宅地。
遠くには、緩やかな山の稜線が見える。
相川市は、人口二十万人ほどの地方都市だった。
かつては自動車部品工場を中心に栄えたが、産業構造の変化と人口減少によって、一時は財政再建団体への転落すら危ぶまれた。
それが二十年ほど前から、災害対応と分散型エネルギーの実証地域として整備され始めた。
市内の公共施設や住宅へ小規模発電設備を分散配置し、平時には地域内で電力を融通する。災害によって外部からの供給が途絶えても、病院や避難所、給水設備を一定期間維持できる。
今回の更新事業は、その仕組みを市内全域へ広げるものだった。
十年以上にわたる計画。
総事業費は千八百億円。
完成すれば、相川市の基礎生活維持率は九十八パーセントへ達する。
数字だけなら、ほとんど完成に近い。
列車が減速する。
ホームへ入る直前、車内表示に小さな案内が出た。
《相川市へようこそ》
《本日の地域快適度 九三》
《屋外で過ごしやすい一日です》
扉が開く。
二人は人の流れに続いて降りた。
昼前の駅は、通勤時間帯ほど混雑していない。
旅行鞄を引く夫婦。
制服姿の学生。
幼い子どもを連れた母親。
駅構内の中央では、地域案内端末の前に数人の観光客が集まっていた。
案内表示は利用者の言語に合わせ、文字と音声を切り替えている。
「定食屋は東口です」
岸本が言った。
「分かってるよ」
「経路案内、出しますか?」
「もう出てる」
悠真の端末には、駅から店までの細い青線が表示されていた。
到着予測は十一時五十四分。
予約時刻は十二時。
余裕は六分。
「寄り道しなければ間に合います」
「昼飯に遅刻するほど自由に歩くつもりはないよ」
二人は東口へ向かった。
駅前には大きな商業施設がない。
古くからある商店街の建物を残しながら、歩道と公共空間だけが整備されている。
看板の高さは揃っているが、店ごとの色までは統一されていなかった。古い金物店の隣に小さな菓子店があり、その先には生活支援窓口を兼ねた喫茶店がある。
新しいのに、どこか古い。
残せるものを残した結果なのだろう。
交差点の脇に、小さな広場があった。
ベンチでは高齢者が将棋盤を囲み、その近くで子どもたちが水路を覗き込んでいる。
水路は雨水の一時貯留設備でもあり、平時には浅い流れを作る親水空間として使われている。
岸本が立ち止まりかけた。
「いいですね、ここ」
「ああ」
「昼休みに子どもがいるんですね」
「学校は?」
「年齢的に、まだ幼稚園じゃないですか」
「それなら昼休みとは言わないだろ」
「私たちの昼休みです」
岸本が端末を向けようとした。
画面に注意表示が出る。
《周囲に未成年者が含まれています》
《記録する場合は、人物識別を無効化します》
「写真を撮るだけで出るのか」
「公開するかもしれませんからね」
岸本は人物が映らない角度へ端末を向け、広場だけを撮影した。
「記録してどうするんだ?」
「家族に送ります」
「結婚してたっけ?」
「両親です」
「親に出張先の写真を送るのか」
「母が毎回聞いてくるので」
「仲がいいんだな」
「返事しないと健康確認が来ます」
「それは仲がいいのか?」
「心配性なんです」
岸本は撮った写真を送り、すぐに端末をしまった。
目的の定食屋は、広場から一分ほどの場所にあった。
木製の引き戸。
軒先には《小野食堂》と書かれた布看板が掛かっている。
外観だけなら、悠真が子どもの頃にもありそうな店だった。
入口の横には小さな表示板がある。
《現在の待ち時間 六分》
《予約利用者 待ち時間なし》
悠真たちが近づくと、表示が変わった。
《十二時予約》
《佐伯様・岸本様》
《ご案内できます》
「本当に予約されてるな」
「だから言ったじゃないですか」
「予約そのものを疑ってたわけじゃないよ」
引き戸を開ける。
「いらっしゃいませ」
厨房から、年配の女性が声を掛けた。
店内には四人掛けのテーブルが六つと、短いカウンターがある。半分ほどの席が埋まり、作業着姿の客や近隣の職員らしい人々が食事をしていた。
壁には紙の品書きが貼られている。
焼き魚定食。
煮魚定食。
生姜焼き定食。
日替わり定食。
値段は手書きだった。
「こちらへどうぞ」
女性に案内され、窓際の席へ座る。
テーブルに端末はない。
注文用の表示も見当たらなかった。
「珍しいですね」
岸本が小声で言う。
「何が?」
「口頭注文です」
「まだ何も注文してないだろ」
「そういう意味じゃなくて」
女性がお茶を二つ運んできた。
「ご注文はお決まりですか?」
「煮魚定食をお願いします」
岸本は迷わなかった。
女性が悠真を見る。
端末には、推奨候補が表示されていた。
《第一候補 煮魚定食》
《過去の嗜好との適合率 九一パーセント》
《午後の活動量を考慮し、ご飯少なめを推奨》
悠真は画面を閉じ、壁の品書きを見上げた。
「日替わりは何ですか?」
「鶏の唐揚げと、鯖の塩焼きです」
「唐揚げで」
「ご飯は普通でいいですか?」
「普通でお願いします」
女性が厨房へ戻る。
岸本が悠真を見ていた。
「煮魚じゃないんですね」
「店に着いてから考えるって言っただろ」
「午後の活動効率は煮魚の方が高いですよ」
「唐揚げを食べると会議に負けるのか?」
「負ける会議じゃありません」
「なら問題ない」
「ご飯少なめにもしてませんでしたね」
「昼飯くらい好きに食わせてくれ」
「誰も止めてませんよ」
確かにそうだった。
端末は煮魚を勧めただけだ。
唐揚げを選んでも警告は出ない。
注文を止められることもない。
選んだ結果として午後に眠くなる可能性が、少し高くなるだけだ。
その程度のことまで反発する自分を、悠真は少し可笑しく思った。
「岸本」
「はい」
「今の俺、面倒だったか?」
「少し」
「即答だな」
「でも、分かりやすいです」
「何が?」
「佐伯さんは、選択肢を出されることが嫌なんじゃなくて、選ぶ前に答えが決まったように見えるのが嫌なんですよね」
悠真はお茶を口へ運びながら、岸本を見た。
「そう見えるか?」
「公園も、昼食も、住民説明も同じでした」
「そこまで考えてないよ」
「そうですか」
「単に唐揚げが食べたかっただけかもしれない」
「それなら、最初から唐揚げを選ぶ予測が出てもよさそうです」
「俺の気分まで予測されたら困る」
「当たった方が便利ですよ」
「外れた時の楽しみがなくなる」
岸本は眉を寄せた。
「外れると楽しいんですか?」
「たまには」
「分かりません」
「若いからだな」
「年齢で片づけないでください」
岸本が笑う。
厨房から油の音が聞こえてくる。
店内には、客同士の会話と食器の触れる音が混じっていた。
店の設備は古い。
案内も注文も、人が行っている。
それでも会計や予約管理、仕入れの予測は生活基盤と接続されているのだろう。
昔の形を残しながら、必要な部分だけが新しくなっている。
便利さは、必ずしもすべてを同じ形にするものではない。
悠真は、この店を選んだ出張支援システムの判断を少し見直した。
*
食事を終えた二人が店を出たのは、十二時二十三分だった。
悠真は唐揚げを一つだけ残した。
食べ切れなかったのではない。
午後に眠くなる、という端末の予測が途中で頭をよぎったからだった。
「結局、気にしてるじゃないですか」
岸本が言った。
「何を」
「唐揚げを残した理由です」
「大きかったんだよ」
「最後の一個だけ?」
「会議前に腹いっぱいになるのもよくないだろ」
「それが推奨理由でした」
「結果が同じでも、自分で決めた」
「蒼さんに、同じだって言われませんでした?」
悠真は足を止めた。
「どうして知ってる?」
「さっき話してましたよね。家庭の話で」
「そこまでは話してない」
「顔に出てました」
「その予測は外れてる」
「では、たまたまですね」
岸本は楽しそうに歩き続けた。
相川市役所は、駅から徒歩十分ほどの場所にある。
低層の庁舎が複数の棟に分かれ、その中央に芝生の広場が設けられていた。
役所というより、公園の中に公共施設が点在しているように見える。
正面には大きな入口がない。
市民相談。
福祉支援。
事業者窓口。
議会。
防災管理。
目的ごとに入口が分かれ、それぞれ最短で担当部署へ行ける構造になっている。
悠真たちは事業者用入口へ向かった。
近づくと扉脇の画面に訪問予定が表示される。
《東央商事》
《佐伯悠真様》
《岸本遥様》
《相川市エネルギー基盤更新事業 事前協議》
《会議室Bへお進みください》
入館確認は歩きながら完了した。
受付で名前を書く必要も、担当者を呼び出す必要もない。
床面に現れた細い緑色の線が、会議室までの経路を示している。
「早く着きすぎましたね」
岸本が時計を見る。
十二時三十七分。
協議開始は十三時。
『会議室Bは現在利用可能です』
『開始前に資料確認を行う場合、そのまま入室できます』
「入ろうか」
「休憩しなくていいんですか?」
「列車で寝たからな」
『佐伯悠真さんの疲労蓄積度は、休息前より十八パーセント改善しています』
「ほら」
「午後三時の休憩推奨は残ってますよ」
「会議が終わったら休む」
「記録しておきます?」
「しなくていい」
『承知しました』
会話へ入ってきた端末に、岸本が笑う。
「もう聞かれてますね」
「聞かせてるんだよ。切ろうと思えば切れる」
「切りますか?」
「仕事中は不便になる」
「やっぱり便利なんじゃないですか」
「便利だと言ってるだろ」
会議室Bの扉が開く。
中には十二人ほどが座れる机があり、壁の一面が表示設備になっていた。
悠真たちが席へ着くと、持参した資料が自動で共有される。
相川市側の資料も閲覧できる状態になっていた。
事業の進捗率。
市民への情報公開状況。
予算執行。
生活影響評価。
環境評価。
どの項目にも、大きな問題はない。
《本協議の成立予測 九七・二パーセント》
列車内で見たものと同じ数字が表示された。
悠真は、住民十二世帯への事前説明案を開いた。
訪問候補の世帯情報には、必要最小限の事項だけが記されている。
世帯人数。
希望する連絡方法。
説明可能な時間帯。
情報支援の必要性。
個人の職業や収入、思想傾向などは表示されない。
住民が事業に賛成する可能性も、反対する可能性も出ていなかった。
それが少し意外だった。
「反応予測はないんだな」
「何のですか?」
「対象世帯が、配置変更を希望するかどうか」
岸本も資料を確認する。
「表示権限がないんじゃないですか」
「予測自体はできると思うけどな」
『住民意思の推定情報は、事業者へ提供されません』
会議室の支援システムが答えた。
『本人の意思形成へ影響を与える可能性があるためです』
「なるほど」
岸本が頷く。
「先入観を持たせないためですね」
『はい。説明担当者は、住民本人の表明に基づいて対応してください』
「ちゃんとしてるな」
悠真は言った。
予測できるからといって、何でも使うわけではない。
人間の意思が関わる領域では、あえて見せない情報がある。
それは技術上の限界ではない。
社会が選んだ節度だった。
「佐伯さんが心配してた部分も、考えられてますね」
岸本が言う。
「俺だけが気づいた問題じゃないからな」
「少し残念そうです」
「そんなことないよ」
「勘を鈍らせずに済みますね」
「その話はもういい」
十二時五十三分。
扉が開き、相川市の担当者たちが入ってきた。
先頭にいたのは、地域基盤整備室長の宮原だった。
四十代後半。
小柄で、表情の柔らかな女性である。
「お待たせしました」
「早く来ただけです。今日はよろしくお願いします」
悠真が立ち上がる。
「こちらこそ。移動は問題ありませんでしたか?」
「予定どおりです。昼食まで手配していただいて」
「あれは出張支援側の提案です。市役所職員もよく使う店なので、承認だけしました」
「美味しかったです」
岸本が言った。
「煮魚でしょう?」
「はい」
「初めての方には、だいたいそれが出ます」
宮原は悠真を見る。
「佐伯さんも?」
「唐揚げにしました」
一瞬だけ間が空いた。
「珍しいですね」
「そんなにですか」
「出張者の七割以上が煮魚を選ぶと聞いています」
「残りの三割に入りました」
「それはそれで、相川らしい体験かもしれません」
宮原が笑う。
市側からは宮原のほか、財政、防災、都市計画、住民調整の担当者が参加した。
全員が席へ着く。
壁面に会議目的が表示される。
《相川市エネルギー基盤更新事業》
《事前協議》
《主要確認事項 五件》
《予測終了時刻 十四時二十六分》
「始めましょう」
宮原が言った。
最初に全体進捗が確認された。
遅れている工程はない。
資材価格の変動も想定範囲。
国の支援制度に変更はなく、住民から寄せられた問い合わせも計画どおり処理されている。
次に、東央商事側の社内会議で決まった三つの提案を悠真が説明した。
通学時間帯を避けた工事車両の搬入。
不採用案の概要公開。
北部第二蓄電施設の配置に関する、対象十二世帯への事前説明。
宮原は最後の提案で、わずかに眉を上げた。
「配置を変更する可能性があるのですか」
「はい。現行案でも安全性や環境基準に問題はありません。ただ、十二世帯の主要な眺望範囲に設備が入ります」
完成予測図を表示する。
市側の担当者たちが画面を見る。
「以前の評価では、許容範囲でしたね」
都市計画担当が言った。
「基準上は許容範囲です」
「日照にも影響はない」
「ありません」
「では、なぜ今になって?」
責める口調ではなかった。
判断の理由を知ろうとしているだけだ。
悠真は今朝書き換えた文章を、そのまま口にした。
「近隣に暮らす方が、完成後もこれまでと同じ日常を送れるようにしたいからです」
室内が静かになる。
悠真は続けた。
「設備は二十年以上使われます。窓から見える景色が変わることを、小さな影響としてこちらで判断していいのか、確認する必要があると考えました」
「代替配置の費用は?」
「一億四千二百万円増えます」
財政担当が資料を開く。
「小さくありませんね」
「はい」
「市の予備費を使う前提ですか」
「現時点では違います。管理棟の仕様見直しと当社負担を組み合わせる案を検討しています」
「当社負担というのは、東央商事さんが?」
「一部です」
「住民から要望が出る前に?」
「そのため、まずは意向を確認したいと考えています」
宮原が尋ねる。
「十二世帯に判断してもらう、ということでしょうか」
「いいえ。事業判断の責任は、市と私たちにあります。住民の方には、どちらを選ぶか決めていただくのではなく、それぞれの案をどう感じるか聞かせていただきます」
「現行案で構わないと言われた場合は?」
「現行案を維持する可能性が高いです。ただし、全員が構わないと言っても、こちらで影響が大きいと判断すれば変更を提案します」
「変更してほしいと言われたら?」
「費用負担と設計工程を再協議します」
「つまり、意見を聞いても、そのとおりにするとは限らない」
「はい」
宮原は少し考えた。
「それで納得してもらえるでしょうか」
「最初に正確に説明します。意見を聞くことと、決定を委ねることは違います」
住民調整担当の男性が手を上げた。
「私から説明しても構いませんか」
「お願いします」
「この地域の方々は、事業そのものには比較的協力的です。特に災害対応施設への理解は高い。ただ、設備のために市が余分な費用を使うことには、否定的な意見も出ると思います」
「自宅から見える方でもですか?」
岸本が訊いた。
「むしろ、自分たちだけのために費用を使わせたくない、と言う可能性があります」
悠真は列車内で岸本に話したことを思い出した。
大したことではないと思おうとする人。
説明する側へ気を遣う人。
「だから、個別説明が必要だと思います」
悠真は言った。
「全体の場では、ほかの参加者の反応を気にするかもしれません」
「同感です」
住民調整担当が頷く。
「対象世帯への説明は、市から先に連絡します。その後、東央商事さんと一緒に訪問する形でどうでしょう」
「お願いします」
「訪問順は支援案どおりで?」
壁面に経路が表示される。
十二世帯を二日間で回る計画。
移動効率。
住民の希望時間。
説明担当者の負担。
すべてを考慮して組まれている。
岸本が案を見る。
「最短ですね」
「待ってください」
悠真は地図を拡大した。
二日目の最後に設定された世帯は、ほかの住宅から少し離れている。
高齢者二人暮らし。
希望連絡方法は対面。
説明可能時間は十七時以降。
「この世帯を最初にできませんか」
「希望時間から外れます」
住民調整担当が答えた。
「十七時以降でなければ難しい世帯です」
「なら、一日目の最後へ」
「移動距離が増えます」
「どのくらいですか」
支援システムが計算する。
『一日目の移動時間が二十二分増加します』
「説明時間には影響しませんね」
『予定終了時刻が十八時二十二分になります』
「問題ありません」
「二日目の方が効率的ですよ」
岸本が言った。
「分かってる。でも、最後の一軒が長引いたら、十分に話を聞けないかもしれない」
「終了時刻には余裕があります」
「予測上はな」
悠真は世帯情報を指した。
「対面のみを希望している。遠隔説明も文字資料も選んでいない。たぶん、直接聞きたいことがあるんだと思う」
「それも推測ですよ」
「そうだよ」
「反応予測は見ないと言っていたのに?」
「これは反応予測じゃない。希望から考えてるだけだ」
宮原が二人の会話を聞き、画面を確認した。
「このご夫婦なら、佐伯さんの案がいいかもしれません」
「ご存じなんですか?」
「ご主人が、以前は市の電気設備を担当していました。今回の事業にも関心を持っています」
「でしたら、質問が多くなる可能性がありますね」
「ええ。時間を確保した方がいいでしょう」
訪問順が変更される。
総移動時間は増えた。
計画効率は九六・八パーセントから九四・九パーセントへ下がった。
それでも総合適合率は、わずかに上昇した。
《対話充足度予測の改善によるものです》
支援システムが理由を表示する。
岸本は数字を見て、悠真へ小声で言った。
「最終的には、システムも同意してますね」
「俺に同意したわけじゃない。条件が増えたから評価が変わったんだ」
「同じでは?」
「違う」
「またですか」
「まただよ」
協議はその後も滞りなく進んだ。
通学時間帯の搬入変更は承認。
不採用案の公開方法も合意。
北部第二蓄電施設については、対象世帯への説明後に配置を決定する。
国との調整。
施工会社への通知。
市議会への中間報告。
必要な手続きは担当者と期限が割り当てられ、各端末へ送られた。
『全議題の合意形成が完了しました』
壁面に表示される。
悠真は時計を見た。
十四時二十四分。
予測より二分早い。
「何か追加でありますか」
宮原が全員を見回した。
防災担当者が手を上げた。
「一件だけ。今回の計画とは直接関係ありませんが、先週実施した避難行動シミュレーションの結果を共有してもよろしいでしょうか」
「お願いします」
表示が切り替わる。
相川市北部地区。
夜間に大規模停電が発生した場合の避難予測。
避難所までの到達率。
高齢者支援。
医療機器利用者への電力供給。
どの数値も高い。
《推定保護率 九九・一パーセント》
「すごいですね」
岸本が呟いた。
「今回の更新が完了すれば、さらに上がります」
防災担当者は言った。
「残りの〇・九パーセントは?」
悠真が訊いた。
「避難意思を示さない方と、支援端末を常時無効化している方です」
「無効化?」
「生活情報の共有を希望されていない世帯が、市内にいくつかあります」
地図上に、小さな灰色の点が表示された。
「災害時もですか」
「緊急救命に必要な最低限の情報は利用できます。ただ、平時の行動履歴がないため、避難予測の精度が下がります」
「対象者へ説明は?」
「行っています。選択は変わっていません」
「危険性を理解した上で?」
「はい」
防災担当者は淡々と答えた。
「本人の意思です」
誰も非難しなかった。
生活情報を共有しない自由も認められている。
支援を受けない選択もある。
その結果、保護される可能性が下がることを理解しているなら、行政が無理に変えさせることはできない。
悠真も、それが正しいと思った。
だが、地図上の灰色の点は妙に目についた。
整然と並んだ青い表示の中に、数個だけ残った空白。
それは異常ではない。
排除されてもいない。
ただ、支援の網から少しだけ外れた場所にいる。
「佐伯さん?」
宮原に呼ばれ、悠真は画面から目を離した。
「すみません」
「何か気になる点が?」
「いいえ。選択できるということは、大切だと思います」
「私もそう思います」
宮原が穏やかに答えた。
灰色の点が消え、会議終了の表示へ戻る。
《本協議は予定どおり完了しました》
《ご協力ありがとうございました》
参加者が席を立つ。
悠真も端末を閉じた。
〇・九パーセント。
十分に小さな数字だ。
どの制度にも、利用しない人はいる。
百パーセントを目指して、本人の意思を無視する方が間違っている。
そう考えれば、何もおかしくなかった。
*
庁舎を出ると、午後の日差しが芝生を照らしていた。
広場では移動販売車が営業を始め、ベンチには職員や市民が座っている。
悠真の端末が振動した。
《休息推奨時刻を過ぎています》
《近隣の休息候補を表示しますか》
「表示して」
現在地の周辺に三つの候補が出る。
庁舎内の休憩室。
芝生広場の木陰。
駅へ向かう途中の喫茶店。
推奨は庁舎内の休憩室だった。
室温。
騒音。
椅子の形状。
移動距離。
十分間の休息効果が最も高い。
「どこにします?」
岸本が訊いた。
悠真は広場を見た。
街路樹の影に、空いているベンチがある。
「外でいい」
「休息効率は室内の方が高いですよ」
「今日は外が気持ちいいって、駅で言ってただろ」
「あれは地域快適度の表示です」
「なら、使わないともったいない」
二人は芝生脇のベンチへ座った。
風が木の葉を揺らしている。
暑くも寒くもない。
道路を走る車の音は遠く、代わりに子どもの声が聞こえた。
隣の広場で、保育施設の子どもたちが遊んでいる。
同じ色の帽子。
同じ大きさの鞄。
それぞれ勝手な方向へ走っているが、敷地の外へ近づくと、足首につけた端末が振動して戻るよう促していた。
保育士は大声で追いかけない。
転びそうな子どもの近くへ行き、必要なときだけ手を差し出している。
「平和ですね」
岸本が言った。
「ああ」
「この事業も、無事に終わりそうです」
「まだ始まったばかりだよ」
「成立予測は九六パーセントを超えてます」
「四パーセントは失敗する」
「そう考えるんですか?」
「仕事ではな」
「でも、昔よりずっと低いですよね。失敗する可能性」
「低くなった」
「事故も、災害被害も、事業の中止も」
「そうだな」
「だったら、いい社会ですよね」
岸本は独り言のように言った。
悠真は芝生の向こうを見た。
子どもが一人、転んだ。
泣き出す前に保育士が近づき、膝についた土を払っている。別の子が拾った帽子を差し出す。
転んだ子はすぐに立ち上がり、また走り出した。
「いい社会だよ」
悠真は答えた。
心からそう思っていた。
困る前に支援が届く。
問題が大きくなる前に兆候が見つかる。
声を上げるのが苦手な人にも、必要な選択肢が示される。
仕事は効率化され、家族と過ごす時間が増えた。
災害で失われる命は減り、病気は早く見つかり、子どもは自分に合った道を選べる。
誰かが命令しているわけではない。
誰かが我慢を強いられているわけでもない。
社会が少しずつ工夫し、人が生きやすい形へ整ってきた。
それを悪いと言う理由は、どこにもなかった。
「帰りの列車、十五時二分発が推奨です」
岸本が端末を見る。
「それなら、あと十五分あるな」
「休息推奨は十分です」
「五分くらい余分に休んでもいいだろ」
「帰宅予測が五分遅くなりますよ」
悠真は今朝の蓮を思い出した。
頑張って。
帰宅予測は、十八時五十二分だった。
「じゃあ、予定どおり行こう」
「蓮君ですか?」
「どうして分かる」
「顔に出てます」
「今度は当たってる」
二人はベンチから立ち上がった。
端末が休息終了を記録する。
《疲労蓄積度が改善しました》
《本日の業務を安全に継続できます》
駅へ向かって歩き出す。
広場を出る直前、悠真は一度だけ庁舎を振り返った。
ガラス張りの壁。
屋上の緑。
災害時には地域全体を支えるエネルギー設備。
その建物のどこかに、先ほど見た灰色の点の情報も保存されている。
支援を選ばなかった人たち。
それでも、最低限の救命対象から外されることはない。
自由も、安全も、どちらも捨てないための仕組み。
やはり、何も問題はなかった。
『駅までの経路は平常です』
端末が告げる。
『十五時二分発の列車へ、余裕を持って乗車できます』
悠真は案内に従い、最短経路へ入った。
もう道を確認する必要はない。
足元の光を追って歩けば、予定どおり駅に着く。
その方が早い。
その方が間違えない。
何より、蓮との約束を守れる。
悠真は歩く速度を少し上げた。
---
**第1話 Part5へ続く**




