第15話 静かな転居 Part1 旧宅
火曜日の朝。
悠真の予定に、相川市から一件の現地確認が追加されていた。
《相川市生活基盤更新計画》
《住宅需要条件変更》
《現地確認 十時三十分》
《対象 旧居一世帯》
《確認目的》
《居住者転出に伴う設備需要計画の修正》
悠真は詳細を開いた。
設備案件としては珍しくない。
引っ越し。
空き家。
建て替え。
長期不在。
人が住まなくなれば、その住宅に割り当てていた需要予測を外す。
電力。
給湯。
通信。
地域蓄電池。
必要に応じて、いくつかの条件を更新する。
ただ、今回の変更理由には、
《生活支援に伴う転居》
と書かれていた。
「相川、今日行くんですか?」
岸本が隣から尋ねる。
「ああ」
「現地?」
「旧宅の需要確認」
「旧宅?」
悠真が画面を向ける。
岸本は内容を読む。
「転居したんだ」
「ああ」
「工事の影響ですか?」
「違うみたいだな」
《転居種別》
《生活環境調整》
《転居完了》
《旧居設備需要 解除確認》
「生活環境調整」
岸本が読み上げる。
「何です?」
「俺に聞くなよ」
「設備側に来てるのに」
「今日確認するんだろ」
岸本は自分の予定を見る。
「私は入ってない」
「八月からだろ」
「候補にも出てません」
「現地の設備確認だからじゃないか」
「じゃあ佐伯さん向き」
「そういうこと」
悠真は画面を閉じた。
*
十時二十二分。
相川市の住宅地区は、以前訪れた時と変わっていなかった。
低層住宅。
細い生活道路。
植木鉢。
玄関先の自転車。
平日の午前なので、人通りは少ない。
市の担当者と合流し、二人で対象住宅へ向かう。
住所は現地確認に必要なため表示されていた。
《対象住宅》
《居住状態 転出済》
《設備確認権限 十時から十二時》
本人の氏名は出ていない。
年齢も職業もない。
設備条件だけだった。
「もう誰も住んでないんですよね」
悠真が尋ねる。
「はい。先週末に転居が完了しています」
「次の入居予定は?」
「現時点ではありません」
「じゃあ一度、住宅需要を休止扱いに?」
「お願いします」
角を曲がる。
対象住宅は、普通の二階建てだった。
庭は狭い。
玄関横に家庭蓄電池。
壁面に給湯設備。
駐車スペースには車がない。
郵便受けには、
《転送設定済》
の小さな表示が出ている。
それ以外に、人が引っ越したことを示すものはなかった。
悠真は玄関前で業務認証を行った。
《設備確認》
《本人居住情報へのアクセスは含まれません》
《対象設備》
《家庭蓄電池》
《給湯設備》
《住宅需要契約》
《地域系統接続》
「中には入らなくていいですよね」
「はい。室内設備は遠隔確認済みです」
悠真は蓄電池の状態を開く。
《住宅用蓄電池》
《居住者利用 終了》
《地域調整参加 継続可》
《非常用個人確保量 解除》
人が住まなくなったので、停電時に家庭用として残しておく最低容量が不要になる。
その分、地域設備として使える範囲が少し増える。
「蓄電池は撤去しない?」
「所有契約が住宅側なので残ります」
「次の入居者が決まるまでは地域調整用」
「はい」
《変更候補》
《個人利用契約 休止》
《地域需給調整 継続》
《次回入居時 再設定》
悠真は確認を付けた。
次に給湯設備。
《平均需要》
《〇》
当然だった。
「転居後の需要、きれいに消えてますね」
「三日前から無人です」
「誤検知もなし?」
「ありません」
悠真は過去七日間を見る。
転居日前日までは、朝と夜に需要がある。
翌日。
ほぼゼロ。
さらに翌日。
ゼロ。
人がいなくなれば、設備記録は分かりやすい。
《旧居需要》
《住宅需要計画から除外》
《地域予測再計算》
悠真が実行する。
数秒。
《再計算完了》
《地域最大需要への影響 軽微》
《追加設備対応 不要》
「これで終わりですね」
悠真が言った。
「設備側は、ほぼ」
市の担当者が答えた。
「ほぼ?」
「この住宅だけなら、です」
担当者の端末に別の資料が表示される。
「今回の転居は、生活支援側の地域調整が入っていますので、新居側の需要条件も確認対象になります」
「うちが?」
「東央商事には設備条件だけ共有されます」
悠真の端末にも通知が来た。
《転居後設備需要》
《共有可能範囲》
《新居地域 相川市中央生活圏》
《住宅需要登録 完了》
《既存設備範囲内》
住所はない。
具体的な建物もない。
地域だけ。
「市内なんですね」
「はい」
旧宅から、それほど遠くはないらしい。
ただ、地域名には覚えがあった。
「中央生活圏って、駅側ですよね」
「そうです」
「住宅多いところ」
「はい」
「ここより設備需要は高い?」
「総量は高いです。ただし予測余裕も大きいです」
市の担当者が地域設備図を開く。
旧宅のある地区。
住宅が広く分散している。
中央生活圏。
集合住宅と中層住宅が多い。
交通拠点。
行政窓口。
診療所。
生活支援施設。
配送拠点。
商業施設。
同じ市内でも、設備の密度が違う。
「便利なところですね」
悠真が言った。
「そうですね」
担当者は画面を送る。
《生活基盤利用可能範囲》
旧宅地域。
《一般医療 標準》
《行政窓口 地域窓口》
《生活相談 予約対応》
《公共交通 地域路線》
中央生活圏。
《一般医療 高密度》
《行政窓口 複合窓口》
《生活相談 常設》
《公共交通 複数経路》
《在宅支援拠点 近接》
「かなり違いますね」
「地域規模が違いますので」
「支援も?」
「はい」
担当者は特別な意味を込めず答えた。
「人口密度が高い地域ほど、支援サービスも集約しやすくなります」
それは当然だった。
病院。
役所。
交通。
買い物。
人が多い場所にサービスが集まる。
逆に、住宅がまばらな地域で同じ密度の支援を維持するには費用がかかる。
「この人は、それで移った?」
悠真が尋ねる。
担当者が一度画面を見る。
「転居理由の詳細は、設備確認には共有されていません」
「生活支援に伴う転居って書いてありますけど」
「転居支援を利用したことまでは共有されています」
「本人が希望した?」
担当者は検索する。
数秒後。
悠真の端末にも、共有可能な項目だけが届いた。
《転居手続き》
《転居支援 利用》
《転居選択 本人確認済》
《転居先 本人選択》
「本人が選んでますね」
悠真が言った。
「はい」
それなら、話は単純だった。
生活支援を利用しやすい場所がある。
候補を見た。
本人がそこを選んだ。
引っ越した。
旧宅の設備条件を解除する。
悠真が普段扱っている住宅移動と、そう大きく違わない。
「転居支援って、具体的には何をするんです?」
設備確認を続けながら尋ねる。
市の担当者が一般制度の説明を開く。
《生活環境転居支援》
《利用対象》
《現在居住地より、必要な生活支援への到達性が高い地域への転居を希望する世帯》
《支援内容》
《住宅候補提示》
《転居費用補助》
《契約手続き補助》
《医療・行政・交通条件の比較》
《生活設備移行》
「普通の引っ越し支援ですね」
「そうですね」
「候補はいくつ出るんです?」
「世帯条件によります」
「一つじゃない?」
「通常は複数です」
画面には制度例が表示される。
《候補A》
《現在地域内》
《生活環境変更 小》
《支援到達性 現状同等》
《候補B》
《隣接生活圏》
《生活環境変更 中》
《支援到達性 向上》
《候補C》
《中央生活圏》
《生活環境変更 中》
《支援到達性 大幅向上》
《現在地に住み続ける》
最後の選択肢もある。
「残ることもできる」
「もちろんです」
担当者が答える。
「転居は本人確認なしには進みません」
悠真は頷いた。
また同じだった。
提案。
比較。
本人確認。
利用しないこともできる。
制度が勝手に住所を変えるわけではない。
「この人は中央を選んだ」
「はい」
「支援が近いから?」
「選択理由は設備側の共有対象ではありません」
「そこまでは見えないか」
「必要ありませんので」
「ですよね」
悠真は笑った。
*
十一時十一分。
旧宅の設備確認はほぼ終わった。
《住宅需要契約 休止》
《地域蓄電池利用 切替》
《旧居需要予測 解除》
《設備側処理 完了》
残るのは、新居側への需要移行が正しく反映されているかだけだった。
《転居前住宅》
《需要登録 終了》
矢印。
《転居後住宅》
《需要登録 開始》
《二重登録 なし》
《未登録期間 なし》
《設備サービス継続》
問題なし。
悠真は《需要移行確認》を押した。
《確認済み》
市の担当者も確認を付ける。
「これで旧宅側は終了です」
「次の入居者が来たらまた登録?」
「はい」
悠真は端末をしまおうとした。
その時、住宅の向かい側で宅配車が停まった。
配達員が隣家へ荷物を運ぶ。
少し離れた家から、子どもの声がする。
道路の向こうでは、高齢の女性が植木へ水をやっている。
人が一人いなくなっただけで、地域の景色が変わるわけではない。
この家も、次に誰かが入ればまた普通の住宅になる。
「結構近所だったんですかね」
悠真が何となく言った。
担当者が顔を上げる。
「何がです?」
「中央生活圏まで」
「移動時間ですか?」
「ええ」
担当者が公共交通条件を見る。
《旧居地域から中央生活圏》
《公共交通 平均十九分》
《自動車 平均十三分》
思ったより近い。
「十九分」
「はい」
「そんなに遠くないですね」
「市内ですから」
それでも引っ越した。
通うこともできる距離だった。
「毎日使うなら、十九分でも面倒か」
悠真が言う。
「そういう方もいるでしょうね」
「病院とか相談窓口とか」
「頻度によります」
「それなら近い方が楽だ」
担当者が頷いた。
「転居支援は、その負担を下げるための制度でもあります」
合理的だった。
週に一度なら十九分でもいい。
毎日なら近い方がいい。
体調が悪いなら、なおさら。
生活支援が必要な人ほど、支援の近くに住んだ方が便利になる。
それは制度がなくても同じだ。
駅の近くに住む。
病院の近くへ移る。
学校の近くを選ぶ。
職場に近い家を探す。
人は昔から、必要なものの近くに住んできた。
*
十一時二十七分。
帰る前に、市の担当者へ一件の通知が届いた。
「すみません。確認一つだけいいですか」
「はい」
「旧居側の最終記録に、設備確認結果を紐付けます」
悠真の端末にも共同確認が出る。
《転居に伴う旧居設備処理》
《需要解除 完了》
《設備契約 移行済み》
《新居需要 登録済み》
《転居手続き 完了》
その下に、
《転居理由》
という項目があった。
悠真は何となく見る。
《本人希望》
それだけだった。
「これ、設備記録にも入るんですか?」
「転居処理の区分としてです」
「生活支援に伴う、は?」
「別記録です」
「こっちは本人希望だけ?」
「設備側では、転居が本人確認を経たものかどうかだけ分かれば十分なので」
担当者は説明する。
「転居理由の詳細、候補比較、支援利用内容は、それぞれ所管が違います」
悠真は頷く。
原文。
分類。
要約。
必要な範囲。
これまで何度も見た分け方だった。
《転居理由 本人希望》
嘘ではない。
実際、本人が選んでいる。
転居を断ることもできた。
候補も複数あった。
最終的に中央生活圏を選んだのも本人だ。
「確認します」
悠真は押した。
《設備需要変更 確認済み》
画面が閉じる。
旧宅の設備需要は、地域計画から外れた。
一方で中央生活圏には、新しい一世帯分の需要が追加されている。
人が消えたわけではない。
場所が変わっただけだった。
悠真は空になった家を一度見てから、道路へ出た。
玄関脇の蓄電池は、もう地域用の制御へ切り替わっている。
次の住人が来るまで、
この家だけが、
少し静かになる。




