第14話 選びやすい方 Part2 残る方
十時三十一分。
相川市の設備仕様確認が始まった。
議題は外装と制御盤。
岸本はいつもどおり資料へ書き込みをしている。
異動提案の話は出ない。
悠真も出さなかった。
会議は四十二分で終わった。
席へ戻る途中、岸本が端末を見た。
《配置・職務継続に関する提案》
通知はまだ残っている。
「まだ押してないのか」
悠真が言う。
「まだです」
「そんなに見るところある?」
「ありますよ」
「何を?」
「比較」
「残るんだろ」
「たぶん」
「じゃあ何と比較するんだよ」
「だから、それを見ます」
岸本は自席へ戻り、画面を開いた。
《候補を比較》
三つの案が横に並ぶ。
《現在業務を継続》
《現在所属内で担当範囲を拡張》
《都市生活最適化事業部 利用者調整課》
最初の二つは、現在の部署に残る。
三つ目だけが異動。
「前は?」
悠真が尋ねる。
「異動案が最初でした」
「今回は残る案が二つ」
「はい」
岸本は比較表を開いた。
《勤務条件》
三案とも大きな差はない。
《勤務時間》
《変更なし》
《変更なし》
《原則変更なし》
《勤務地》
《現所属》
《現所属》
《同一都内圏》
《出張頻度》
《現状同等》
《やや増加》
《減少》
《住民対応業務》
《必要時》
《増加》
《主業務》
《設備計画業務》
《主業務》
《主業務》
《限定》
岸本が異動案の《設備計画業務 限定》を見た。
「これが一番違いますね」
「ああ」
「利用者調整課に行ったら、今やってる設備の仕事は減る」
「そりゃ部署変わるからな」
「前はそこまで気にしてなかったんですけど」
「今は?」
岸本は少し考えた。
「相川やってると、設備も面白いです」
「今さら?」
「前から嫌いじゃないです」
「じゃあ残れば?」
「またそれ」
岸本は笑った。
比較を続ける。
《本人適合予測》
《現在業務を継続 九十一パーセント》
《現在所属内で担当範囲を拡張 九十六パーセント》
《利用者調整課 九十四パーセント》
悠真が数字を見る。
「真ん中が一番高い」
「ですね」
《業務満足度予測》
《八十八パーセント》
《九十三パーセント》
《八十九パーセント》
《組織貢献度改善予測》
《プラス四・一パーセント》
《プラス八・六パーセント》
《プラス九・八パーセント》
「貢献度は異動の方が高い」
「でも満足度は真ん中」
「どれ取るかだな」
「そうなんですよ」
岸本は比較表を眺める。
一番高い数字が、全部同じ列に集まっているわけではない。
異動すれば組織への貢献は大きい。
今の部署で担当範囲を広げれば、本人の満足度と適合は高い。
今の仕事をそのまま続けるなら、変化は少ない。
どれも悪い案ではなかった。
「前より選びやすいのか?」
悠真が尋ねる。
岸本は少し笑った。
「前より迷います」
「何でだよ」
「前は、行くか残るかだったから」
「今は?」
「残り方が二つある」
悠真は画面を見る。
確かにそうだった。
拒否。
受諾。
その二択ではない。
本人が前回選んだ《残る》という方向を前提に、その中でさらに候補が作られている。
「でも、どっちも残るだろ」
「そうなんです」
岸本は《現在所属内で担当範囲を拡張》を開く。
《想定担当》
《自治体向け住民説明資料確認》
《住民意見分類》
《生活基盤提案に関する設備条件確認》
《必要時の個別調整参加》
《現行設備計画業務》
《継続》
「ほぼ今の相川ですね」
「今やってることが仕事になる感じだな」
「はい」
「なら、それでいいじゃん」
「佐伯さん、本当に迷わないですね」
「何が嫌なんだ?」
「嫌じゃない」
「じゃあ何が問題?」
岸本はしばらく答えなかった。
比較表へ戻る。
《現在業務を継続》
《本人希望との一致 高》
《新規業務負荷 低》
《配置変更 なし》
その横。
《現在所属内で担当範囲を拡張》
《本人希望との一致 非常に高》
《新規業務負荷 中》
《配置変更 なし》
さらに。
《利用者調整課》
《本人希望との一致 高》
《新規業務負荷 中》
《配置変更 あり》
「全部、それなりに良いんですよ」
岸本が言った。
「だから?」
「前より断る理由がない」
悠真は彼女を見る。
「断らなきゃいいだろ」
「どれを?」
「好きなの」
「それが分からない」
「じゃあ保留」
「できます」
岸本が画面の下を指す。
《今回は決めない》
「なら終わりじゃん」
「そうなんですけどね」
岸本は少し笑った。
*
昼休み。
悠真は社内食堂で定食を受け取った。
岸本も後ろから来る。
「隣いいですか」
「聞く必要ある?」
「一応」
二人で窓側の席へ座る。
今日の定食は鯖の味噌煮だった。
岸本は箸を持ちながら、まだ人事画面を開いている。
「飯の時くらい閉じろよ」
「あと一個だけ」
「何?」
「前回の選択がどこまで効いてるのか」
悠真は味噌汁を飲む。
「朝からそればっかりだな」
「気になるじゃないですか」
岸本は《候補生成条件》を開いた。
《本人希望》
《現在所属の継続 高優先》
《利用者対応業務への関心 反映》
《設備計画業務への適合 継続》
《配置変更負荷 回避傾向》
最後の項目で、岸本の指が止まった。
「回避傾向?」
悠真も見る。
《詳細》
《過去の配置変更提案 見送り》
《現在所属継続希望》
《異動後の生活条件変化を希望しない》
「そんなこと言った?」
悠真が尋ねる。
「最後のやつは……」
岸本が履歴を開く。
《本人理由》
《今の業務を続けたい》
《相川市案件を途中で離れたくない》
《生活時間を大きく変えたくない》
「言ってるな」
「言ってますね」
「なら合ってる」
「はい」
岸本は画面を戻す。
《配置変更負荷 回避傾向》
その横に、小さな情報アイコンがある。
押す。
《本人が配置変更そのものを否定したことを意味しません》
《候補順位の調整に使用します》
「ちゃんと書いてありますね」
「ああ」
「異動嫌いって決めつけてるわけじゃない」
「今も異動案あるしな」
「はい」
岸本はようやく端末を伏せた。
「じゃあ問題ない」
「朝から何回それ言ってるんだよ」
「佐伯さんも言ってます」
「そうだっけ」
「結構」
二人で食事を続ける。
しばらく別の話をした。
週末。
天気。
相川市の工期。
設備納期。
人事提案の話は途切れた。
食事を終え、岸本がトレーを持って立った時、
「でも」
と言った。
「何?」
「私、異動を断ったつもりだったんですよね」
「うん」
「異動する可能性を下げてください、とは言ってない」
悠真は少しだけ考えた。
「でも、毎回同じ提案来たら嫌だろ」
「たぶん」
「だから減らした」
「はい」
「戻せる」
「はい」
「じゃあ?」
岸本は笑った。
「だから問題ないんですよ」
それで話は終わった。
*
十三時。
悠真は自治体契約資料の整理に入った。
相川市では、生活時間帯変更に関する工程が完了し、設備仕様へ正式反映されている。
《最終需要条件》
《世帯選択反映済み》
《生活時間帯変更利用 四百三十世帯》
《現行条件維持 五十二世帯》
悠真は数字を見た。
四百八十二世帯。
四百三十が何らかの変更を利用。
五十二は現行条件を維持。
昨日の《今回は利用しない》だけでなく、《後で確認》《未回答》も含め、変更しなかった世帯が最終的に五十二。
《設備安全余裕》
《基準内》
《追加投資》
《不要》
結果として、設備計画は成立している。
「五十二だったんですね」
岸本が言った。
「ああ」
「変更しなかった人」
「最終的にはな」
「一割ちょっと」
「そうなるな」
「受容予測、九十六・一でしたよね」
「利用する割合の定義が違うんじゃないか」
悠真が詳細を開く。
《受容予測》
《提案内容の全部または一部を利用する確率》
実績。
《全部または一部利用 四百三十》
計算すると約八十九パーセント。
予測より低い。
岸本も気づく。
「外れてますね」
「ああ」
「結構」
「そうだな」
予測値の横に、
《実績差》
が表示される。
《マイナス六・九ポイント》
《予測モデル評価対象》
「評価に回るんですね」
「そりゃ回るだろ」
《原因候補》
《生活時間帯変更への非受諾率が事前予測を上回った》
《代替案選択率が予測を上回った》
《未回答・保留率が予測を上回った》
《今後の提案モデルへ反映》
岸本が画面を読む。
「断った結果も学習する」
「ああ」
「次の地域では?」
「最初から当たりやすくなるんじゃないか」
「相川の人が断った分だけ」
「そういうことだろ」
便利だった。
予測が外れた。
実際の人間が違う選択をした。
その結果を次の予測へ入れる。
制度が人間を予測に合わせるのではなく、予測の方が人間へ合わせ直される。
少なくとも、この画面だけ見ればそうだった。
悠真は《設備仕様へ反映》を確認した。
*
十五時過ぎ。
需要予測レビューが始まる前に、岸本が声をかけた。
「決めました」
悠真が画面から目を上げる。
「異動?」
「違います」
岸本の端末に、
《配置・職務継続に関する提案》
が表示されている。
選ばれていたのは、
《現在所属内で担当範囲を拡張》
だった。
「真ん中か」
「はい」
「利用者調整っぽい仕事を今の部署でやる」
「そうです」
「一番適合高かったやつ」
「数字で決めたわけじゃないです」
「じゃあ何で?」
岸本は少し考える。
「今の仕事やめなくていいから」
「それだけ?」
「あと、面白そうだから」
「二つあるじゃん」
「そうですね」
彼女は笑った。
画面には最終確認が出ている。
《選択内容》
《現在所属を継続》
《利用者調整関連業務を担当候補へ追加》
《配置変更なし》
《開始予定 八月以降》
《本人確認》
《この内容で進める》
《今回は決めない》
「押すの?」
悠真が尋ねる。
「押します」
岸本は《この内容で進める》を選んだ。
《本人選択を受け付けました》
数秒。
《所属上長確認 自動照会》
《業務配分案を作成します》
終わった。
「簡単だな」
悠真が言う。
「前より」
「朝から悩んでたけど」
「押すのは簡単です」
岸本は端末を閉じる。
「前は残るって決めたのに、理由いっぱい聞かれましたから」
「今回はもう知ってるからな」
「はい」
「便利になった」
「はい」
岸本はそれを否定しなかった。
*
十六時四十分。
人事支援室から岸本へ確認結果が届いた。
《本人選択を反映しました》
《所属 東央商事 エネルギー基盤事業部 国内計画課》
《変更なし》
《追加担当候補》
《自治体向け説明資料確認》
《生活基盤提案 設備条件確認》
《非受諾・代替案対応時の設備調整》
《適用開始》
《八月一日》
その下に、
《今後の配置提案条件》
がある。
岸本が悠真を呼ぶ。
「見ます?」
「何を?」
「これ」
画面を見せる。
《配置変更提案》
《頻度低》
《本人希望との大きな適合変化がある場合のみ表示》
《今回選択した担当拡張を優先》
「さっきと同じじゃないか」
「一個増えてます」
岸本が指す。
《今回選択した担当拡張を優先》
「これから異動候補があっても?」
「たぶん、今の部署で同じ仕事ができるならそっちを先に出すんでしょうね」
「希望どおりだろ」
「はい」
岸本は笑う。
その下に、
《設定変更》
がある。
開けば、
《配置変更候補を優先》
《現在所属内の調整を優先》
《同等に表示》
と並んでいる。
現在は、
《現在所属内の調整を優先》
になっていた。
《設定理由》
《本人が現在所属内での担当拡張を選択》
「自動で変わった」
岸本が言う。
「選んだんだから」
「はい」
「嫌なら戻せる?」
岸本が《同等に表示》へ触れる。
《変更可能》
と出る。
「戻せます」
「じゃあいいじゃん」
「はい」
今日何度目か分からない返事だった。
問題ない。
本人が選んだ。
その結果が次の提案へ反映された。
いつでも戻せる。
誰かに強制されたわけではない。
悠真には、それ以上考えるところがなかった。
ただ、岸本は画面を閉じる前に少しだけ指を止めた。
「何?」
悠真が尋ねる。
「いや」
「また?」
「押すたびに、次が決まっていくなと思って」
悠真は画面を見る。
《今回選択した担当拡張を優先》
「決まってはないだろ」
「そうですね」
「候補が変わるだけ」
「はい」
「戻せる」
「はい」
岸本は端末を閉じた。
「だから便利なんですよね」
「ああ」
それで終わった。
*
退勤前。
悠真の生活端末に、昨日見送った週末の屋外活動について新しい提案は届かなかった。
理由を記録しなかったから、候補条件は変わっていない。
ただ、今日は別の通知があった。
《週末の予定候補》
《家族予定との空き時間を確認しました》
《土曜日午後》
《候補》
《近隣商業施設》
《自宅での休養》
《予定を入れない》
三つ。
昨日の《近隣公園》は最初の画面にはない。
悠真は少しだけ目を止めた。
昨日は理由を記録していない。
《今回の選択は今後の候補優先度へ反映しません》
そう表示されていた。
詳細を開く。
《その他の候補》
《近隣公園》
あった。
消えてはいない。
今日は天気予測が変わったため、屋内候補が上に出ているらしい。
《候補順位の主な要因》
《午後の降水確率》
《家族予定》
《過去の休日行動》
《本人設定》
悠真は《戻る》を押した。
最初に並んでいる三つを見る。
商業施設。
自宅。
予定なし。
どれでもいい。
まだ金曜日だ。
《予定を入れない》
を選んだ。
《土曜日午後を未定のまま保持します》
それだけだった。
理由は聞かれない。
悠真は端末を閉じる。
隣では、岸本が帰り支度をしている。
「結局残ったな」
「残りましたね」
「しかも仕事増えた」
「言い方」
「増えただろ」
「面白そうなやつだけです」
「それが一番危ないんだよ」
「何が?」
「仕事増えるパターン」
岸本が笑った。
「佐伯さんも巻き込みますから」
「やめろ」
二人は席を立った。
岸本の所属は変わらない。
明日になっても、来週になっても、同じ席に来る。
ただ、八月から担当候補が少し増える。
それも、本人が選んだ。
何も失っていない。
異動する選択肢も残っている。
ただ次に人事提案が来る時は、
今日選んだ方が、
少し先に表示される。
それだけだった。




