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静国 -Silent Dominion-  作者: はやぽん


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第14話 選びやすい方 Part1 前より簡単


金曜日の朝。

悠真が出勤すると、岸本はすでに席にいた。

珍しく端末を見ていない。

紙コップのコーヒーを両手で持ち、窓の外を眺めている。

「おはよう」

悠真が声をかける。

「おはようございます」

「早いな」

「佐伯さんが普通です」

「いつも同じくらいだろ」

「今日は私が七分早いです」

「細かいな」

岸本は笑った。

悠真は自席へ座る。

昨日の相川市案件について、最終集計が一件届いていた。

《生活時間帯変更提案》

《対象世帯 四百八十二》

《回答処理 完了》

《設備需要再計算 完了》

詳細を開く。

《利用する 三百七十六》

《一部変更して利用する 五十四》

《今回は利用しない 三十四》

《後で確認・未回答 十八》

未回答世帯は、予定どおり現在の生活時間帯を維持する条件で計算されている。

《設備安全基準 適合》

《追加設備投資 不要》

《運用開始条件 成立》

四百八十二世帯すべてが変更したわけではない。

それでも設備は成立している。

悠真は《確認》を押した。

《設備側確認 完了》

「昨日のやつですか?」

岸本が尋ねる。

「ああ」

「最終、何世帯断りました?」

「三十四」

「増えた」

「でも問題なし」

「ですよね」

岸本はコーヒーを一口飲む。

「断って終わった人も?」

「いる」

「設備側で吸収?」

「ああ」

「じゃあ、ちゃんと自由でしたね」

「昨日も同じこと言ってただろ」

「最終結果を見るまでは分からないじゃないですか」

「慎重だな」

「佐伯さんに言われたくないです」

悠真は笑った。

その時、岸本の端末が短く鳴った。

彼女が視線を落とす。

「あ」

「何?」

岸本はすぐには答えなかった。

通知を開き、二、三度画面を送る。

それから、

「また来ました」

と言った。

「何が?」

岸本が端末を少し傾ける。

画面の上部に、

《人事支援室》

と表示されていた。

その下。

《配置・職務継続に関する提案があります》

悠真は岸本を見る。

「異動?」

「みたいです」

「また利用者調整課?」

「それは候補にあります」

「それは?」

岸本が画面を見せた。

以前とは表示の仕方が違っていた。

《現在の働き方に関する候補》

最初に大きく表示されているのは、

《現在業務を継続》

だった。

その下に、

《国内計画課》

《現担当範囲を基本として継続》

《相川市案件 継続担当》

《住民説明・記録確認経験を現在業務内で活用》

さらに、

《この内容で継続》

という大きなボタンがある。

悠真は少し意外に思った。

「異動提案じゃないじゃないか」

「下にあります」

岸本が画面を送る。

《その他の候補》

《都市生活最適化事業部 利用者調整課》

《詳細を確認》

前に見た配置先だった。

ただし、適合予測や満足度予測は最初の画面には出ていない。

「小さくなったな」

「ですよね」

「前はそっちがメインだっただろ」

「青いボタンでした」

「よく覚えてるな」

「人生の分岐だったので」

岸本は笑った。

さらに下には、もう一つ候補がある。

《現在業務を継続し、一部業務のみ拡張》

《住民説明資料確認》

《利用者意見整理》

《自治体調整支援》

《詳細を確認》

異動しない案が二つ。

異動する案が一つ。

並び順も、現在業務を続けるものが先だった。

「親切になったじゃないか」

悠真が言った。

「何が?」

「前に残りたいって言ったから、それに合わせたんだろ」

「そうみたいです」

岸本が《提案理由》を開いた。

《今回の候補生成に反映した本人選択》

《配置変更提案 見送り》

《選択理由》

《現在の業務を継続したい》

その下に、

《現在業務の継続実績》

《相川市案件への継続参加》

《住民対応資料の確認経験》

《現在所属での業務負荷 適正》

と並んでいる。

さらに、

《本人希望との適合を優先して候補順を調整しました》

という一文があった。

「そのままだな」

悠真が言う。

「はい」

「前に選んだ理由をちゃんと使ってる」

「はい」

岸本は画面を見たままだった。

「何か不満?」

「いや」

「じゃあ何?」

「前より、すごい簡単になったなと思って」

「いいことだろ」

「そうなんですけど」

岸本は《現在業務を継続》の画面へ戻る。

大きなボタン。

《この内容で継続》

その下には小さく、

《候補を比較》

がある。

「前は異動を断る方が小さかったんですよ」

「ああ」

「今回は残る方が大きい」

「希望を覚えたからだろ」

「ですよね」

岸本は納得したように頷いた。

九時の部門定例が始まった。

相川市の生活時間帯調整は正式に完了している。

《設備運用条件》

《確認済み》

《四百八十二世帯分の需要条件を反映》

《詳細設計へ移行》

住民側の選択処理は相川市へ戻り、東央商事側では通常の設備設計へ進む。

課長が説明する。

「生活時間帯変更を利用しなかった世帯についても、現行条件を含めた需要計算が完了しています」

《追加設備対応 不要》

《安全余裕 基準内》

《運用開始時期 変更なし》

「この工程について、追加の個別対応はありません」

岸本が小さく悠真へ言う。

「本当に終わりましたね」

「ああ」

「断った人も含めて」

「含めないと終われないだろ」

「そうですけど」

課長が次の議題へ進む。

相川市案件は、もう住民の回答割合ではなく、設備仕様と工期の話になっていく。

外装。

制御盤。

系統接続。

施工計画。

岸本も普通に資料へ書き込みをしている。

異動提案の話は出なかった。

定例が終わる。

全員が席を立とうとしたところで、課長が岸本を呼んだ。

「岸本さん」

「はい」

「人事支援室から今日、案内来てますよね」

岸本が悠真を見る。

「来ました」

「急ぎではないです。今週中に確認だけお願いします」

「返答も今週中ですか?」

「いえ。候補確認だけで大丈夫です」

「分かりました」

それだけだった。

以前のように面談室へ呼ばれることもない。

悠真は課長に尋ねる。

「面談しないんですか?」

課長が少し笑った。

「本人が希望すればしますよ」

「今回は確認だけ?」

「前回の希望が明確ですから」

岸本が少し首を傾げる。

「明確でした?」

「《現在の業務を継続したい》と入力してますよね」

「はい」

「相川市の継続希望も面談で確認しています。現在の業務状況にも問題ありません」

「じゃあ、確認することがない?」

「新しい希望があるなら聞きます」

課長はそう答えた。

「なければ、同じ話をもう一度する必要もないでしょう」

岸本は一瞬黙ったあと、

「それもそうですね」

と笑った。

面談はなかった。

業務適性再評価もない。

住民対応研修も入っていない。

予定表を見る。

《十時三十分 相川市設備仕様確認》

《十三時 自治体契約資料整理》

《十五時 需要予測レビュー》

いつもの一日だった。

「良かったじゃないか」

廊下を歩きながら悠真が言う。

「何がです?」

「前みたいに仕事増えてない」

「ああ」

岸本が予定表を閉じる。

「本当に何もないですね」

「残りたいって言ってる人に、残るための研修をまたやらせても仕方ないだろ」

「前はやりましたけど」

「あの時は初回だったからじゃないか」

「たぶん」

「今回は分かってる」

岸本は少し笑った。

「私の扱い方が?」

「言い方悪いな」

「希望が」

「ああ」

悠真には、それで十分だった。

一度選んだことを覚える。

次からは同じ説明を省く。

本人の希望に近い案を先に表示する。

昨日、相川市で見た仕組みと同じだった。

生活時間。

設備制御。

仕事。

対象は違っても、考え方は分かりやすい。

「便利だろ」

悠真が言う。

「便利です」

岸本も否定しなかった。

十時二十分。

相川市の会議まで少し時間があり、岸本は異動候補の詳細を開いていた。

「まだ見るのか?」

悠真が尋ねる。

「一応」

「残るんだろ?」

「まだ押してません」

「押せば終わるじゃないか」

「佐伯さん、昨日まで断る自由を確認してた人とは思えないですね」

「押せとは言ってないだろ」

「今、ほぼ言いました」

岸本は笑いながら、異動候補を開く。

《都市生活最適化事業部》

《利用者調整課》

《主な業務》

《自治体・利用者間の条件調整》

《本人選択の記録確認》

《代替案説明》

《生活基盤提案の運用支援》

仕事の内容自体は、以前より岸本に近く見えた。

相川市で実際にやってきたことが、そのまま職務説明へ入っている。

《今回の適合理由》

《住民意見の原文・分類確認経験》

《非受諾理由の整理経験》

《個別調整への参加》

《説明条件の差異確認》

「前より合ってるんじゃないか?」

悠真が言う。

「そうなんですよ」

「なら行く?」

「だから、それが困るんです」

「何が?」

岸本は画面を悠真へ向ける。

「前より、ちゃんと私に合ってる」

《本人適合予測 九十四パーセント》

以前より二ポイント上がっている。

《業務満足度予測 八十九パーセント》

こちらも上がっていた。

《組織貢献度改善予測 九・八パーセント》

数字としても悪くない。

「いいじゃないか」

「はい」

「でも残る?」

「たぶん」

「何で?」

岸本は少し考えた。

「今の仕事が嫌じゃないから」

以前と同じ答えだった。

「相川もまだ終わってない?」

悠真が尋ねる。

「設備としてはまだ続きますけど」

「前はそれも理由だったろ」

「はい」

「今も?」

岸本は少し迷った。

「それだけじゃない気がします」

「じゃあ何?」

「分からないです」

「分からないのかよ」

「異動が嫌なわけじゃないんですよ」

「前も言ってたな」

「利用者調整課も面白そうです」

「なら行けばいい」

「またそれ」

岸本が笑う。

「でも、今の方が普通なんです」

「普通?」

「朝来て、佐伯さんに適当なこと言われて、相川の資料見て」

「適当なこと言ってるのは岸本だろ」

「お互い様です」

岸本は少し笑ってから、画面を見る。

「別に、変えるほど困ってないんですよね」

悠真は昨日見た住民の言葉を思い出した。

《今のままで困っていないので変えたくない》

よく似ている。

大きな不満があるわけではない。

大きな理由があるわけでもない。

今で困っていない。

だから変えない。

それも十分な理由だった。

「じゃあ残れば?」

悠真が言う。

「やっぱり簡単に言いますね」

「前にも言った気がする」

「言ってました」

岸本は《現在業務を継続》へ戻った。

今回は、その選択肢が最初から大きく表示されている。

《この内容で継続》

指を置けば終わる。

その下に、小さな項目があった。

《継続条件を確認》

岸本が開く。

《担当範囲》

《現在業務を基本として継続》

《住民説明関連業務》

《本人希望に基づき、現在所属内で必要時のみ担当候補として提示》

《配置変更提案》

《本人希望を反映し、提案頻度を調整》

「提案頻度?」

岸本が開く。

《現在設定》

《配置変更提案 頻度低》

《大きな適合変化がある場合のみ再提示》

《本人希望により変更可能》

さらに、

《通常》

《頻度低》

《一時停止》

の三つが並んでいた。

現在選ばれているのは、

《頻度低》

だった。

「私、これ選びました?」

岸本が言った。

悠真も画面を見る。

《設定理由》

《過去の配置変更提案を見送り》

《現在業務の継続希望》

《継続後の業務状態 安定》

《同種提案の反復を避けるため、自動調整》

「自動だな」

悠真が言う。

「ですよね」

「変えられるんだろ?」

「はい」

岸本が《通常》へ触れる。

確認画面が出る。

《配置変更候補を従来の頻度で表示します》

《変更しますか》

《変更》

《戻る》

「戻せる」

「じゃあ問題ないだろ」

「はい」

岸本は《戻る》を押した。

頻度低のまま。

「変えないの?」

「別に、そんなに異動提案いらないので」

「なら合ってるじゃないか」

「そうなんですよね」

彼女は笑った。

嫌なら戻せる。

今のままが楽なら、そのまま使えばいい。

本人が望んでいる状態へ、余計な提案を減らしているだけだった。

悠真には、よくできた調整に見えた。

岸本がもう一つの項目を開く。

《担当範囲の調整》

《利用者調整関連業務》

《異動候補としての継続評価》

《現在所属内での部分担当を優先》

「ここも変わってる」

「何が?」

「前は異動してやる仕事だったのが、今の部署でも少しやるようになってる」

相川市で岸本が扱った、

住民説明。

原文確認。

非受諾理由の分類。

そうした業務が、今の所属のまま担当候補へ入っている。

「異動しなくても、合ってる仕事を回してくれるんだな」

悠真が言う。

「みたいです」

「いいじゃないか」

「はい」

岸本は画面を閉じた。

「本当に、残る理由が増えました」

悠真はその言い方に少し引っかかった。

「増えた?」

「だって、今の部署でも好きそうな仕事できるなら、異動する必要減るじゃないですか」

「それが希望なんだろ?」

「そうです」

岸本は即答した。

なら、問題はなかった。

少なくとも悠真には、そう見えた。

十時二十八分。

次の会議通知が出る。

《相川市設備仕様確認》

《開始まで二分》

岸本は立ち上がった。

「行きます?」

「ああ」

「異動の返事は?」

「あとでします」

「まだ悩むのか」

「二分では決めません」

「最初からほぼ決まってるだろ」

岸本は歩きながら笑った。

「決まってるのと、押すのは別です」

二人は会議区画へ向かった。

岸本の端末には、配置提案がまだ残っている。

ただ、最初に表示される選択肢は、

《現在業務を継続》

だった。

以前よりも、ずっと押しやすい場所に。


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