第13話 支援を断る人 Part1 変えない人
木曜日の朝、悠真が出勤すると、相川市案件の通知がすでに一件届いていた。
《相川市生活基盤更新計画》
《生活時間帯変更提案》
《本日 通知開始》
《対象世帯 四百八十二世帯》
《通知予定時刻 十時》
その下に、今日の確認予定が並んでいる。
《九時 三者確認》
《相川市》
《東央商事》
《地域支援窓口》
《確認目的》
《提案非受諾時の設備条件および代替支援》
昨日見た内容と変わっていない。
悠真が画面を閉じようとすると、隣から岸本が声をかけた。
「おはようございます」
「おはよう」
「まだ通知してないんですよね?」
「十時から」
「なのに、断った人の確認を九時にする」
「断る人が出てから考えたら遅いだろ」
「準備がいいですね」
「九十六・一パーセントだぞ」
「何がです?」
「受容予測」
「ああ」
岸本は自分の端末を開いた。
「昨日、十八か十九世帯くらいって言ってましたよね」
「予測どおりなら」
「また言った」
「予測なんだから仕方ないだろ」
岸本は笑う。
今日の業務一覧には、相川市以外にも通常の予定がある。
《十一時三十分 設備更新見積確認》
《十三時 保守契約条件照合》
《十五時 需要予測月次整理》
生活時間帯の通知が出ても、一日中それだけを見るわけではない。
四百八十二世帯へ提案が届く。
受け入れる人。
少し変える人。
見送る人。
その結果は相川市側で自動的に整理され、設備条件へ影響するものだけが東央商事へ届く。
今日の悠真の役割は、その受け皿を確認することだった。
「行きます?」
岸本が立ち上がった。
時計は八時五十三分。
「行くか」
二人は会議区画へ向かった。
*
九時。
壁面には、三つの組織名が横に並んでいた。
《相川市》
《東央商事》
《地域支援窓口》
参加者は八人。
相川市から三人。
東央商事から悠真と岸本を含む三人。
地域支援窓口から二人。
最初に相川市の担当者が説明を始めた。
「本日十時から、対象四百八十二世帯へ生活時間帯変更提案を送信します」
《提案目的》
《夕方需要集中の緩和》
《設備安全余裕の確保》
《世帯ごとの料金・待機時間負担の軽減》
「提案は各世帯の生活条件に合わせて生成されます。一律の時刻変更ではありません」
画面が切り替わる。
《提案例》
《給湯》
《現在 十九時台中心》
《提案 十八時以前または二十一時以降》
《家庭蓄電池》
《現在 帰宅後充電》
《提案 深夜帯充電》
《大型家電》
《現在 十八時から二十時》
《提案 本人選択可能時間帯から分散》
岸本が手を挙げた。
「全部変える必要はないんですよね」
「ありません」
相川市の担当者が答える。
「例えば給湯だけ変更して、洗濯は現在のままという選択も可能です」
「全部見送ることも?」
「可能です」
《提案への回答》
《利用する》
《一部変更して利用する》
《今回は利用しない》
三つの選択肢が表示される。
さらに、
《後で確認》
もあった。
「回答期限は?」
東央商事の別の社員が尋ねた。
「ありません。ただし設備運用開始までに回答がない世帯については、現在の生活時間帯を維持する前提で需要計算します」
悠真は画面を見る。
答えなければ、自動的に変更されるわけではない。
今の生活が基準になる。
「利用しない世帯について説明します」
今度は地域支援窓口の担当者が話し始めた。
四十代くらいの女性だった。
固有名は表示されていない。
「提案を利用しないこと自体は、支援対象にはなりません」
《非受諾》
《処罰・不利益 なし》
《設備サービス 継続》
《公共サービス利用資格 変更なし》
《生活支援区分への直接反映 なし》
悠真は最後の一行を見た。
昨日の夜に見た文章より、少し具体的になっている。
「生活支援区分には関係しないんですね」
岸本が確認した。
「非受諾そのものを理由に区分を変更することはありません」
地域支援窓口の担当者は迷わず答えた。
「ただし、本人が選択理由として生活上の困難を申告した場合は、その内容に応じて別の支援を案内することがあります」
画面に例が出る。
《今回は利用しない》
《理由》
《勤務時間のため変更困難》
→《設備側代替条件を確認》
《医療機器使用のため変更困難》
→《現行時間帯維持・設備優先条件》
《育児・介護のため変更困難》
→《変更可能項目のみ再提示》
《理由を記録しない》
→《現行条件維持》
「理由は必須じゃない?」
悠真が尋ねた。
「必須ではありません」
担当者が答えた。
「理由を入力しなくても、提案を見送れます」
「じゃあ、代替案が作れない場合は?」
「現行条件を維持します」
「設備側で吸収?」
「必要な場合は、東央商事へ需要補正条件が送られます」
悠真の担当だった。
相川市の担当者が続ける。
「今回の提案は、世帯の生活を設備へ合わせるためだけのものではありません。世帯側が変更しない場合は、設備運用側で可能な範囲を調整します」
悠真は壁面を見る。
《本人が変更》
《一部変更》
《変更しない》
三つとも、設備計算の入力になる。
利用しない。
それも、一つの正式な結果として扱われる。
「つまり、断っても終わりじゃない」
岸本が言った。
地域支援窓口の担当者が少し笑った。
「生活は続きますから」
悠真はその言葉に聞き覚えがある気がしたが、何も言わなかった。
*
九時四十二分。
確認用の模擬事例が表示された。
《世帯A》
《二人世帯》
《提案》
《給湯利用 二十一時以降》
《家庭蓄電池充電 二十三時以降》
《予測効果》
《世帯電気料金 月平均二・一パーセント低下》
《地域夕方最大需要への寄与 低減》
回答。
《今回は利用しない》
理由は、
《勤務時間と合わない》
だった。
現在の生活記録は表示されていない。
代わりに、本人が回答時に選んだ説明だけが出ている。
《帰宅時刻が一定ではない》
《帰宅後すぐに給湯を利用したい》
「これに対して再提案を出すんですか?」
岸本が尋ねた。
「自動では出しません」
地域支援窓口の担当者が答えた。
「本人が《別の案を見る》を選んだ場合だけです」
画面に追加選択肢が表示される。
《現在の生活を維持》
《別の案を見る》
《相談する》
模擬事例の本人は、
《現在の生活を維持》
を選んでいた。
《回答確定》
《現行生活時間帯を維持》
その瞬間、東央商事側の画面へ別の通知が出る。
《設備需要条件更新》
《対象世帯 一》
《夕方需要 現行維持》
《補正必要性 低》
悠真は詳細を開いた。
周辺世帯の受諾予測を含めて再計算されている。
一世帯が変更しなくても、設備全体への影響はほとんどない。
《追加設備対応 不要》
《既存運用範囲で対応可能》
「これなら何もしなくていいですね」
悠真が言った。
「はい」
相川市の担当者が答える。
「この世帯については、これで完了です」
「地域支援窓口も?」
「勤務時間に困っていると本人が相談しているわけではありません。生活時間帯変更が難しい理由として勤務時間を挙げただけなので、支援介入はしません」
岸本が少し顔を上げた。
「同じ勤務時間でも、相談したいって言えば?」
「その場合は利用可能な就労相談等を案内します」
「断る理由に書いただけなら?」
「記録だけです」
「勝手に支援へ回さない」
「はい」
岸本は頷いた。
「ちゃんとしてますね」
悠真は横を見る。
「最近よく聞くな、それ」
「そうですか?」
「俺も言ってる気がする」
「じゃあ流行ってるんですね」
岸本は笑った。
*
次の模擬事例。
《世帯B》
《三人世帯》
《提案》
《大型家電利用 十九時台から二十二時以降へ》
回答。
《今回は利用しない》
理由。
《子どもの就寝前に家事を終えたい》
追加選択。
《別の案を見る》
画面が数秒処理される。
《代替案》
《大型家電利用時刻 変更なし》
《家庭蓄電池放電時間のみ調整》
《予測効果》
《本人生活時間への変更 なし》
《地域夕方需要への寄与 部分低減》
「これは受け入れやすそうですね」
参加者の一人が言った。
相川市の担当者は何も評価せず、続きを表示する。
本人回答。
《利用する》
《選択内容》
《家庭蓄電池放電時間のみ調整》
《大型家電利用時間 現行維持》
最初の提案は断った。
二つ目は受け入れた。
記録には両方残る。
《第一提案》
《非受諾》
《第二提案》
《受諾》
《本人生活時間》
《変更なし》
《設備制御》
《一部変更》
悠真は画面を見る。
「本人は何も変えてない」
「はい」
担当者が答える。
「家庭蓄電池側の制御だけを変更します」
「じゃあ、生活時間帯変更提案って名前なのに」
岸本が言った。
「生活時間は変わらない」
「結果的にはそうなります」
「設備が合わせた」
「はい」
岸本は少し笑った。
「じゃあ最初から、それ出せばいいのに」
会議室が少し静かになった。
担当者は困った様子もなく答える。
「全体効率では、生活時間帯を含めて調整した方が改善幅が大きいためです」
「でも断ったら、次が出る」
「本人が代替案を希望した場合は」
「なるほど」
岸本はそれ以上言わなかった。
最も効果の高い案を先に出す。
断られたら、本人が変えなくて済む方法を探す。
それでも無理なら、現状を維持する。
悠真には、十分柔軟に見えた。
「佐伯さん」
担当者に呼ばれた。
「この場合の設備条件、問題ありませんか?」
悠真は需要変化を確認する。
周辺の蓄電池制御を含めた再計算。
夕方最大需要の削減幅は、最初の提案より小さい。
それでも安全余裕は基準を超えている。
《設備安全余裕 基準内》
《追加設備投資 不要》
《運用条件変更のみ》
「問題ありません」
《設備条件確認》
《確認済み》
悠真が押す。
模擬事例が閉じた。
*
九時五十八分。
本番通知まで、あと二分。
相川市の担当者が最後の確認を行う。
《生活時間帯変更提案》
《対象世帯 四百八十二》
《本人選択》
《利用する》
《一部変更して利用する》
《今回は利用しない》
《後で確認》
《非受諾時》
《公共サービス資格 変更なし》
《設備サービス 継続》
《理由入力 任意》
《代替案 本人希望時のみ提示》
《現行生活維持 可能》
「問題がなければ送信します」
参加者が順に確認を付ける。
悠真の画面には、
《設備側条件を確認しました》
とだけ表示されている。
通知文の最終承認は相川市。
支援案内は地域支援窓口。
設備条件は東央商事。
悠真は《確認》を押した。
《設備条件 確認済み》
九時五十九分。
残り一分。
岸本が小さく言った。
「本当に断れるんですね」
「ずっとそう言ってるだろ」
「表示で見るのと、実際に四百八十二世帯へ出すのは違うじゃないですか」
「何が?」
「全員が見送っても?」
悠真は画面を見る。
もし四百八十二世帯が全員断ったら。
設備側では、当初想定した需要平準化が成立しない。
今の設備でも運用はできる。
ただし安全余裕は小さくなり、場合によっては別の運用調整が必要になる。
「設備は動く」
悠真が答えた。
「追加対応は?」
「必要になるかもしれない」
「それでも断れる」
「ああ」
岸本は一度だけ頷いた。
「なら、ちゃんと自由ですね」
悠真もそう思った。
十時。
壁面の表示が変わる。
《送信》
《四百八十二世帯》
数字が進み始める。
百二十七。
二百九十四。
四百十一。
四百八十二。
《送信完了》
《未達 〇》
その直後から回答が入り始めた。
《回答受信》
《利用する 三》
《一部変更 二》
《今回は利用しない 一》
《後で確認 四》
まだ十件。
割合を語るには早すぎる。
それでも、最初の《今回は利用しない》はもう存在していた。
「早いですね」
岸本が言った。
「通知来てすぐ見てる人もいるだろ」
画面の件数が変わる。
《利用する 七》
《一部変更 三》
《今回は利用しない 二》
《後で確認 六》
拒否した二世帯に、赤い印は付かない。
黄色でもない。
他の回答と同じ黒い文字だった。
《今回は利用しない》
ただの選択結果。
悠真はそれを見ていた。
数秒後。
一件にだけ、別の表示が付いた。
《設備側個別確認》
《理由 現在の生活時間を維持したい》
《代替案 希望しない》
《現行条件維持時の設備影響を確認してください》
悠真の画面へ、その一世帯だけが移ってくる。
住所も氏名もない。
生活の細部もない。
必要な情報だけだった。
《現在》
《給湯 十九時台》
《大型家電 十九時から二十時》
《家庭蓄電池 帰宅後充電》
《本人選択》
《すべて現行維持》
《変更理由》
《現在の生活で不便を感じていない》
悠真は最後の文章を読む。
以前、相川市の住民意見で見た言葉とよく似ていた。
だが今回は分類を直す必要はない。
《現在の生活で不便を感じていない》
そのまま、本人が選んだ理由として残っている。
悠真は設備計算を開いた。
一世帯が現在の時間帯を維持した場合。
周辺の受諾済み世帯を含めて再計算する。
《夕方最大需要》
《目標値との差 プラス〇・一パーセント》
《安全余裕 基準内》
《追加対応 不要》
問題はなかった。
《現行条件維持 可能》
悠真は確認を押した。
《本人の選択を維持したまま対応可能です》
その結果が相川市へ送られる。
数秒後、本人向け処理が確定した。
《生活時間帯変更提案》
《今回は利用しない》
《現在の生活時間帯を維持します》
《設備サービスはこれまでどおり利用できます》
《今後、条件に大きな変更がある場合は改めてお知らせします》
それで終わった。
再提案は出ない。
説得もない。
相談案内もない。
理由は記録された。
生活は変わらない。
設備側が、その一世帯を含めた条件で再計算した。
「終わり?」
岸本が尋ねた。
「ああ」
「本当に?」
「追加対応なし」
「じゃあ、この人は何も変わらない」
「そうだな」
仕事へ行く時間も。
風呂に入る時間も。
洗濯する時間も。
少なくとも、今日の提案によって変わるものはない。
制度が望んだ時間には動かなかった。
それでも、何も取り上げられない。
悠真は画面を閉じた。
「柔軟だろ」
岸本へ言う。
彼女は少しだけ考えてから頷いた。
「はい」
壁面では回答数が増え続けている。
《回答済み 二十九》
《利用する 二十》
《一部変更 四》
《今回は利用しない 三》
《後で確認 二》
三世帯が断っている。
誰も止められていない。
そのうち一世帯は、もう処理まで終わった。
現在の生活を維持したまま。
十時十二分。
三者確認は予定どおり終了した。
悠真は自席へ戻る。
次の仕事は、十一時三十分からの設備更新見積確認だった。
相川市では、その間にも四百八十二世帯の回答が続いていく。
断る人もいる。
変える人もいる。
一部だけ使う人もいる。
制度は、それぞれに合わせて計算し直していた。
少なくとも今のところ、
断ったからといって、
何も失ってはいなかった




