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静国 -Silent Dominion-  作者: はやぽん


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38/85

第12話 七件 Part1 集計

水曜日の朝、悠真の予定には、確認支援の最終日が入っていた。

《九時 部門定例》

《十時三十分 設備保守契約確認》

《十三時三十分 急落事象 設備影響集計確認》

《十五時三十分 確認支援完了》

三営業日。

月曜日に本人向け通知を確認し、火曜日には異議申立て後の通知まで見た。

今日扱うのは個別事例ではない。

《生活支援開始後の設備需要影響》

《地域横断集計》

対象者の氏名も、生活支援区分の詳細な変更理由も表示されない。

悠真が見るのは、支援が始まったあとに地域の需要がどう変化したか。

そこだけだった。

「今日で終わり?」

朝食の席で美咲が尋ねた。

「ああ」

「三日って、短かったね」

「一日九十分くらいだからな」

「でも、毎日違うの見てなかった?」

「少しずつ違う」

「今日は?」

「集計」

「何の?」

悠真はパンをちぎった。

業務資料の具体的な内容を家で話すつもりはない。

「いくつかの事例をまとめた設備の数字」

「いつもの仕事っぽく戻ったね」

「最初から設備の仕事だよ」

「最近ずっとそれ言ってる」

美咲が笑った。

食卓の反対側では、陽菜が模型の人形を二つに増やしていた。

昨日まで分かれ道に一人だけ置かれていた人形。

今日は、もう一人が広い道の途中にいる。

「増えたのか?」

悠真が尋ねる。

「真央ちゃん」

「模型に?」

「違う。この人は真央ちゃん役」

「じゃあ、昨日の人は?」

「知らない人」

「知らない人と真央ちゃんが同じ道を歩くのか?」

「今はね」

陽菜は最初の人形をつまんだ。

《近い道》

《広い道》

二つの札の前で、少し動かす。

「この人はまだ決めてない」

「昨日もだろ」

「うん」

「ずっとそこにいるぞ」

「別にいいじゃん」

「店、閉まるかもしれないぞ」

「模型だから閉まらない」

「都合いいな」

「パパも仕事で、まだ決めないってあるでしょ」

悠真は返事に詰まった。

美咲が笑う。

「負けたね」

「別に勝負してない」

陽菜は人形を分かれ道へ戻した。

「真央ちゃん役は広い方にしたの?」

悠真が尋ねる。

「真央ちゃんが広い方がいいって言ったから」

「じゃあ、その人も一緒に行けばいいんじゃないか?」

「知らない人だから」

「一緒に行っちゃ駄目なのか?」

「行ってもいいけど、この人が行きたいか分かんない」

「面倒だな」

「勝手に動かしたら違うじゃん」

陽菜は当然のように言った。

悠真はコーヒーを飲む。

人形には考える頭などない。

どちらへ動かしても、実際には陽菜が決めている。

それでも陽菜の中では、作った人形にも選ぶ理由があるらしい。

家庭用端末が今日の天気を知らせる。

『十八時以降、降水確率が三十二パーセントまで上昇します』

美咲が悠真を見る。

「傘は?」

「持っていく」

『折り畳み傘は玄関収納上段にあります』

「場所まで言わなくていい」

『承知しました』

蒼が笑った。

「忘れてたでしょ」

「分かってた」

「今、玄関見たじゃん」

「確認しただけだ」

悠真は立ち上がった。

「行ってきます」

「いってらっしゃい」

玄関へ向かう。

折り畳み傘は、端末が言ったとおり上段にあった。

悠真はそれを鞄へ入れた。

十三時二十分。

基盤運用統括室の会議区画には、すでに五人分の画面が準備されていた。

月曜日から同じ確認支援に参加している社員たちだった。

入口で業務認証を行う。

《資料分類・説明条件確認支援》

《最終日》

《設備影響集計確認》

《参加者 五名》

《閲覧範囲 設備・生活基盤影響に限定》

今日だけ、正面の壁面画面も使用するらしい。

各自の端末ではなく、全員が同じ集計を見る。

「個別資料はありませんか?」

参加者の一人が尋ねた。

基盤運用統括室の担当者が答える。

「本日はありません。地域横断の設備影響だけを確認していただきます」

「本人向け通知も?」

「表示しません」

「生活支援区分は?」

「集計条件として必要な範囲だけ表示します」

担当者が画面を切り替える。

《確認目的》

《急落事象発生後に実施された生活支援による設備需要影響を整理する》

《確認しない事項》

《生活支援区分変更の妥当性》

《急落要因》

《N-Index判定》

《個別監査結果》

昨日までより、さらに範囲が狭かった。

悠真は席に着く。

「急落事象だけなんですね」

隣の社員が小声で言った。

「ああ」

「昨日は通常事例もありましたけど」

「今日は集計だからだろ」

「何件あるんですかね」

悠真は答えなかった。

先週届いた業務提案には《予定件数 七件》と表示されていた。

ただし、そこには通常事例と要因未確認事例を含むとも書かれていた。

七件という数字が何を数えていたのか。

今日まで、はっきりしていなかった。

担当者が説明を始める。

「今回の集計では、全国で確認されている急落事象について、生活支援開始後の設備影響を比較します」

画面が開く。

《急落事象設備影響集計》

《調査区分 Level-4》

悠真は文字を見た。

Level-4。

以前、Case-04の限定資料でも見た表記だった。

その下に、期間が表示される。

《対象期間》

《二〇三八年四月十二日から四月二十四日》

十三日間。

「短いですね」

誰かが言った。

担当者が頷く。

「発生確認期間です。支援後の観測はその後も継続しています」

続いて、定義が表示された。

《集計対象条件》

《二十四時間以内に生活支援区分が二段階以上低下》

《N-Indexが通常の日次変動範囲を大きく超えて変動》

《重大な法令違反、事故、疾病その他の明確な生活変化を確認できない》

《調査対象として監査局が登録》

悠真は二番目の項目を見る。

N-Index。

詳細値はない。

何ポイント下がったのかも表示されていない。

ただ、

《通常の日次変動範囲を大きく超えて変動》

とだけ記載されていた。

今まで見てきたCase-04と同じ条件だった。

「件数を表示します」

担当者が言った。

壁面中央に、一行が追加される。

《対象事象 七件》

誰もすぐには話さなかった。

悠真も画面を見たままだった。

七件。

今度は意味がはっきりしている。

通常事例を含む七件ではない。

全国の急落事象。

四月十二日から二十四日の間に確認されたもの。

その数が七件。

隣の社員が先に口を開いた。

「全国で、ですか?」

「はい」

「十三日間で?」

「はい」

担当者は特別な言い方をしなかった。

「現在の監査局登録上、当該期間の条件該当事象は七件です」

「その後は?」

「現在の確認範囲には含まれません」

「七件で止まっている、という意味ではない?」

「本資料からは判断できません」

答え方も、これまでと同じだった。

表示された範囲を超えて推測しない。

悠真は画面を下へ送る。

《対象事象 七件》

《調査区分 Level-4》

《発生確認期間 四月十二日から四月二十四日》

それ以上の番号はない。

Case-01。

Case-02。

そういう表記も並んでいない。

表示されている管理名は、一つだけだった。

《代表管理事例 Case-04》

「やっぱり入ってますね」

隣の社員が言った。

「ああ」

「七件のうちの一件?」

「そう読めるな」

担当者にも聞こえたらしい。

「Case-04は、本集計に含まれる急落事象の一件です」

「四番目に起きた事例ですか?」

別の参加者が尋ねる。

担当者は首を横に振った。

「管理表記と発生順の対応は、本日の共有事項ではありません」

「じゃあ、七件それぞれにCase番号がある?」

「管理方式の詳細は共有対象外です」

参加者は「分かりました」と答えた。

それ以上は追わなかった。

悠真も同じだった。

知りたいのは番号の付け方ではない。

七件ある。

その事実だけで、これまで見えていたものの形が少し変わった。

Case-04。

一件だけなら、特殊な事故のようにも見えた。

入力の組み合わせ。

モデルの癖。

偶然説明しにくい値が出た。

そういう例外が一件だけ存在することは、どんな大規模な制度にもあり得る。

七件。

多いのか、少ないのか。

全国のN-Index処理件数が分からなければ、率としては判断できない。

一億人近い人間の中で十三日間に七件。

そう考えれば、極めて少ない。

「発生率は出ないんですか?」

参加者の一人が尋ねた。

悠真が考えていたことと同じだった。

「本資料の目的ではありません」

担当者が答える。

「母集団の定義が設備影響確認と一致しないため、ここでは件数のみ扱います」

「全N-Index処理に対する割合は?」

「監査資料の範囲です」

「少なくとも、よく起きている現象ではない?」

「頻度評価も本資料では行いません」

慎重な答えだった。

七件という数を、多いとも少ないとも言わない。

悠真はそれでいいと思った。

母集団を知らずに割合を語っても意味がない。

七件だけを見て、制度全体に何か問題があると考えるのも早い。

むしろ、これほど少ない事象まで全国調査へ載せている。

監査区分を付け、

支援を続け、

設備影響まで整理している。

放置しているようには見えなかった。

「設備側の集計へ進みます」

担当者が画面を切り替えた。

七件は、個人ではなく支援後の変化として並べられていた。

《設備影響分類》

《住居内需要変化》

《公共交通利用変化》

《公共施設利用変化》

《生活時間帯変化》

《行政窓口利用変化》

それぞれの項目に件数が付いている。

《住居内需要変化 六件》

《公共交通利用変化 五件》

《公共施設利用変化 四件》

《生活時間帯変化 七件》

《行政窓口利用変化 三件》

合計は七にならない。

一人に複数の変化があるからだった。

Case-04もそうだった。

健康相談。

生活時間調整。

在宅支援。

外出支援。

複数の支援が同時に始まり、その結果として複数の設備需要が変化した。

「全件、生活時間帯は変わってるんですね」

隣の社員が言った。

担当者が答える。

「生活支援が開始されたためです。急落そのものによる変化とは区別してください」

画面にも注意が出る。

《生活時間帯変化は支援実施後に確認されたものです》

《急落事象発生原因を示すものではありません》

「七件に共通してるからって、原因じゃない」

社員が読んだ。

「支援が共通してるなら、変化も似るだろ」

悠真が言う。

「そうですよね」

例えば、通院時間が決まる。

相談窓口へ行く。

在宅支援が入る。

就労時間が調整される。

それだけで、生活の時刻は変わる。

急落前に七人が同じ生活をしていたという意味ではない。

担当者が続ける。

「皆さんには、各地域の需要補正が適切に行われているか確認していただきます」

五人へ担当が割り当てられる。

悠真の画面には、三地域が表示された。

《関東圏 一件》

《中部圏 一件》

《九州圏 一件》

氏名も都市名もない。

Case-04がどれかも表示されていなかった。

「Case-04、分からないんですね」

隣の社員が言った。

「ああ」

「代表資料なのに」

「今日は個別事例を見る仕事じゃないからだろ」

悠真は最初の地域を開いた。

《支援開始前》

《住居内需要 標準範囲》

《公共交通利用 標準範囲》

《地域施設利用 標準範囲》

《支援開始後》

《日中住居需要 増加》

《朝夕交通利用 減少》

《行政・健康関連施設利用 増加》

《補正処理 実施》

《設備運用影響 許容範囲内》

何も壊れていない。

急落事象が起きても、電力網が異常になるわけではない。

地域施設が混乱するわけでもない。

一人の生活が変わった分だけ、需要予測を修正する。

通常支援と同じだった。

《補正内容を確認》

悠真は予測値と実測値を照合した。

差は一・四パーセント。

許容範囲内。

《設備需要補正 適正》

確認を付ける。

二件目。

日中の住居需要はほとんど変化していない。

代わりに公共交通の利用時刻が変わっている。

《支援開始後》

《通勤時間帯 変更》

《地域移動量 総量変化小》

《時間帯配分 変更》

《交通需要補正 実施》

こちらも異常なし。

三件目。

公共施設利用が増えている。

《健康相談利用》

《生活手続き支援》

《地域窓口利用》

すべて通常の行政サービスだった。

設備側から見れば、急落事象である必要すらない。

支援を使う人間が増えた。

利用時刻が変わった。

その差を補正した。

ただ、それだけだった。

「普通ですね」

隣の社員が言った。

悠真は三件目の確認を終えた。

「何が?」

「七件も急落って聞いたから、もっと変な数字が出るのかと思ってました」

「急落したのは区分だろ」

「設備は別?」

「支援後の生活に合わせて変わってるだけだ」

「そうですよね」

社員は少し笑った。

「名前に引っ張られました」

急落事象。

Level-4。

全国七件。

言葉だけなら、大きな異常に見える。

しかし悠真の前にある数字は、

一・四パーセント。

二・一パーセント。

〇・九パーセント。

普段の設備需要検証で見る程度の変動だった。

七人の生活は変わった。

設備は、それに対応した。

社会の側から見れば、大きな問題は起きていない。

十四時二十六分。

五人の確認結果が集まった。

《対象事象 七件》

《設備影響確認 完了》

《重大な設備異常 〇件》

《需要補正不備 〇件》

《追加設備対応 〇件》

《既存設備範囲で対応可能 七件》

「全部、通常運用で吸収できてますね」

参加者の一人が言った。

「はい」

担当者が答える。

「急落事象の調査状況と、設備運用への影響は分けて管理しています」

「設備側では問題なし?」

「現時点の確認では、急落後の生活支援に伴う需要変化はすべて既存の補正手順で対応できています」

「なら、この確認って何のためなんです?」

質問した社員に、責めるような調子はなかった。

単純な疑問だった。

担当者もすぐに答える。

「急落事象だけ別の設備挙動が生じていないことを確認するためです」

「通常支援と同じ?」

「設備影響については、現在のところ同じ手順で扱えます」

画面に結論が表示される。

《設備影響集計》

《通常支援時の補正手順からの逸脱 確認されず》

《追加対応 不要》

悠真は文章を読んだ。

制度は、急落した人間だけを設備上特別扱いしていない。

支援によって生活が変化したなら、その変化を通常どおり予測へ入れる。

設備側から見れば、それで十分だった。

「佐伯さん」

担当者に呼ばれる。

「はい」

「担当三地域、記載修正はありませんね」

「ありません」

「確認をお願いします」

《担当範囲》

《設備需要記載》

《補正結果》

《通常支援手順との対応》

《確認しました》

悠真は押した。

《確認完了》

五人全員の画面が緑へ変わる。

《設備影響集計確認 完了》

作業は予定より九分早く終わった。

「少し休憩してから、十五時三十分に完了確認を行います」

担当者が言った。

席を立つ者もいた。

悠真は画面を閉じようとする。

その前に、集計の先頭がもう一度表示された。

《対象事象 七件》

《発生確認期間 二〇三八年四月十二日から四月二十四日》

《調査区分 Level-4》

《代表管理事例 Case-04》

そこまでは、今日初めて意味のつながった情報だった。

その下に、小さな項目がある。

《共通確認事項》

折り畳まれている。

悠真は指を止めた。

自分の担当は設備需要。

その項目が設備集計に必要なのかは分からない。

ただ、灰色ではない。

閲覧可能な表示だった。

隣の社員も気づいた。

「それ、開けるんですか?」

「みたいですね」

「共通って何でしょう」

悠真は項目名を見た。

《共通確認事項》

その下に補足がある。

《設備影響集計の前提として共有される監査結果》

担当範囲から外れてはいない。

設備集計を成立させるために、全七件で確認された条件らしい。

悠真は開いた。

最初の一行が表示される。

《全事象 重大な通信異常なし》

次。

《全事象 重大な入力欠損なし》

さらに、

《全事象 明確な生活上の急変確認できず》

Case-04で見てきたものと同じだった。

画面の一番下には、まだ一行だけ折り畳まれている。

《再計算確認》

悠真はそこへ指を置いた


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