第10話 説明の範囲 Part3 公開する文章
一週間後の金曜日。
相川市の配置案は、現行案に決まった。
《相川市生活基盤更新計画》
《北部第二蓄電施設》
《採用案 現行配置案》
《決定日 六月二十三日》
《住民向け経過説明 本日公開》
悠真が結果を知ったのは、出勤して業務画面を開いた直後だった。
驚きはなかった。
費用。
工程。
供給安定性。
住民生活への影響。
内部確認前の資料は、すでに一つの方向を示していた。
相川市がその方向を選んだ。
それだけだった。
決定記録を開く。
《判断主体 相川市》
《判断参加》
《地域基盤整備担当》
《予算担当》
《防災担当》
《住民対応担当》
《技術協力 東央商事》
《判断支援案 現行配置案》
《採用結果 現行配置案》
AIの提案どおりだった。
ただし、提案をそのまま承認したという一文だけでは終わっていない。
《採用理由》
《両案とも安全性および環境基準を満たす》
《現行配置案は追加費用を必要としない》
《現行配置案は代替配置案Bより二か月早く運用を開始できる》
《既存送電経路との接続性に優れる》
《眺望への影響は確認されるが、設備影響は事業実施上の許容範囲内》
《対象世帯への説明および生活対応を継続する》
前回修正した表現が使われている。
住民が許容した、とは書かれていない。
事業を実施する側が、影響を許容範囲内と判断した。
そのうえで、説明と対応を続ける。
誰が何を判断したのかは分かる。
「決まりましたね」
隣で岸本が言った。
「ああ」
「やっぱり現行案」
「予想どおりだな」
「B案も、本当に検討されたんですかね」
「判断記録には入ってる」
「入ってるだけじゃなくて」
岸本は自分の画面を操作した。
《比較検討履歴》
《現行配置案》
《代替配置案B》
《追加検討案 〇件》
《確認項目 二十八件》
《判断者閲覧 完了》
「二十八項目も見てるんですね」
「なら、検討したんだろ」
「時間は?」
《内部確認時間 一時間四十七分》
《事前資料閲覧 参加者全員完了》
「ちゃんと長い」
岸本が言った。
「短かったら文句を言うのか?」
「長すぎても、効率悪いって思います」
「面倒だな」
「判断する側は、もっと面倒でしょうね」
悠真は画面を閉じた。
実際にどの意見が会議で重く扱われたのかは分からない。
誰がB案を支持したのかも表示されていない。
ただ、必要な部署が参加し、二つの案を比較し、人間が現行案を選んだ。
制度上の手順に不足は見当たらなかった。
*
九時の部門定例で、相川市の決定が正式に共有された。
「本日十時に、対象十二世帯へ個別通知を行います」
正面の画面に今後の工程が表示される。
《九時三十分》
《住民向け公開文 最終確認》
《十時》
《対象世帯への個別通知》
《十時十五分》
《相川市公開情報へ掲載》
《十三時以降》
《継続説明対象世帯への日程候補提示》
「東央商事では、公開文のうち設備仕様、費用、工程の記載を確認してください」
課長が言った。
「住民意見と採用判断に関する記載は、相川市の責任範囲です」
悠真の予定へ、新しい項目が追加される。
《九時三十分 住民向け公開文確認》
《担当範囲 設備記載》
公開文。
最初から空欄だった、四つ目の文章だった。
本人原文。
個別分類。
事業判断用要約。
住民向け公開文。
同じ十五件の意見をもとに作られる、最後の文章。
「これが出たら、相川は一区切りですか?」
岸本が尋ねた。
「工事はこれからだろ」
「私たちの説明工程です」
「追加対応がなければな」
「何かある予測は?」
「今から見る」
岸本は少し笑った。
「佐伯さん、最近ちゃんと予測を見ますね」
「前から見てる」
「信じるかは別ですけど」
「外れても困らないように使うんだろ」
「便利な言葉ですね」
何度目か分からない言葉だった。
会議は予定どおり終わった。
*
九時三十分。
公開候補が表示された。
《相川市生活基盤更新計画》
《北部第二蓄電施設の配置について》
文章は、内部資料よりずっと短かった。
相川市は、北部第二蓄電施設について、現行配置案を採用しました。
現行配置案および代替配置案Bを、安全性、環境基準、事業費、工期、供給安定性、周辺住民への影響の観点から比較しました。
両案は、いずれも法定の安全基準および環境基準を満たしています。
現行配置案は、既存設備との接続性に優れ、代替配置案Bより二か月早い運用開始が可能です。また、代替配置案Bで必要となる一億四千二百万円の追加費用を生じません。
対象となる十二世帯には、図面、実景合成画像および仮設高さ表示を用いた個別説明を実施しました。
説明を通じて、生活上の影響と住民の皆様のご意見を確認しました。
これらの条件を総合的に検討し、現行配置案による設備影響は事業実施上の許容範囲内であると判断しました。
今後も、対象世帯への説明および必要な生活対応を継続します。
十五件の意見は、文章の中で一文になっていた。
《説明を通じて、生活上の影響と住民の皆様のご意見を確認しました》
誰が現行案を許容したのか。
誰がB案を希望したのか。
誰が判断を保留したのか。
何人が眺望への影響を認めたのか。
それらは書かれていない。
「すっきりしましたね」
岸本が言った。
「ああ」
「すっきりしすぎですか?」
「公開文に個別意見は載せられないだろ」
「名前を出さなくても、件数なら出せますよね」
悠真は公開文の補足資料を開いた。
《公開範囲の判断》
《個別意見件数 非掲載》
《理由》
《少数世帯に関する情報であり、生活条件との組み合わせによって個人または世帯を推測できる可能性がある》
十二世帯しかない。
そのうち、B案を希望したのは三世帯。
判断を保留したのも、さらに少ない。
庭。
仕事部屋。
在宅医療。
将来使う予定の部屋。
理由まで組み合わせれば、近所の人間には誰の意見か推測できる可能性がある。
「個人情報のためか」
「そうみたいです」
「なら載せない方がいい」
「はい」
岸本も否定しなかった。
住民の言葉を守るためには、公開しない方がいい。
原文が保存されていることと、社会全体へ公開されることは別だった。
「でも、これだけ読むと」
岸本が公開文へ戻る。
「十二世帯とも、説明を受けて問題ないってなったようにも見えません?」
悠真は文章を読み直した。
《説明を通じて、生活上の影響と住民の皆様のご意見を確認しました》
問題ないとは書かれていない。
合意したとも、賛同したとも書かれていない。
ただ、意見を確認した。
そのうえで、市が許容範囲内と判断した。
内容としては正確だった。
「市が判断したって、次に書いてある」
「読み飛ばさなければ」
「公開文を全部読まない方が悪いだろ」
「そうなんですけど」
岸本は画面を上下へ動かした。
長い文章ではない。
一分もあれば読める。
それでも、多くの人は最初と最後だけを見るかもしれない。
現行案を採用。
個別説明を実施。
影響は許容範囲内。
必要な情報だけを拾えば、その三つが残る。
「件数は載せなくても、意見が分かれたことは書けませんか?」
岸本が尋ねた。
「例えば?」
「現行案を許容する意見と、B案を希望する意見、判断を保留する意見があった、とか」
「それなら個人は特定されないか」
「たぶん」
悠真は公開文の照会欄を開いた。
《担当範囲外の表現について》
《照会を登録》
《相川市へコメント》
設備記載の確認担当であって、住民意見の公開範囲は担当外だった。
ただし、照会は禁止されていない。
「岸本が出せば?」
悠真が言った。
「佐伯さんが出してください」
「言い出したのは岸本だろ」
「私、正式担当じゃないです」
今日の公開文確認で、岸本に割り当てられているのは眺望影響の技術記載だった。
悠真も住民意見公開の担当ではない。
条件は同じだった。
「同じだろ」
「佐伯さんの方が、今までの照会実績があります」
「そんな実績を使うな」
「関連業務への適合度が高いです」
過去に選んだ設定を、そのまま返された。
悠真は苦笑しながら、照会欄へ入力する。
《個別意見件数を公開しない理由は理解した。ただし、意見が一様ではなかったことを公開文へ記載する必要性はないか確認したい》
送信する。
《相川市へ照会を登録しました》
《公開時刻までに回答可能な場合は反映されます》
「これでいいか?」
「はい」
岸本は満足そうに頷いた。
「何で岸本の仕事みたいになってるんだ」
「共同作業です」
「入力したのは俺だ」
「考えたのは私です」
「責任も半分か?」
「採用されたら」
「見送られたら?」
「佐伯さんの照会です」
「都合いいな」
岸本は笑った。
*
設備記載には誤りがなかった。
安全基準。
追加費用。
運用開始時期。
接続性。
すべて内部資料と一致している。
悠真は担当欄へ確認を付けた。
《設備仕様の記載を確認しました》
《配置案の採用判断および住民意見の公開範囲を承認するものではありません》
岸本も眺望影響の記載を確認する。
《仮設高さ表示および実景合成を用いた説明実施》
《確認済み》
あとは、照会への回答を待つだけだった。
九時五十二分。
画面の隅に、黄色い印が付いた。
《公開文照会》
《回答あり》
悠真が開く。
《照会事項》
《意見が一様ではなかったことを公開文へ記載する必要性》
《回答》
《記載可能》
《個別意見の件数および生活条件を示さない範囲で、複数の意見が表明されたことを追記します》
公開文の一部が変更された。
修正前。
《説明を通じて、生活上の影響と住民の皆様のご意見を確認しました》
修正後。
《説明では、現行配置案を許容する意見、代替配置案Bを希望する意見、現時点では判断を保留する意見が表明されました》
続けて、
《それぞれの意見と生活条件を確認し、設備条件、事業費、工期および供給安定性と併せて検討しました》
と追加されている。
「入った」
悠真が言うと、岸本が画面を覗いた。
「思ったより、はっきり書きましたね」
「件数はないけどな」
「でも、全員が賛成したわけじゃないって分かります」
「最初から、賛成したとは書いてない」
「印象の話です」
「今度は違う印象になったか?」
「少し」
岸本は修正後の全文を読んだ。
「これなら、決めたのは市だって分かります」
意見は分かれた。
市はそれを確認した。
そのうえで現行案を選んだ。
公開文の流れが、少しだけ変わっていた。
《照会対応》
《公開文へ反映》
《公開時刻 変更なし》
照会したことで、公開が遅れることもなかった。
「普通に直りましたね」
岸本が言った。
「何を期待してたんだ」
「担当外ですって返ってくるかと」
「担当外でも、照会はできる」
「最近、それが分かってきました」
「前からできた」
「使わなかっただけ?」
「ああ」
制度は、質問を禁止していない。
修正も拒んでいない。
理由のある照会なら、必要な部署へ届く。
採用できる内容なら、公開直前でも修正される。
今回も、そうなった。
《住民向け公開文》
《最終確認 完了》
《公開準備中》
*
十時。
対象十二世帯へ、個別通知が送られた。
一般公開より十五分早い。
《北部第二蓄電施設の配置を決定しました》
《採用案 現行配置案》
《あなたの世帯から表明された意見》
《個別記録を確認》
《採用理由を確認》
《生活影響への対応を確認》
《追加説明を希望》
本人向け通知には、公開文にはない項目がある。
自分が何を言ったか。
どう分類されたか。
最終判断で、どのように扱われたか。
世帯ごとに確認できるようになっていた。
「個別通知、どこまで見えるんですか?」
岸本が尋ねた。
悠真は匿名化された表示例を開く。
《あなたの意見》
《代替配置案Bを希望》
《主な理由》
《日常的に使用する場所からの眺望影響》
《事業判断での取り扱い》
《眺望影響を軽減する案として検討しました》
《最終判断》
《費用、工程、供給安定性および全対象世帯への影響を総合し、現行配置案を採用しました》
《あなたの意見が否定または変更されたことを意味しません》
《採用案への賛否は、変更せず記録できます》
「かなり書いてありますね」
岸本が言った。
「本人には必要だからな」
「公開文より、ずっと長い」
「自分の意見がどう扱われたか知りたいだろ」
「全員にこれが届く?」
「それぞれ別の文章で」
現行案を許容した人にも。
B案を希望した人にも。
判断を保留した人にも。
本人が表明した内容と、最終判断との関係が表示される。
本人の意見が採用されなかった場合でも、意見が消えたわけではないと説明される。
制度は、違う意見を隠していない。
ただし、本人に見せる文章と、社会へ見せる文章を分けていた。
「これなら、問題ないですね」
岸本が言った。
「ああ」
「少なくとも、本人には」
「公開文も間違ってない」
「はい」
岸本は少し笑った。
「また分かってますって言いそうになりました」
「言ってるぞ」
「本当ですね」
*
十時十五分。
相川市の公開情報へ、文章が掲載された。
《北部第二蓄電施設の配置について》
《公開済み》
同時に、住民向けの概要画面が作られる。
《採用案 現行配置案》
《安全基準 適合》
《運用開始予定 二〇三九年三月》
《対象世帯への説明 実施済み》
《今後の対応 継続説明》
短い概要だった。
詳細を開けば、さきほど確認した全文を読める。
一般の市民が最初に見るのは、こちらの画面だろう。
意見が分かれたことは、概要には表示されていない。
「詳細を開かないと分からないですね」
岸本が言った。
「概要だからな」
「詳細は、どれくらい読まれるんでしょう」
公開後の閲覧予測がある。
《概要閲覧予測 対象地域住民の七十一・二パーセント》
《詳細文閲覧予測 二十八・六パーセント》
《技術資料閲覧予測 三・四パーセント》
「三割弱」
悠真が言った。
「思ったより多いです」
「自分の近所に建つ設備だからな」
「概要だけの人には、意見が分かれたことは伝わらない」
「必要なら詳細を見る」
「必要だと思わなかったら?」
「概要で足りるってことだろ」
「その人にとっては」
「ああ」
全員が同じ量の情報を必要としているわけではない。
設備が安全で、いつ完成し、生活へ大きな支障がないなら、それ以上を知ろうとしない人もいる。
誰かがB案を望んだことまで、地域住民全員が知る必要はない。
それでも、知りたい人が開けば読める。
情報は消されていない。
必要性に応じて、段階が付けられている。
概要。
公開文。
技術資料。
対象世帯への個別通知。
本人原文。
奥へ進むほど詳しくなる。
そして、詳しくなるほど、見られる人は少なくなる。
*
十一時を過ぎると、対象世帯から通知への反応が入り始めた。
個人の返信内容は東央商事には表示されない。
集計だけが共有される。
《個別通知 送信十二世帯》
《閲覧済み 九世帯》
《追加説明希望 二世帯》
《採用案への意見変更 一件》
《意見維持 六件》
《未回答 三件》
意見変更の内容までは見えない。
現行案へ変えたのか。
判断保留へ変えたのか。
逆に、現行案を許容していた人が別の意見へ変えた可能性もある。
「変更、一件出ましたね」
岸本が言った。
「採用案を見て考え直したんだろ」
「どっちに?」
「表示されてない」
「気になります?」
「担当外だ」
「前なら、それで終わってました?」
悠真は岸本を見る。
「何だよ」
「いえ」
岸本は少し笑った。
「照会します?」
「しない」
「即答ですね」
「設備側で知る必要がない」
「本人の意見がどう変わったか、気にならないんですか?」
「少しはな」
「なら」
「気になるだけじゃ、見る理由にならないだろ」
原文を再び見るために閲覧理由を入力した。
代表指定の意味を業務上の理由として照会した。
今回の意見変更は、設備記載へ影響しない。
配置案も決まっている。
追加説明は相川市が行う。
悠真が確認する仕事はない。
「今回は、ちゃんと気になるだけですね」
岸本が言った。
「ああ」
「じゃあ、見ない」
「そういうことだ」
制度に止められたわけではない。
申請欄を開いてもいない。
悠真自身が、必要ではないと判断した。
*
午後、設備保守契約の更新作業を終えると、相川市案件の表示が業務一覧から移動した。
《相川市生活基盤更新計画》
《住民説明工程 完了》
《設備配置 確定》
《次工程 詳細設計》
《国内計画課の継続担当 あり》
案件そのものは続く。
これから詳細設計。
契約。
工事。
運用準備。
悠真の担当業務も残っている。
ただ、住民意見を確認する工程は終わった。
《意見記録への通常閲覧権限》
《本日十八時に終了》
《今後は、設備設計へ必要な要約情報のみ表示されます》
原文は残る。
個別分類も残る。
本人向け通知も、公開文も残る。
だが、悠真が次の工程で見るのは、設備設計に必要な条件だけになる。
《設計条件へ反映》
《眺望配慮 外装反射率を低減》
《夜間照明 住宅側への漏光を抑制》
《工事車両経路 対象住宅前を回避》
《継続説明対象世帯 相川市が対応》
住民の言葉は、設計条件へ変わっていた。
庭から大きく見える。
窓から設備上部が見える。
夜間に光が入るかもしれない。
工事車両が家の前を通るのは困る。
個別の文章は表示されない。
代わりに、設備へ反映すべき条件が残っている。
「次は、これを見るんですね」
岸本が言った。
「ああ」
「誰が何を言ったかじゃなくて、何を作るか」
「工程が変わったからな」
「言葉が、設備になる」
悠真は設計条件を見た。
原文がそのまま壁の色を決めるわけではない。
分類。
要約。
判断。
設計条件。
いくつもの変換を通って、最終的に設備へ反映される。
どの段階も、目的に合わせて整理されている。
誰かが勝手に削除したわけではない。
それでも、完成した設備だけを見ても、元の言葉は分からないだろう。
物干し場。
窓際の椅子。
亡くなった妻が使っていた医療機器。
毎日仕事をする部屋。
模型のように、そこへ理由を書いておくことはできない。
「工事が終わったら、住民の人は覚えてるんですかね」
岸本が尋ねた。
「何を?」
「自分の言葉が、どこに使われたか」
「個別通知には残ってる」
「外壁の反射率を見て、自分の意見のおかげだって思うでしょうか」
「一人の意見だけで決まったとは限らない」
「そうですよね」
岸本は設計条件へ確認を付けた。
《次工程への引き継ぎ内容を確認しました》
悠真も確認する。
《意見原文を承認するものではありません》
《配置案判断を承認するものではありません》
《設計条件への反映項目を確認しました》
画面が閉じた。
*
十七時四十八分。
住民意見原文への閲覧権限終了まで、あと十二分だった。
悠真は意見一覧を開いた。
今なら、まだ十五件すべてを見ることができる。
最初の先行訪問。
《現物を見ないと、生活への影響は判断できない》
確認後。
《現物の大きさは理解できたが、費用を含む事業判断までは自分たちにはできない》
物干し場。
《物干し場から一部見えるが、生活上は支障がない》
停電を経験した男性。
《眺望への影響はある。ただし、供給安定性と早期運用を優先したい》
仕事部屋。
《毎日使用する部屋から設備全体が見えるため、代替配置案Bを希望》
庭。
《仮設表示を見たら、思っていたより庭から大きく見えた。毎日使う場所なのでB案にしてほしい》
同じ家の夫婦。
同じ部屋。
別の席。
違う意見。
十五件を最初から最後まで読む。
これが最後とは限らない。
業務上必要になれば、申請して再び開くことはできる。
ただ、通常の仕事の中で一覧を見るのは、今日までだった。
「見ておくんですか?」
岸本が尋ねた。
「ああ」
「仕事で?」
「引き継ぎ前の確認」
「ちゃんと仕事の理由ですね」
「実際そうだ」
岸本は自分の画面を開かなかった。
「岸本は見ないのか?」
「私の担当分は、昼に確認しました」
「もう一度見なくていい?」
「覚えてるので」
「正確な文言は?」
「忘れたら、必要な時に申請します」
前に岸本が言ったことと同じだった。
必要になったら、また聞けばいい。
今は覚えている。
それで困らない。
「佐伯さんは、覚えてても見ますよね」
「ああ」
「何でです?」
「覚えてる言葉と、書いてある言葉が同じか確認したい」
「違ってたら?」
「書いてある方が正しい」
「本人の原文だから?」
「ああ」
悠真の記憶も、要約の一つにすぎない。
物干し場から見えるが、困らない。
そう覚えていても、本人が書いた言葉の順番や強さは違うかもしれない。
記録された原文が、本人の確認した文章だった。
悠真は最後の一件まで読み、一覧を閉じた。
《意見原文 閲覧済み》
《追加対応 なし》
十八時。
通知が届く。
《住民意見原文への通常閲覧権限を終了しました》
《次工程に必要な情報は、設計条件として引き継がれています》
一覧から《本人原文》が消える。
残ったのは、設計条件だった。
《外装反射率》
《漏光抑制》
《工事車両経路》
《継続説明》
元の言葉は見えなくなった。
代わりに、設備を作るための文章が表示されている。
失われたわけではない。
必要な場所へ移った。
悠真はそう理解した。
*
帰宅すると、蓮と蒼が恐竜の比較表示を開いていた。
食卓の上に、複数の恐竜と建物が並んでいる。
二十六・四メートルの線も残っていた。
「まだそれ見てるのか」
「今日は速さ」
蒼が言った。
「高さじゃないのか?」
「蓮がどれが一番速いか聞いたから」
「いちばん、これ」
蓮が小さな恐竜を指した。
高さでは目立たなかった種類だった。
表示条件が変わると、並び順も変わる。
「同じ恐竜でも、比べるものが違うと一番が変わるんだな」
悠真が言うと、蒼が顔を上げた。
「当たり前じゃん」
「そうだな」
「高さと速さを一緒にしたら変でしょ」
「それもそうだ」
陽菜は机の反対側で、模型の店に紙を貼っていた。
「今度は何だ?」
「お知らせ」
「何の?」
「道が二つありますって書くの」
模型の店の前に、小さな掲示板が増えている。
陽菜が貼った紙には、
《近い道》
《広い道》
とだけ書かれていた。
「どっちがおすすめか書かないのか?」
悠真が尋ねる。
「人によるから」
「近い方が早いだろ」
「広い方は人がいても歩きやすい」
「じゃあ、それも書いた方がいいんじゃないか?」
陽菜は掲示板を見る。
「小さくて書けない」
「大きくしたら?」
「お店が見えなくなる」
「別の紙にする?」
「読まない人もいるよ」
「じゃあ、どうするんだ?」
陽菜は少し考えた。
模型の横へ、もう一枚の紙を置いた。
「知りたい人だけ、こっちを見る」
最初の掲示板には、二つの道があることだけを書く。
別の紙には、
近い方が早いこと。
広い方は歩きやすいこと。
途中に何があるか。
細かい説明を書くつもりらしい。
「二つ作るのか」
「うん」
「どっちが本当なんだ?」
「どっちも」
陽菜は迷わず答えた。
悠真は模型の掲示板を見た。
概要。
詳細。
個別の理由。
用途に合わせて、文章を分ける。
今日、相川市が公開したものとよく似ていた。
「でも、こっちを見ない人は、違いが分からないな」
悠真が言うと、陽菜は紙を切りながら答えた。
「知りたくなったら見るでしょ」
「知りたいと思わなかったら?」
「どっちかに行く」
「説明を見ないで?」
「道はあるから」
陽菜は二つの道の分かれ目へ、小さな人形を置いた。
以前と同じ場所だった。
まだ、どちらにも進ませない。
「今日は決めないのか?」
「この人が決めるから」
「模型の人が?」
「うん」
「陽菜が動かすんだろ」
「でも、この人が行きたい方」
悠真は笑った。
「分かるのか?」
「考える」
家庭用端末が夕食の時刻を知らせた。
『食事の用意が整いました』
美咲が台所から顔を出す。
「先に片付けて。今日は熱いうちに食べて」
「はーい」
陽菜は人形を分かれ目に置いたまま、説明用の紙だけを脇へ寄せた。
二つの道は残っている。
詳しい説明を読むかどうかも、まだ決まっていない。
*
その夜。
悠真の生活端末に、新しい業務提案が届いた。
《業務経験に基づく担当候補》
《資料分類・説明条件確認支援》
《依頼元 基盤運用統括室》
《期間 六月二十八日から三営業日》
《担当範囲 設備需要記載および説明区分》
《選定理由》
《外部検証資料の確認経験》
《原文・分類・要約の照合経験》
《自治体向け公開文の照会経験》
今回の相川市案件で行った修正と照会も、経験として追加されていた。
画面の下に選択肢が並ぶ。
《担当を受諾》
《日程変更を希望》
《今回は見送る》
《詳細を確認》
悠真は《詳細を確認》を選んだ。
《対象資料》
《生活支援区分の変更事例》
《通常事例および要因未確認事例を含む》
《個人情報 匿名化》
《N-Index詳細推移 担当範囲外》
《予定件数 七件》
悠真の指が止まった。
七件。
Case-04以外の管理表記は表示されていない。
同じ原因だとも、同じ種類の急落だとも書かれていない。
ただ、要因未確認事例を含む七件の資料が、次の確認対象になっている。
《担当を受諾しますか》
悠真は画面を見た。
今回は、空いた席に入るだけではなかった。
これまでに確認した資料。
修正した要約。
出した照会。
本人が《反映する》と選んだ経験。
それらを理由に、候補へ入っている。
拒否することもできる。
日程を変えることもできる。
提案は、まだ提案のままだった。
悠真はすぐには選ばず、端末を伏せた。
明日の予定には入っていない。
今夜決める必要もない。
それでも、画面を閉じる前に見た数字だけは残った。
七件。
第10話 完




