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静国 -Silent Dominion-  作者: はやぽん


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32/85

第10話 説明の範囲 Part1 四つの文章


金曜日の朝、悠真の予定に外部検証資料はなかった。

《九時 部門定例》

《十時三十分 相川市意見記録照合》

《十三時三十分 事業判断資料確認》

《十五時 設備保守契約更新》

昨日まで表示されていた灰色の枠も、Case-04の名前もない。

予定だけを見れば、通常業務へ戻った一日だった。

「本当に終わったんだ」

朝食の席で、美咲が言った。

「何が?」

「昨日までの仕事。今日は出てない」

悠真は家庭用端末に表示された自分の予定を見る。

家族へ共有されているのは、会議名と帰宅予測時刻だけだった。

《帰宅予測 十九時二分》

外部検証資料の確認内容も、Case-04という管理表記も表示されていない。

「担当は昨日で終わった」

「今日から、いつもの仕事?」

「相川が残ってる」

「橙色の線のところ?」

陽菜が尋ねる。

「ああ。昨日で全部の家を回ったから、今日は記録をまとめる」

「どっちにするか決めるの?」

「今日はまだ決めない」

「じゃあ、何をまとめるの?」

「みんなが何て言ったか」

陽菜はパンを持ったまま少し考えた。

「そのまま書けばいいじゃん」

「そのままの記録も残すよ」

「ほかにも書くの?」

「似た意見をまとめたり、何を理由にした人が多かったか整理したりする」

「違うこと言ってたら?」

「違うまま残す」

「じゃあ、まとめなくてもいいんじゃない?」

悠真は答えようとして、少し迷った。

十二世帯。

個別意見は十五件。

原文をすべて読めば、それぞれの生活条件まで分かる。

だが、事業判断を行う担当者が、毎回すべての訪問記録を最初から読み直すわけではない。

費用。

工程。

安全性。

供給安定性。

住民への影響。

別の条件と並べるためには、ある程度整理された情報が必要になる。

「全部そのままだと、決める人が読みにくいんだよ」

「読めばいいじゃん」

「仕事には時間があるからな」

「大事なことでも?」

「大事なことだから、分かりやすくするんだよ」

陽菜はまだ納得していないようだった。

「分かりやすくしたら、違わなくなる?」

「何が?」

「違う人の言ったこと」

「ならないように確認する」

悠真が答えると、美咲が味噌汁を置いた。

「それを今日やるんでしょ」

「ああ」

「じゃあ、パパがちゃんと読めば大丈夫だね」

陽菜が言った。

「俺一人で決めるわけじゃないぞ」

「でも読むんでしょ?」

「自分が担当したところはな」

陽菜はそれで納得したのか、パンを食べ始めた。

食卓の反対側では、蓮が牛乳の入ったコップを両手で持っている。

「パパ、きょうはきょうりゅうないの?」

「仕事に恐竜は出ない」

「きのうは?」

「昨日も出てない」

「おうちででた」

「あれは仕事じゃない」

蓮は少し考えたあと、蒼へ顔を向けた。

「きょうもだして」

「帰ってからね」

蒼が答える。

家庭用端末がすぐに反応した。

『恐竜比較表示を、本日十九時十五分以降の候補として保持します』

「確定しなくていいからね」

蒼が言う。

『候補のみ保持します』

「もう使い方、分かってるな」

悠真が言うと、蒼は画面を見たまま答えた。

「候補と予定は違うんでしょ」

「ああ」

「学校でも言われるよ。提案されたことと、決めたことは分けて書けって」

「いいことだな」

「父さんの仕事も?」

「似たようなもんだ」

悠真はコーヒーを飲み終えた。

提案。

本人の選択。

担当者による分類。

会議用の要約。

最終的な判断。

同じ出来事から作られても、それぞれ別のものだった。

「行ってきます」

「いってらっしゃい」

玄関へ向かう途中、生活端末が振動した。

《相川市意見記録照合》

《担当範囲が更新されました》

悠真は通知を開く。

《確認対象》

《本人原文》

《個別分類》

《説明方法》

《事業判断用要約》

《確認対象外》

《配置案の採用判断》

《住民向け公開文》

昨日までの訪問記録とは、確認する範囲が変わっていた。

悠真が見るのは、原文と分類と要約の対応。

配置案を決めるのは相川市。

最終的に住民へ何を説明するかも、相川市が決定する。

《担当範囲を確認しましたか》

《確認した》

《照会》

悠真は《確認した》を選んだ。

自分が何を確認するのかは、はっきりしている。

少なくとも、画面にはそう書かれていた。

九時の部門定例では、相川市案件の工程だけが短く共有された。

《対象十二世帯への訪問説明 完了》

《原文保存 完了》

《分類確認 完了》

《確認方法記録 完了》

《本日 事業判断資料作成》

《六月二十三日 配置案内部確認》

仮設表示は、今日の夕方に撤去される予定だった。

追加の現地確認を希望した世帯はない。

設備の高さを示していた二本の橙色の帯は、役割を終える。

「東央商事側には、午前中に記録照合をお願いします」

課長が言った。

「午後の事業判断資料確認では、設備条件と住民意見要約の対応を確認してください」

「最終案の推奨まで行いますか?」

別の社員が尋ねた。

「行いません。技術条件の優劣は提示しますが、採用判断は相川市です」

画面に責任分界が表示される。

《東央商事》

《設備仕様》

《費用・工程》

《供給安定性》

《住民生活への設備影響》

《相川市》

《住民意見の取り扱い》

《地域条件》

《予算判断》

《配置案の採用》

《住民向け説明》

「住民意見の要約は、相川市が作るんですか?」

悠真が尋ねた。

「一次要約は記録システムが生成します」

課長が答える。

「相川市が内容を確認し、東央商事は設備条件に関する表現だけを照合します」

「本人原文との対応は?」

「午前中の記録照合で確認します。原文と分類の不一致、または分類と要約の不一致があれば、相川市へ返してください」

「要約そのものを修正する権限は?」

「ありません。修正提案を記録してください」

悠真は頷いた。

住民の言葉を東央商事が決めるわけではない。

だが、設備に関する事実が誤って要約されていれば、指摘する責任はある。

「公開文は、午後の資料に含まれますか?」

「現時点では含まれません」

課長が答える。

「配置案が決まっていないため、住民向け文書はまだ作成されていません。公開範囲は相川市が判断します」

同じ記録を使っても、すべてを全員へ見せるわけではない。

社内で必要な情報。

自治体が判断に使う情報。

本人へ返す情報。

住民全体へ公開する情報。

対象が違えば、説明する範囲も変わる。

「ほかに質問は?」

誰も手を挙げなかった。

《部門定例》

《議題確認 完了》

会議は予定より五分早く終わった。

十時三十分。

悠真と岸本の画面に、相川市の意見記録が表示された。

《相川市生活基盤更新計画》

《意見記録照合》

《対象 十二世帯・個別意見十五件》

《担当 佐伯悠真・岸本遥》

二人で分担し、悠真が八件、岸本が七件を確認する。

表示画面は四つに分かれていた。

《本人原文》

《個別分類》

《事業判断用要約》

《公開候補》

最後の《公開候補》だけは薄い灰色になっている。

《配置案決定後に作成されます》

今はまだ内容がない。

「四つもあるんですね」

岸本が言った。

「原文、分類、要約、公開文」

「公開文はまだない」

「同じ話から、最終的に四つできるってことでしょう?」

「用途が違うからな」

「どれが本物なんですか?」

「全部だろ」

「全部、同じじゃないですけど」

悠真は最初の記録を開いた。

仮設表示を見たあとも、判断保留を維持した世帯だった。

《本人原文》

《現物の大きさは理解できたが、費用を含む事業判断までは自分たちにはできない》

《個別分類》

《判断保留》

《事業判断用要約》

《設備規模は理解済み》

《配置案に関する明確な希望なし》

悠真は二つを読み比べた。

「意味は合ってる」

「後ろ半分、少し違いません?」

岸本が言った。

「何が?」

「本人は、希望がないって言ってないです」

「決められないと言ってる」

「それを、希望なしにしていいんですか?」

悠真は要約をもう一度読む。

《配置案に関する明確な希望なし》

現行案を望んでいない。

B案を望んでもいない。

選択肢としては、明確な希望がない状態になる。

分類上は間違っていない。

しかし、本人は無関心だったわけではない。

現物を見た。

大きさも理解した。

そのうえで、費用まで含めた判断は自分たちにはできないと答えている。

「分類としては合ってる」

悠真が言う。

「要約としては?」

「判断を保留した理由が消えてるな」

修正提案欄を開く。

《修正対象》

《本人原文》

《個別分類》

《事業判断用要約》

悠真は《事業判断用要約》を選んだ。

《修正理由》

《原文との意味差》

《分類との不一致》

《設備条件の誤り》

《情報不足》

《その他》

《原文との意味差》へ触れる。

入力候補が表示された。

《判断保留理由を追記》

《本人の条件付き意見を追記》

《分類表現を修正》

悠真は《判断保留理由を追記》を選んだ。

画面に修正文が生成される。

《設備規模は理解済み》

《費用を含む事業判断の範囲を本人が判断できないため、配置案への意見を保留》

「近くなりましたね」

岸本が言った。

「ああ」

《修正提案を送信しますか》

《送信》

《原文を確認》

《自由記述》

悠真は《送信》を選びかけ、指を止めた。

「どうしました?」

「本人は、『範囲を判断できない』とは言ってない」

「自分たちにはできない、ですよね」

「少し硬いな」

《自由記述》を開く。

生成された文章を消し、自分で入力する。

《設備規模は理解済み。費用を含む事業判断までは自分たちにはできないとして、配置案への意見を保留》

読み直す。

本人の言葉をそのまま写したわけではない。

要約である以上、短くはなっている。

それでも、なぜ保留したのかは残っている。

《修正提案を送信しました》

《相川市担当者が確認します》

「佐伯さん、最近、自由記述増えましたね」

岸本が言った。

「候補が違っただけだ」

「前なら、一番近いのを選んでませんでした?」

「前っていつだよ」

「相川の原文を初めて直した頃です」

「最近じゃないか」

岸本は笑い、自分の担当記録を開いた。

次は、物干し場から設備の一部が見える女性の意見だった。

《本人原文》

《物干し場から一部見えるが、生活上は支障がない》

《個別分類》

《現行配置案を許容》

《事業判断用要約》

《主要生活空間への眺望影響なし》

悠真はすぐに修正提案を開いた。

「これは違いますね」

岸本も画面を見て言った。

「ああ」

主要生活空間から見えないことは事実だった。

だが、本人が言ったのは、見えないから問題ない、ではない。

見える場所がある。

そのうえで、生活上の支障はないと判断している。

《修正理由 原文との意味差》

自由記述欄へ入力する。

《物干し場から設備の一部を確認できるが、使用頻度が低く、生活上の支障はないとして現行案を許容》

《修正提案を送信しました》

仮設表示を確認した訪問時に、本人自身が直した文章だった。

最初に表示された候補は、

《主要生活空間から見えない》

本人はそれを消した。

《物干し場から一部見えるが、生活上は支障がない》

そう入力し直した。

原文には残っている。

分類も正しい。

それでも、要約を作る段階で、最初の候補に近い表現へ戻っていた。

「消した言葉に戻ってますね」

岸本が言った。

「完全に同じじゃない」

「でも、見えない方へ寄ってる」

「ああ」

「どうしてですかね」

「主要理由をまとめたからだろ」

集約処理の根拠を開く。

《要約生成根拠》

《主要生活空間からの眺望》

《滞在時間》

《生活支障評価》

《分類 現行配置案を許容》

必要な情報はすべて使われていた。

物干し場から見えることが無視されたわけではない。

ただ、事業判断用の要約では、主要生活空間への影響が優先された。

システムに悪意はない。

事業判断に使いやすい形へ、重要度を整理しただけだった。

「事業判断なら、主要生活空間を見るのは正しい」

悠真が言った。

「はい」

「物干し場に一日中いるわけじゃない」

「十分くらいでしたね」

「だから影響は小さい」

「でも、見えるって言ったことも本当です」

「ああ」

両方とも正しかった。

主要生活空間への影響はない。

物干し場からは一部見える。

生活上の支障はない。

どの範囲まで説明するかによって、文章は変わる。

三件目は、停電時の経験から早期運用を選んだ男性だった。

《本人原文》

《眺望への影響はある。ただし、供給安定性と早期運用を優先したい》

《個別分類》

《現行配置案を許容》

《補足分類》

《眺望影響あり》

《事業判断用要約》

《供給安定性と早期運用を優先し、現行案を希望》

今回は、意味の差は小さかった。

眺望への影響も、補足分類として残っている。

要約では本文から外れているが、判断資料上では別の項目へ表示される。

《生活上の懸念》

《眺望への影響あり》

《優先条件》

《供給安定性》

《早期運用》

「これは大丈夫そうですね」

岸本が言った。

「ああ」

悠真は《原文と分類の対応を確認しました》を選んだ。

続いて、確認方法が表示される。

《現地確認》

《仮設高さ表示》

《実景合成画像》

《説明内容 確認済み》

《記録照合 完了》

今回は修正するものがなかった。

すべての意見が要約で失われるわけではない。

分類と補足項目を使えば、短くしても条件を残せる。

制度は、そのための構造を持っていた。

問題があるとすれば、どの情報を本文へ残し、どの情報を補足へ移すかだった。

正午前、担当した八件の照合が終わった。

《担当記録 八件》

《対応確認済み 八件》

《修正提案 二件》

《設備条件照会 〇件》

《未処理 〇件》

岸本側では、七件中一件の修正提案が出ていた。

「何でした?」

悠真が尋ねる。

「庭からの眺望変化が大きいからB案を希望した方です」

岸本が画面を見せる。

《本人原文》

《仮設表示を見たら、思っていたより庭から大きく見えた。毎日使う場所なのでB案にしてほしい》

《事業判断用要約》

《眺望影響を理由に代替配置案Bを希望》

「意味は合ってるだろ」

「合ってます」

「何を直した?」

「毎日使う庭だってことを足しました」

修正案を見る。

《日常的に使用する庭からの眺望影響を理由に、代替配置案Bを希望》

「そこ、大事ですか?」

岸本が自分で尋ねた。

「自分で直したんだろ」

「直したあとに、細かすぎたかなって」

「毎日使うなら、生活条件だろ」

「ですよね」

「気になったなら残せばいい」

「佐伯さんに言われると安心します」

「俺が決めるわけじゃない」

「それ、最近よく言いますね」

「実際そうだからな」

岸本は修正提案を確定した。

《修正提案を送信しました》

二人の確認結果が、相川市へ送られる。

《東央商事による記録照合》

《完了》

《原文変更 〇件》

《分類変更 〇件》

《要約修正提案 三件》

《最終確定 相川市》

原文は変えていない。

分類も変えていない。

要約だけに三件の修正を提案した。

相川市が採用するかは、これから確認される。

「全部載せたら、要約じゃなくなりますね」

岸本が言った。

「ああ」

「でも削ると、違うものになる」

「全部が違うわけじゃない」

「どこまでなら同じなんでしょう」

悠真は画面を見る。

《本人原文》

《個別分類》

《事業判断用要約》

《公開候補》

四つの欄。

今は三つまで埋まっている。

同じ発言から作られた文章でも、使う相手と目的が違う。

だから表現も違う。

「目的に必要な範囲までじゃないか」

悠真が答えた。

「それを誰が決めるんです?」

「その文章を使う部署だろ」

「本人じゃなくて?」

「本人は原文を確認してる」

「要約は?」

「事業判断用だから、本人が作るものじゃない」

岸本は少し考えたあと、頷いた。

「そうですよね」

納得していないようには見えなかった。

制度としては自然だった。

本人の言葉は本人のものとして保存する。

分類は手続きを進めるために作る。

要約は判断者が読める形へ整える。

公開文は、住民全体へ必要な情報を示す。

すべてを同じ文章にする必要はない。

むしろ、同じにする方が無理がある。

昼休みを知らせる通知が届いた。

《次の予定》

《十三時三十分 事業判断資料確認》

《要約修正の反映状況は、会議開始時に表示されます》

悠真は画面を閉じた。

午後には、十五件の原文ではなく、整理された判断資料が表示される。

自分が修正を提案した三件が、そこへどう残るか。

今度は、それを確認する仕事だった。


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