第9話 比較対象 Part2 照会中
三件目の資料は、生活時間帯調整に関するものだった。
《資料三》
《生活時間帯調整後の地域需要変化》
《対象地域 相川市東部二区》
《対象世帯 四百八十二世帯》
《比較対象 Case-04》
見覚えのある数字だった。
相川市の生活基盤更新計画。
設備更新後、一部の世帯へ入浴、調理、空調利用の時間帯変更が提案される。
その対象世帯数が、四百八十二だった。
悠真は資料を開いた。
《調整前》
《夕方需要集中 高》
《十八時から二十時の使用率 上限接近》
《夜間余力 大》
《調整後予測》
《対象世帯への個別提案》
《受容予測 九十六・一パーセント》
《夕方需要集中 緩和》
《夜間需要 分散》
まだ実施前の計画だった。
住民への提案も、設備配置が決まった後に始まる。
表示されているのは、過去の類似地域を使った予測だった。
《類似地域実績》
《提案対象世帯 五百六十世帯》
《受諾 五百二十二世帯》
《変更 十六世帯》
《見送り 二十二世帯》
《実施後》
《夕方最大需要 マイナス四・八パーセント》
《夜間需要 プラス二・一パーセント》
《設備安全余裕 改善》
一斉に同じ時間へ移したわけではない。
家族構成。
勤務時間。
入浴習慣。
調理時間。
医療機器の利用。
それぞれに合わせて、複数の候補を提示している。
本人が変更した世帯もある。
見送った世帯もある。
その結果を含めても、需要集中は緩和されていた。
《変動要因》
《生活時間帯提案の受諾》
《本人による変更案選択》
《見送り世帯を含む地域需要再計算》
《関連性 高》
《設備需要補正 適正》
資料として不自然なところはなかった。
相川市で行おうとしていることが、別の地域ですでに実施されている。
制度によって生活が一つに揃うというより、それぞれの時間を少しずつ動かすことで、全体の集中を減らしていた。
悠真は比較欄を開いた。
《比較対象 Case-04》
《共通項目》
《支援・提案後の生活時間変更》
《住居需要の時間帯移動》
《設備需要補正》
《相違項目》
《本事例は本人ごとの選択理由を確認可能》
《需要変動は提案受諾と一致》
《区分急落なし》
《急落事象との関連 なし》
ここでも、比較されているのは支援後の行動変化だった。
Case-04でも、区分変更後に生活時間が変わっている。
通常事例では、提案された時間帯を本人が選び、その結果として需要が動いた。
Case-04でも、支援を利用した結果として需要が動いている。
違うのは、その前にある理由だった。
悠真は設備需要記載を確認する。
四百八十二世帯。
受容予測九十六・一パーセント。
類似地域の実績。
見送り世帯を含む再計算。
数字のつながりに問題はない。
《記載内容を確認しました》
確認を付ける。
三件すべての担当欄が完了した。
《資料一 完了》
《資料二 完了》
《資料三 完了》
《照会事項 一件》
《Case-04代表指定理由 回答待ち》
作業完了確認までは、まだ二十分ほどある。
悠真は照会欄を開いた。
《受付済み》
《基盤運用統括室 確認中》
《必要に応じて監査局へ転送》
回答予定時刻は表示されていない。
「終わりました?」
隣の社員が尋ねた。
「資料は」
「照会?」
画面の端に表示された印を見たらしい。
「代表指定の理由です」
「Case-04の?」
「はい」
社員は自分の画面を見た。
「自分の資料にも出てました」
「何件ですか」
「二件です。医療施設と交通需要」
「全部、同じ比較対象ですか?」
「そうですね」
向かい側の参加者も顔を上げた。
「こちらも三件ともCase-04でした」
四人の担当資料は別々だった。
それでも、共通比較資料は同じだった。
悠真は壁面の作業集計を見る。
《本日の確認資料 十一件》
《代表比較資料 Case-04》
《参照回数 十一件》
一日だけで十一件。
健康。
就労。
生活時間帯。
医療施設。
交通。
それぞれ異なる事例が、同じ一件を参照している。
「代表って、そういう意味なんですかね」
隣の社員が言った。
「何がです?」
「一番分かりやすい事例」
「理由は分からない事例ですよ」
「急落の理由じゃなくて、支援後の変化が分かりやすい」
昨日、基盤運用統括室の担当者も同じことを説明していた。
Case-04は、区分変更後の支援記録と設備需要変化が整理されている。
原因ではなく、形式の代表。
それなら筋は通る。
「でも、通常事例を代表にしてもいいですよね」
悠真が言うと、社員は少し考えた。
「通常事例は、支援の種類ごとに違うからじゃないですか」
「Case-04も、支援内容は一つじゃないはずです」
「だから、全部入ってるとか」
「全部?」
「健康も、就労も、生活調整も」
社員は自分の画面を指した。
「一件の中に複数の支援があれば、どの資料にも比較できる」
悠真はCase-04の参照項目を見る。
在宅率。
住居電力。
公共交通。
地域施設。
生活時間。
複数の設備需要が変化している。
一つの支援だけで説明される事例ではない。
だから、多くの資料で共通に使える。
代表にする理由としては、合理的だった。
「それなら、回答も同じかもしれませんね」
隣の社員が言った。
「複数支援を含み、形式が整理されているから」
「たぶん」
「照会、取り下げます?」
「その必要はないでしょう」
悠真は答えた。
推測で納得できることと、正式な理由を確認することは別だった。
照会を出したから作業が止まるわけでもない。
回答できなければ、回答できないと残る。
社員は頷き、自分の資料へ戻った。
*
十四時二十一分。
照会欄の表示が変わった。
《回答準備中》
《監査局へ転送されました》
悠真は画面を開く。
《照会内容》
《Case-04が代表比較資料として指定されている理由を確認したい》
《転送理由》
《代表指定は急落事象調査資料の管理事項に含まれます》
監査局。
限定資料で、Case-04の調査主管として表示されていた部署だった。
設備需要の確認とは別の組織。
回答が返るとしても、共有できる範囲だけになる。
「監査局まで行ったんですか」
隣の社員が言った。
「代表指定がそっちの管理らしいです」
「大ごとになりません?」
「照会が転送されただけです」
「そうですけど」
社員は少し笑った。
「自分なら、そこまで聞かないです」
「業務で使う比較資料ですよ」
「設備の記載が合ってれば、困らないでしょう」
「困ってはいません」
「気になるだけ?」
前に岸本に言われたことと同じだった。
業務上必要なのか。
ただ気になるだけなのか。
今回は、少なくとも担当資料の比較方法に関係している。
完全に私的な興味ではない。
「代表指定の意味を間違えると、比較の仕方も変わるので」
悠真が答えると、社員は納得したように頷いた。
「ちゃんと仕事の理由ですね」
「仕事ですから」
「佐伯さんらしい」
岸本と似たことを言われた。
悠真は画面へ視線を戻した。
*
十四時三十四分。
回答が届いた。
《所管照会回答》
《回答元 監査局》
《照会事項 Case-04の代表比較資料指定理由》
悠真は開く。
《Case-04は、急落事象調査における代表管理事例です》
《代表指定理由》
《一 変更前後の行政・生活・設備記録が連続して保存されている》
《二 通信障害、入力欠損、重大な記録不備が確認されていない》
《三 再計算結果が一致している》
《四 区分変更後に複数の通常支援が実施され、支援後の生活行動変化を確認できる》
《五 関係機関向けの匿名化・限定共有形式が整備されている》
隣の社員が予想した内容に近かった。
複数の支援。
連続した記録。
整理された共有形式。
比較資料として使いやすい。
その下に、補足がある。
《代表指定は、急落原因の典型性を意味しません》
《Case-04と他の急落事象が同一原因であることを示すものではありません》
《生活支援区分変更の妥当性を証明するものではありません》
代表という言葉だけが、一人歩きしないように書かれている。
典型的な原因。
標準的な急落。
正しい判定。
どれも意味しない。
悠真は最後まで読んだ。
《現在の調査状況》
《急落要因 確認できず》
《再計算結果 一致》
《調査継続中》
以前から変わっていない。
回答はあった。
代表指定の理由も分かった。
ただし、区分が急落した理由について、新しい情報はない。
《照会回答を確認しましたか》
《確認した》
《追加照会》
悠真は《確認した》を選んだ。
《照会完了》
《作業履歴へ保存しました》
「何て?」
隣の社員が尋ねた。
「記録が連続していて、支援後の変化と共有形式が整っているからです」
「やっぱり、比較しやすいから」
「そうみたいです」
「急落の代表じゃなくて、資料の代表?」
「急落事象の代表管理事例とは書いてあります」
「同じじゃないんですか」
「原因の典型ではないとも書いてあります」
社員は少し考えた。
「ややこしいですね」
「ああ」
Case-04は、急落事象を扱うための代表だった。
しかし、急落がなぜ起きるかを代表しているわけではない。
管理しやすい。
共有しやすい。
比較しやすい。
そのために選ばれている。
理由の分からない事例が、理由の分かる事例を整理するための基準になっていた。
*
十五時。
基盤運用統括室の担当者が、作業完了確認を始めた。
《担当資料 十一件》
《記載内容確認 十一件》
《修正提案 〇件》
《追加照会 一件》
《照会完了 一件》
《未処理 〇件》
予定どおり、すべて終わっている。
「確認支援へのご協力、ありがとうございました」
担当者が言った。
「本日をもって、今回の担当割り当ては終了します」
画面に、権限終了の案内が表示される。
《関連資料閲覧権限》
《本日十六時に終了》
《確認履歴は業務記録として保存されます》
《担当終了後、資料内容は通常検索の対象外となります》
「照会履歴は残りますか?」
悠真が尋ねた。
「残ります。ただし、回答本文の再閲覧は、担当終了後には所管照会が必要です」
「自分が出した照会でも?」
「はい。業務目的が終了した後は、回答内容を保持する必要性も終了します」
情報が消えるわけではない。
悠真の記録から削除されるわけでもない。
ただ、仕事が終われば、再び見えなくなる。
「確認したという履歴は残るんですね」
「はい」
《Case-04代表指定理由 照会済み》
《回答確認済み》
内容ではなく、確認した事実だけが通常履歴に残る。
最初にCase-04を見つけた時と同じだった。
資料そのものは見えない。
参照したことだけが残る。
「ほかに質問はありますか?」
誰も手を挙げなかった。
「では、作業完了を確定します」
参加者四人の画面に確認欄が表示される。
《担当資料の確認作業を完了しますか》
《完了する》
《未処理事項を確認》
悠真は《完了する》を選んだ。
《作業完了》
《担当割り当てを終了しました》
灰色の枠が閉じた。
通常の社内画面へ戻る。
同時に、予定表から《外部検証資料確認支援》が消えた。
空いた時間には、新しい候補が表示されている。
《相川市訪問記録の事後整理》
《月末契約確認》
《社内研修》
隣の社員は、すぐに月末契約確認を選んだ。
「やっと戻れます」
「お疲れさまでした」
「佐伯さんは?」
「相川の整理をします」
「また細かい方へ行きますね」
社員は笑い、会議区画を出ていった。
悠真も席を立つ。
画面の端には、今日の作業履歴が残っている。
《代表比較資料 Case-04》
《参照回数 三件》
《照会回答 確認済み》
内容はもう開けなかった。
それでも、代表に選ばれた理由は覚えている。
記録が揃っている。
欠損がない。
再計算が一致する。
支援後の変化が見える。
共有形式が整っている。
理由の分からない部分以外は、すべて整っていた。




