第8話 理由のある変更 Part1 変わる理由
水曜日の朝、悠真の予定には、相川市の訪問が入っていなかった。
《九時 部門定例》
《十時三十分 相川市訪問記録共有》
《十三時三十分 外部検証資料確認支援》
《十五時四十分 設備需要影響確認》
昨日まで続いていた住民訪問は、別の担当者へ引き継がれている。
残る日程調整中の世帯には、相川市から新しい候補時刻が提示されていた。
仮設表示は金曜日まで残る。
説明方法も、確認方法も、昨日の記録を反映して更新されている。
悠真が今日行うのは、訪問結果の共有と、午後の資料確認だった。
「今日は相川、行かないんですね」
朝食の席で、美咲が予定を見ながら言った。
「ああ。現地は昨日まで」
「橙色の線、まだあるの?」
陽菜が尋ねる。
「金曜まではあるらしい」
「何の線?」
蓮が聞く。
「これから建つ設備の高さだよ」
「たかい?」
「二十六メートルくらい」
蓮は少し考えた。
「ぞうより?」
「象よりは高いな」
「きょうりゅうより?」
「種類による」
「何の種類?」
「そこまでは分からない」
蓮は納得していない顔をした。
蒼が端末を見ながら言う。
「建物の高さと恐竜を比べる表、出せるよ」
「出さなくていい」
悠真が止めるより早く、家庭用端末が反応した。
『比較候補を保持します』
「保持もしなくていい」
『承知しました』
陽菜が笑った。
「パパ、また勘を鈍らせないようにしてるの?」
「恐竜の高さを考える勘は、なくても困らない」
「じゃあ、見ればいいじゃん」
「朝から増やさなくていい情報もあるんだよ」
美咲が味噌汁を置きながら言った。
「仕事みたいなこと言ってる」
「仕事だから覚えたんだよ」
食卓の中央には、今日の家族予定が並んでいる。
大きな変更はない。
陽菜の模型教室は先週末に終わった。
蒼には放課後の職業連携授業。
蓮は園で水遊びをするらしく、持ち物に着替えが追加されていた。
美咲の午後には、買い物候補が一件だけ表示されている。
どれも、選ぶ必要があるほど大きなものではなかった。
悠真はコーヒーを飲み終え、立ち上がった。
「行ってきます」
「いってらっしゃい」
玄関へ向かう途中、生活端末が振動した。
《本日の業務資料に、生活支援区分に関する匿名情報が含まれます》
《表示範囲は設備需要影響に限定されています》
悠真は通知を開いた。
午後の外部検証資料確認支援に関する案内だった。
昨日までと同じ、基盤運用統括室からの依頼。
確認支援は今日までの予定になっている。
《対象資料》
《通常区分変更事例》
《担当範囲》
《支援実施前後の設備需要記載》
《個人識別情報 非表示》
《N-Index詳細推移 担当範囲外》
特別なものではない。
区分変更に伴って生活支援が始まれば、在宅時間や移動、公共施設の利用、電力需要が変わる。
設備側では、その影響を確認する必要がある。
昨日の健康相談と同じ種類の仕事だった。
悠真は通知を閉じ、靴を履いた。
*
十時三十分の相川市訪問記録共有は、予定より六分早く終わった。
新しい訪問結果が三世帯分追加されていた。
《新規訪問 三世帯》
《現行配置案を許容 二件》
《代替配置案Bを希望 一件》
《判断保留 一件》
一世帯から夫婦それぞれの意見が出たため、個別意見は四件になっている。
昨日と同じだった。
世帯数と意見数は一致しない。
選択肢が同じでも、理由は違う。
《現行配置案を許容》
《理由 主要生活空間からは確認できない》
《現行配置案を許容》
《理由 設備更新の早期完了を優先》
《代替配置案Bを希望》
《理由 庭からの眺望変化が大きい》
《判断保留》
《理由 家族内で意見整理中》
相川市の担当者が説明を続ける。
「日程調整中だった残り二世帯についても、明日の訪問が確定しました」
画面に予定が表示される。
《六月十七日 訪問二世帯》
《仮設表示確認可能》
《実景合成利用可能》
「仮設表示の延長は?」
参加者の一人が尋ねた。
「現在のところ予定どおり金曜日までです。天候による中止が発生した場合のみ、週明けまで延長します」
「住民意見の集約はいつですか」
「全訪問終了後です。ただし、集約前に原文、分類、確認方法の不一致を確認します」
画面に工程が表示される。
《原文保存》
《分類確認》
《確認方法照合》
《個別理由整理》
《事業判断資料作成》
《相川市責任者承認》
多数決という項目はなかった。
現行案を許容した人数が多ければ、そのまま現行案になるわけではない。
費用。
工程。
安全性。
供給安定性。
住民生活への影響。
それぞれを合わせて、相川市が決める。
昨日、悠真たちが行ったのは、決定ではない。
判断に必要な生活条件を残すことだった。
「追加で確認したい項目はありますか?」
相川市の担当者が尋ねた。
参加者は画面を確認する。
誰からも意見は出なかった。
悠真も、追加するものはなかった。
昨日の記録には、見た位置も、確認方法も、本人の言葉も残っている。
少なくとも、今の段階で不足は見当たらない。
《訪問記録共有》
《閲覧確認 完了》
悠真は確認を付けた。
分類を承認したわけではない。
配置案を選んだわけでもない。
表示された訪問記録に目を通した。
今日の確認は、それだけだった。
*
十三時二十分。
外部検証資料が予定より十分早く閲覧可能になった。
悠真の画面に、薄い灰色の枠が表示される。
《外部検証資料確認支援》
《依頼元 基盤運用統括室》
《資料区分 通常生活支援事例》
《担当範囲 設備需要影響》
昨日確認した健康相談の資料とは違い、今回は一人の生活変化をもとに作成された事例だった。
氏名。
住所。
勤務先。
家族構成。
個人を特定できる情報は表示されていない。
代わりに、設備需要へ関係する範囲だけが時系列で並んでいた。
《対象者》
《四十代》
《単身世帯》
《生活支援区分 BからCへ変更》
《変更時期 五月二日》
一段階の変更。
その下に、変更前六週間の記録が表示される。
《三月十七日》
《有期雇用契約 終了通知》
《四月一日》
《契約期間満了》
《四月二日から四月八日》
《就労予定 なし》
《四月九日》
《就労相談候補 提示》
《本人選択 保留》
《四月十一日から四月二十日》
《睡眠時間 平均五時間十一分》
《食事購入頻度 低下》
《外出日数 十日間で二日》
《公共交通利用 減少》
《生活関連手続き 二件未完了》
どの項目も、単独なら珍しいものではなかった。
仕事が終わる。
次の仕事が決まらない。
眠る時間が乱れる。
外出が減る。
手続きを後回しにする。
そういう時期は、誰にでも起こり得る。
資料には、さらに続きがある。
《四月二十一日》
《健康相談 再提案》
《本人選択 利用しない》
《選択理由》
《体調上の問題を感じていない》
《四月二十三日》
《就労相談 再提案》
《本人選択 利用を希望》
《希望日時 五月七日》
《四月二十五日から四月三十日》
《睡眠時間 平均四時間四十六分》
《日中在宅率 九十一パーセント》
《住居内電力使用 通常比プラス十二パーセント》
《食事購入頻度 さらに低下》
《連絡相手数 週一名》
悠真は最後の項目で指を止めた。
連絡相手数。
設備需要には直接関係しない。
ただし、生活支援区分の変更理由としては表示対象になっているらしい。
詳細を開こうとすると、案内が出た。
《個別通信内容は表示されません》
《接触回数のみ、支援必要性の確認に使用されています》
悠真は閉じた。
誰と話したのか。
何を話したのか。
それは必要ではない。
一人で過ごす時間が増えていた。
資料から分かるのは、そこまでだった。
《五月一日》
《生活支援区分変更案 生成》
《B区分からC区分》
《主な理由》
《就労状態の変化》
《睡眠状態の継続的悪化》
《食事・外出頻度の低下》
《社会接触の減少》
《未完了手続きの増加》
《急激な単一事象ではなく、複数項目の継続変化》
理由が並んでいる。
どこから変更案が出たのか分かる。
一つの出来事で決まったのではない。
数週間の変化が重なっていた。
その下には、確認記録があった。
《変更案確認》
《担当 生活誘導課》
《確認対象》
《生活変化の継続性》
《支援必要性》
《区分変更幅》
《確認結果》
《一段階変更が適当》
《判断者 担当職員》
《適用承認 五月二日》
AIが変更したのではない。
AIが案を作り、担当職員が表示された生活変化と支援必要性を確認し、一段階の変更を承認している。
内部のすべてを理解したという意味ではない。
ただし、何を見て、何を承認したのかは記録されていた。
悠真は画面を下へ送る。
《本人通知》
《五月二日 八時十五分》
《生活支援区分がBからCへ変更されました》
《これは処罰ではありません》
《現在の生活変化に合わせ、利用可能な支援を増やすための変更です》
《主な理由》
《就労状態》
《睡眠》
《食事・外出》
《未完了手続き》
《利用可能な手続き》
《理由詳細を確認》
《再計算を依頼》
《異議を申し立てる》
《支援内容を確認》
通知の後に、本人の操作記録が続く。
《理由詳細 閲覧済み》
《再計算 依頼なし》
《異議申立て なし》
《支援内容 確認》
異議を出さなかったから、納得したとは限らない。
ただ、理由は見た。
再計算も、異議も選べる状態だった。
本人が選んだのは、支援内容の確認だった。
「これ、普通の変更事例ですか?」
岸本の声がした。
彼女にも同じ資料の別項目が割り当てられているらしい。
「ああ。BからC」
「理由、いっぱいありますね」
「数週間分ある」
「一個じゃないんですね」
「一個だけなら、変更しなかったのかもしれない」
「資料に書いてあります?」
「急激な単一事象ではないって」
岸本が自分の画面を確認する。
「こっちにも出てます」
《区分変更後支援》
《就労相談》
《健康相談》
《生活手続き補助》
《食事支援案内》
《地域交流提案》
「全部使ったんですかね」
「まだそこまで見てない」
悠真は続きを開いた。
《五月二日》
《就労相談 利用を希望》
《予約候補 三件》
《本人選択 五月七日十時》
《五月二日》
《健康相談 再提示》
《本人選択 利用を希望》
《予約候補 二件》
《本人選択 五月四日十五時》
《五月二日》
《生活手続き補助》
《本人選択 利用を希望》
《未完了二件の入力補助を開始》
《五月二日》
《食事支援》
《本人選択 今回は利用しない》
《理由 自分で対応可能》
《五月二日》
《地域交流提案》
《本人選択 保留》
すべて受け入れたわけではなかった。
就労相談。
健康相談。
手続き補助。
必要だと思ったものは使う。
食事支援は断る。
地域交流は決めない。
選択は残っている。
「全部じゃないですね」
岸本も同じ箇所を見たらしい。
「食事支援は断ってる」
「地域交流は保留」
「それでも区分はCのままか」
「支援を断ったから変わるわけじゃないでしょう」
「ああ。変更理由は、その前の生活状態だからな」
岸本は少し考えた。
「断ったことも記録はされますけど」
「提案の調整には使うだろ」
「次は食事支援、出にくくなるんですかね」
「必要性が高ければ、また出るんじゃないか」
「本人は自分で対応できるって言ってます」
「なら、その結果を見るだろ」
「結果が悪かったら?」
「また提案する」
「終わらないですね」
岸本は軽く笑った。
悠真も画面を見たまま答える。
「生活が続くからな」
資料には、区分変更後の変化がまだ残っていた。
ただし、悠真の担当欄はそこで区切られている。
《次の確認項目》
《支援実施後の生活行動変化》
《設備需要への影響》
《閲覧可能時刻 十五時四十分》
今はまだ開けない。
支援が本人の生活にどう作用したのか。
設備需要がどう変わったのか。
それは午後の別業務として確認することになっている。
悠真は現在までの記録へ確認を付けた。
《閲覧確認》
《区分変更理由と本人向け手続きの表示を確認しました》
《区分変更判断そのものの承認ではありません》
画面が閉じる。
Case-04では、AからDへ一日で変わった。
重大な生活変化は確認できなかった。
再計算しても同じ結果だった。
今回の事例は違う。
仕事を失った。
眠れなくなった。
食事と外出が減った。
手続きが止まった。
人との接触も減った。
数週間の変化があり、一段階だけ変更された。
理由がある。
本人へ示されている。
異議も再計算も用意されている。
支援を選ぶことも、断ることもできる。
悠真は画面の閉じた場所を、しばらく見ていた。
生活支援区分が下がること自体を、悪いものだと思う必要はない。
変化を見つけて、必要な支援を増やす。
少なくとも、この事例では、そのために使われていた。




