第7話 同じ高さ Part3 関連なし
東央商事へ戻ったのは、十四時を少し過ぎた頃だった。
昼食には遅く、午後の業務を始めるには少し早い。
悠真は一階の売店でサンドイッチとコーヒーを買い、自席へ戻った。
岸本の席は空いていた。
端末には、相川市での記録整理が続いていると表示されている。
《岸本遥》
《相川市訪問記録 確認中》
《帰社予定 十四時四十二分》
悠真は包装を開きながら、今日の意見一覧をもう一度確認した。
個別意見は五件。
現行配置案を許容、三件。
代替配置案Bを希望、二件。
数字だけなら、現行案が多い。
だが、現行案を選んだ三人も、同じ理由ではなかった。
一人は、自分の座る位置からなら気にならないと答えた。
一人は、物干し場から見えても生活上の支障はないと答えた。
もう一人は、眺望への影響を認めながら、早期運用を優先した。
同じ選択肢の中に、違う生活が入っている。
画面の右側には、自動生成された集約候補が表示されていた。
《現行配置案への受容傾向 やや高い》
《主要理由》
《眺望影響が限定的》
《早期運用・供給安定性を優先》
《追加説明の必要性 低い》
悠真は最初の一文を開いた。
《受容傾向 やや高い》
間違いではない。
五件のうち三件が現行案を許容している。
ただ、世帯として数えれば、最初の夫婦は一世帯の中で意見が分かれている。
住民説明は、多数決を取るために行ったものではない。
悠真は表示を閉じた。
集約候補は削除しなかった。
相川市が事業判断を行う際には、傾向も必要になる。
原文も、確認方法も、個別理由も残っている。
どこまでを見るかは、次に判断する側の仕事だった。
サンドイッチを半分ほど食べたところで、岸本が戻ってきた。
「お疲れさまです」
「お疲れ」
岸本は鞄を机の脇へ置き、椅子へ座った。
「佐伯さん側、どうでした?」
「三件とも違った」
「こっちも違いました」
岸本は端末を開く。
「仕事部屋の方は、毎日あの方向を見て仕事するそうです。画面の横にちょうど施設が入るんですよ」
「それでB案か」
「はい。でも、費用については分からないって」
「記録は見た」
「昨日の方は?」
「保留のままなんですよね」
「大きさを見ても?」
「見たから、別のことが分からなくなったみたいです」
岸本は訪問記録を開いた。
《現物の大きさは理解できた》
《事業費を含めた配置判断は、自分たちの意見だけでは決められない》
「昨日は、見てないから決められないだったのに」
「今日は、見ても決められない」
「後退してません?」
「何が分からないかは増えてないだろ」
「減ってもないですけど」
岸本は少し笑った。
「条件を揃えれば、答えも近くなると思ってました」
「誰が?」
「私がです」
「予測資料には、そんなこと書いてなかっただろ」
「書いてなかったですけど、何となく」
岸本は今日の一覧を表示した。
「同じ説明をして、同じものを見せて、安全性も費用も同じように伝えたら、もう少し似た答えになるのかなって」
「設備は同じでも、家は違うからな」
「窓も違いました」
「ああ」
「座る場所も」
「そうだな」
「見えるものが同じでも、見てる場所が違う」
岸本が言った。
悠真は彼女を見た。
「それ、俺が言おうとしてたやつだ」
「遅かったですね」
「先に言えば正しいわけじゃない」
「便利な言葉ですね」
岸本は端末へ視線を戻した。
会話はそこで終わった。
結論を出す必要はなかった。
今日の訪問で必要だったのは、意見を揃えることではなく、それぞれが何を見て、何を理由に選んだのかを残すことだった。
*
十五時三十分になると、悠真の業務画面に新しい資料が表示された。
《通常支援事例確認》
《担当部署 需給予測室》
《担当範囲 設備需要補正》
《想定所要時間 二十五分》
昨日まで確認していた外部検証資料とは、表示の色が違った。
限定共有を示す薄い灰色の枠はない。
通常の社内資料だった。
悠真が開くと、地域別の需要グラフが表示された。
《対象地域 東京都南部第三区》
《対象期間 五月二十日から六月十日》
《需要差異 日中電力使用量プラス一・八パーセント》
《予測範囲 上限超過》
一・八パーセント。
大きな変化ではない。
設備の安全性や供給能力に問題が出る値でもなかった。
ただ、通常予測の上限を三日続けてわずかに超えている。
画面を下へ送る。
《確認された生活行動変化》
《地域健康相談の利用増加》
《在宅相談対象者の一時増加》
《訪問支援員の稼働時間延長》
《日中在宅率 プラス二・三パーセント》
その下に、概要が記載されていた。
地域内で、健診の未受診者を対象とした健康相談が行われた。
強制ではない。
過去の受診履歴と現在の生活状況から、相談を利用しやすい時間帯が個別に提案された。
医療機関へ行く必要のない初回相談は、自宅から受けられる。
買い物支援や行政手続きの予定とまとめて利用できるようにしたことで、想定より多くの人が申し込んだ。
その結果、日中に自宅で端末や空調を利用する世帯が一時的に増えた。
訪問支援員の移動拠点でも、充電設備の使用量が増えている。
原因は明確だった。
支援の実施。
利用者の増加。
在宅時間の変化。
電力需要の上昇。
悠真は資料を順番に確認した。
《支援実施記録との照合》
《一致》
《地域行動実績との照合》
《一致》
《設備使用実績との照合》
《一致》
昨日見た資料にも、《一致》という言葉はあった。
だが、意味は違った。
こちらには、結果へ至るまでの流れが見えている。
「健康相談ですか?」
岸本が隣から尋ねた。
彼女にも同じ地域の別項目が割り当てられているらしい。
「在宅利用が増えて、昼の需要が上がった」
「うちの方は、移動支援車両の充電です」
岸本が画面を少し傾けた。
《支援車両稼働台数 予測比プラス六台》
《充電需要 予測比プラス〇・四パーセント》
「同じ事例だな」
「分かりやすいですね」
「ああ」
「相談を受けた人、何か見つかったんですかね」
「個別情報は出てない」
「ですよね」
岸本は自分の資料へ戻った。
悠真も、個人単位の情報を探そうとは思わなかった。
設備需要を確認するうえで必要なのは、支援の利用者数と行動変化だった。
誰が相談を受けたのか。
何を相談したのか。
診断結果がどうだったのか。
それは、悠真の仕事ではない。
資料には、集計された結果だけが残っている。
《相談利用者 百三十八名》
《追加受診案内 二十一名》
《継続支援提案 八名》
《緊急対応 〇名》
重大な事態は起きていない。
二十一人が追加の受診案内を受け、八人には継続的な相談が提案された。
それだけだった。
誰かの生活が、少しだけ早く整えられたのかもしれない。
何も見つからず、安心しただけの人もいるだろう。
少なくとも、支援によって新しい問題が起きた記録はなかった。
悠真は設備需要の補正値を確認する。
需給予測室は、今後同様の健康相談が行われる期間について、日中需要を〇・六パーセント上乗せする案を提示していた。
実績の一・八パーセントをそのまま使わないのは、今回が未受診者をまとめて対象にした初回施策だったからだ。
次回以降は利用者が分散すると予測されている。
《設備需要補正案 プラス〇・六パーセント》
《既存供給能力 対応可能》
《追加設備 不要》
《運用条件変更 不要》
数字に不自然なところはなかった。
支援実施期間。
利用者数。
在宅率。
過去の類似施策。
どこから〇・六パーセントが出たのか、確認できる。
悠真は照合欄を開いた。
《要因確認》
《支援実施と需要変動の関連を確認しましたか》
《確認した》
《追加照会が必要》
《判断保留》
悠真は《確認した》を選んだ。
続いて、設備補正の確認画面が表示される。
《設備需要補正》
《適正》
《修正を提案》
《追加検証を依頼》
《判断対象外》
悠真は《適正》を選んだ。
《要因確認を記録しました》
《設備需要補正の確認を記録しました》
《最終反映は需給予測室の責任者が承認します》
悠真が承認したのは、支援内容でも、相談対象者の選び方でもなかった。
この生活行動変化によって、設備需要がこの程度増えるという記載だった。
画面の最後に、参考情報が一行表示された。
《急落事象との関連 なし》
悠真は一度、指を止めた。
昨日までなら、その言葉を開こうとしたかもしれない。
今日は表示の意味が分かっている。
既知の急落事象で確認されている比較条件には該当しない。
今回の需要変動は、支援実施による行動変化で説明できる。
それ以上の意味はない。
悠真は詳細を開いた。
《関連判定の対象》
《短時間の大幅な生活支援区分変更》
《通常変動を超えるN-Index変化》
《生活記録から説明できない行動変化》
《本事例》
《該当項目 なし》
《比較資料の表示 不要》
閉じる。
原因は分かっている。
結果も説明できる。
補正値も確認できる。
担当者が見るべき範囲も明確だった。
昨日の資料と同じように、《一致》と《確認済み》が並んでいる。
けれど、こちらの一致には、その間をつなぐ理由があった。
「終わりました?」
岸本が尋ねた。
「ああ」
「何かありました?」
「何もない」
「それが普通ですよね」
悠真は画面を見た。
《生活支援実施に伴う需要変動》
《変動要因 確認済み》
《設備需要補正 適正》
《追加対応 不要》
《急落事象との関連 なし》
「そうだな」
悠真は答えた。
岸本も自分の確認を終えたらしく、端末を閉じた。
「今日は、理由が全部書いてありましたね」
「ああ」
「昨日の資料も、調べてる途中なんですよね」
「だから、監査局が調べてる」
「なら、そのうち書かれますかね」
悠真は少し考えた。
「分かればな」
「分からなかったら?」
「分からないって残すしかないだろ」
岸本は返事をせず、机の端に置いていた飲み物へ手を伸ばした。
業務画面には、確認完了の表示が出ている。
《本日の担当業務は完了しました》
《追加対応はありません》
悠真は画面を閉じた。
窓の外では、夕方の光が向かいの建物へ斜めに当たっていた。
相川市の更地には、今も二本の橙色の帯が立っているはずだった。
同じ高さを示す二つの線。
見る場所によって、見え方は違う。
それでも今日の記録には、その違いを説明する理由が残っていた。
第7話 完




