第6話 担当になった理由 Part2 本人の言葉
十時の事前確認は、十五分ほどで終わった。
会議室の正面には、今日訪問する住宅の位置と、説明に使う二つの配置案が表示されている。
《本日の先行訪問 一世帯》
《訪問開始予定 十一時》
《説明担当 佐伯悠真・岸本遥・相川市担当者》
《目的 説明手順および記録方法の確認》
今日訪問するのは、一世帯だけだった。
十二世帯への説明を一度に始めるのではなく、最初の一軒で説明方法と記録項目を確認する。
そこで不足が見つかれば資料を修正し、残る世帯には同じ条件で説明する。
明日からは担当者を二組に分け、二日間で残りの十一世帯を訪問する予定になっていた。
画面には、明日以降の予定も表示されている。
《六月十五日 四世帯》
《六月十六日 四世帯》
《日程調整中 三世帯》
《未確定世帯がある場合は、別途調整》
日程の決まっていない世帯が残れば、追加訪問を設定する。
二日間という言葉は、すべてを無理に二日で終わらせるという意味ではない。
説明を受ける側の都合が優先される。
少なくとも、資料にはそう書かれていた。
「最初の一軒だけなんですね」
岸本が言った。
「昨日も見ただろ」
「予定表では見ましたけど、三人で一日回るのかと思ってました」
「午後から別の業務が入ってる」
「佐伯さんだけですよね」
「岸本も記録整理だろ」
「私は高さ表示の技術確認です」
「まだ決まってないだろ」
「決めてもらえるように確認します」
岸本は今日使う資料を開いた。
現行配置案。
代替配置案B。
どちらも安全性と環境基準を満たしている。
現行案では、北部第二蓄電施設が十二世帯の主要な窓から見える。
代替配置案Bでは、施設を東へ約百八十メートル移動させ、防風林の背後へ配置する。
眺望への影響は小さくなる。
一方で、事業費は一億四千二百万円増える。
全体事業費に対する増加率は、〇・八パーセント。
数字だけを見れば小さい。
金額だけを見れば小さくない。
どちらを強調するかで、受ける印象は変わる。
そのため、資料には両方が同じ大きさで表示されていた。
「一億四千二百万円と〇・八パーセント、両方言うんですよね」
岸本が確認する。
「ああ」
「片方だけだと誘導になるから」
相川市の担当者が答えた。
「現行案とB案のどちらかを選んでもらうわけでもありません。生活上の影響を確認するための説明です」
「意見がまとまらなかった場合は?」
岸本が尋ねる。
「そのまま記録します」
「分類は?」
「訪問担当者が無理に確定させないでください」
画面に注意事項が表示される。
《特定案への賛同を求めないでください》
《住民意見を事業決定として扱わないでください》
《予測された反応ではなく、本人が表明した内容を記録してください》
《既存の分類へ適合しない場合は、保留を選択してください》
最後の項目は、第5話で確認した資料にはなかった。
先行訪問に向けて追加されたらしい。
「保留があるんですね」
岸本が言った。
「ない方がおかしいだろ」
悠真が答える。
「分類できない意見が来る予測ですか?」
「来るかもしれないから用意したんじゃないか」
「予測してるじゃないですか」
「可能性の話だよ」
「便利な言葉ですね」
岸本は笑いながら、確認済みの印を付けた。
*
十一時前、三人は対象の住宅へ到着した。
二階建ての戸建住宅だった。
建てられてから十年ほどらしく、外壁にも庭にも大きな傷みはない。
玄関脇には、子ども用の自転車が一台置かれていた。
住宅の東側には、低い建物が並んでいる。
その向こうに、蓄電施設の建設予定地がある。
現在は更地だった。
工事用の囲いも、まだ設置されていない。
「ここからだと、何も分からないですね」
岸本が小声で言った。
「だから図面を持ってきたんだろ」
「実物の大きさは図面じゃ分かりにくいですけど」
「それも説明する」
相川市の担当者が玄関横の認証端末へ訪問情報を送る。
数秒後、扉が開いた。
応対したのは、四十代ほどの女性だった。
その後ろから、同じくらいの年齢の男性が顔を出す。
二人とも在宅していた。
「お時間をいただき、ありがとうございます」
市の担当者が頭を下げる。
「相川市生活基盤更新計画のうち、北部第二蓄電施設の配置について説明に伺いました」
女性が三人を室内へ招いた。
通されたのは、一階の居間だった。
大きな窓は南側にある。
建設予定地とは反対方向だった。
東側には、細長い窓が一つだけある。
「こちらからは、あまり見えないんです」
女性が東側の窓を指した。
「普段は、ほとんど南側にいるので」
男性が補足する。
「二階の子ども部屋からは見えると思います。資料を見る限りでは」
相川市の担当者が端末を机の上へ置いた。
住宅の立体図と、二つの配置案が表示される。
《現行配置案》
施設は住宅から約三百十メートル。
二階東側の窓から、設備上部の一部が見える。
《代替配置案B》
施設は住宅から約四百五十メートル。
防風林によって、主要部分は見えにくくなる。
どちらの案も、騒音や安全性に関する基準を満たしている。
「まず、安全性と運用面については、どちらの配置でも基準を満たしています」
悠真が説明する。
「現行案の方が、既存設備との接続距離が短く、工事費と工期を抑えられます」
画面に数値が表示される。
《現行配置案》
《追加事業費 なし》
《代替配置案B》
《追加事業費 一億四千二百万円》
《総事業費への影響 プラス〇・八パーセント》
女性が画面を見る。
「一億四千万円で、〇・八パーセントなんですね」
「はい」
「大きいのか小さいのか、よく分からないですね」
「金額としては大きいです。ただ、計画全体に対する割合では〇・八パーセントです」
「その〇・八パーセントを掛ければ、ここから見えなくなる?」
男性が尋ねる。
「完全に見えなくなると断言はできません」
悠真は表示を切り替えた。
季節ごとの予測画像が並ぶ。
「防風林の葉が落ちる時期には、設備の一部が見える可能性があります。ただし、現行案と比べれば、見える範囲は大きく減ります」
「音は変わらないんですよね」
「どちらの案でも、住宅付近での予測値は基準を下回っています。B案の方が距離は離れますが、体感できる差が出る可能性は低いです」
女性が二階の方を見る。
「うちは、たぶん今の場所でもいいと思うんです」
悠真は入力欄へ視線を落とした。
岸本も端末を開いている。
女性は続けた。
「私はほとんど一階にいますし、夫も景色を気にする方ではないので」
男性が小さく頷く。
「そうですね。設備が必要なのも分かります」
「お子さんのお部屋から見えることについては、どうお考えですか?」
相川市の担当者が尋ねる。
女性はすぐには答えなかった。
二階へ続く階段を見る。
「子どもは、今は気にしないと思います」
「今は?」
岸本が聞き返す。
「まだ小さいので。窓から何が見えるかより、部屋の中に何があるかの方が大事でしょうから」
女性は少し笑った。
「でも、この家にずっと私たちが住むとは限らないですよね」
「売却や相続を考えているということですか?」
「具体的には考えていません。ただ、施設は二十年以上使うんですよね」
「計画上は、その予定です」
「だったら、私たちだけの話ではない気がします」
男性が画面を覗き込む。
「将来ここに住む人は、景色を気にするかもしれない」
「そうですね」
女性が言った。
「私たちだけなら、今の案でもいいです。でも、これから先の人まで考えるなら、見えない方がいいと思います」
岸本の端末に、記録候補が表示される。
《現行案を受容》
《代替配置案Bを希望》
《条件付き受容》
《判断保留》
岸本は、どれにも触れなかった。
「B案の方がよい、というご意見で記録してよろしいですか?」
市の担当者が確認する。
女性は少し困ったように笑った。
「そこまで言っていいのか、分からないです」
「どういう意味でしょうか」
「一億四千万円を掛ける価値があるかは、私たちには判断できません」
男性も頷く。
「ここの景色だけのために、その金額を使っていいのかと言われると、分からないです」
「ただ、費用を考えなければB案がよいということでしょうか」
相川市の担当者が尋ねる。
「そう聞かれると、そうです」
女性は答えた。
「でも、費用を考えないわけにはいかないですよね」
部屋が少し静かになった。
正面の画面には、二つの配置案が並んでいる。
どちらも安全だった。
どちらも実現できる。
違うのは、費用と、窓から見えるものだけだった。
「私たちが決めるんですか?」
男性が尋ねた。
「いいえ」
悠真が答える。
「最終的な配置は、市と事業者が責任を持って決定します。今日は、お二人の生活にどのような影響があるかを確認するために伺っています」
「では、私たちがBと言っても、現行案になることはある?」
「あります」
「現行案でいいと言っても、Bになることも?」
「あります」
男性は少し考えたあと、笑った。
「では、余計に難しいですね」
「何を言っても、決定ではないですから」
岸本が言った。
「今のお考えを、そのまま記録します」
女性が岸本を見る。
「そのまま?」
「はい」
岸本は画面を二人へ向けた。
記録欄はまだ空白だった。
「現在の案でも、自分たちの生活には大きな問題はない。ただし、将来ここに住む人まで考えるなら、代替配置案Bの方が望ましい。一方で、追加費用が妥当かどうかは判断できない」
「それです」
女性がすぐに答えた。
「今の説明が、一番近いです」
「では、この内容で保存します」
岸本が入力する。
《本人が表明した内容》
《現在の配置でも、自分たちの生活には大きな問題はない》
《将来の居住者まで考慮すれば、代替配置案Bが望ましい》
《追加費用の妥当性については判断できない》
《事業判断は市および事業者へ委ねる》
入力を終えると、分類候補が再び表示された。
《現行案を受容》
《代替配置案Bを希望》
《条件付き受容》
《判断保留》
岸本は《判断保留》を選んだ。
《分類理由を入力してください》
岸本が悠真を見る。
「本人の言葉が、単一の案への賛否に該当しないため」
悠真が言う。
岸本はそのまま入力した。
《分類 判断保留》
《原文記録を優先》
《人間確認待ち》
「これで大丈夫ですか?」
岸本が二人へ尋ねる。
女性は画面を読み返した。
「はい」
男性も頷く。
「ただ、やっぱり実物の高さが分からないですね」
「予測画像だけでは難しいでしょうか」
「画像は分かります。でも、窓から見たときに本当にこのくらいなのかは」
男性は東側の細い窓を指した。
「現地に何か立てられないんですか。棒でも、風船でも」
「建設予定位置に、高さの目安を表示するということですか?」
「そうです。ここから実際に見てみたいです」
女性も頷く。
「それができるなら、一度見てから、もう一度答えたいです」
相川市の担当者が端末へ記録する。
《追加要望》
《現行配置案の設備高を現地表示》
《住宅内からの再確認を希望》
「技術担当へ確認します」
「B案の場所もできますか?」
男性が尋ねる。
「比較できた方が分かりやすいので」
「両方ですね」
「はい」
岸本が小さく頷く。
「それなら、ほかの世帯にも同じ機会を出した方がよさそうですね」
相川市の担当者が岸本を見る。
「まず実施可能か確認します。一世帯だけに提供すると、説明条件が異なってしまいますので」
「全世帯で確認できるなら、その方がいいと思います」
悠真が言った。
「十二世帯すべてに、現行案とB案の表示を見てもらう?」
「希望する世帯だけでもいい。ただ、機会は同じにした方がいい」
担当者が記録を追加する。
《検討事項》
《十二世帯への共通確認機会として実施可能性を確認》
《仮設表示後、意見を再記録》
「実施できるかどうかは、今日中に確認します」
担当者が二人へ説明する。
「可能な場合は、改めて日程をご案内します」
「分かりました」
女性が答えた。
「そのあとなら、もう少しはっきり言えると思います」
「はっきりしなくても、そのままで大丈夫です」
岸本が言った。
女性が少し笑う。
「そう言われると、逆に考えやすいですね」
説明開始から、四十二分が経っていた。
予定では三十五分だった。
後ろに次の訪問はない。
今日の予定が一世帯だけだったため、終了を急ぐ必要もなかった。
*
住宅を出る。
玄関の扉が閉まると、三人の端末に訪問結果が表示された。
《先行訪問 完了》
《予定時間 三十五分》
《実施時間 四十二分》
《説明項目の不足 なし》
《追加確認事項 一件》
《分類 判断保留》
《原文記録 保存済み》
《次回訪問資料への反映を確認しますか》
相川市の担当者が《確認》を押す。
「明日からの訪問資料に、高さ表示の要望があったことを追加します」
「実施できるか決まる前に?」
岸本が尋ねる。
「要望が出た事実だけです。実施を約束する表示にはしません」
「なるほど」
「説明時間は、四十分を標準に変更した方がよさそうですね」
担当者が言った。
「三十五分では、質問が一つ増えるだけで超えます」
「一世帯目で分かって良かったですね」
岸本が答える。
「今日一世帯だけにした意味はありました」
悠真が言った。
端末に、明日以降の予定調整案が表示される。
《標準説明時間を四十分へ変更》
《移動余裕時間を五分追加》
《訪問可能件数への影響》
《六月十五日 四世帯》
《六月十六日 四世帯》
《日程調整中 三世帯》
説明時間を増やしても、確定済みの八世帯は二日間で対応できる。
一日目が四世帯。
二日目が四世帯。
二組に分かれるため、一組あたり二世帯だった。
「これなら回れますね」
岸本が言った。
「日程が確定してる世帯だけならな」
悠真が答える。
「未確定の三世帯は?」
「一世帯は、明日の夕方で調整できそうです」
市の担当者が表示を確認する。
「残る二世帯は、別日になる可能性があります。その場合は、翌週に追加訪問を設定します」
二日間で十二世帯すべてを終える必要はない。
決まっている世帯から説明し、決まらない世帯は別の日に回る。
その方が自然だった。
「戻りましょうか」
担当者が言った。
現在時刻は十一時五十五分。
会社までは、公共交通で四十分ほどだった。
帰社予定は十三時を少し過ぎる頃だった。
悠真の午後の業務開始は十三時三十分。
食堂で短く昼食を取る時間は残っている。
三人は駅へ向かって歩き始めた。
途中、悠真は一度だけ住宅を振り返った。
一階の南側に、大きな窓がある。
二階の東側には、子どもの部屋。
そこから見える景色を、今暮らしている家族はそれほど気にしていない。
それでも、まだ住んでいない誰かのために、見えない方がいいのではないかと考えている。
現行案でもよい。
B案の方が望ましい。
費用の判断まではできない。
どれか一つへ整理すれば、本人が話したこととは少し違ってしまう。
岸本の端末には、先ほどの記録が残っていた。
《分類 判断保留》
《原文記録を優先》
「佐伯さん」
岸本が歩きながら言った。
「何だ?」
「分類しない方が、分かりやすいこともあるんですね」
「分かりやすくはないだろ」
「正確、でした」
「なら、最初からそう言えよ」
「佐伯さんに合わせました」
「合わせなくていい」
岸本は笑った。
駅の入口が見えてくる。
その手前で、相川市の担当者の端末が振動した。
「仮設表示、技術的には可能だそうです」
「早いですね」
岸本が言う。
「現行案とB案、両方です。ただし、安全管理のため設置は一日だけになります」
「十二世帯全部に見てもらえる?」
「同日に確認できない世帯には、住宅から撮影した実景合成を個別に作成する案が出ています」
「条件は同じになりますか?」
悠真が尋ねる。
「完全には同じではありません」
担当者が答える。
「現地確認と画像確認では、受ける印象が違う可能性があります」
「では、それも記録した方がいいですね」
岸本が言った。
「確認方法まで?」
「本人が何を見て答えたか分からないと、同じ意見として扱えないので」
担当者は少し考えてから頷いた。
「追加します」
画面に、新しい記録項目が作られる。
《意見表明時の確認方法》
《現地確認》
《実景合成画像》
《図面のみ》
「これで明日から使えます」
「仕事が増えましたね」
岸本が言った。
「必要な記録です」
担当者が答える。
岸本は悠真を見る。
「制度っぽい答えですね」
「俺じゃないだろ」
三人は駅へ入った。
午前中に聞いた言葉は、まだ結論にはなっていない。
それでも、明日以降の説明方法を少し変えていた。




