第6話 担当になった理由 Part3 Case-04
会社へ戻ったのは、十三時を少し過ぎた頃だった。
相川市の担当者とは駅で別れた。
先行訪問の記録は、移動中に共有されている。
《先行訪問 完了》
《分類 判断保留》
《原文記録 保存済み》
《追加要望 設備高の現地表示》
《次回訪問資料へ反映中》
女性が話した内容も、そのまま残っていた。
《現在の配置でも、自分たちの生活には大きな問題はない》
《将来の居住者まで考慮すれば、代替配置案Bが望ましい》
《追加費用の妥当性については判断できない》
どれか一つを選べと言われれば、答えにくい。
けれど、文章として読めば何を考えていたのかは分かる。
悠真は記録を閉じた。
「昼、どうします?」
岸本が尋ねた。
「食堂でいいだろ」
「十三時半からですよね」
「ああ」
「食べる時間、十五分くらいしかありませんよ 」
「移動しながら考えてた時間も昼休みに入るらしい」
「食べてませんけど」
「休んではいた」
「佐伯さん、そういうところだけ制度に従順ですよね」
「会社がそう処理してるんだから仕方ないだろ」
二人は食堂へ向かった。
混雑予測は低かった。
利用者の多くは、すでに昼食を終えている。
悠真は短時間で受け取れる定食を選び、岸本は麺類を選んだ。
「今日は推奨を見ないんですね」
悠真が言う。
「時間がないので、提供時間で選びました」
「合理的じゃないか」
「自分で考えました」
「提供時間は表示されてたんだろ」
「参考にしただけです」
「同じだろ」
「少し違います」
岸本はそう言って、蕎麦を食べ始めた。
*
十三時三十分。
悠真の予定表に、外部検証資料確認支援が表示された。
《対象件数 三件》
《担当範囲 設備需要影響》
《予定所要時間 七十五分》
その下に、新しい注意書きがある。
《外部機関から限定共有された資料を含みます》
《閲覧可能範囲は、担当業務に必要な項目へ限定されます》
特別な表示ではなかった。
自治体や行政機関が管理する資料を扱う場合、共有範囲が制限されることは珍しくない。
岸本も同じ業務画面を開いている。
「私は二件目までですね」
「三件目は?」
「佐伯さんと、需要検証チームの二人です」
「何で分かれてるんだろうな」
「担当設備が違うんじゃないですか?」
「たぶんな」
一件目を開く。
公共施設で臨時利用が発生し、夕方の需要が予測を二・六パーセント上回っていた。
《設備稼働 正常》
《既存補正で対応可能》
《追加処理 不要》
利用記録と需要変動を照合する。
原因に不自然な点はない。
悠真は確認済みの印を付けた。
二件目は、住宅地区の給湯需要だった。
複数世帯の帰宅時刻が一時的に早まり、需要の立ち上がりが予測より十九分早い。
《予測誤差 許容範囲内》
《設備容量への影響 なし》
《次回モデル更新時に反映》
岸本が画面を横へ動かす。
「一時的な帰宅時刻変更って、何でしょうね」
「学校行事か、会社の勤務時間変更じゃないか」
「理由までは出てません」
「需要確認には必要ないんだろ」
「佐伯さんがそれを言います?」
「必要なら見るよ」
「必要かどうかは、誰が決めるんですか?」
「今はシステムだな」
「素直ですね」
「業務範囲の話だからな」
岸本は小さく笑い、確認を付けた。
《人間確認 完了》
二件目の処理が終わったのは、十四時十五分だった。
岸本の端末に別の通知が届く。
《相川市先行訪問 追加確認》
《設備高表示の実施条件を確認してください》
「呼ばれました」
「もう結果が出たのか?」
「技術的には可能でしたから。あとは十二世帯への案内方法だと思います」
岸本は端末を持って立ち上がった。
「現地で見られない世帯もいますよね」
「ああ」
「画像だけで同じ説明をしたことになるんでしょうか」
「ならないと思うなら、確認方法も記録すればいい」
「さっき追加しました」
「じゃあ、それでいいだろ」
「結果が変わらなくても?」
悠真は午前中の住宅を思い出す。
図面だけでは分からない。
実物の高さを見てから、もう一度考えたい。
「見たものが違うなら、残しておいた方がいい」
「ですよね」
岸本は満足したように頷いた。
「では、行ってきます」
「頑張れ」
「佐伯さんも、三件目を」
「確認するだけだよ」
「人間が?」
「そうだよ」
岸本は笑いながら執務室を出ていった。
*
三件目を開く。
先ほどまでと画面の色が違っていた。
警告を示す赤ではない。
外部機関の限定資料を表す、薄い灰色の枠が付いている。
《外部検証資料確認支援》
《共有元 ミライ庁》
《閲覧区分 限定共有》
《担当範囲 設備需要影響》
《個人識別情報 非表示》
悠真は一度、画面全体を見る。
ミライ庁の資料を直接扱うことは多くない。
ただ、設備需要予測には生活行動の分析が使われる。
行政側の検証資料が補正へ組み込まれていても、不思議ではなかった。
資料名が表示される。
《N-Index急落事象 第一次調査資料》
悠真の指が止まった。
N-Index。
設備番号でも、モデル名でもない。
市民一人ひとりに表示されている数値。
毎日の生活記録の末尾に、自分にも表示されているものだった。
その下に、管理表記が出る。
《代表事例》
《Case-04》
第4話から何度も見てきた文字だった。
月次設備稼働報告。
運用記録監査。
需要予測検証。
異なる設備と地域の資料に、同じ表記が残っていた。
四番目の設備でも、四番目の予測モデルでもなかった。
一人の市民に付けられた、事例番号だった。
画面を下へ動かす。
《対象者 東京都在住》
《年齢 三十四歳》
《性別 男性》
氏名は表示されていない。
住所も、勤務先も、家族の詳細もない。
設備需要への影響を確認するうえで、必要がない情報だからだろう。
次の二項目が並ぶ。
《前日生活支援区分 A》
《翌日生活支援区分 D》
悠真は読み直した。
AからD。
一段階ではない。
AからB。
BからC。
CからD。
生活支援区分は、通常、一定期間の傾向を見て変更される。
N-Indexが一日に数ポイント動くことはある。
体調や予定が変われば、前日比がマイナスになる日もある。
だが、区分が一日で三段階変わる事例を、悠真は聞いたことがなかった。
画面右上に、閲覧可能範囲が表示されている。
《現在の閲覧範囲》
《事例概要》
《設備需要関連項目》
《その他の調査情報は表示されません》
資料全体を読めるわけではない。
それでも、概要として共有された内容は続いていた。
《急落前の生活状況》
《定職あり》
《健康状態に異常なし》
《納税状況に問題なし》
《重大な法令違反 なし》
《事故・事件 なし》
《家族関係上の重大な変化 なし》
悠真は一項目ずつ確認する。
普通に働き、健康に暮らし、税金を払い、犯罪にも関わっていない。
それだけなら、A区分を維持していたことにも不自然さはない。
次の欄を開く。
《前日行動》
《六時四十二分 起床》
《七時三十一分 通勤》
《八時五十八分 勤務開始》
《十二時七分 昼食》
《十八時十一分 退勤》
《十九時四十二分 帰宅》
《二十二時五十三分 就寝》
《特記事項 なし》
起きる。
仕事へ行く。
昼食を取る。
帰宅する。
眠る。
何も珍しくない一日だった。
悠真自身の平日と、大きくは変わらない。
その下に、監査結果が並ぶ。
《ログ異常 なし》
《通信異常 なし》
《データ欠損 なし》
《システム障害 確認されず》
《再計算結果 一致》
最後の一文だけが、少し間を空けて表示されていた。
《急落要因は確認できず》
悠真は画面を動かさなかった。
原因は分からない。
システムの故障も見つかっていない。
データも欠けていない。
再計算しても、同じ結果になる。
それでも、その人物の区分はAからDへ変わった。
画面上部に案内が表示される。
《担当範囲外の情報が含まれています》
《設備需要関連項目へ移動しますか》
悠真は《移動》を押した。
人物に関する情報が折り畳まれる。
代わりに、設備側の確認項目が開く。
《設備需要関連確認》
《急落前後の地域需要変動 軽微》
《既存設備容量への影響 なし》
《運用計画への追加補正 不要》
《需要予測モデルの再検証 完了》
設備には、問題がなかった。
一人の生活支援区分が大きく変わっても、地域全体の需要へ与える影響は小さい。
設備容量には余裕がある。
運用計画を変える必要もない。
悠真が確認すべき内容は、明確だった。
《設備需要への影響を確認しましたか》
《確認》
《追加検証を依頼》
数値も、運転記録も正常だった。
設備担当として、追加検証を依頼する理由はない。
悠真は《確認》へ触れかけた。
その前に、概要欄をもう一度開く。
《前日生活支援区分 A》
《翌日生活支援区分 D》
《再計算結果 一致》
《急落要因は確認できず》
再計算の結果が一致している。
同じ入力から、同じ結果が出た。
それは、計算が再現されたということだった。
結果が正しいと説明されたわけではない。
なぜD区分なのか、理由が見つかったわけでもない。
だが、生活支援区分はすでに変更されている。
補足欄を開く。
《生活支援区分の変更については、ミライ庁監査局が確認を継続しています》
《対象者への支援は通常手順に基づき実施されています》
通常手順。
D区分となった市民に対し、必要と予測された支援を届ける。
面談。
生活改善提案。
手続き時の追加確認。
安全性を重視した選択肢。
どれも罰ではない。
本人の暮らしを安定させるための支援だった。
理由が分からなくても、支援は必要と判定されている。
「佐伯さん」
遠隔確認に参加している別チームの社員から音声が入った。
「設備側、何かありますか?」
悠真は人物の概要欄を閉じた。
「地域需要の変動は軽微です。設備容量への影響はありません」
「追加補正は?」
「不要です」
「こちらも同じです。稼働記録に異常はありません」
画面に共同確認結果が表示される。
《設備需要影響 なし》
《既存設備への追加対応 不要》
《確認者三名 一致》
「提出します」
「お願いします」
確認結果が送信される。
《担当範囲の確認を完了しました》
《限定共有情報は、業務終了後に非表示となります》
画面が閉じる直前、四行だけが残った。
《Case-04》
《N-Index急落事象 代表事例》
《設備需要への影響 なし》
《急落要因 確認できず》
悠真が判断したのは、そのうち一つだけだった。
設備需要への影響はない。
残りは、最初から資料に書かれていた。
*
十五時を少し過ぎて、岸本が戻ってきた。
「高さ表示、通りました」
「十二世帯全部か?」
「案内は全世帯に出します。現地で見られない世帯には実景合成を用意します」
「確認方法の違いは?」
「記録します」
岸本は自席へ座り、資料を開いた。
《設備高仮設表示 実施承認》
《対象世帯 十二世帯》
《現行配置案・代替配置案B》
《確認後の意見を再記録》
「午前中のご夫婦にも連絡します」
「見たあとで、意見が変わるかもしれないな」
「変わらないかもしれません」
「どっちでもいいだろ」
「そのまま残せば、ですよね」
岸本は画面に確認済みの印を付けた。
「佐伯さんの三件目は?」
悠真は一瞬、答え方を考えた。
限定共有された内容を、そのまま話していいわけではない。
ただ、Case-04という表記を岸本も見ていた。
資料の種類までが機密なのかは、画面上では示されていなかった。
「Case-04だった」
岸本の指が止まる。
「開けたんですか?」
「担当範囲だけ」
「何の資料でした?」
悠真は自分の確認履歴を見る。
《外部検証資料確認支援》
《設備需要影響 確認完了》
《追加対応 不要》
人物の情報は、すでに表示されていない。
「N-Indexの調査資料」
岸本は少し眉を寄せた。
「設備じゃなかったんですね」
「ああ」
「Caseって、人の事例ですか?」
「そうだった」
「何を調べてたんです?」
「生活支援区分の変更」
「変更?」
「AからD」
岸本の表情から、軽い笑みが消えた。
「一日で?」
「ああ」
「何があったんですか?」
悠真は、資料に表示されていた言葉を思い出す。
定職あり。
健康状態に異常なし。
特記事項なし。
「分からない」
「分からないって」
「確認できる生活記録には、大きな変化がなかった。システム異常も出てない」
「それでDになったんですか?」
「再計算しても同じ結果だった」
岸本は何も言わなかった。
執務室では、誰かが会議から戻り、別の誰かが印刷資料を受け取っている。
壁面には、午後の処理状況が表示されていた。
《部門処理状況 良好》
《予定業務の九十一パーセントが完了しています》
いつもと変わらない午後だった。
「設備への影響は?」
岸本が尋ねる。
「なかった」
「じゃあ、佐伯さんの確認は終わりですか?」
「ああ」
「そうですよね」
岸本は自分の画面へ視線を戻した。
《確認後の意見を再記録》
午前中に聞いた住民の言葉は、まだ判断保留のまま残っている。
設備の高さを見たあとで、もう一度本人たちへ聞く。
その意見を人が記録する。
一方、午後に見た人物には、理由が見つからないままD区分が付いていた。
悠真の端末に通知が届く。
《外部検証資料の閲覧時間が終了しました》
《担当範囲外の情報は非表示になりました》
《確認結果は業務記録へ保存されます》
Case-04の概要が消える。
履歴に残ったのは、設備担当としての判断だけだった。
《設備需要影響 なし》
《追加対応 不要》
間違った記録ではない。
悠真が確認した範囲では、その通りだった。
「佐伯さん」
岸本が呼ぶ。
「何だ?」
「午前中の意見、保留のままでも大丈夫だそうです」
「そうか」
「表示を見てもらったあとも決められなければ、また保留にするって」
「いいんじゃないか」
岸本は少し考えた。
「分からないなら、まだ決めなくていいですよね」
悠真は返事をしなかった。
午前中の住民には、分類が付いていない。
午後に見た人物には、理由がないままD区分が付いている。
どちらも、定められた手順に沿って処理されていた。
「そうだな」
しばらくして、悠真は答えた。
端末には、次の予定が表示されている。
《十六時 翌日訪問資料確認》
《推奨開始時刻まで 十一分》
悠真は相川市の資料を開いた。
明日訪問する世帯。
二つの配置案。
追加された高さ表示の説明。
意見表明時の確認方法。
そして、記録欄の上には、午前中にも見た文章が残っていた。
《予測された反応ではなく、本人が表明した内容を記録してください》
悠真は、その一文を確認してから最初の資料を開いた。
第6話 完




