第4話 存在しない案件 Part1 抑制された情報
抑制された情報
翌朝、悠真は目覚ましが鳴る少し前に目を覚ました。
寝室はまだ薄暗い。
枕元の生活端末には、起床推奨時刻まで残り三分と表示されている。
もう一度眠るほどの時間ではなかった。
悠真は天井を見たまま、昨夜の画面を思い出した。
《本日抑制された情報》
《明日の業務開始後に確認できます》
何の情報だったかまでは、はっきり覚えていない。
仕事に関係する何かだった。
重要度が低く、今すぐ見る必要はないと判断された情報。
それだけだった気がする。
端末が短く振動した。
《起床推奨時刻です》
カーテンが静かに開く。
朝の光が床へ伸び、美咲が隣で小さく身じろぎした。
「今日は早いね」
「少し目が覚めた」
「眠れなかった?」
「いや。普通に寝たよ」
端末には、睡眠効率九十二パーセントと表示されている。
「なら大丈夫そうだね」
「ああ」
悠真はベッドを出た。
*
朝食の席には、陽菜の姿がなかった。
「まだ寝てるのか?」
「起きてるよ。模型を直してる」
美咲が味噌汁を置きながら答えた。
「朝から?」
「蓮が木を一本取ったみたい」
「とってないよ」
蓮がすぐに反論した。
「ちょっと、かりたの」
「返したのか?」
「ちがう木をおいた」
「それは返したことにならないよ」
蒼がパンを食べながら言った。
「ならない!」
廊下の先から陽菜の声が飛んでくる。
しばらくして、陽菜が模型を抱えてリビングへ入ってきた。
どこにも行かない道の先にあった木が、昨日とは違う形になっている。
「直ったのか?」
「木は直った。でもベンチが曲がった」
「それくらいならいいだろ」
「よくない」
陽菜は模型を食卓の端へ置いた。
「座りにくいから」
「模型なんだから、誰も座らないだろ」
「座るつもりで作るの」
陽菜は当然のように言って、椅子へ座った。
悠真は模型の小さなベンチを見る。
実際には誰も座らない。
それでも、座りやすい形であることには意味があるらしい。
食卓の中央では、家庭用端末が今日の予定を表示していた。
家族全員、大きな変更はない。
陽菜の模型教室も、今週土曜日のままだった。
悠真はコーヒーを飲み終え、立ち上がった。
「行ってきます」
「いってらっしゃい」
「パパ」
陽菜が呼び止める。
「何だ?」
「帰ったらベンチ見て」
「分かった」
「ちゃんと座れそうか見てね」
「模型の中で?」
「想像して」
「難しいな」
「大事だから」
陽菜は真剣な顔で言った。
悠真は笑い、玄関へ向かった。
*
会社に着き、入館ゲートを通る。
今日の予定は通常どおりだった。
《九時 基盤更新部門定例》
《十一時 設備保守契約確認》
《十三時三十分 運用記録監査》
《十五時 相川市案件事後処理》
相川市案件は、すでに住民説明工程へ移っている。
悠真が担当するのは、これまでの確認記録を保存用の形式へまとめる作業だった。
自席に着くと、岸本遥が端末を操作していた。
「おはようございます」
「おはよう」
「今日は何か探さないんですか?」
「朝から何だよ」
「昨日、ずっと検索してたので」
「もう終わった話だ」
「すっきりしたんですね」
「分類も直したしな」
「結果は変わらなかったけど」
「そこは言わなくていい」
岸本は笑った。
悠真も自分の端末を起動する。
業務画面が開くと、通常の通知に混じって、一件だけ保留中の項目が残っていた。
《前日からの確認待ち情報》
昨夜見たものだ。
悠真はようやく思い出した。
《本日抑制された情報》
業務時間になったため、内容を確認できる状態になっている。
項目を開く。
《業務支援設定変更前に抑制された詳細情報があります》
《対象件数 一件》
《関連業務》
《月次設備稼働報告》
昨日、要約だけを見て確認済みにした報告だった。
重大な異常なし。
設備の停止も、通信障害も、規定値を超える変動もない。
詳細確認の必要性は低いと判断されていた。
悠真は《表示》を押した。
《重要度 低》
《業務判断への影響 なし》
《参考情報として表示します》
設備の運転履歴が一覧で開いた。
稼働時間。
自動停止回数。
遠隔診断の結果。
制御設定の微調整履歴。
どれも規定範囲内だった。
昨日、要約だけで十分だと判断された理由が分かる。
「昨日の続きですか?」
岸本が尋ねた。
「抑制されてた情報」
「何かありました?」
「重要度は低いらしい」
「じゃあ、見なくても良かったんじゃないですか」
「昨日の自分もそう思ってた」
「今日の佐伯さんは違うんですか?」
「表示されたから見てるだけだよ」
「なるほど」
岸本は笑って、自分の作業へ戻った。
悠真も履歴を閉じようとした。
その直前、最下部に折り畳まれた項目があることに気づいた。
《外部検証資料との参照関係 一件》
設備そのものの異常ではない。
運転計画を算出する際に使用された予測モデルが、別の検証資料を参照しているらしい。
業務判断への影響はないと表示されている。
悠真は項目を開いた。
《参照区分》
《生活行動予測モデル検証》
《参照目的》
《需要変動予測の補正》
《現在の設備運用への影響》
《なし》
設備の運転計画には、周辺地域の生活行動予測も使われる。
入浴や調理、空調の使用時刻を予測し、需要の集中を避けるためだ。
相川市案件でも扱っていた内容だった。
不自然なものではない。
その下に、参照された資料の管理表記があった。
《Case-04》
英字と数字だけの、短い名称だった。
詳細説明はない。
資料名にも見えるし、検証番号にも見える。
「岸本」
「はい?」
「Caseって、社内の検証資料でも使ってたっけ」
「事例番号ですか?」
「Case、ハイフン、ゼロヨン」
岸本は少し考えた。
「社内だけじゃなく、行政資料でも使うんじゃないですか?」
「外部検証資料って出てる」
「じゃあ、自治体かミライ庁の資料かもしれませんね」
「生活行動予測モデルの検証らしい」
「ああ。それならありそうです」
「そうだよな」
悠真は表記に触れた。
《参照資料の詳細は、現在の担当業務には含まれません》
閲覧を拒否されたわけではない。
ただ、参照先へ移動する項目が用意されていない。
設備運用に使用されたモデルが、何らかの検証資料を参照した。
その結果、現在の運転計画に問題はない。
業務上必要なのは、そこまでだった。
「開けないんですか?」
「リンクになってない」
「検証済みの資料なら、中身まで見る必要ないんじゃないですか」
「まあな」
「今の設備に問題は?」
「ない」
「じゃあ、大丈夫ですね」
岸本はそう言って、自分の画面へ戻った。
悠真も頷いた。
設備の稼働は正常だった。
需要予測にも問題はない。
Case-04が何を検証した資料であっても、今の業務判断には影響しない。
悠真は確認済みの印を付けた。
《参考情報を確認しました》
《業務判断への影響はありません》
詳細画面が閉じる。
通常の予定表へ戻った。
九時の定例会議まで、あと十二分。
悠真は今日の議題を開いた。
画面の端には、確認履歴が小さく残っている。
《Case-04》
四番目の事例。
あるいは、四番目の検証資料。
特別な意味があるようには思えなかった。
定例会議の開始を知らせる通知が届く。
悠真は確認履歴を閉じ、席を立った。




