第3話 見えなくなったもの Part2 閲覧理由
昼休みを過ぎても、悠真は午前中の画面を思い出していた。
《旧工程の情報確認が必要な場合》
《閲覧理由を入力してください》
閲覧できないわけではない。
必要性を説明すればいいだけだった。
社内の情報管理としては、ごく普通の仕組みだ。
案件の工程が変われば、参照できる資料も変わる。関係のない情報まで誰でも開ける方が問題になる。
そう考えれば、何も不自然ではなかった。
それでも、昨日まで自分が確認していた資料だった。
自分が付けた確認済みの印が、どのように要約へ反映されたのか。
それくらいは、見ておいてもいい気がした。
「まだ気にしてるんですか?」
岸本が尋ねた。
悠真は画面から顔を上げた。
「何を?」
「相川の意見」
「顔に出てた?」
「検索画面を三回くらい開いてるので」
「見てたのか」
「隣ですから」
岸本は自分の端末を閉じた。
「申請すればいいじゃないですか」
「業務上必要かと言われると、もう必要じゃない」
「でも気になる」
「まあな」
「じゃあ、そのまま書けばいいんじゃないですか?」
「気になるから確認したい、って?」
「駄目ですか?」
「理由として弱いだろ」
「私は正直でいいと思いますけど」
岸本はそう言って、給湯室へ向かう準備を始めた。
「何か飲みます?」
「コーヒー」
「推奨の?」
「何でもいい」
「一番困る答えですね」
岸本が席を離れる。
悠真は再び検索画面を開いた。
午前中と同じ案内が表示される。
《旧工程の情報確認が必要な場合》
《閲覧理由を入力してください》
細い入力欄へカーソルを合わせる。
文字を打つ。
《昨日確認した住民意見が、要約資料へどのように反映されたか確認するため》
一度読み返す。
業務上の必要性としては、間違っていない。
昨日の確認結果が正しく反映されているかを見ることも、品質管理の一部と考えられる。
送信しようとして、指が止まった。
画面の下に補足が表示されている。
《閲覧申請は、担当業務との関連性および情報利用傾向を基に審査されます》
《申請内容は業務記録へ保存されます》
当然のことだった。
誰が、何の目的で資料を開いたのか。
記録されていなければ、情報管理にはならない。
悠真は入力欄を見つめた。
「どうぞ」
岸本が紙コップを置いた。
「ありがとう」
「書いたんですか?」
「ああ」
「送らないんですか?」
「今、考えてる」
「佐伯さんらしくないですね」
「何が?」
「申請一つでそんなに悩むの」
「別に悩んでない」
「じゃあ送ればいいじゃないですか」
悠真は苦笑した。
「簡単に言うな」
「昨日、私に言いましたよ」
「何を?」
「押すだけなら簡単だって」
岸本は自分の席へ戻った。
「覚えてたのか」
「意外と根に持つので」
「知らなかった」
「今後の提案に反映してください」
岸本は笑いながら端末を開いた。
悠真も少し笑った。
画面へ視線を戻す。
入力した文章は、そのまま残っている。
内容に問題はない。
虚偽でもない。
隠す理由もなかった。
悠真は《申請》を押した。
《閲覧申請を受け付けました》
《審査予測時間 三分》
それだけだった。
警告も、確認面談もない。
悠真はコーヒーを飲んだ。
「送ったんですね」
「ああ」
「大事件ですね」
「申請しただけだ」
「そうでした」
岸本はいつもの調子で答えた。
*
結果が届いたのは、二分後だった。
《閲覧申請を承認しました》
《有効時間 十五分》
《対象資料 相川市住民意見原文》
《閲覧内容は自動記録されます》
悠真は資料を開いた。
昨日まで並んでいた住民意見が、一覧で表示される。
数も、文章も変わっていない。
削除された意見はなかった。
悠真は少しだけ安心した。
検索欄へ入力する。
《現在の生活に不便を感じていない》
一件の意見が表示された。
昨日見た文章だった。
《設備更新による利点は理解しています》
《ただし、現在の生活に不便を感じていないため、生活時間を変更する必要性が分かりません》
その下に、処理履歴が付いている。
《初期分類》
《情報理解不足》
《追加分類》
《生活変更への心理的抵抗》
《要約反映》
《生活時間帯の変更に一部懸念》
間違ってはいなかった。
文章の内容は、確かに要約へ反映されている。
悠真は画面を下へ動かした。
《推奨対応》
《設備更新の利点を再提示》
《個別生活計画による負担軽減を説明》
《受容予測 九十三パーセント》
説明を増やせば、納得する可能性が高い。
その判断にも筋は通っている。
悠真は意見を閉じようとした。
その前に、分類履歴の横にある小さな印へ気づいた。
《人間確認済み》
確認者欄には、自分の名前が表示されていた。
《佐伯悠真》
《確認日時 昨日十五時四十二分》
悠真は記憶をたどった。
昨日、この意見へ確認済みの印を付けた。
ただし、分類が適切だと判断したわけではない。
意見に目を通した、という意味で押しただけだった。
画面上では、その二つに違いはなかった。
《人間確認済み》
その表示だけを見れば、分類も要約も人間が確認したように読める。
実際、自分は画面を見た。
分類も見た。
変更しなかった。
なら、確認済みという表示は正しい。
「ありました?」
岸本が尋ねた。
「ああ」
「消えてなかったでしょう」
「残ってた」
「じゃあ、良かったですね」
「そうだな」
悠真は答えた。
岸本はすでに自分の仕事へ戻っていた。
悠真は、もう一度《人間確認済み》という表示を見る。
昨日、分類を変更しようとは思わなかった。
設備更新には利点があった。
追加説明も有効だと思った。
だから、そのまま確認済みにした。
何も間違ってはいない。
悠真は次の意見を開いた。
*
《夜勤のため、推奨時間帯での利用は難しい》
《分類 就労事情》
《要約反映 個別対応可能》
《人間確認済み》
これは問題なかった。
勤務時間に合わせた利用枠が用意されている。
次の意見を開く。
《子どもの帰宅に合わせて夕食を作りたい》
《分類 家庭事情》
《要約反映 個別対応可能》
《人間確認済み》
これも問題ない。
次。
《設備が新しくなることには賛成です。ただ、これまでと同じ時間に使えない理由がよく分かりません》
《分類 情報理解不足》
《要約反映 追加説明により合意可能》
《人間確認済み》
悠真は指を止めた。
設備更新に反対しているわけではない。
理由が分からないと言っている。
なら、情報理解不足という分類で間違いではない。
次。
《変更した方が社会全体には良いのだと思います。でも、家では今の時間が一番都合がいいです》
《分類 生活変更への心理的抵抗》
《要約反映 生活時間帯の変更に一部懸念》
《人間確認済み》
悠真は文章を読み返した。
心理的抵抗。
そう呼ぶこともできる。
今の暮らしを変えたくないという気持ちは、変化への抵抗でもある。
けれど、都合がいいというのは、心理だけの問題だろうか。
分類を修正するための項目を探す。
《分類修正を提案》
ボタンは残っていた。
悠真は開いた。
《修正候補》
《家庭事情》
《生活上の合理性》
《その他》
《生活上の合理性》を選ぶ。
理由欄が表示された。
悠真は入力した。
《現在の生活時間が当該世帯に適しているため》
送信する。
《分類修正案を受け付けました》
《要約への影響を評価します》
数秒後、結果が表示された。
《要約結果への影響 なし》
《個別対応方針への影響 軽微》
《分類を更新しますか》
悠真は《更新》を押した。
《分類を更新しました》
画面上の表示が変わる。
《分類 生活上の合理性》
《人間確認済み》
ただそれだけだった。
要約文は変わらない。
計画の進行にも影響はない。
それでも、先ほどより正確になった気がした。
悠真は次の意見へ進んだ。
*
十五分は、思ったより短かった。
《閲覧可能時間が終了しました》
《確認件数 七件》
《分類修正 一件》
《業務記録へ反映しました》
資料が閉じる。
画面には、再び要約版だけが残った。
《生活時間帯の変更に一部懸念》
文章は変わっていない。
悠真が修正した一件も、その中に含まれている。
分類が変わっても、要約は同じだった。
それは当然かもしれない。
会議で必要なのは、一世帯ごとの言葉ではなく、全体として計画が進められるかどうかだ。
悠真は画面を閉じた。
端末に新しい通知が届く。
《情報確認傾向を更新しました》
《詳細情報への関心が確認されました》
《今後の業務支援へ反映します》
通知を見たまま、悠真はしばらく動かなかった。
「終わりました?」
岸本が声を掛ける。
「ああ」
「すっきりしました?」
悠真は少し考えた。
「一件だけ、分類を直した」
「間違ってたんですか?」
「間違いってほどじゃない」
「じゃあ、何で?」
「そっちの方が正確だと思った」
「要約は変わりました?」
「変わらなかった」
岸本は一度だけ瞬きをした。
「なら、どっちでも同じじゃないですか?」
「結果だけ見ればな」
「結果以外に何かあります?」
悠真は答えようとして、言葉が出なかった。
分類された言葉。
要約された文章。
計画を進めるための数字。
どれも必要だった。
そして、どれも元の意見とは少しずつ違っていた。
「いや」
悠真は首を振った。
「何でもない」
岸本は深く追及しなかった。
「そうですか」
そのまま仕事へ戻る。
悠真の画面には、相川市の要約が表示されていた。
《計画への理解は概ね良好》
《追加説明により合意形成が可能》
間違ったことは、何も書かれていなかった。
悠真は次の業務を開いた。




